蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ミスルトウの奇蹟 6

中編

それは、私の疑問に対する直截な答えではなかったけれど、ある意味では答え以上のものをくれる言葉だった。

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 薬草の煎じ方も知らない私に出来ることといえば、精神の回復に効くという井戸水を汲んできて、その水を含ませたタオルでクレフの額を拭くことくらいだった。ひたすらそればかりを続けて、ほぼ丸一日が経とうとしている。クレフは寝返りさえ打たずにこんこんと眠り続けている。彼が生きていることを告げるのは、繰り返される胸の規則正しい上下運動だけだ。このまま目覚めなかったらどうしようと考えるたび、背筋が粟立った。ただ、最初は真っ青だった顔色が少しずつ色を取り戻してきているように見えることが、私の心を支えていた。控えめなノックの音が響いたのは、ぬるくなったタオルをクレフの額からそっと外したときのことだった。
「どうぞ」と私は囁いた。
 扉が音を立てずに床を滑る。わずかな隙間から顔を見せたのは風だった。彼女は目だけで「中へ入ってもいいか」と問うた。私がうなずくと、風はそろそろと中へ足を踏み入れ、慎重に扉を閉めた。

「容体はいかがですか」
 風は私の斜め後ろに立つと、身を屈め、小声で訊いた。
「相変わらずよ」と私は答えた。「でも、昨日に比べたら顔色はだいぶ良くなったわ」
 私は風に椅子を勧めると、持っていたタオルを水に浸し、軽く絞って再びクレフの額に乗せた。
「海さん、少し休まれた方がよろしいのでは」
 隣に座った風が、眉間に皺を寄せて言った。
「一睡もなさっていらっしゃらないのでしょう? 今度は海さんが倒れてしまいますわ」
「ありがとう。でも、私はだいじょうぶよ。不思議と全然眠くならないの。それに、本当はプレセアが看病をしていたのに、無理を言ってここにいさせてもらってるんだもの、倒れてなんかいられないわ」
 タオルも水も、もともとはプレセアが用意したものだ。ここは自分が面倒を見るからと言うプレセアに無理やり頼み込んでここにいさせてもらっている。クレフにしてみても、私よりも気心の知れたプレセアに看病される方がよほど気が楽だろう。そうとわかっていても、ただそばにいたいというわがままのためだけにここにいるのだから、これで「疲れた」などと言うわけにはいかなかった。実際、不思議なほど疲れを感じていなかった。昨日から一睡もしてないことも、今指摘されて初めて気づいたくらいだった。
 私でさえこれほど強くいられるのに、倒れてしまったクレフはいったいどれだけ気を張っていたのだろう。心を消耗しすぎて倒れるなんて、想像もつかないことだった。
「ほんとに、無茶ばっかりするんだから」
 呟き、私はクレフの手に自らの手をそっと重ねた。その小ささに、泣きそうになる。誰よりも小さな体なのに、背中にのしかかる重圧は誰よりも重い。少しくらい分けてほしいと思うけれど、クレフがそうしないということは、私はまだまだその器ではないということだろう。もっと強くなりたかった。クレフの右腕とまではいかなくても、小指の先ほどでもいいから助けになりたい。

「プレセアさんのお話ですと、ここのところクレフさんは、ほぼ毎晩徹夜の状態だったとか」
 私はクレフを見つめたまうなずいた。
「仕事に一生懸命なのはいいけど、倒れるまで頑張ることもないわよね」
「お仕事ではないと思います」
「え?」
 驚いて風を振りかぶった。彼女は顔を上げて私を見た。
「直近で、徹夜を繰り返さなければならないほど緊急を要するような案件はなかったはずなんです。そもそも最近は、少しでもクレフさんのご負担を減らそうと、私とフェリオとでクレフさんの代わりを務めることも多かったですし。それに」
 一度言葉を区切り、風はわずかに首を傾けた。
「どんなに忙しくても、クレフさんは人前で倒れるようなことはしないはずですわ。この方は、ご自身のことで周囲の人々が心を痛めることをよしとはしないでしょうから。いつものクレフさんなら、自らのお体について熟知して、倒れるギリギリのラインで頑張ろうとなさるはずです」
 言われてみればそのとおりだと思った。クレフは確かに自分のことには無頓着だけれど、人前で弱みを見せるということは、よほどのことがなければしない。その「よほどのこと」がクレフの身に起きたのかもしれないけれど、鬼気迫る重大な問題が発生しているという話は耳にしていない。クレフだけが知っていて彼が隠しているということも考えられるけれど、それでも、国王であるフェリオや王妃の風がそれを知らないというのは不自然だ。

