蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

諱 14. 心

海誕企画★2013

そんなはずはない、という気持ちの一方で、ああ確かにそうに違いない、という気持ちもあった。二つの気持ちに挟まれて、息が出来ないほど苦しくなった。

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 前にこれほど息を切らして走ったのはいつのことだっただろう。走りながら時折考えているけれど、思い出せなかった。喉がカラカラに乾いて痛い。短い息を吐きながら、海は回廊を全力疾走していた。
 飛び出してきた中庭から目指している部屋まではそれほど離れてはいないはずなのに、庭から回廊へ入った時点ですでに息が切れていた。そこからまだ回廊一本分を走っただけだというのに、もはや文字どおり息も絶え絶えだった。
 今日の朝から――いや、ゆうべ寝る前からずっと、心拍数が120くらいで高止まりしている。そんな状態で走り出したりしたら、誰だって息が切れるというものだろう。過呼吸で倒れてしまうのではないかという不安も一瞬脳裏を過ったけれど、それは今の海にとってはどうでもいいことだった。たとえ倒れてしまったとしても、たったひとり、どうしても会いたいひとがいた。そのひとに会うためならどんなことだってできる。彼に会うまではこの足を止めるわけにはいかない。ついぞ感じたことのない強い気持ちが心の奥底から湧き上がり、それが海の背中を後押ししていた。

 やがてついに、目指している部屋の扉が見えてきた。扉は一見、いつもと何ら変わりなくそこにあるようだ。けれどその内側が今どうなっているのか、想像するも恐ろしかった。
 どうか間に合って。心の中で念じ、その思いをぶつけるように、たどり着いた扉を力いっぱい叩いた。
「クレフ、クレフ!」
 そんな風に思い切り何かを叩くのは初めてのことだった。頑丈な扉が故に、叩く音はあまり大きくは響かない。けれどその都度手に受ける衝撃は相当大きかった。その衝撃の大きさに思わず顔を顰めそうになったとき、不意に海は、扉がわずかに開いていることに気づいた。
 神経を研ぎ澄ますと、隙間風が流れてくるのを確かに感じる。叩く手を引き、代わりに観音開きの扉の片側に背中をつけ、全体重を掛けて押した。寝起きの熊が発する声のようなかったるい音とともに扉が開かれていく。火事場の馬鹿力、という言葉がひとりでに浮かび上がってきた。あれはきっとこういうことを言うのだろうと思った。
 ようやくぎりぎり人一人が入れるほどの隙間が開く。その隙間から、海は部屋の中へと体を滑り込ませた。
「クレフ!」
 そして中を見た瞬間、はっとその場で立ち竦んだ。

 大きく開け放たれた窓は、海が知るそれより三倍ほども広がり、なすがままに風をどんどん吹き込ませていた。その風に、白いレースのカーテンがはためく。レールで頭を止められているために裾を激しく揺らし続けるしかないそれは、まるで飛ぶことを赦されない鳥のようだった。広い窓から入り込むものは風のみならず、太陽の光も同様だった。傾き始めた日の光は、ほとんど真っすぐに部屋の中へ入ってきている。邪魔をするものが何もない光に照らされた空間は、まっさらだった。文字どおり、そこには何もなかった。
 発すべき言葉を失い、海はその場で突っ立ったまま呆然と部屋を見回した。部屋の三分の一近くを占領していた机も、壁全体に張り巡らされていた本棚も、いつも薬湯を淹れてくれた調理台も、何一つ残されていない。塵ひとつさえ、なかった。
「……そんな」
 何もない部屋は、信じられないほど広かった。その入り口で、海は力なくしゃがみ込んだ。全力疾走をしたことによる疲労感が、今ごろになって全身を覆い始めていた。走ることはおろか、もう歩くこともできなさそうだった。
 間に合わなかった。その事実が今目の前に忽然と姿を現し、そしておよそ乗り越えることのできない壁になった。たくさんの人を傷つけ、たくさんの人に心配をかけ、それでも捨てられない『願い』にようやく、ようやく気づいたのに。今度こそこの想いを打ち明けようと、ずっと彼のそばにいようと、決意したのに。
「クレフ……」
 もう、その名を呼んでも彼はいないのだ。遠くへ行ってしまった。そう思ったら、涙腺が緩んだ。

