蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ミスルトウの奇蹟 5

中編

少し沈黙が横たわった。それをさりげなくやり過ごすと、風が私を見た。その目はもう笑ってはいなかった。

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「それでしたら、この部分に関してはアスカさんたちにお任せしてはいかがでしょう」
 フェリオと風が、顔を突き詰めるようにして大きな藁半紙を前に議論を続けている。風の発言に、フェリオは「それもそうだな」とうなずいた。どうやら風の言葉が起爆剤となったらしく、止まっていたフェリオの手が動き始めた。
 プライベートのみならず、仕事面でもどうやら二人はいいコンビらしい。風とフェリオの二人が甘い雰囲気ではなく真面目な雰囲気を醸し出しているところを見るのはあまりないことだった。普段はフェリオの攻めに風が顔を赤らめていることが圧倒的に多い。そういうときの二人はほほ笑ましい様子だけれど、今のように国王と王妃として真剣に政の話をしているときの二人は、たくましいというか頼りがいがあるというか、まったく異なる様子を見せる。
 風は勝手の違うセフィーロでの暮らしにもだいぶ馴染んできているようだった。もちろん地頭のよさでカバーできる部分もあるだろうけれど、かなりの努力をしなければ、ここまで自然に振る舞えるようにはならない。素晴らしい王妃として皆から尊敬を集めている風は、私にとって誇りでもあった。

 話があると風に呼び出されて時間どおりにやってきたはいいものの、まだ仕事が終わらないので少し庭で待っていてほしいと告げられた。出された紅茶は早々に飲み干してしまい、今目の前のティーカップには、侍女が二杯目を注いでくれている。彼女にお礼を言って、けれどその紅茶に口をつけることはせず、私はやおら立ち上がった。
 国王夫妻専用に作られた広い庭は、四季のないセフィーロにありながらも定期的に装いを変化させる。今主役を張っているのは一本の大木だった。赤い実とプロペラのような葉がいくつもなっている。東京でもたまに見ることのある木なのに、何という名前だったか思い出せない。ただ、もしもセフィーロに雪が降ってその木がおしろいをはたいたらきっときれいだろうなと思った。そんなことを考えていたら、自然とメロディーが口をついて出た。

“I don't need to hang my stocking
There upon the fireplace
Santa Claus won't make me happy
With a toy on Christmas Day”

「マライア・キャリーですわね」
 突然背後から声がして、私は歌うのをやめた。いつの間にやってきたのか、今しがたまで私が座っていたテーブルのすぐそばに風が立っていた。
「お待たせしてすみません」と言って、風は侍女が引いた椅子に腰を下ろした。
「いいわよ、全然」と応じた私も、もともと座っていたところ、風の斜向かいに腰を落ち着けた。「仕事は終わったの?」
「はい。あとはフェリオに任せてあります」
 背後に目を向けると、部屋の中にフェリオの姿はなかった。机の上に広がっていた藁半紙もなくなっていたので、あれを手に、フェリオはまた別の人と話し合いに行ったのだろう。
「海さん、発音がおきれいですわね」
「え?」
 侍女が風の前にティーカップを置き、そこに紅茶を注いだ。琥珀色の液体がカップを満たしていくのを見ていた風は、つと顔を上げた。
「まるでネイティブの方が歌っていらっしゃるようでしたわよ」
 にっこりほほ笑んだ風の言葉に、カッと頬が熱を帯びたのを感じた。さりげない風を装って顔を逸らし、私は無意識のうちに髪を梳いた。
「ほめても何も出ないわよ」
「何かを期待して言ったわけではありませんわ」
 風はもとから不思議な余裕を携えている人だったけれど、王妃となったことでその余裕がますます大きく、そして深くなった気がする。もう彼女には怖いものなどないのではないかと思った。

「ですが、『恋人たちのクリスマス』という邦題は、誰がつけたんでしょうね」
 ぽつり、と風は言った。彼女は紅茶を一口すすると、ふとあの大木に目を向けた。
「『恋人たちのクリスマス』というととても幸せな歌という気がしますけれど、本当は、そうではありませんでしょう」
 英文学科に通っていることもあって、洋楽は洋楽のままで聴く癖がついているから、いつも口ずさむ歌についてその邦題を考えることなどなかった。風の言うとおり、私がこの時期になると毎年つい歌ってしまうこの歌は、日本では『恋人たちのクリスマス』として知られている。メロディーも明るいのでつい楽しい気分で歌ってしまうけれど、歌詞の内容は『恋人たちのクリスマス』という雰囲気ではなかった。むしろそんな甘い雰囲気からはかけ離れた歌だ。そばにいない人を想い、「ほかには何もいらないからあの人だけを私にください」と祈る歌だ。