「クレフさんは、海さんのことを考えておいでだったのではないでしょうか」
 それは唐突な言葉だった。私は驚いて風を見返した。
「クレフさんのことですから、海さんにハレスさんのプロポーズをお受けするようお勧めになったのは、海さんの幸せを考えてのことだったはずです。ですがそのことで、クレフさんご自身は苦しんでおいでだったのだと思います」
「……どういう意味?」
 風は一呼吸置いた。その間があって初めて、私は自分の鼓動が忙しないことに気づいた。
「似た者同士なのですわ、お二人は」と言って、風は笑った。「クレフさんが海さんを突き放すようなことをおっしゃったのは、海さんがクレフさんへの想いを断ち切ろうとした理由と同じだと思いますわよ」
 それは、私の疑問に対する直截な答えではなかったけれど、ある意味では答え以上のものをくれる言葉だった。

 私がクレフへの想いを断ち切ろうとしたのは、クレフにとってはそうすることが一番だろうと思ったからだ。クレフが私との関係を前へ進めることを望まないのなら、私が想い続けることはクレフにとって迷惑なだけだと思った。彼の足手まといにだけはなりたくなかったから、諦めようと決めたのだ。結局その決意は崩れてしまったけれど、一度は確かにそう決めていた。
 思わずクレフを見た。風の言うように、もしも彼が私と同じように考えていたのだとしたら? クレフも、彼自身の気持ちではなく、私にとってどうすることが一番いいのかということを考えて発言していたのだとしたら?
「優しすぎるのですわ。海さんも、クレフさんも」
 呆れたようにため息をつきながら、風は言った。
「余計なことを考えず、お二人それぞれがご自身のお気持ちに素直になれば、おのずと行き着く先は同じだと思いますわよ」
 じわじわと頬が熱くなってくる。余裕たっぷりの風の表情が、ますます私を落ち着かなくさせる。どう切り返そうか、妙案がまったく浮かばず焦りが大きくなってきたとき、不意にノックの音がした。
 まるで助け舟だと思った。私は慌てて立ち上がった。
「だ……誰かしら」
 平静を取り繕い、席を立つ。そっと扉を開けると、金色の長い髪が揺れるのが見えた。立っていたのはプレセアだった。
「ウミ、お客様よ」とプレセアは言った。
「え、私?」
「一瞬でもいいから、どうしてもあなたに会いたいって」
 訪ねてきたのが誰なのか、刹那理解した。私はあとのことをプレセアと風にお願いすると、クレフが倒れてから初めて、彼の部屋をあとにした。


 その人は、前日に別れた中庭で待っていた。こちらには背を向け、中央の噴水を何とはなしに見上げている。その姿が不思議なくらい景色にうまく溶け込んでいて、私はしばらく見惚れた。
「ウミ」
 先に言葉を発したのは彼だった。私が見ていることに気づいたのか、やにわにこちらを振り向くと、彼は相好を崩した。慌てて笑い返し、私は彼のもとへ歩み寄った。
「ごめん、約束もなしに来たりして」
 私はふるふるとかぶりを振った。
「私の方こそ、昨日はごめんなさい、ハレス。本当は、私の方から出向かなくちゃいけなかったのに」
 ハレスは黙ってほほ笑んだ。気を遣っているのではなく、本心から私のことを赦してくれている笑みだった。そうして彼の優しさが身に沁みるたびに、私の胸は締めつけられるように痛んだ。

 一度私から視線を外すと、ハレスは懐に手を差し入れた。何かを握ったその手を、私に向かってすっと伸ばす。ゆっくりと開かれた掌を見て、私は思わず声を上げた。そこには、ハレスの掌の半分ほどの大きさはあろうかというほどのダイヤのネックレスがあった。まさに至宝と呼ぶに美しい輝きを放っていた。
「これまでチゼータで採掘された中でもっとも大きなダイヤだ。60カラットある」
「60カラット?」
 私は素っ頓狂な声で言い、ハレスを見上げた。ハレスはさもないことであるかのようにうなずいた。
「これを、君にプレゼントしたい」
 あまりに突然のことに、声が出なかった。目を見開いたまま絶句した私の手に、ハレスは60カラットのダイヤを握らせた。それはずっしりと重たかった。
「もう一度言う。ウミ、俺の妻になってくれないか」
 ああ、とそのときようやくわかった。このダイヤは、ハレスの気持ちの大きさと深さを示しているのだ。

