蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

諱 19. 諱

海誕企画★2013

いつ知ったのか、どうやって知ったのかもわからないけれど、そんなことはどうでもよかった。海は無言のまま唇をかみ、こくりと小さくうなずいた。

本文は「続きを読む」からどうぞ。





 まったく何の因果だろう。ゆっくりと目を開けた海は、目の前にそびえている大木を見て思わず苦笑した。その大木は、五年前、クレフと最後に待ち合わせをしたその木に違いなかった。
 五年も経っているけれど、間違いない。あのときのことは逐一すべて覚えている。その記憶にあるとおりの木だった。あの日の思い出は決して美しくないのに、大木を見ると不思議と心が凪いだ。海は目を閉じて深呼吸をした。
「ここ、どこ?」
 不意に訝しがる声がして、海は一瞬ぎょっとしてしまった。けれどすぐにはたと思い直す。そうだ。私は今日、一人でここへやってきたのではなかったのだ。

 海の左手と繋がれた右手はそのままに、零二がきょろきょろと落ち着きなく辺りを見回している。その様子を見て、海はくすりとほほ笑んだ。
「ここはね、『セフィーロ』というの」
「せふぃ、ろ?」
 忙しなく瞬きを繰り返す零二に向かって、海は「そうよ」とうなずいた。
 狐に抓まれたような顔をしている零二をよそに、海は目の前の大木を見上げた。スーツケースの柄から手を離し、そのまま幹に伸ばす。そっと掌をつけば、まるで血が通っているような、生き物の体に触れているような温かさが伝わってくる。
「……ここに、あなたのお父さんが眠っているの」
 えっ、と零二の声がする。海は幹に手を当てたまま瞼を下ろした。吹いている風は、五年前のあの日と何ら変わりないものだった。

***

 銃声って、本当にテレビで見たままの音がするんだ。海はそんなことを考えていた。考えなければいけないことはほかにもっとたくさんあるはずなのに、何も考えられない。まるで思考回路が停止してしまったかのようだった。
「シルヴィア!」
 ところが、出し抜けに轟いたすさまじい迫力を持った声が、海の思考回路を強制的に復活させた。われ知らず肩が震えた。声ははっきりと聞こえるのに、肝心のその主の姿は、真っ白な視界に遮られて見えない。それでも、叫んだ人が「怒り」の感情しか持ち合わせていないことだけははっきりと認識できた。
「なんてことをしてくれたんです?! 僕の銃を勝手に持ち出して、それも、誰に向かって弾を放ったんですか?!」
 そのときようやく、真っ白だった視界が色を取り戻し始めた。海は深呼吸をした。そうしてみて初めて、自分が無意識のうちに息を止めていたことに気がついた。
「ウミ」
 間近で名前を呼ばれて、海ははっと顔を上げた。クレフの顔が、すぐ目の前にあった。
「だいじょうぶか」
 まだ海の体を支えたまま、クレフが問うてくる。ああ、と海はようやく合点がいった。直前まで視界を真っ白に染めていたものは、クレフのローブだったのだ。クレフがずっと抱きしめてくれていたのだ。
 ほとんど反射的にうなずいた海に、クレフは「よかった」とほほ笑んだ。珍しく、彼のこめかみには脂汗が滲んでいた。

「導師クレフ、ウミ! お怪我はありませんか?」
 再び叫ぶ声がして、海ははっとそちらへ体を向けた。刹那、信じられないような光景が目に飛び込んできた。海は思わず悲鳴を上げ、クレフにしがみついた。その海の背を、クレフが宥めるように優しく撫ぜてくれた。
「だいじょうぶだ」とクレフは答えた。「それよりイーグル、早くその者の手当てを」
 青ざめた表情のイーグルがしゃがみ込んだすぐそばで、一人の女性が仰向けに倒れていた。その女性が先ほど海に対して銃を向けていた人と同一人物だと気づくのに、そう長い時間はかからなかった。あの印象的な栗色の髪が、波打つように地面に散っている。彼女の体の下からはじわじわと血が染み出していた。パステルカラーで彩られた『精霊の森』にはふさわしくない、毒々しい鮮やかさを持った朱色が、そこだけを切り取られた世界であるかのように見せていた。

