蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

諱 16. 朝

海誕企画★2013

闇の色が濃い中にいる海は、まるで普段の彼女とは別人のようだった。大人びた色香が全身から漂い、クレフの心をかき乱す。

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 ベッドで休むなどいったいいつ以来のことなのか、クレフは思い出せなかった。もともと睡眠時間が短いせいもあり、普段は執務室のソファで仮眠程度の睡眠を取るか、忙しいときは椅子に座ったまま眠るということもある。特にここひと月ほどは、引っ越しの準備やその他の心労が重なったこともあり、閨に足を踏み入れることさえなかった。どうせ使わないのだ、この際閨ごとベッドを処分してしまおうかとも考えていたのだが――腕の中で今は静かに寝息を立てている海の顔を見つめながら、そうしなくてよかったと心底ほっとしている。

 夜はまだ明けない。それでも月はもうだいぶ低く沈み、まもなく反対側から昇ってくるであろう太陽に、空の支配者の座を譲ろうとしている。海の髪に指を通すと、窓から射し込む月明かりが一本一本を繊細に照らした。
 海は太陽の下で笑っている姿が何より似合う娘だと思っていたが、こうして月明かりに照らされる姿もまた似合う。闇の色が濃い中にいる海は、まるで普段の彼女とは別人のようだった。大人びた色香が全身から漂い、クレフの心をかき乱す。もう、『魔法騎士』として戦っていた14歳の少女ではないのだ。「少女」から「大人の女性」へと見事な変貌を遂げた海の姿に、時の流れを思う。その女性の額に、クレフはそっと唇を寄せた。

「ん……」
 首の下から静かに腕を抜き、上半身を起こすと、海が軽く身じろぎをした。起こしてしまっただろうかと動きを止めるも、閉じられた瞳が開けられることはない。夢が彼女を手放すのはもう少し先だろう。海は仰向けになり、また規則正しい寝息を立て始めた。月明かりが浮かび上がらせたその首元に朱色の痕を見つけて、クレフは思わず苦笑した。
 白磁の肌に散る花びらを隠すように、シーツを肩口まで引き上げてやる。すぐに手を離してしまうのが名残惜しくて、そのまま頬に滑らせた。しっとりとした肌が掌に吸いついてくる。美しい娘。その身も心も、すべてが欲しいと思った。だが長いあいだ、その欲望はクレフを苦しめるものでしかなかった。
 初めて「欲しい」と思ったのはいつのことだったのか、今となっては思い出せない。つい昨日のことだったような気もするし、出逢ったときから存在していた気持ちだったような気もする。確かなのは、それがずっと蓋をし続けてきた想いだったということだ。とっくに気づいていたのに、気づかないふりをしていた。これからもずっとそうするつもりだった。しかし昨日、真っすぐに気持ちをぶつけてきた海を前に、もうどうすることもできなかった。「好き」。そのたった一言が海の口からこぼれたことで、海自身が鏡となったかのように、クレフの中にあった感情が爆発した。その後は流れに身を任せるしかなかった。ただ夢中だった。これほどまでにわれを忘れた時間は、前代未聞だった。

 ――いけない。クレフは海の頬から手を離し、振り切るように拳を握りしめた。休息を邪魔してはいけない。どうかいい夢を。ほほ笑んで、静かにベッドから下りる。床に足をついたとき、体が浮遊したような感じがした。魔法を使ったときとはまったく違う疲労感が、このときばかりは心地よかった。これを「幸せ」と、人は呼ぶのかもしれない。
 薄い衣を羽織り、閨を後にする。机のそばに立て掛けてあった杖を手にすると、足は自然とバルコニーへ向いた。レースのカーテンを引き、窓を開ければ、夜風が頬を通り過ぎていく。夜明け前でもっとも気温が下がるこの時間、いくら常春の国とはいえ、やや肌寒い。しかしこの肌寒さが、クレフは何とはなしに好きだった。ローブの裾を通して入ってくる風を文字どおり肌で感じながら、バルコニーに出る。後ろ手に窓を閉めると、目の前に広がる森へ向かって歩き出した。