 ハレスの瞳は真剣だった。その輝きは圧倒的で、気を抜くと簡単に首を縦に振ってしまいそうだった。それでも私は心をしっかり持つよう自分自身に言い聞かせ、最後まで首を縦に振ることはしなかった。ダイヤをハレスの手に返し、ゆっくりとかぶりを振った。
「ごめんなさい。やっぱり、あなたの気持ちに応えることはできないわ」
 そっとハレスの手を離すと、私は彼を真っすぐに見上げた。
「あなたのことは尊敬しているし、人として、好きよ。でもやっぱり、特別には想えないの。たとえかなわなくても、私は私の気持ちに正直でいたい。私にとって特別なひとは、たったひとりしかいないの。あなたには、あなたのことを一番に愛してくれる人と幸せになってほしい」

 ハレスはあまり驚いているようには見えなかった。私の答えを予期していたのかもしれない。無言のまま、ハレスは私の瞳をただじっと見返した。そうしてわずかな時間をやり過ごすと、ハレスはふっと肩の力を抜き、目尻を細めた。
「参ったな。君の言うとおりだ。人の心は宝石とは違うらしい」
 そう言って、ハレスは前髪を掻き上げた。浮かんでいたのはほろ苦い笑みだったのに、なぜかすがすがしい顔をしているように見えた。
「君の気持ちはわかった。俺は一旦退散するよ。でも、諦めるわけじゃない。君にも認めてもらえるようないい男になって出直してくるさ。昨日の埋め合わせは、そのときまで取っておくよ」
 私は思わず破顔した。ハレスは有言実行の男だから、本当によりいい男になって戻ってくる気がした。願わくば、そのときの彼には隣にふさわしい女性を携えていてほしい。
「楽しみにしてるわ」
 受け取り方によっては誤解を招きかねない言葉だとわかっていたけれど、それでも私はあえてそう言った。ハレスなら、私がその言葉にどんな意味を込めたかわかってくれるだろうと思ったし、彼の前で変に言葉をひねる必要はなかった。
「乞うご期待」
 いたずらっぽく笑い、そう言うと、ハレスは私に背を向けて歩き出した。
 彼が告白してくれなければ、私は私の気持ちを定めることができなかったかもしれない。そう思うと、ハレスには感謝の気持ちしかなかった。幸せにならなければならない人がいるとしたら、ああいう人だと思う。


 ハレスの大きな背中が太陽の光に溶けるようにして完全に見えなくなると、私はようやく踵を返し、クレフの部屋へと戻り始めた。走ってくるプレセアの影が見えたのは、歩き出していくらもしないうちのことだった。
「あ、ウミ」
 私を見止めると、プレセアはぱっと花を咲かせるようにほほ笑んだ。駆け寄ってきたプレセアは、頬をほんのりと上気させ、瞳には、先ほど見せられたダイヤモンドのような輝きを湛えていた。
「どうしたの、プレセア」
「いい知らせよ」とプレセアは言った。「導師クレフが、目を覚まされたわ」
 私ははっと目を見開いた。
「ほんとう?」
「ええ」とプレセアはうなずいた。「どこも異常はなさそうよ。受け答えもしっかりしてらっしゃるし、大事を取って横になっていただいているけれど、もう起き上がることもできるわ。あなたが夜通し看病してくれたおかげね」
「そんな、私は何も」
 そのとき、胸の奥からぐっと熱い想いが込み上げてくるのを感じ、咄嗟に二の句が継げなくなった。言葉を発したら一緒に涙まであふれ出てしまいそうだった。私は無言のまま、浮かべた笑顔に精いっぱいの気持ちを込めた。

「さあ、行きましょう」
 プレセアは私の背中に軽く手を当て、並んで歩き出そうとした。けれど私はそれを押しとどめた。驚いて目を瞠ったプレセアを見上げ、私はかぶりを振った。
「プレセア、あとはお願いしてもいいかしら」
「……ウミ?」
 プレセアは訝しげに眉根を寄せた。私はおもねるように笑い、
「私より、プレセアがいてくれた方が、クレフも気が楽だと思うから」
 と言った。
 プレセアは小さく息を呑んだ。わがままを言ってクレフの面倒を見させてもらったのだから、本来ならば、途中で投げ出したりせずに最後まで付き添っているべきなのだろう。けれどどんなに自分の気持ちが定まったとは言っても、クレフに会うことはまだ怖かった。しかも風にあんなことを言われた後だけに、余計平常心を保っていられる自信がなかった。肝心なところで情けないと思いながら、けれどプレセアに託す以外に方法はなかった。

 プレセアが何も訊かずに承諾してくれたことが、心底ありがたかった。プレセアが去ると私は一人になったけれど、不思議と淋しさは感じなかった。心に甘酸っぱさを感じる。あ、と私は思った。それは懐かしい気持ちだった。クレフを想うときにいつも感じる、ラズベリーを食べているような甘酸っぱさだ。
 穏やかな東風が、セフィーロを吹き抜ける。昼下がりの青空を見上げ、私は大きく伸びをした。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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