蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

諱 9. 幻

海誕企画★2013

人は強欲なものだ。今のイーグルはたしかにシルヴィアを見ている。けれどシルヴィアは、「見られる」だけでは満足できない自分自身に気づいてしまった。

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「今夜は雪かしら」
 ウィンドウの外を見ながら呟くと、「は」と運転手が声を上げた。
「何かおっしゃいましたか、お嬢様」
 彼はとても気の利く、まさに痒いところに手が届くといった非常に優秀な運転手兼執事だ。けれど優秀すぎて女心に疎いところが、玉に瑕だった。
「いいえ」とシルヴィアはかぶりを振った。「なんでもないわ」
 そもそも雪など降るはずもない。オートザムの空は常に薄汚れて、雨さえ降らないのだ。一度は雪というものをこの目で見てみたい。季節に変化のあるファーレンにおいてそれが積もっている様子を映像で見た日から、シルヴィアは密かにそう願い続けていた。
 イーグルは雪を見たことがあるのだろうか。ウインドウの向こうの、「景色」とも呼べないような景色をぼんやりとやり過ごしながら考える。セフィーロで療養を続けていた彼は、ひょっとしたら見たことがあるかもしれない。セフィーロは常春の国だが、望めばなんでもかなう魔法の国でもあると聞いた。「雪よ降れ」と願えば、簡単に降らせることができるのではないだろうか。
 そこまで考えて、シルヴィアは小さく息をついた。
「どうでもいいことね」
 吹っ切るように呟く。今度は運転手には聞こえなかったようだ。車は低いうなり声を上げながら、同じ速度で走り続けた。


 早いもので、イーグルと正式に婚約してからもう半年が経った。けれどイーグルの方から城へ来てほしいと言ってくるのは、この半年間で今日が初めてのことだった。これまでのイーグルとの逢瀬は、何かしら理由をつけてシルヴィアが彼のもとを訪れることで専ら成り立っていた。そのことを、イーグルが厭だと思っているのかどうでもいいと思っているのか、シルヴィアには未だわからない。ただ、彼が自分との縁談に対してほとんど無関心であることだけは確かだった。どうせ政略婚だとしか思っていないのだろう。イーグルの興味は、シルヴィアの父の持つ絶大な権力にしか向いていない。そして彼は、シルヴィアも同様に損得勘定のみで今回の縁談を受けたのだと信じて疑っていない。
 少しでいいからイーグルに私を女として見てほしいという気持ちが、ないわけではない。むしろかなり強くある。けれど彼の「妻」という絶対的な地位を手に入れるためならば、多少のことには目を瞑ろうと決めていた。妻になってしまえばイーグルは私のものだ。そうなれば、彼は必然的に私を見ることになる。たとえ今、どこのどんな女と関係を持っていようとも。

「到着いたしました、お嬢様」
 車を止めた運転手が、しゃがれ声でそう声を掛けてきた。もう何度も訪れているオートザム城だというのに、イーグルに呼ばれて来たというだけで、シルヴィアの目には普段とはまったく異なる城のように映った。心が浮き足立っていることに、否が応でも気づく。大きなリムジンの後ろの席で「わかったわ」と答えるその声でさえ、微かに裏返っている。
「支度をするわ。外で待っていて」
「はい、かしこまりました」
 運転手は一礼し、外へ出た。静かにドアが閉められたのを確認して、シルヴィアは隣に置いた大きな化粧ポーチに手を伸ばした。蓋を開けると、内側が鏡になっている。櫛を取り出し、さっと梳かした前髪に早業でマジックカーラーを巻く。今朝美容院でカラーのリタッチとセットをしてもらってきたので、髪の巻き加減と艶は完璧だった。
 化粧はすべて自分の手で行うのがシルヴィアのこだわりだった。ゆうべ睡眠時間をたっぷり確保していたおかげで、今日は化粧のノリがいい。崩れているところはほとんどなかった。軽く粉をはたいてグロスを塗りなおす。最後、目尻にわずかに滲んでいたアイラインを麺棒で丁寧に拭い、マジックカーラーを外した。
「悪くないわね」
 仕上げににっこりと、鏡の中の自分に向かってほほ笑む。いつもそうして化粧直しを終えるのだった。ポーチを隣の席に戻し、代わりにスパンコールのちりばめられたハンドバッグを手にすると、シルヴィアは車の窓に引いてあるカーテンを開けた。するとそれを合図に、外で待っていた運転手兼執事が丁寧にドアを開けてくれた。
「お待たせ」
 見上げたオートザム城は、やはりいつも以上に堂々と聳えているように見える。この城が住まいとなる日も近いと思うと、思わず口元が緩んだ。