 どのくらいそうしていただろう。不意に背中を撫でる風の気配を感じて、海は顔を上げた。誰かやってきたのだろうかと、濡れた頬を拭って振り返る。すると、回廊を挟んだ真向かいにある庭に大きな鳥が着地するのが見えた。
 海はきょとんと小首を傾げた。セフィーロ城の中でも特に奥まっているこのあたりまでやってくる人間は、普段はほとんどいないのだ。いったい誰だろう。なんとか立ち上がり、一旦クレフの部屋から出る。刹那、白く長いローブをまとった一人の男性が、鳥の背からストンと降り立った。見覚えのない人だった。城付きの魔導師だろうか。
 ――魔導師。何気なく脳裏に浮かんだ言葉を反芻して、海ははっと目を見開いた。同じ魔導師仲間なら、もしかしたらあの人はクレフの行方を知っているかもしれない。海は藁にも縋る思いで駆け出した。
「ねえ」
 回廊から庭へ飛び出すと、こちらに背を向けている男性に向かって声を張り上げた。
「あなた、クレフがどこへ行ったか知らない? 私、あのひとにどうしても伝えなきゃいけないことがあるの」
 大きな鳥の背を撫ぜていた男性が、こちらを振り返る。大きく見開かれたその瞳と目が合った瞬間、海はなぜか金縛りに遭ったように動けなくなった。傾きかけた日の逆光の中で、その人のサファイア色の双眸が、切り取られた原石の中身のように輝いた。

 海より頭一つ分ほど背の高いその男性とは、紛れもなく初対面のはずだった。こんなに隙のない瞳を持った人と一度でも会っていたとしたら、強烈な印象となって残っているはずだ。けれど海の記憶の中にその人はいない。それなのに――海はどうしても、彼とそうして向かい合うことがデジャヴに思えてならなかった。
 そうして見つめ合っていると、まるで世界中の音という音が止まったように感じた。やがて、見開いた瞳に隠せない動揺を映したその男性が、戸惑いながら口を開いた。
「……ウミ」
 彼の声は囁くように小さかったのに、その声は風に乗り、海の心を大きく揺さぶった。
 そんなはずはない、という気持ちの一方で、ああ確かにそうに違いない、という気持ちもあった。二つの気持ちに挟まれて、息が出来ないほど苦しくなった。
「どうして、おまえがこんなところに」と彼は言った。
 その声がはっきりと耳に届いても、まだ半信半疑だった。けれど「そう」だとするならばすべてのことに納得がいった。大きな鳥にしか見えなかった、彼に背を撫ぜられていた精獣も、今となってはどうしてそれと気づけなかったのか不思議なほど、海もよく知ったグリフォン以外ではあり得なかった。

「クレフ、なの……?」と海はようやくのことで言った。
 自分が嬉しいのか哀しいのかすら、もはやよくわからなかった。ただ、こちらを見た彼が大きな目を不思議そうに瞬かせたとき、その人がクレフだということが腑に落ちた。橙色の日に照らされて銀色に見えていた髪も、よく見ればきれいな薄紫色をしていた。
「ああ、そうか」
 そのクレフが、不意に破顔した。
「この姿のせいで、わからなかったのだな。いや、城を離れるとなれば、今までの姿では不便なことが思いの外多くてな。それならばと、魔法を施したのだ」
 しかし、未だに慣れん。そう続けたクレフの言葉は、けれど海の耳を左から右へと抜けていった。そこにいるのがクレフであるなら、子どもでも大人でも構わなかった。
「クレフ」と海は、やっとたどり着けたその人の名を呼んだ。
 自分でも驚くほど、その声はよく通った。クレフがはっと身じろぎする。鼓膜を震わせる己の鼓動がうるさいほどに響いても、海はもう気にしなかった。今日、この瞬間のために過ごした六年を徒にはしたくない、いや、決して徒にはしないという強い気持ちが、海を確かに奮い立たせていた。
「私、ようやくわかったの。自分が何を『願う』のか」
 『願い』とは、独りよがりなものだ。前にそうぽつりと呟いたのも、今目の前にいるひとだった。あのときは彼の言っていることの意味がよくわからなかった。けれど今なら、ようやく見つけた自分自身の『願い』を前に、当時のクレフの言葉に大きくうなずくことができる。たとえ独りよがりであったとしても、『願い』は簡単に捨てられるものではないのだ。そしてだからこそ、『願い』は独りよがりなものになってしまうのだ。

