蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ミスルトウの奇蹟 3

中編

私にとっての幸せって、いったい何だろう。自分のことなのに、靄が掛かっているかのようにわからなかった。

本文は「続きを読む」からどうぞ。





 多忙の合間を縫ってタトラが私を訪ねてきたのは、風の誕生日から三日後のことだった。タトラがおみやげにくれたチゼータ特製の茶葉で紅茶を淹れると、いい香りが瞬く間に部屋全体に広がった。ライチのような甘さを含んだ香り漂うその紅茶が、私は昔から好きだった。
「お待たせ」
 二人分のティーカップとポットを並べたトレーを手に、厨を出る。最初こそ、かつては光、風の三人で使っていた部屋を私一人で使うのは大きすぎると躊躇したけれど、三つ並んでいたベッドを一つにして空いたスペースにソファセットを置くと、意外と広さを感じなくなった。部屋で誰かとゆっくり話がしたいときなど、ソファセットは重宝だった。
「ごめんなさいね、気を遣わせて」
 壁を背にしてロングソファに座っていたタトラは、申し訳なさそうに眉尻を下げてそう言った。
「この茶葉はあなたが持ってきてくれたものよ。そんな水臭いこと言わないで」
 私はトレーをローテーブルに置くと、タトラの向かい側に二つ並んだ一人掛けのソファのうちの片方に腰を下ろした。

「よかったら、これも一緒にどうぞ」
 ティーカップに手を伸ばそうとすると、タトラが私に向けて小さな箱を差し出した。中身はフルーツが山のように盛り付けられたタルトだった。たしかチゼータの銘菓だというそれを、前にも一度食べたことがある。甘いものが苦手な私でも、そのタルトだけはなぜか食べられた。そのときは嬉しくて三つも食べてしまったのだけれど、後になって実は大層高価なお菓子なのだと知って、平謝りをしたのだった。
「それこそ気を遣わないで、タトラ。これはいただけないわ。紅茶だけでじゅうぶんよ」
 けれどタトラは、お菓子を返そうとする私を、ふるふるとかぶりを振って制した。
「茶葉は私からだけど、これはタータからなの。受け取ってちょうだい。持って帰ったりしたら、私が怒られちゃうわ」
 タトラの言葉に、そういえば、と私はいまさらのように気づいた。
「今日はタータは一緒じゃないのね」
 二人は本当に仲のいい姉妹で、ばらばらで行動するところなど見たことがないくらいだった。性格はまるで正反対なのに、やはり血のつながっている姉妹だからわかり合う部分が大きいのだろうか。時に漫才めく二人のやり取りを見るのが、こちらの世界を訪問するときの密かな楽しみのひとつでもあった。
「どうしても来たくないと言うから、置いてきたわ」
「え?」
「あなたに会わせる顔がないから留守番させてくれと、願い倒されたの」

 咄嗟に言葉が出なかった。風の誕生日会では普段どおりに言葉を交わしていたタータが今日になって「会わせる顔がない」などと言う理由は、ひとつしか思い浮かばない。けれどあれはタータのせいではない。彼女が心を痛める必要なんかないのに。
 そんな感情が表情に滲み出ていたのだろうか、タトラは「わかってるわ」と目だけで言い、複雑そうにほろ苦く笑った。
「あの日、『プラヴァーダ』に乗ってからチゼータに着くまで、ずーっとハレスと言い合っていたのよ、タータ。昔から、ことあるごとにハレスの自意識過剰な態度が癪に障るってこぼしていたけれど、このあいだの一件で、それが爆発しちゃったみたい」
 確かに、タータがハレスのことを目の敵にしているような雰囲気はいつもあった。けれど、タータがハレスにそれほどまでに強く食って掛かった理由は、ただ単にハレスが気に喰わないからというだけではないだろうと思った。タータは私のために怒ってくれたのだ。私が内に秘める恋心を知っていたから、ハレスの行動が赦せなかったのだ。
「これはタータなりの、あなたへのお詫びのしるしなの。受け取ってくれないかしら」
 そしてタトラもまた、そのことをわかっているのだろうと思った。
「それじゃあ、遠慮なくいただくわ」
 ここで意地を張っても仕方ないことくらい、私にだってわかる。受け取らなかったらタータが落ち込むだろう。それは本意ではなかったし、もしも自分がタータの立場だったならきっと同じことをしただろうとも思った。

