蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

諱 17. 白

海誕企画★2013

――捨てるわけじゃないわ。海は自分自身に言い聞かせた。この土地での思い出を、捨てるわけじゃない。

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 満開の桜が、無機質な東京の街並みに彩を添えている。海はRIMOWAの白いスーツケースを片手に、眼下に広がる春爛漫の景色に目を細めていた。東京タワーの展望台から見る景色は、一段と美しく見えた。
 白一色ではスーツケースがなんだか味気ないと、ここへ来る途中の露店で見かけて一目惚れして買ったストラップも、偶然桜の柄だった。ピンク色のものなんてめったに身に着けないので、最初は買おうかどうしようか迷ったのだけれど、試しにつけてみるとこのスーツケースにはそのストラップしか似合わないように見えてほとんど即決したのだった。
「もう、この景色を見ることもないかもしれないわね」
 誰にともなく呟き、海はぎゅっとスーツケースの柄を握りしめた。そのRIMOWAのスーツケースは、両親が贈ってくれた大事な「嫁入り道具」だった。

 セフィーロで暮らすことを選んでから海が一番悩んだことは、両親への伝え方だった。両親は、海が「外国へ行ってくる」と言ってたまに家を離れるだけでもいい顔をしない。そんな二人に「これからずっと外国で暮らす」などと言ったら十中八九反対されるだろうと思った。しかも海が行くところは正確には「外国」ではない。これまではどうにかごまかしてきたけれど、これから生涯を送ることになるだろう土地のことに関して両親を欺きとおすということは、気が進むものではなかった。かといってセフィーロの話をするというわけにもいかない。『異世界』のことや魔法の国セフィーロのことなど、到底信じてもらえるような話ではないし、最悪「頭がおかしくなった」と思われて病院送りにでもされかねなかった。

「お前の両親だ。話せばきっと、わかってくれる」
 三か月前、はあっと重苦しいため息をついて憂鬱な心境を吐露した海に、同じテーブルで朝食をとっていたクレフはこともなげに言い放った。「何を暢気なことを」と当時は思ったのだけれど、クレフがそう言うのならそうかもしれない、という希望が芽生えたことも確かだった。そして――事実本当に、そうなった。

***

「お友達がいる外国で、一緒になろうと思っている人がいるの」。セフィーロから戻って三日後、つまり昨年の大晦日、紅白歌合戦が終わって「ゆく年くる年」に画面が切り替わった瞬間、海は姿勢を正して両親にそう打ち明けた。いい代替案が思いつかなくて、結局「外国」という言葉を使ってしまった。
 パパには怒鳴られるかもしれないし、ママは取り乱して泣き叫ぶかもしれない。けれどどんなことがあっても甘んじて受け止め、二人を説得しようと覚悟していた。重苦しい沈黙の中、膝の上でそろえた拳をぎゅっと握る。緊張で拳が汗ばむ。けれどそんな海の耳に届いたのは、パパの怒鳴り声でもママの泣き叫ぶ声でもなかった。
「……そうか」
 パパはたった一言、そう言った。
「え」と海は瞬いた。「『そうか』って、それだけ?」
 思わず素っ頓狂な声を上げた海に、むしろ両親の方が面食らっていた。二人は顔を見合わせると、ほぼ同時に破顔した。
「いやだわ、海ちゃんたら。私たちが反対するとでも思ってたの?」
 まさか「そのとおりです」とも言えず、海はぐっと言葉に詰まった。そんな海の様子を見て、両親はますます愉快そうに笑った。
「まったく、私たちも見くびられたものだな」
「ほんとうね、パパ」
「やだ、そんなつもりじゃ――」
「わかってるわ」
 思わず身を乗り出しかけた海を遮るように、ママは隣へやってきて、膝の上でそろえられた海の手に自分の手をそっと重ねた。ほんのりとしたその温もりは、いつまで経っても変わらない「母親」の温もりだった。
「海ちゃんが私たちのことを心配してくれてるってことは、よくわかってるわ」
「……ママ」
 思わずこぼれた涙は、両親の前だからこそ流せる涙だった。どうしてそんなに涙が出るのかもわからず、その晩、海は母親の胸で子どもに戻ったように泣きじゃくった。涙は両親の目にも滲んでいた。まるでバージンロードを歩いているような気持ちだった。たぶん、両親も同じように感じていたと思う。除夜の鐘を、海たちは肩を抱き合いながら聞いた。そして鼻をすすりながら年越しそばを食べた。

***

 もしかしたら両親は、海が「外国」ではなく遠い『異世界』へ行っていると感づいていたのかもしれない。普段よりも近くに見える東京の空に目を細めながら、海はそんなことを考えた。
 両親は海に、どんな国へ行くのかとも、どんな人と添い遂げるのかとも訊かなかった。ただママが、「あなたが幸せになってくれることが私たちの幸せよ」と言ってくれるだけだった。パパは確かめるように「幸せなのか」と訊いた。私が満面の笑みでうなずくと、二人は黙って私を抱きしめてくれた。
 わが親ながら、二人は世界一素敵な夫婦であり両親だと思う。いつも新婚ほやほやのように仲が良くて、海に対しては常に惜しみない愛情を注ぎ続けてくれた。彼らの子どもとして生まれることができて、ほんとうに幸せだった。そんな両親に自分ができる親孝行は、ただひとつ。二人もうらやむほどの幸せを手に入れることだ。