「ずっと気づけなかったの。『どうせかなわない』っていう気持ちが強かったから、自分にとって何が一番大切なのか、見落としていたわ」
 そう言って、海は胸に手を当てた。
「この間、あなたに突き放されて……私、確かに哀しかった。こんな恋忘れたいって、ずっと思ってた。でも、私ばかだったわ。たとえあなたが私のことをそういう風に見てくれなくても、忘れられるはずなんてないの」
 自然と嘲笑がこぼれた。そしてそうすると、瞼の奥がじんと熱くなった。
「ねえ、クレフ。私、たくさんの人を傷つけたわ。たくさんの人に心配をかけたし、たくさんの人を不安にさせたわ。でも、それでも……いいえ、だからこそ、自分の『願い』からもう目を背けたくないの。私の願いは、何があっても、どんなに突き放されても、あなたのそばにいることよ」
 『言霊』の話は本当だった。口に出した途端、この六年間心の奥にずっと重い蓋をしてしまい込み続けてきた想いが一気にあふれ出てくるのを感じた。堪え切れなくなったそれは、目からは涙、口からは嗚咽となってこぼれ落ちた。その自分自身の『想い』を受け止めるように、海は両手でわっと顔を覆った。

 もう最悪だ、と内心思っていた。本当は、もっと理路整然と気持ちを述べるつもりだったのだ。クレフのように頭のいい人を説得するには理詰めでいくのが一番だと、ここに来て、彼に会うまでは思っていた。どういう過程を経て、どういう理由があって今自分がここにいて、何を伝えようとしているのか。一つひとつ、明確にしていくつもりだった。
 けれどいざ本人を目の前にしてみて、そんなことは出来はしないのだと思い知らされた。理路整然になんて話せない。クレフのことを想っていたのはいつだって、頭ではなく心だったのだから。
 そしてその「心」が今、どうしようもなく叫んでいる。それは海自身が驚くほどの強い叫びだった。
「……っ、好きなの……」
 それは呆れるほど陳腐な言葉だった。けれどそれ以外、いったいどんな言葉だったならこのあふれる想いを表現することができるのか、海にはわからなかった。

 止め処なくあふれる六年分の『心』はあまりにも重く、海はついその場でしゃがみ込んでしまいそうになった。ところが、突然後ろに仰け反ってしまいそうになるほどの強い力が海の腕を引き、そうすることを赦さなかった。
「――!」
 悲鳴は喉で掻き消えた。あまりにも強く前後から圧迫されて、頭に血が上る。何が起きたのかすぐには把握できなかった。心が興奮し切っていたせいか、頭が混乱していた。
「ウミ、おまえは……」
 クレフに抱きしめられているのだとわかったのは、自分の名前を呼ぶ彼の低い声が耳元すぐ近くで聞こえたからだった。吐息さえも掛かるほど近くにある声に、思わずぴくりと肩を震わせた。ぞくぞくと、体の奥から這い上がってくるものがあった。
 何を言ったらいいのかわからない。忙しなく瞬いていると、クレフの腕にますます力が込められた。
「ウミ」
 クレフの声は、まるで引きちぎられた断末魔の破片のようだった。海は言葉を失った。こんな風に感情を露わにするクレフなんて、知らない。

 そっと目を閉じれば、クレフのものか自分のものかわからない速い鼓動が、耳の奥まで届いてくる。目尻から滲み出た涙は、哀しみの涙ではなかった。
 言葉は要らなかった。抱きしめてくれるその腕の中にいるだけで、海の心にはクレフの止め処ない気持ちが流れ込んできていた。その気持ちごと包み込むように、海はクレフの背中にそっと腕を回した。そんな風に誰かを自ら「抱きしめたい」と思ったのは、これが初めてのことだった。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

▶ 連作短編集を始めました。クレ海学生パラレルです。今後年中行事に合わせて不定期更新の予定です。詳しくはこちらからどうぞ。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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