「気が進まないのは、私も同じだったのよ」
 フルーツタルトはタトラの持ってきてくれた紅茶とよく合って、本当においしかった。目の前にタトラがいなければ、一口でぺろりと食べきってしまいそうだった。その衝動をぐっと抑え込み、ゆっくり味わいながら食べていたけれど、タトラの思いがけない一言に、口に入れたタルトの味が一瞬わからなくなってしまった。私が首を傾げると、タトラは紅茶を一口すすり、苦笑した。
「今日あなたのところへやってきたのは、ハレスからの伝言を届けるためだから」
 その「伝言」の内容を、タトラはすぐには口にしなかった。慎重に言葉を選んでいるのか、一度視線が下がる。タトラの豊かな髪が、窓から射し込む太陽の光を浴びて細く金色に輝いた。私はタルトを飲み下し、姿勢を正した。

「決して、私たちのためにどうにかしようなんて思わないでね」
 やがて顔を上げたタトラは、そう前置きしてから続けた。
「『このあいだは突然で、君を驚かせたことと思う。すまなかった。もし詫びる機会を与えてくれるなら、二日後、シルクロードを案内させてほしい』。これがハレスからの伝言よ」
 私が驚いたのは、ハレスの言葉に対してではなく、彼が「シルクロード」を知っているという事実に対してだった。シルクロードというのは、この六年のあいだにセフィーロの一角に新しくできた商店街のことだ。「シルクロード」という呼び名は、最初は私と光、風のあいだだけで使っていたその商店街の通称だったのだけれど、それがいつの間にか商店街の名前として定着するようになった。
 そこを「シルクロード」と呼ぶことにしたのは、四つの国の名産品が並んでいる商店街だったからだ。セフィーロにいながらにして他国の商品を手に入れられるから、セフィーロの人たちのあいだではもちろん人気だったし、世界各国の文化を一気に知ることができるとして、他国の人たちからの評判もよかった。今ではセフィーロ屈指の観光地と化し、いつ行っても大勢の人でごった返しているらしい。
「らしい」としか言えないのは、私自身はこれまで一度もシルクロードに足を踏み入れたことがないからだ。興味がなかったわけではない。これまで足を向けることがなかった最大にして唯一の理由は、「クレフが人混みをあまり好まない」という一点に尽きた。ただでさえ短いセフィーロでの滞在のあいだに、クレフと離れてまでシルクロードへ行きたいとは思わなかった。
 われ知らず視線が落ちた。琥珀色の紅茶が、揺れもせずピンと張っている。クレフのことが好きで、ただ思うままに行動することができていたころの自分が懐かしかった。つい数日前まではそうだったのに、今ではもう、すべてが変わってしまった。哀しいというより、淋しかった。

「伝えるべきか迷ったのだけど、最終的に判断するのはウミだと思ったから、今日ここに来たわ。悪い気にさせて、ごめんなさい」
 私は顔を上げ、ふるふるとかぶりを振った。
「そんなことないわ。わざわざ伝えに来てくれて、ありがとう」
 タトラの顔に安堵の笑みが広がる。むしろ謝らなければならないのは私の方だと思った。ここへ来るまで、タトラはどんなにか思い悩んだことだろう。
「ハレスには、私の方から断っておくわね」とタトラは言った。「これで懲りるような男じゃないから、またあの手この手であなたに近づこうとするだろうけど、そうなったらいつでも私たちに相談して。まあ、ああ見えてハレスも多忙だから、そうそうセフィーロには来られないとは思うけど――」
「楽しみにしてると伝えて」
 私はタトラを遮って言った。タトラが中途半端に口を開けたまま硬直する。そんな顔をしたタトラを見るのは初めてだった。彼女は何度か瞬きを繰り返すと、青ざめた顔で私のことを食い入るように見た。
「今、なんて?」
「『楽しみにしてると伝えて』、と言ったのよ」
 タトラは文字どおり絶句した。私はおもねるように笑い、肩を竦めた。
「シルクロードには、前から一度行ってみたいと思ってたのよ。いい機会だし、ハレスに案内してもらうわ」
「正気なの、ウミ」
 タトラは思わず、といったように身を乗り出した。
「私たちのことは気にしないでと言ったはずよ。ハレスの申し出を受けるなんて、いったいどうして」
 タトラの瞳が揺らぐ。やはり彼女も、タータと同じく私のかなわぬ恋に気づいているようだった。二人とも、たぶん私の恋を密かに応援し続けてくれていたのだろう。そう思うと、告白すらできずに終焉を迎えてしまったことがただただ不甲斐なかった。
「よく考えたら、私、ハレスのことあまり知らないのよ」
 意識しなくても声のトーンが上がった。
「べつに、二人で出かけたからといって即結婚ってなるわけじゃないでしょ? ハレスとは一度じっくり話してみたいと思ってたし、いい機会だわ」