 いつか両親にクレフを会わせたい。海は心からそう思った。私に幸せを齎してくれたひとを、両親に紹介したい。私のたったひとりのひとを、両親に知ってほしい。
 セフィーロへ戻ったら、一緒に東京へ行くことができないか、クレフに相談してみよう。きっと二つ返事で了承してくれるだろう。今は二つの世界のあいだを行き来できるのは海、光、風の三人だけだけれど、クレフなら、セフィーロの人間でも東京へ行けるような方法を考えつくかもしれない。

 二人のもとを離れると言った海に、両親はたったひとつだけ条件を出した。思いを打ち明けた翌日――つまり元旦に両親からそろって「条件がある」と言われたときは、いったいなんだろうと身構えた。けれどその条件というのは思わず拍子抜けしてしまうほど単純なことだった。「短大はきちんと卒業すること」。それが、両親の出したたったひとつの条件だった。
 それを言われたとき、海は思わず気が抜けたような声を上げてしまった。言われるまでもなく、セフィーロへ行くのは短大を卒業してからにするつもりだった。だからこそ、年末にセフィーロを離れるとき、クレフには「しばらく来られなくなる」と告げてきたのだ。きちんと卒論を出して、アルバイトも引き継ぎ、東京でお世話になったすべての人に別れを告げ、それから旅立つ心づもりをしていた。そして今、それらのことをすべて終え、海はひとり、昼下がりの東京タワーに佇んでいる。

 平日ではあるものの、春休み中の子どもたちが多いせいか東京タワーは意外と混雑していた。とはいえ展望台を埋め尽くすほどの人混みとまではいかないので、ずっと一か所に留まっていても海を咎める人は誰もいない。
 海は改めて、手にしたスーツケースに目を落とした。送り出してくれるだけでじゅうぶんで、花嫁道具など要らないと言ったのに、両親はどうしてもと言って聞かなかった。スーツケースだけではない。中にも、両親が持たせてくれたものがたくさん入っている。
 そのスーツケースを手に、海は今朝、朝ドラの最終回を両親と一緒に見てから家を出た。別れの言葉には「さようなら」ではなく「いってきます」を選んだ。涙もぐっと堪え、笑顔で両親に向かって手を振った。絶対にまた、会いにくる。いつまでも手を振ってくれている両親に後ろ髪を引かれる中、海は20年を過ごしたわが家をあとにした。
 海の家から東京タワーまでは、どんなにゆっくり移動しても30分とかからない。それでもここへやってくるのが昼過ぎになってしまったのは、セフィーロへ向かう前に寄っておきたいところがあったからだ。そこへ寄って、海はもう何のあとくされもなく、セフィーロへと旅立つ用意が整っていた。


 年末にセフィーロを離れてからというもの、早く戻りたくて仕方がなかった。東京タワーに帰ってきた途端ホームシックのような感情に駆られたときは、われながら面食らった。ひとりで寝るベッドが心細くて、最初の何日かは眠れないほどだった。セフィーロへ帰る今日という日を、指折り数えて待っていた。
 その一方で、やはり慣れ親しんだ土地を離れるときというのは感慨深いものがある。あれほどコンクリートだらけで無機質だと毛嫌いしていた東京の街並みも、いざ離れるとなると愛着が湧いてくる。
 ――捨てるわけじゃないわ。海は自分自身に言い聞かせた。この土地での思い出を、捨てるわけじゃない。すべてを大切に抱えたまま、何も忘れることなく、新しい世界で新たな人生を始めるのだ。そしてきっといつか、この東京の土を再び踏む。できることなら、そのときはクレフも一緒に。
「またね、東京」
 海はぐっとスーツケースを握りしめると、静かに目を閉じて『セフィーロ』へと続く道に足を踏み入れた。

***

 三か月ぶりに訪れる『精霊の森』は、相も変わらず身も心も洗われるような神聖な空気に包まれていた。その森の中でも一際大きく聳える大木に背を預け、海はふう、と息をついた。
 その木の下で待ち合わせようとクレフに言われたのは、三か月前、セフィーロを離れる直前のことだった。そのときはついはずみで「わかったわ」と答えたけれど、海は同じ木を見つけられるか内心不安だった。『精霊の森』はだだっ広いうえに作りが似通っていて、木に詳しくない海にはどれもだいたい同じように見えてしまう。待ち合わせ場所に指定された木も、たしかに背は高いけれど、それ以外に特徴らしい特徴はない。しかも三か月ぶりに訪れる森だ。迷わずにこの木のふもとへたどり着けるか不安だったのだ。
 当然、心配は杞憂に終わった。そもそも、東京タワーから『道』を通ってこちらの世界へやってきたときに目の前にあったのがほかでもない、この木だった。高さといい幹の太さといい、間違いない。
 クレフは、私が今日ここへたどり着くことをわかっていたのかもしれない。その程度のことなら簡単に予見できてしまうようなひとだ。相変わらずの抜け目なさに、海はくすりと含み笑った。


