蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 6. 変わりゆく明日

長編 『蒼穹の果てに』

今だってときどき、私たちの選んだ道はほんとうに正しかったのかと密かに自問することがある。

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「本当、きれいになったわね」
 城の回廊を歩きながら、海は見るとはなしに外の景色を見、その美しさに目を細めた。城から俯瞰するセフィーロはまさに絶景だった。エメロード姫がいたころ、初めてこの地に招喚されたときも美しい国だと思ったけれど、当時よりも今の方がずっと美しいと思う。空に浮かんだ山からは滝が流れ、遠くの火山は火を噴き上げている。海はエメラルド色に輝き、錦あやなす森ともどもみずみずしい。精霊や精獣たちがそこかしこに憩い、暮らしを営んでいる。かつては消滅の瀬戸際に立たされたことがある国だというのに、その爪痕は、もはやどこにもなかった。

「ウミたちのおかげだよ」
 隣を歩いていたアスコットが、不意に言った。海はきょとんとして彼の方を向いた。相変わらず、長い前髪に隠れて目が見えない。今では海も14歳のときと比べたらだいぶ背が伸びたけれど、それでもアスコットとは、見上げなければならないほどの身長差がある。その前髪を切ってあげたい、と内心思った。
「ウミたちが、このきれいなセフィーロを取り戻してくれたんだ」
 アスコットが二年前の戦いのことを言っているのだと、そのときようやくわかった。面と向かって言われると面映ゆい。照れ隠しに、海はアスコットの背を叩いた。
「やだ、やめてよ。恥ずかしいわ」
「けど、ほんとうのことだよ」とアスコットは臆せず言った。「ウミたちは、たくさんの人の未来を変えたんだ。セフィーロの人たちだけじゃなく、チゼータやファーレン、オートザムの人たちも」
 アスコットはまるで自分のことのように誇らしげに言った。海は思わず彼から顔を逸らした。嬉しいやら恥ずかしいやらで、咄嗟に言葉が出なかった。

「未来、か」
 しばらくしてから、海はアスコットの言った言葉の断片をぽつりと反芻した。「未来」――それは夢と希望あふれる美しい響きだった。
 セフィーロに齎されたもっとも大きな変革は、「明日何が起きるかわからない」世界になったということだろう。『柱』が君臨していたときは、『柱』の身に異変が起こりさえしなければセフィーロは平和だった。明日も今日と変わらないということが、ほぼ当たり前のように人々の前にあった。『柱』というレールが敷かれていたのと同じことだ。けれど『柱』という絶対的な存在がなくなり、一人ひとりの『意志』が日々を紡いでいく世界になったことで、明日に何が起こるのかはまったくの未知数となった。
 その方が絶対にいいと思う。何が起きるのかわかっている明日なんて、永遠に来ないのと同じだ。何が起きるかわからないから人は明日を楽しみにするし、成長もする。今のセフィーロが日に日に美しく変わっていっているのは、「今日とは違う明日」が先に待っているからであり、その「明日」を美しいものにしようと皆が努力しているからだ。

「ウミ?」
 呼ばれて、海ははっとわれに返った。
「なんでもないの」と海はかぶりを振った。「ただ、本当によかったと思って。みんなが笑顔でいてくれて、私、とても幸せよ」
 今でもときどき、私たちの選んだ道は本当に正しかったのかと密かに自問することがある。この二年間、すべてが順調だったというわけではなかった。『柱』を失ったことにセフィーロの人々は少なからず戸惑い、今もまだ手探りの中進んでいる。それにオートザムやチゼータ、ファーレンにも、数多くの問題が未だ根強く残っている。オートザムの環境汚染問題のようになかなか解決の糸口を見いだせないものも少なくない。もしも二年前、もっと別の道を選択していたら、今ごろはこれほど多くの問題に頭を悩ませることもなかったのではないかと考えてしまう。
 けれど少なくとも、あれ以来この世界に争いが起きていないということについては救いの余地がある。憎しみからは憎しみしか生まれない。『柱』を巡る戦いを終結させたということだけでも、私たちがやってきたことには意味があると思いたい。
 アスコットをはじめ、皆が日々かけてくれる言葉が海たちを支えていた。彼らが今のセフィーロを「美しい」と思ってくれているということが、何よりの悦びだった。