***

 ところが、ご機嫌だったシルヴィアの気分は、すでにイーグルが待ち構えていた応接間に入ってからものの数秒で打ち砕かれた。
「……今、なんと言ったの?」
 自分自身の声が震えているのがわかる。頬は引き攣り、血の気もみるみるうちに引いていく。これではせっかくのメイクが台無しじゃない。心のどこかにいる冷静なもう一人の自分が、そんな声を上げた。
「ですから、今回の縁談は白紙に戻していただきたいと――」
「ふざけないで!」
 立ち上がると同時に、シルヴィアは手にしていたハンドバッグをソファに叩きつけた。きれいにあしらわれていた表面のスパンコールがいくつか飛び、イーグルとのあいだあるローテーブルに落ちた。
 スパンコールとともに、沈黙も落ちる。
「ふざけてなどいません」
 その沈黙は、けれどイーグルによってあっさり破られた。一方スパンコールは、テーブルの上に落ちたままもう二度と動かなかった。
「あなたには、本当に申し訳ないと思っています。ですが」
「そんなことが許されると思ってるの? もう式場の予約だってしてあるのよ。披露宴には大企業のトップの方が何人もお見えになることになっているのに、いまさらキャンセルなんてできないわ。あなた、父の面目を丸つぶれにするつもり?」
 そんなことは大した問題ではなかったが、今目の前で冷静さを堅持している男に対しては、損得勘定で責める以外に方法はなかった。
 男には二種類ある。心に訴えて動かされるタイプと、頭に訴えて動かされるタイプだ。イーグルの場合は紛れもなく後者だと、シルヴィアは疑っていなかった。

 再び沈黙が流れる。シルヴィアが肩を大きく動かしながら繰り返す、荒い呼吸音だけが部屋に響く。
 向かい合うソファーとそのあいだのローテーブルだけが置かれた応接間は、シンプルすぎるほどシンプルだった。上座ではシルヴィアが仁王立ちになり、下座にはイーグルが座っている。イーグルはごく浅くソファに腰掛けていて、開いた足のあいだで手を組み、軽く身を屈めるような体勢で、目の前に置かれた紅茶に視線を注いでいた。
「あの女なの?」
 いくらか落ち着いた心持で、シルヴィアは吐き捨てるように言った。そのときイーグルの肩がぴくりと動いたのを、シルヴィアは見逃さなかった。
「あの女のせいなの?」
 イーグルは否定も肯定もせず、ただ黙り込んでいる。シルヴィアはしばらくその鳶色の髪を見つめていたが、ふと思い出したように先ほどソファに投げたハンドバッグを乱暴につかむと、その中から封筒を取り出し、中に入っていた数枚の紙をイーグルに向かって叩きつけた。散らばったのはすべて写真だった。そのうちの一枚を、イーグルが徐に拾う。手が震えたのはけれど一瞬のことで、イーグルはすぐに落ち着きを取り戻した。そして何も言わなかった。

 さらに一枚が宙を舞い、シルヴィアの前に出された紅茶の中に落ちた。その写真には、イーグルと抱擁を交わす青い髪の女の姿が映っていた。
「私が何も知らないとでも思って? この程度のこと、父に頼まなくてもわかるのよ」
 イーグルを疑っていたわけではない。ただ、大統領の息子が婚姻前によもや不祥事を起こしているなどということが周囲に知れたら、大スキャンダルになる。万一そのようなことがあっては、大統領の名はおろか、父の経営する企業グループの名にも傷がつく。イーグルの周辺を洗わせたのは、念には念を入れた、ただの確認作業のつもりだった。まさかその過程で本当にスキャンダルの種が見つかるとは、シルヴィア自身衝撃だった。

 イーグルは手にした写真を黙って見つめていたが、やがてそれを静かにテーブルに置いた。その間、一言も発しない。その態度が、何とも苛立たしい。
「この程度のことなら、私がもみ消してあげるわ」とシルヴィアは言った。「だけど、縁談を白紙にすることだけは許さない。この話は、もう決まったも同然――」
「シルヴィア」
 鋭く言い放たれたイーグルの言葉に、シルヴィアは思わずびくんと肩を震わせ、たじろいだ。その隙を狙うようにイーグルは顔を上げ、枯茶色の双眸で真っすぐにシルヴィアを射抜いた。
「あなたの気が済むまで、罵っていただいて構いません。どんな償いでもします。ですが、僕の気持ちは変わりません。あなたと一緒にはなれない」