 海は急いで記憶の糸を手繰り寄せた。混乱していた。どうして彼女が倒れているのかわからない。あのとき銃を手にしていたのは彼女の方だったのに。「さよなら」と言った彼女の声が、今も耳の奥にくっきりと残ってる。そして彼女の指が引き金にかかっていたことも、瞼の裏にはっきりとした映像を残している。それなのにどうして、銃を手にしていたはずの彼女の方が倒れているのだろう。
 そこまで考えて、海ははっとした。そういえば、視界が白く染まった次の瞬間に聞こえた銃声は二発だった。
 しかもよくよく思い返してみれば、その二発は微妙に音の高さが違っていたうえに、ほぼ同時に放たれたものだったように思う。そうだとすれば、一発は彼女が放ったものだとしても、もう一発は別の人間が放ったものということになる。あのときそんなことができたのは――
「必ず戻ります」
 海の視線が彼を捉えるのと同時に、立ち上がったイーグルが海とクレフとを交互に見て言った。
「沙汰はそのときにお受けします」
 イーグルの声は張り詰めていた。そのとき、どこからともなくオートザムの衛兵と思しき男たちが数人やってきた。男たちはまさに軍人らしいきびきびとした動きで、倒れた女性の体をタンカーに乗せた。そのとき海は、イーグルがさりげなく腰に拳銃をしまうところを見てしまった。

 男たちがあっという間に女性を運び去っていく。その途中、タンカーの上で揺らいだ女性の顔がかくんとこちらに傾いたとき、海は彼女の目尻に涙が滲んでいるのを確かに認めた。
「――イーグル!」
 呼び止めずにはいられなかった。海はクレフから離れ、数歩駆け出して身を乗り出した。イーグルが強張った表情でこちらを振り返る。そのまま二人は刹那見つめ合った。女性を乗せたタンカーが視界の向こうへ消える。笑いながらも泣いていた彼女の表情が、どうしても消えていかない。彼女はどんな思いで銃を構えていたのだろう。あのとき彼女が流した涙には、どんな意味があったのだろう。
 海は拳を握りしめた。
「あの人のこと……死なせないで」
 イーグルは見たこともないほど驚いた顔をした。風が鳴る。イーグルはきゅっと唇を結んだ。そして海の言葉を否定も肯定もせず、ただ静かに頭を下げてその場を去っていった。

 すべては一瞬の出来事だった。嵐が去ると、『精霊の森』は再びまるで何事もなかったかのような静寂に包まれた。その中にあって、草原を濡らす鮮血の痕が、海の心に生々しく訴えかけてきた。
「……だいじょうぶかしら、あの人」
 誰にともなく呟くと、背後から風が吹きつけてきた。その風に誘われるように、海はくるりと後ろを振り返った。
「ねえクレフ、クレフはあの人のこと――」
 はっ、と身じろぎすると同時に言葉が途切れた。
 それから先は、まるでスローモーションの映像を見ているかのようだった。大きく傾いだクレフの体が、うつ伏せに、まるで地面に吸い寄せられるかのように崩れていく。先に落ちたのは杖だった。カラン、と軽やかな音を立てて杖が転がる。遅れてクレフの体が投げ出された。もう小さくない体なのに、クレフが地面に投げ出された瞬間に立った音は、まるで木の葉が落ちたときのように微かなものでしかなかった。

 何が起きたのかわからず、海はその場で大きく目を見開いたまま硬直した。その海の鼓動を、そして心を大きく揺さぶったのは、クレフの純白のローブを無惨にも穢す血の色だった。
「――!!」
「クレフ」と叫んだつもりだったのに、それは言葉らしい言葉を紡がず、ただの悲鳴となって『精霊の森』に木霊した。もつれて震える足を懸命に動かし、クレフのもとへ向かう。なだれ込むようにそばでくずおれると、海は震える腕でなんとかクレフの体を抱き起こし、膝の上に乗せた。
「クレフ、しっかりして! クレ――」
 抱きかかえたクレフの腰のあたりに置いた手に違和感を覚え、海ははっと息を呑んだ。恐る恐る手を持ち上げると、ぬるっとした感触があった。ほんの少しクレフの体に触れただけだったのに、真っ赤に染まっていた。その「赤」は、哀しいほどに美しかった。海は言葉を失った。
 不思議と涙は出なかった。頭では理解していることに心がついていっていない、そういう感じがした。