 ふと海は、ずっと隣を歩いていたはずのアスコットの姿がそこにないことに気がついた。振り返ると、アスコットは数歩前で立ち止まっていた。
「アスコット?」
 名前を呼んでも、彼は顔を上げなかった。気のせいだろうか、頬が紅い気がする。どうしたの、と言いかけたとき、アスコットが口を開いた。
「あのさ、ウミ」
「なあに?」
「僕……」
「え?」
「僕は」
 続けて動いたアスコットの口が紡いだ言葉を聞き取ることはかなわなかった。脳天をぶち破るような泣き声が、辺り一帯にこれでもかと響き渡ったからだ。
「な……なに?!」
 海は慌てて身を屈め、反射的に両手で頭を押さえた。われ知らず背筋が粟立つ。まさか魔物でも現れたのかと、長いあいだ封印していた戦士としての感覚が湧き上がりかけた。
「だいじょうぶ」
 ところがそのとき、いつの間にか隣に戻ってきていたアスコットが淡々とそう言ったので、海は戦士としての感覚を一旦封じた。
「ノアの声だよ、これ」
「え?」と海は目を丸くした。「ノアって、カルディナとラファーガの?」
 うん、とアスコットがうなずいた刹那、海たちの目の前にあった部屋の扉が大きな音を立てて開け放たれた。
「誰か、誰か! 急いでラファーガ呼んできてくれへん? あの人がおらんと、この子――」
 腕に何かを抱えて部屋から出てきたのは、カルディナだった。声を張り上げて廊下を見回した彼女は、海と目が合うと言葉を止め、ぱちくりと瞬きをした。
 一瞬の沈黙を経て、カルディナは思いっきり破顔した。
「誰かと思ったら、ウミやんか! 久しぶりやな、いつ来たん?」
「こんにちは、カルディナ。ついさっき着いたところよ。それより」
 海はカルディナが抱いているものを覗き込んだ。白い絹のおくるみに包まれて、それは実際以上に大きく見えた。しわくちゃな顔を涙と鼻水で濡らした赤ちゃんが、細い針金のような声を上げ続けていた。
「ああ」とカルディナは言った。「ウミははじめましてやな。『ノア』いうんよ。かわいいやろ」
 でれっとカルディナの目尻が下がる。そんな表情をしたカルディナを見るのは初めてだった。母親になったのだと改めて感じ、頬が緩んだ。けれどどんなに母親になったとは言っても、露出度の高い服装とその下のメリハリボディは変わっていなかった。

「それよりウミ、うちの人見てへん?」
「見てないわ。っていうか、フェリオと出かけてるって聞いたけど?」
「やっぱり、まだ帰ってへんのか」
 困ったな、とカルディナは渋面を作った。
「この子、寝起きにラファーガがおらんと泣き出すんよ。しかも、一旦泣き出すと、ラファーガやないと止められんの。こうなったら、あの人が戻ってくるまで耳栓しとかなあかんな」
「でも」と海はノアを覗き込みながら言った。「もうだいぶ泣きやんできたみたいだけど」
「え?」
 カルディナが目を丸くして自らの腕の中に視線を落とす。そして穴が開くほどじっとわが子を見つめ、「ほんまや」と呆気に取られたように言った。
「なんで? 今までこんなこと、いっぺんもなかったのに」
「ウミがいるからじゃないの?」
 海の横からアスコットが顔を出した。するとカルディナはぎょっと目を見開いた。
「なんや、アスコット。おったんかいな」
 気の抜けた言葉に、海とアスコットは同時にずるっと肩を落とした。
「最初からいたよ!」とアスコットが心外そうに言った。
「気づかんかったわ。あんた、気配消すのうまくなったんとちゃう?」
「それを言うなら、カルディナが僕の気配に――」
「けど」
 アスコットを遮って海に向き直ったカルディナは、白い歯を見せてにかっと笑った。
「ほんま、ウミがおるからかもしれんな」
「そんな、私は何も」
「面食いなんよ、この子。まったく、誰に似たんやか」
 それはカルディナ以外に考えられないだろうと思ったけれど――ラファーガが面食いだとはどうしても思えないし――、海はあえて何も言わなかった。
「なあウミ、今少し時間ある? ラファーガが帰ってくるまででええから、寄ってってくれへん? 茶と茶菓子くらいは、アスコットが用意してくれるよって」
「なんで僕なんだよ!」
「な、ウミ。どう?」
 アスコットの抗議はきれいに無視して、カルディナは目を輝かせて言った。断る理由などなかった。そもそもノアに会いに来たのだ。海は笑ってうなずいた。
「もちろんよ。ご迷惑でなければ、お邪魔するわ」
「迷惑なわけあるかいな。ささ、おいで」


 中へ入ると、カルディナは早速アスコットをキッチンへと案内した。なんで僕なの、とぶつぶつ言いながらも、アスコットはしっかりお茶と茶菓子の用意をしてくれているようだった。手伝いたかったけれど、「ウミはここにおって」というカルディナの言葉に押しとどめられ、大人しくアスコットに任せることにした。