 広がるのは『精霊の森』だ。歩くだけで心が落ち着く森で、昔から気に入っているが、その目と鼻の先に居を構えたことでますます入り浸ることになりそうだなと思う。昼と夜とでは息づく精獣や精霊たちの姿が異なっていて、丸一日歩き通しても飽きるということがないのだ。
 夜明け前の今はちょうど、夜行性の生き物たちが眠りに就こうかというところだ。オーロラ色に羽を輝かせた精霊の姿が散見される。クレフを見て驚いたように目を丸くする者もあった。この時間に森を歩く人間など皆無に等しいのだから、当然といえば当然の反応だ。こちらのことは気にするな、と心で伝えると、精霊たちは安心したようにおのおの入眠の準備に再び取りかかり始めた。ただ飛んでいるだけだというのに美しかった。生命の神秘を、いつになく感じた。

 『精霊の森』には多くの思い出がある。今は亡きエメロードとも、彼女が『柱』となる前は、せがまれてしょっちゅうこの森へとやってきたものだった。元来生き物の「声」を聴くことができたエメロードは、この『精霊の森』をいたく気に入っていた。朝から晩まで入り浸り、いい加減帰ろうと促すと泣き出してしまう始末だった。『柱』となり、城を簡単には離れられなくなってしまった彼女が一番淋しがったのは、この『精霊の森』に来ることができなくなってしまったことだった。ただでさえ孤独なエメロードに、必要以上の淋しさは感じてほしくない。そう思ったクレフは、この『精霊の森』の動植物を集めた小さな庭をセフィーロ城の中に作った。エメロードはその庭をほんとうに愛していて、出来上がってからは一日のほとんどをその庭で過ごしていた。今のセフィーロ城の中にある庭が、実はそのときの名残なのだが、そのことを知っているのは今となってはランティスくらいのものだろう。

 また、当時はまだ幼い少女であった光、海、風と出逢ったのもこの森だった。思えば最初から、海はほかの誰とも違っていた。クレフに向かって「子ども」だの「おじいちゃん」だのと平気で言い放つ人間は、未だかつて海以外にいない。あのときは無益な追いかけっこをしながら、このような幼子が『魔法騎士』なのかと思うと途方に暮れたものだった。
 エメロードが消滅し、この『精霊の森』も一度は廃墟と化した。しかし異世界からやってきた三人の少女たちの力によりセフィーロが蘇ったことで、『精霊の森』もまた復活した。以前にも増して動植物の数は増え、聖気みなぎる場所となった。
 新しくなった『精霊の森』を誰よりも気に入っているのはクレフ自身かもしれない。暇を見つけてはこの森へやってきて、つい長居をしてしまい、プレセアから叱られることも少なくなかった。生き物たちとの語らいはもちろん、薬湯に使える薬草が数多く生息していることもあり、この森に来ると一日があっという間に過ぎてしまう。それに、クレフがこの森へやってくるとき、いつの間にか必ずついてくるようになった娘がいた。彼女といると会話ばかりして、時間が経つのを忘れた。その娘こそが、海だった。

 海がセフィーロへやってくることは、最初からあまり多くなかった。「ガッコウ」とやらが忙しいようで、やってくるのはせいぜい週に一度。月に一度さえ来られなくなるようなときもあった。そんな貴重な来訪だというのに、いざセフィーロへやってくると海はほとんどいつもクレフのそばにいた。そのため、この森の中のほとんどの場所に彼女との思い出があった。
 言い争うこともしょっちゅうだが、海といると退屈しなかった。海と過ごす時間は、大半を「静」の中で過ごしてきたクレフの人生において数少ない「動」の時間だった。それは新鮮であり、また意外にも居心地のいいものだった。いつの間にか、海の来訪を心待ちにするようになっていた。
 『魔法騎士』という辛い役目を強いてしまった彼女については、誰よりも幸せになってくれることを切に願っていた。だが海は自らの幸せよりも他人の幸せのことばかり考えているような娘だった。二人の親友の恋路ばかり応援し、光がランティスと暮らすことを選んだときは一人泣きじゃくっていたものだ。先の風とフェリオの戴冠式でも、海は誰よりも大粒の涙を流していた。