 強がっているわけではないけれど、口にしたことが必ずしも真実だというわけではなかった。これが数日前の私だったら、きっと考えるまでもなく断っていたと思う。それがなぜ今になって変わったかといえば、ハレスのことを知るいい機会だと思ったからではなく、断る理由がなくなってしまったからだ。
 ハレスからの結婚の申し出を断ったのは、あのときはまだ、クレフとの関係に未来があると思っていたからだ。心のどこかで、いつかクレフと一歩進んだ関係になることを望んでいた。だからほかの人との結婚などとても考えられなかった。けれどクレフが、暗に私との関係の進展は望んでいないという意志を示したことで、すべての前提がひっくり返った。これまでは、私の中では結婚相手はイコールクレフでしかなかったけれど、それが断ち切られるなら、ほかの選択肢を捨てる理由はない。
 極端に言えば誰でもよかった。そんなときに私を「愛してる」とまで言ってくれる人がいるのなら、プロポーズを受け入れるまではしなくても、一緒に出かけることくらい、何の問題があるだろう。そう考えるに至ったのは、自然の成り行きといえた。

「本気なのね?」
 確かめるようにタトラは言った。私はほほ笑んでうなずいた。
「からかうつもりなんか、これっぽっちもないわよ。まあ、もしかしたらハレスの方は、私をからかうつもりなのかもしれないけど」
 ハレスという人をたった一言で表現しろと言われたら、つい「チャラい男」という言葉を選んでしまう。それはひとえにタータの影響によるものだった。タータは何かにつけてハレスのことを「チャラい」という。ハレス本人はそんなそぶりは見せないけれど――実際、宴の席でも否定していたし――、あのルックスと地位を考えれば、チャラくない方が不自然だと私も思う。私にプロポーズしたときのハレスは真剣そのものに見えたけれど、どこまで本気なのかわからない。全幅の信頼を置けるほどの付き合いは、ハレスとのあいだにはなかった。

「ハレスは本気よ」
 ところが、タトラが至極真面目な顔でそう言い切ったので、私は思わず彼女を見返した。
「昔から極端なのよ、あの子。興味があるかないかで、物事に対する姿勢がまるで変わるの。興味を持ったことにはとことん打ち込むけど、興味がないことはまるっきりだめ。仕事に興味を持ってくれて本当によかったって、あの子の父親がいつも言うわ。ハレスが仕事で天才的な力を発揮するのは、あの子が仕事に興味を持っているからよ。そんなハレスがきっぱり『愛してる』と言ったのだから、あなたに対して本気でないはずがないわ」
 ぞくり、と背筋に悪寒が走った。そして思い出す。確かにあのとき、ハレスの瞳は本気だった。だからこそ私は気圧され、彼が口にした「愛してる」という言葉に心を揺さぶられたのだ。
「でも」
 なんとかして絞り出した声は、わずかながら震えていた。
「どうして私なのかしら。あれだけの人なら、これまでだってよりどりみどりだったはずじゃない。それなのに、どうしてよりにもよって、異世界の人間である私なの?」

 タトラは押し黙った。けれどそれは、答えられないから黙ったのではなく、答えあぐねているから黙ったという感じだった。私はタトラが口を開くのを待った。やがてタトラは、その表情に複雑な感情を滲ませ、
「ウミが美しいからよ」
 と言った。
 私は瞠目した。タトラはうなずき、続けた。
「ハレスにはね、確固とした価値基準があるの。人でも物でも行動でも、すべてはその基準に照らし合わせてどうするかが決められるの。それが、『美しさ』よ」
 タトラは斜めにそろえていた足を組み、ソファの背もたれに深く身を沈めた。
「ばかばかしいと思うかもしれないけど、それがハレスなの。生まれつき、美しいものには目がないみたいで、物心もつかないうちから、無数に並んだ宝石のうちどれが美しいのか見分けられるような子だったわ。これも宝石商の血といえばそうなのかもしれないけど、ハレスは本当に、『美しいもの』には目がないの。だから、あなたに一度でも会ったら惹かれるんじゃないかとは前から思ってたのよ。あなた、自分では気づいてないかもしれないけど、まさに絶世の美女だもの」

 ここは照れるところなのか呆れるところなのか、それとも怒るところなのか、とても判断できなかった。結局、目を見開いたまま無言でいるしかなかった。信じられないようでいて、あのハレスなら納得できる、という気もした。はっきりしていることは、私はどうやらとんでもない人に好かれてしまったらしいということだった。
「悪い人間ではないわ」
 ティーカップに手を伸ばしながら、タトラは言った。
「いとこという贔屓目を抜きにしても、よくやっていると思うし、両極端な性格が玉に瑕なくらいで、平均的には、人間としてのレベルは高い方よ。ただ」
 一度言葉を区切り、タトラは紅茶をすすった。
「忘れないで、ウミ。私もタータも、あなたには幸せになってもらいたいと思ってるから」
 ありがとう、と言ったつもりだったけれど、言えていたのかどうかわからない。私にとっての幸せって、いったい何だろう。自分のことなのに、靄が掛かっているかのようにわからなかった。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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