 なんてずるい人。シルヴィアは心からそう思った。イーグルがシルヴィアのことを「お嬢様」ではなく名前で呼んだのはこれが初めてのことだった。こんなときに名前で呼ぶなんて、ずるすぎる。シルヴィアは唇をかんだ。
「……認めないわ」
 イーグルとの結婚を手放すことなど、どうしたらできるだろう。まだ23年しか生きていないが、イーグルとの結婚は、シルヴィアの人生において最大でクライマックスの目標だった。

 イーグルを初めて見たのは、シルヴィアが13歳のときだった。父に連れられて、イーグルが受けたという軍の勲章を表彰する式典の席のことだったと記憶している。シルヴィアにとっては、オートザム城に足を踏み入れることもまた、そのときが初めてだった。幼少期に母を亡くしていたシルヴィアは、ファーストレディー代わりとして早くから父の外交に連れ添うようになっていた。そのときの式典は、シルヴィアが正式に「メディア王の娘」として外交デビューした行事でもあった。
 シルヴィアより七つ年上のイーグルは当時まだ二十歳になったばかりで、今と比べれば若干の幼さを残していた。ただ、若くてもその瞳の強さは随一だった。そして、強いのに、時折浮かべる笑顔は優しさであふれていることを、シルヴィアは確かに認めた。
 一目で魅了された。運命の相手だと確信した。そのときから、シルヴィアは心密かにイーグルの妻となることを夢見ていた。たとえイーグルにとっては政略婚であっても、シルヴィアにとってはそうではなかった。イーグルの「次期大統領」という肩書にしか興味がないように振る舞いながらその実、シルヴィアが本当に求めていたのは「イーグル・ビジョン」という一人の男だった。
 積年の片思いが実る。イーグルとの縁談が意味しているのはそういうことだった。それを、突然現れた女に横取りされるなんて、冗談じゃない。
「お嬢様――」
「どうしても、と言うのなら」
 シルヴィアはイーグルの言葉を遮り、語気を強めた。握った拳の内側に、長く伸ばした爪の先が食い込んだが、気にならなかった。そんな痛みなどなんでもないほどの強い気持ちが、体の最奥から湧き上がってきていた。
「父と勝負して」
 イーグルがはっと目を見開く。その見開かれた目を、シルヴィアは瞬きも忘れて見返した。

 皮肉なものだと、シルヴィアは内心で嘲笑した。いつかイーグルにはその凛とした瞳で私を真っすぐに見てほしいと、密かに願い続けてきた。シルヴィアといるとき、イーグルはいつも遠くを見ていた。この縁談が軍略に利用されていることを知りながら、彼は「われ関せず」という態度を貫いていた。そのためイーグルからは、一緒になる相手などどうでもいいとでもいうように、まるで人形を見るような目しか向けられてこなかった。
 それでもいいと、これまでは割り切っていた。彼の妻という地位を手に入れることができるのなら、どんなに冷たい瞳を向けられようとも構わない。夫婦になれば、いずれ厭でも向き合わなくてはならないときがやってくる。そのときにイーグルがこちらを見てくれさえすればいいと思うように努めてきた。それでも、私がイーグルを見つめるようにイーグルにも私を見てほしいと、心の底ではずっと願っていた。そして今、目の前でその願いがかなえられている。イーグルは確かにシルヴィアのことを真っすぐに見つめている。

 人は強欲なものだ。今のイーグルはたしかにシルヴィアを見ている。けれどシルヴィアは、「見られる」だけでは満足できない自分自身に気づいてしまった。シルヴィアがイーグルを「見る」とき、シルヴィアは目だけではなく心も彼に向けている。私がイーグルに求めているのもそういうことなのだ。本当に向けてほしいのは、「目」ではなく「心」だ。「瞳に映してほしい」のではなく、「心に住まわせてほしい」のだ。
 イーグルの心に私だけの居場所を手に入れるためなら、どんなことだってできる。けれどいったい何をすればその居場所が手に入るのか、皆目見当がつかなかった。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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