「ウミ……」
 呆然と自らの手を見つめていた海は、震える吐息混じりの声に名前を呼ばれてわれに返った。こちらに伸ばされてきたクレフの手を、反射的に握りしめる。血で滑って指をうまく絡めることができず、何度も何度も握りなおした。ようやく隙間なく握ることができるようになっても、クレフが海の手を握り返してくれる力はいつもの半分もなかった。
「いいか……じきに、グリフォンが、おまえを迎えに来てくれる。その足で、家へ行け。そこにあるものを、どうするかは、おまえに任せる。ただ……グリフォンと、フューラは、自由にしてやってほしい」
「やめて……やめて、クレフ! 一緒に帰りましょう? 一緒に帰るって、約束したじゃない。一緒に……」
 その瞬間、ようやく『心』が頭に追いついてきたようだった。一気に込み上げてきたもので、気持ち悪さを覚えるほどだった。
「一緒に暮らすって、約束したじゃない……!」
 語尾は嗚咽に取って代わられた。滲んだ視界の中で、クレフが困ったようにほほ笑んだのが見えた。
「私は……おまえを泣かせてばかりだったな」
 海はクレフの手を握りしめ、そこに額をつけてひたすらに泣きじゃくった。泣くことによってクレフとの別れが近づいていることを暗に認めることになってしまうとわかっても、海はあふれ出る涙を止めるすべを持たなかった。

「……ウミ」
 どれほどそうして泣いただろう。海の泣き声が小さくなった一瞬の隙を狙うように、クレフが呼んだ。海は涙を拭うこともせず、クレフを見つめた。クレフはこの期に及んでとても穏やかな表情をしていた。どうしてそんなに落ち着いていられるのか、海にはまったくわからなかった。
 そのクレフが、その日もっとも強い力で海の手を握り返した。
「おまえを、もう二度と、泣かせたくなかった」
 クレフの手は、震えていた。
「だから、私は、おまえのことを、忘れようとした。だが……私は、逃げていただけだった。おまえの、真っすぐな気持ちが、私を奮い立たせたのだ。おまえが、教えてくれた。何があっても、おまえを想う気持ちは、変わらないと……。だから……」
 すぐにはクレフが何を言っているのか理解できなかった。けれど少し考えて、海はその言葉の不自然さに気がついた。
「……え?」
 背筋が粟立った。
「まさか」と海は言った。「まさかあなた、こうなることを……?」
 クレフはふっと息をついた。肩の荷を下ろすようなしぐさだった。
「長く生きすぎると、知りたくないことまでも、知ることができるようでな」
 それはまったく直截な答えではなかったけれど、ある意味では答え以上の答えかもしれなかった。海は絶句した。
 クレフが海の手から自分の手をそっと引き抜く。手が離れた瞬間、海は心に渦巻く感情をどう処理したらいいかわからなくなった。
「どうして――!」
「私とて」
 身を乗り出しかけた海を制するように、クレフがはっきりとした声を出した。思わずはっと身を震わせる。クレフは緩くかぶりを振った。
「私とて……すべてを、わかっていたわけではない」
 そう言って、クレフがもう一度、海から離した手を伸ばしてきた。その手が向けられたところを見て、海ははっと息を呑んだ。クレフの手は、海の下腹部に触れていた。
 何を言うでもなく見つめ合う。クレフが髪を風に遊ばせ、すがすがしくほほ笑んだ。
「……いるのだな」