「抱いてもいい?」
 横に長いソファにカルディナと並んで座ると、海は遠慮がちに言った。もちろん、と答えたカルディナが、おくるみのままノアを差し出す。そっと受け取り、海は改めて顔を覗き込んだ。
 肌と髪の色はラファーガと同じだけれど、興味深そうに私を見上げてくる瞳はカルディナの色を受け継いでいた。目が合うと、ノアはまるで照れくさがっているかのように目を潤ませた。おませさんね、と海は笑った。
「そうなんよ」とカルディナが肩を竦めた。「こんなちっこいときから女の子に媚売って。まったく、かなわんわ」
「子育てって、やっぱり大変?」
 顔を上げて訊くと、カルディナは「うーん」と唸った。けれどすぐにかぶりを振り、今日のセフィーロの天気のような顔で笑った。
「大変は大変やけど、この子が笑ってる顔見ると吹っ飛んでしまうわ。ええもんやで、子どもって。昔はちっとも欲しいなんて思わんかったけどな」
 きゃっきゃっとノアが笑った。まるで返事をしているみたいだった。
「お茶が入ったよ」
 そのとき、キッチンからアスコットが出てきた。立ち上がろうとした海を遮って、カルディナが行く。礼を言って、海は再びノアを見た。

 当たり前だけれど、時間は着実に流れているんだなと思った。前回セフィーロに来たときは、カルディナはまだ大きなお腹を抱えていた。一年前に遡れば、そんな体の変化さえ起きていなかった。けれど時はあっという間に流れ、この世に生を受けたノアを今は海が抱いている。
 こうして世界は日々「変化のある明日」を迎えていく。それは確かに尊いことだ。けれど中には変わるべきではないものもある。たとえば、今のこの平和な時間。これは変わるべきものではない。どんなに「明日」に変化があったとしても、そこに「争い」は必要ない。この国はもうじゅうぶんな争いを経験してきた。たくさんの人が、必要以上に傷ついた。今は誰もがその傷を癒す途上にある。この世界は平和を堂々と享受していい。

 そんなことを考えていると、何とはなしにクレフのことが恋しくなった。
 クレフはもう747年も生きている。747年前といえば、日本だったら室町時代だ。その当時から現代まで、日本は、そして地球は幾度の争いを経験した。争いと平和、その繰り返しの果てに今の私たちがいる。同じように長い歴史があるセフィーロにずっと生きてきた人だ、クレフはきっと、私たちが知り得ないようなことをたくさん知っているのだろう。世界は違うけれど、歴史の授業で写真と名前しか見ないような人たちと同じ時代を生きたことがある人と現代で言葉を交わすことができるということは、まるで奇跡のように感じられた。

 けれど海にはひとつ気にかかっていることがあった。クレフがこの世界のことを「美しい」と言うのを、まだ一度も聞いていないのだ。
 クレフはセフィーロのことを一度も「美しい」と言っていない。そのことを最初に指摘したのは風だった。『柱』という犠牲のもとに成り立っていた当時のセフィーロの美しさを、クレフは偽りと思っていたのだろう。だからこそ彼はセフィーロを「美しい」とは言わなかった。それは理解できる。けれど今のセフィーロの美しさは、誰かの犠牲の上に成り立っているものではない。それなのにクレフは、まだ一度もこの世界を「美しい」とは言っていない。
 ただ単に海が耳にしていないだけなのだろうか。それならばいいのだけれど、もしもクレフが本心ではまだセフィーロのことを「美しい」と思えていないのだとしたら、その原因は取り除かなければならないと思う。クレフの目に、今のセフィーロはどう映っているのだろう。今のセフィーロでもまだ、クレフにとっては美しくないのだろうか。
 クレフには幸せになってほしい。それは、今の海が持つ何よりも強い願いだった。ずっと抱えていた想いだったのだろうけれど、きちんと自覚をしたのはほんの半年ほど前のことだ。


「ウミ」
 不意に呼ばれて、海ははっと顔を上げた。いつの間にか隣に戻ってきていたカルディナと、向かいに座ったアスコットの二人が、きょとんとして海を見ている。海は慌てて笑顔を取り繕い、思考ごと振り切るようにさっとかぶりを振った。
「ごめんなさい。ちょっと考え事をしてて、ぼーっとしちゃった」
「なんや、好きな人のことか」
 さりげなく日常会話の続きのように言われて、思わず首を縦に振りそうになった。慌てて留め、
「そっ、そんなんじゃないわよ」
 と言った。
「おいしそうね。いただくわ」
 話を逸らすつもりで、海は目の前のテーブルに並べられたお菓子を見て言った。一旦カルディナにノアを預け、クッキーを頬張る。途端にノアがぐずり始めたので、クッキーを咀嚼し切らないうちに慌ててノアに腕を伸ばした。




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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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