 少し沈黙が横たわった。それをさりげなくやり過ごすと、風が私を見た。その目はもう笑ってはいなかった。
「海さんがその歌をよく歌っていらっしゃるのは、ご自身の内に秘められた想いを歌に込めているからだと思うのは、私の考えすぎでしょうか」
 どくん、と心臓が大きく脈打った。ない唾を飲み込もうとすると、干からびた喉が引っ付きそうだった。
「本当に、このままでよろしいのですか?」
 風が何の話をしたくて私を呼んだのか、ここへ来る前からわかっていた。それを口にされたら言い返せなくなることもわかっていたのだから、ここへは来ないという選択肢も当然あった。けれどこうして足を運び、思ったとおりのことを言われてしまっている私は、ひょっとしたら、心のどこかでは風に窘められることを期待していたのだろうか。
 でもいまさら現状を変えるつもりはなかった。私はふるふるとかぶりを振った。
「いいのよ。日の目を見ることがないとわかってるのに想い続けるなんて、滑稽だわ」
「……海さん」
「人の心を変えたり、あまつさえ手に入れたりすることなんて、できないし、しちゃいけないのよ。クレフの心はクレフだけのものだわ。無理やりその方向を変えることは、やろうと思えばできるのかもしれないけれど、そんなことをして彼の心を手に入れたって、嬉しくもなんともないもの」

 それは強がりでもなんでもなく、私の素直な気持ちだった。クレフと想いが通い合うことはないのだと知って、確かに哀しかったけれど、そこで私に出来ることなどなかった。私の中でクレフへの想いが完全に消えたのかといえばそうではないけれど、かなわないと知ってしまってもなお同じ人を変わらず想い続けられるほど、私は強くない。私を愛してくれる人がほかにいて、その人とのあいだで想いを育んでいくことで誰もが幸せになれるのなら、それでいいと思う。
「あさって、チゼータに行ってくるわ。ハレスに招待されてるの。都合がつけば家族にも会わせてくれるっていうから、宝石商の豪邸を見ることができるかもしれないわ」
 重苦しくなりかけていた空気を吹き飛ばすように、私はわざと明るい声で言った。風はなおも何か言いたそうな顔をしていたけれど、それ以上言っても徒だと悟ったのか、ほろ苦く笑うだけだった。それからは他愛もない話をして、風のところをあとにした。

***

 チゼータへ行く日がやってきた。ずいぶん早くに目が覚めてしまったので、約束の時間の30分前には準備が整ってしまっていた。ハレスのことだ、迎えに来てくれるのはきっと時間きっかりだろう。待ち合わせ場所であるセフィーロ城の中庭で、私は一人足をぶらつかせていた。
 ここのところあまり熟睡できていない。その割には昼間眠くならないから不思議なものだ。眠れないとき、気がつくとついあの歌を口ずさんでしまっている。夜間に歌うには原曲のままだと景気が良すぎるから、スローテンポにアレンジするまでになった。そして歌うたびに、風に言われたことが脳裏を過った。
 特にそうだと意識していたわけではない。けれど言われてみれば確かに、あの歌はかなわない恋を歌った歌だ。数あるクリスマスソングの中でも特にあの歌が好きなのは、無意識のうちに深層心理を表していると感じ取っていたからなのだろうか。そんなことない、とは断言できない自分がいた。思わずため息をついたとき、遠くから忙しない足音が近づいてくるのを耳に捉えた。

 ハレスかと思ったけれど、よく考えると約束の時間までにはまだあと10分ほどある。珍しく早く来たのだろうか。立ち上がり、手を振ろうとして、私は瞬いた。回廊の奥から姿を現したのはハレスではなかった。
「プレセア?」
 大判のタオルのようなものを抱えていたプレセアは、ひどく急いでいる様子で、私がいることにも気づかずに中庭を横切っていこうとした。声を掛けると、プレセアは大げさなまでに驚いた。立ち止まった彼女のすっかり青ざめた顔を見て、背筋が粟立った。何かよからぬことが起きたのだと、何を聞くまでもなく理解できた。
「何かあったの?」
 歩み寄った私を前に、プレセアは言いよどんだ。よく見ると、その腕には大判のタオルのほかに氷も抱えられている。もう一度、今度は「何があったの」と訊こうとしたけれど、それより先にプレセアが口を開いた。
「導師クレフが、倒れたの」