 いつ知ったのか、どうやって知ったのかもわからないけれど、そんなことはどうでもよかった。海は無言のまま唇をかみ、こくりと小さくうなずいた。
 それを受けて、クレフが意識的に目を閉じる。直後、海は自分の下腹部のあたりに熱が集まってくるのを感じた。何事かと視線を落とすと、クレフの手がほんのりと淡い光を放っていた。
「クレフ、だめよ! そんな状態で魔法なんか使っちゃ」
「案ずるな。これが……私の、最後の『魔法』だ」
 ぎゅっとクレフに手を握られて、海ははっと息を呑んだ。クレフが目を閉じたまま、海にはわからない言葉を小さく呟く。するとますますクレフの手の中の光が強くなり、それは海の下腹部全体を包み込んだ。
「私の、残された魔法力のすべてを、この子に残そう」
 クレフの手がすっと離れる。そのとき海は、腕の中に抱いたクレフの体がどんどん軽くなっていくことに気づいた。
「クレフ」
「ウミ。この子が無事、生まれたら、私の名を、『諱(いみな)』として送ってやれ。……きっと、この名前が、おまえたちを守ってくれる」
 海はただひたすらにかぶりを振り続けていた。「何も言わなくていい」とも言えず、「助けを呼んでくる」と言ってその場を離れることもできなかった。ただ、今握っているクレフの手だけは何があっても離すまいと思った。ほかに願うことなど何もなかった。それ以外には何もいらない。クレフの手を握り続けることができるのならば、この命さえも惜しくない。
「約束しよう、ウミ……。私は、いつもここにいて、おまえたちを見守っている」
「いや……いやよ、クレフ」
 けれど現実は無情だった。命に代えても離したくないと思っても、クレフの手を握る感触はどんどん消えていく。クレフの体が軽くなり、次第に半透明になっていく。海自身の膝が透けて見える。もう、その身体に触れられない。
「ずっと、言えなかった」
 クレフの声は、もうすっかり掠れていた。
「おまえを、誰よりも、愛している……」
 そう言って、クレフは笑った。とても静かに、美しく笑った。
 クレフの瞳は最後まで輝いていた。彼の手を握っている感覚が失われた刹那、まるでシャボン玉が弾けるようにクレフの体が七色の輝きを放ち、跡形もなく消え去った。


 それからどれほどの時間が流れたのかわからない。膝を赤く染めた血が乾いてきたころ、海はようやくわれに返った。
「……帰らなくちゃ」
 呟き、膝を起こそうとしてできなくなった。「帰る」って、いったいどこへ? 訳もわからず握った手に、不意にちくりと痛みが走った。
 掌をそっと開くと、そこから何かがこぼれてころりと地面を転がった。それはクレフがいつもはめていた指輪だった。
 それがすべての引き金となった。指輪を拾い上げた手が震える。歯がカタカタと鳴る。どうか、今目の前で起きたことのすべては夢だったと言ってほしい。指輪に涙が落ちてはじけ飛ぶ。バサッという羽音がした。見知った精獣がすぐそばに降り立った気配を感じた。
 精獣はそうして、主が言ったとおりの行動を取っているのに、当の主はもういない。こんな、こんな指輪のたったひとつを残して、あっけなく逝ってしまった。
 帰る場所などどこにあるだろう。二人で暮らすはずだった家に、どうして一人きりで帰ることなどできるだろう。
「いやあああ!!!」
 海は指輪を握りしめ、その場で突っ伏した。涙が混ざって血の海が色を薄めるほどに慟哭した。そばにグリフォンがいてくれるということが、このときばかりは哀しみ以外何も齎してはくれなかった。




web拍手 by FC2

コメント

コメントを投稿


管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック

TB*URL

PrevEntry |  to Blog Top  | NextEntry
What's new?
ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

▶ 連作短編集を始めました。クレ海学生パラレルです。今後年中行事に合わせて不定期更新の予定です。詳しくはこちらからどうぞ。

▶ こちらは作品展示専用です。コメントへのお返事は別ブログにて行っております。
カテゴリー
最新記事
月別アーカイブ
全記事表示
Counter
プロフィール

篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

このブログは作品展示専用です。
いただいたコメントへのお返事は別ブログにて行っております。
どうぞお気軽にコメントお寄せくださいませ^^

 

Copyright ©蒼穹楼. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha. Photo by sozai-free 2000px.