 海の気持ちが自分へと向いていることに、クレフは早くから気づいていた。だが同時に、イーグルの気持ちが海へ向いているということにも気づいていた。イーグルもまた、幸せを手にしてもらいたい人間の一人だった。そんなイーグルと海、二人が手を取り合って同じ道を歩き、ともに幸せになってくれるのなら、それはそれでいいと思った。というより、そうなってくれたら一番よかった。海がイーグルの気持ちを受け入れたことで、その考えは決定的になった。だからこそ、今回城を離れるという決断を下したのだ。それなのに――結局、一番脆い心を持っていたのは私自身だったのかもしれない。もう海のことは忘れよう。自分自身では頑なだと思っていた決意は、海の涙の告白によってあっさりと崩れ去った。


 一本の大木のそばで、クレフは歩みを止めた。それは消滅する以前の『精霊の森』にあった木から苗木された木だ。この森で最も聖気の強い木で、森を象徴するような存在だった。
 ふもとに目を向けると、幹に身を預けて談笑する海とクレフ自身の幻が見えた。そうして語らった記憶が、いくつもある。その幻に目を細めていると、不意に上空に気配を感じ、顔を上げた。大きな翼が月光を遮る。グリフォンだった。周囲が仄暗いせいか、飛ぶ姿がいつになく神秘的に見えた。
 空へ向かって口笛を吹く。すると待ってましたとばかりにグリフォンは急降下をはじめ、あっという間にクレフの目の前に着地した。
「ずいぶんと早い朝だな、グリフォン」
 差し出した手に、グリフォンが甘えてくる。ふさふさの毛並みを乞われるままに撫でてやれば、グリフォンは恍惚とした表情で目を閉じた。
 その表情が、しかしふと、どこか戸惑うようなものに変わった。閉じられていた目が開く。グリフォンはクレフの掌から顔を離すと、今度はそこに鼻の先をつけ、匂いを嗅いだ。
「どうした」
 常でないしぐさを怪訝に思い、問えば、グリフォンが喉を鳴らした。その音に込められた意味を汲み取ったクレフは、覚えず破顔した。
「だいじょうぶだ。私自身でさえ、まだ慣れていないのだから」
 主人の姿に違和感がある。グリフォンが伝えてきたのはそういうことだった。無理もない。もう何百年と貫いてきた少年の姿が、突然変貌を遂げたのだから。
 言ったとおり、クレフ自身にもまだ違和感がある。慣れるまでにはしばらく時間がかかるかもしれない。だが思えば、過ぎ去った夜のあいだは一度も違和感を感じなかった。思わず自嘲気味な苦笑いがこぼれる。本能とはまこと恐ろしいものだ。

 不意に、朝露が肩に落ちた。見上げれば、大木のてっぺん辺りがいつの間にか光り始めている。冷えていた風にも温かさが加わり始め、自然界全体が朝の訪れを告げようとしているとわかる。部屋を出てくる前はぐっすりと眠っていた海も、そろそろ目を覚ますころだろうか。
 手放しの好意を伝えてくれた彼女に対して、クレフはまだ、あふれる想いを伝えることができずにいた。ふさわしい言葉がなかなか見つからず、探しているうちに、気づけば一晩が過ぎ去ってしまっていた。
 もっとも、いまさら言葉にする必要もなく海には伝わっているだろうと思う。そうでなければ「帰したくない」などという私の身勝手な願いを受け入れることはなかったはずだ。だが本当は、その事実に甘んじることなく、想いははっきりとした言葉にして表現するべきなのだろう。

 横顔に視線を感じた。気がつくと、グリフォンの顔から手が離れていた。今にも泣きそうな顔をしていると思うのは慇懃な見方だろうか。クレフは再びその嘴に手を当てた。
「最後がどうなるのかは、私にもわからないよ」
 フンとグリフォンは鼻を鳴らした。どこか怒っているようにも見えるその態度がおかしくて、クレフは声を立てて笑った。
「行け、グリフォン」
 嘴に触れていた手を首の付け根あたりに持っていき、ぐっと押し出してやるようにすると、その力を利用して、グリフォンは素直に空へ向かって飛び上がった。薄水色の空に、グリフォンの白い翼がよく映える。星より小さくなるまで見送ると、クレフはくるりと背を向けて歩き出した。そろそろ海も起きるだろう。彼女が起きて、その瞳に一番に映すのは私であってほしい。密やかな独占欲が、クレフの表情に笑みを乗せる。ふと見上げると、有明の月が西の稜線に沈んでいこうとしていた。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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