 誰かが後ろから私の頭を殴ったのではないかと思うような衝撃があった。私は言葉を失い、大きく目を見開いた。
「倒れたって、どうして」
「過労だと思うわ。ここのところ、毎晩のように遅くまで机に向かっていらっしゃったから」
 そう言って、プレセアは視線を落とし、唇を噛んだ。
「根詰め過ぎていらっしゃるのはわかっていたの。もっと早くにお諌めするべきだったわ。そうすれば、少なくとも倒れてしまうようなことにはならなかったはずなのに」
 独り言のように発せられたその言葉に、同調することも反駁することもできなかった。あの宴の席での一件以来、クレフとはすっかり疎遠になってしまっていたので、彼が根詰めていることすら知らなかった。普段から仕事に忙殺されている人だけれど、どんなに働いても涼しい顔をしているのがクレフだった。そのクレフが倒れるなんて。よほど自らを追い詰めていたということだろう。

「ごめんなさい。弱気なこと言っちゃったわね」
 プレセアはほろ苦く笑った。そして持っていた荷物を器用に片手で抱えると、空いた方の手で私の肩をぽんと叩いた。
「心配しないで、命に別状があるわけじゃないから。丸一日お休みになれば、回復されるはずよ」
 チゼータの土産話、楽しみにしてるわね。そう言って、プレセアは足早に去っていった。その後姿を、私は半ば呆然として見送るしかなかった。
 ただの過労なら、プレセアの言うとおりじゅうぶんな睡眠をとって薬湯を飲めば問題なく回復するはずだ。私が行ったところでどんな力になれるわけでもない。プレセアがついていてくれるなら安心だ。――そう思うのに、いつまで経ってもプレセアが吸い込まれていった回廊から視線を外すことができなかった。
 クレフ、いったい何をしたの? 倒れるまで働くなんて。ちゃんと睡眠時間は確保しなきゃだめだって、いつも言ってるじゃない。

「お待たせ、ウミ」
 突然後ろから呼ばれて、私は覚えず息を呑んだ。ものすごい勢いで振り返ると、今度こそハレスが立っていた。ハレスは私の尋常ではない振り向き方に度肝を抜かれたようで、ぱちくりと瞬いた。
「どうかしたの」
「あ、ううん」と私は慌てて言った。「なんでもないの」
 ふうん、とハレスは首を傾げたが、すぐに吹っ切ったようで、にっこりとほほ笑むと私の腰に腕を廻した。
「じゃあ、行こうか。今日は父も母も、君に会えるのを楽しみにしてるよ」
 これでいいのよ、と自分自身に言い聞かせる。私がチゼータへ行こうがクレフのそばにいようが、クレフの容体に変化を齎すわけじゃない。そもそも私がそばにいたりなんかしたら、クレフにとっては迷惑なだけだろう。
 でも、本当にいいの? 本当に、このままチゼータへ行ってしまっていいの?

 数歩歩いたところで、足が止まった。
「……ウミ?」
 ハレスが訝しげに私を覗き込む。私は顔を上げ、一度ハレスの瞳を真っすぐに見ると、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。私やっぱり、チゼータへは行けない」
「え?」
「本当にごめんなさい。この埋め合わせは、必ずするから」
 顔を上げると、私はハレスの腕をすり抜け、プレセアの後を追って駆け出した。
「あ、ちょっと……ウミ!」
 ハレスの声はすぐに耳に入らなくなった。私の気持ちはもう、クレフのところへ飛んでいた。

 もしもあのときプレセアがここを通らなかったら、何も知らないままチゼータへ行っていただろう。シルクロードを歩いたときのように、思いがけず楽しい一日を過ごすことができたかもしれない。けれどあのときプレセアに会い、クレフが倒れたことを聞いたというのは、ある種神のお告げなのではないかと思った。自分の心には正直でいなさいと言われているような気がした。「本当に大切なものは何なのか」と問われているように思った。そしてその問いを自らの心にぶつけると、答えはひとつしかなかった。それは刺激的な楽しさに満ちた毎日でも、安泰を約束された輝かしい未来でもなかった。
 この世に運命というものが存在するのなら、信じてみようと思う。今このとき、私はクレフを選んだ。それがすべてだった。クレフにとっての私は「その他大勢の一人」だとしても、私にとってのクレフはそうではない。それだけで、彼のもとへ駆けつける理由としてはじゅうぶんだ。私にそのことを気づかせるために、神様がプレセアにここを通らせたのだと思った。
 クレフの部屋の扉が、薄く開いている。その扉を小さく二度ノックすると、体全体を使って押し開いた。




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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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