 ふたりで生きていくことになったからといって、クレフはセフィーロ城を離れるという決断を変えようとはしなかった。海もまた、「自分の役割は終わったのだ」と言うクレフを特に止めもしなかった。751年間、クレフはセフィーロのために休むことなく走り続けてきた。その彼が、城を離れてゆっくり余生を過ごしたいと言うのなら、そうすればいい。純粋にそう思った。それにクレフなら、たとえ城の外にいたとしても、必要なときには駆けつけて風とフェリオを助けてくれるだろう。城とクレフとの橋渡しは、私がやればいいことだ。そうすれば、城へ行く口実もできて風や光にも会える。それもまた悪くないなと、海は思うのだった。
 クレフは一足先に、あの『精霊の森』のさらに奥にある平屋の家で悠々自適の一人暮らしをしているはずだった。そこに、今日からは海が加わる。クレフと二人での生活が始まるのだと思うと、自然と頬が緩んだ。
「……ふたり」
 呟いて、海はそっと自身の下腹部に触れた。

「そろそろ四か月目に入るところですね」。今日、東京の実家を出た足で向かった産婦人科で、優しそうな笑顔の女医さんにそう言われた。どれだけの笑顔を浮かべていたのか自分ではわからないけれど、よほど海が嬉しそうにしていたのだろう、帰り際、「とてもすてきな旦那様なのね」と女医さんが言ってくれたことが、とにかく嬉しかった。
 自覚症状はほとんどない。けれどこれから七か月後、家族は三人に増えることになる。
「喜んでくれるかしら、クレフ」
 このことを知ったら、クレフはどんな顔をするだろう。驚くか、笑うか、あるいは戸惑うか。海には想像できなかった。どれもクレフらしくて、どれも違うような気がした。早く会いたい。海は寄りかかっていた木から離れて、ぐっと首をもたげた。

「――あ」
 するといいタイミングで人影が見えた。海は体を起こして手を振った。
「クレフ!」
 ゆったりとした足取りで歩いてくるクレフは、別れたときと同じ大人の姿をしていた。遠目にもかっこよく見えるのは、惚れた弱みだろうか。
 城から離れて三か月が経つというのに、未だにあの煌びやかな装飾が施されたローブに身を包んでいるあたり、きっと城からの呼び出しが絶えないのだろう。海は喉の奥で笑った。
 クレフは順調に歩いてきていた。ところがもうあと10メートルあるかないかという距離まで近づいてきたとき、突然表情を強張らせて立ち止まった。
「クレフ?」
 海はきょとんと首を傾げた。
「あなたが悪いのよ」
 そのとき、今度は耳に覚えのない女性の声が背後から聞こえてきた。
「ウミ!」
 クレフが切羽詰まった声で叫ぶ。その顔がどんどん青白くなっていく。

 振り返ってはいけない、そこに立っている人と目を合わせてはいけない。誰に言われたわけでもないのに、海はそう直感した。それなのに、海は振り返る動作を止めることができなかった。いつの間にか鳥の囀りが聞こえなくなっていることに、海は気づいていなかった。
 少し離れたところに、一人の女性が立っていた。冷たい、憎しみしか映さないこげ茶色の瞳がこちらに向けられている。栗色の豊かな髪が、さらりと風に靡いた。海と視線がぶつかると、女性はその目を極限まで細めた。
「あなたさえ、いなければよかったのに」と彼女は言った。雪を結晶にしたような声だった。
 美しい人だ、と海は思った。彼女が何を手にしているのかわかっても、自分が明らかに敵意を向けられているとわかっても、海はあくまでも冷静だった。ただ、咄嗟に庇うように自らのお腹に手がいった。そして思った。ああ、私はもう母親なんだ。母になるということは、守るものができるということなんだと。
 不気味なほど、海は動じていなかった。これが「母」の強さなのか。

 手にしたものを、彼女が構える。セフィーロではあまり耳にすることのない、鋭い金属音がした。海は彼女の瞳から視線を逸らすことができず、ただその場で立ち尽くしていた。
「さよなら」
 最後ににやり、と彼女は笑った。海ははっと瞠目した。笑っているはずの女性の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちたからだ。
 何が彼女を哀しませているのか知りたいと思った。「待って」と言ったつもりが言葉にならなかった。彼女の指が、引き金にかかる。ゆっくりと指に圧が加えられていく。死ぬかもしれないのに、何も怖くなかった。怖がっているのは彼女の方だと思った。怖がらないで、だいじょうぶよ。そう言いたいのに、言葉にならない。どうするのが一番いいのか、けれどわからないうちに、彼女の指がぐっと引き金を引いた。
 刹那、海の視界はぐるりと回転した。何か強い力に押されたか、引かれたかする。そして目の前の景色が一気に白く染まった瞬間、立て続けに響いた二発の銃声が『精霊の森』の静寂を破った。




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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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