蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 9. 死が二人を分かつまで

長編 『蒼穹の果てに』

分け与えることはできなくても、分かち合うことはできる。海は自らの小指を彼のそれに絡め、少しいたずらに笑った。

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 はっきり言って、海の中でのクレフの第一印象は最悪だった。たぶん逆も同じだっただろう。顔を見るなり、二人はまるで前世からの因縁を引き継いでいるかのように取っ組み合った(というより、海の方がしつこくクレフに突っかかっていた)。見た目とは裏腹の年齢、いけ好かない喋り方、こちらを小ばかにした態度。どれを取っても「いやなヤツ」としか思えなかった。そんな最悪な第一印象が、けれど彼との別れの瞬間、ほんの少しだけ変化した。
 別れはあまりにも唐突に訪れた。唐突で、一方的だった。対面してから別れまでは30分もなかったと思う。迫りくる敵の手から逃れるため、クレフは海たちを半ば無理やりグリフォンに乗せた。その後まさか一度もクレフの顔を見ないまま東京へ強制送還されることになろうとは、このときの海は想像だにしていなかった。
 まだ名前を聞いてない。別れ際、早口でそう訴えたのは光だった。クレフは一瞬虚を突かれたような顔をしたけれど、次の瞬間、それまでのしかめっ面が嘘のように朗らかに笑い、
「クレフだ、導師クレフ」
 と名乗った。
 彼の笑顔は美しかった。その顔で「だいじょうぶだ」と言われると、どんな理屈を並べられるよりも強い説得力があった。このひとでもこんな風に笑うことがあるんだ。その瞬間、海にとってクレフはただのいけ好かない人からちょっと気になる人へと変わった。

 エメロード姫の『願い』をかなえた海たちは、問答無用で東京へと戻された。それからしばらくのあいだ、海は食事もろくに喉を通らない状態で、流れていく日々をただ無益にやり過ごした。エメロード姫の無念さや、光や風が心に負った傷を思ってはため息をこぼした。けれど海の心がもっともえぐられたのは、クレフのことを考えたときだった。

 東京へ戻ってようやく、クレフがすべてを知っていて、彼自身何か思うところがあっただろうにそれでも自分たちを導いてくれたのだと気づいた。冷静になって思い返してみれば、最初に逢ったときのクレフには不自然な点がいくつもあった。こちらの質問にすぐには答えなかったり、何かを言いかけてやめたり。あのときそういった些細な違和感に気づいていれば、もしかしたらもっと別の結末にたどり着いていたのではないか――そう考えたのは一度や二度のことではない。でもそのたびに、クレフが最後に向けてくれた笑顔を思い出した。
 三人を導き、魔法騎士となれるよう見守るのがエメロード姫との約束だ。あのときクレフはそう言った。その約束がどれほど残酷なものか、その先に待っているものは何なのか、クレフはすべてわかっていて、それでもああやって笑ってくれた。きっと心の中では泣いていたはずなのに、そんな素振りはちっとも見せなかった。クレフは最初から最後まで海たちのためを思った行動を取ってくれていた。それなのに――それなのに、私ときたら。
 悔いてもしょうがないのに、どうしても、彼に対して取った自分の態度が赦せなかった。できることならクレフにもう一度会って、自分の思いやりのなさを詫びたい。海はいつしかそう思うようになった。何も知らずに戦ったことに対する後悔はもちろんあったけれど、クレフへの切ない想いはそれ以上に大きかった。

 二度目に招喚されたセフィーロで、クレフは自ら海たちに向かって頭を下げた。どうしてそんなことをするの、と叫びたかったけれど、ほかにも大勢人がいた手前、彼の言葉をやんわりと否定するので精いっぱいだった。それでも心は晴れなくて、海は夜、クレフを訪ねて大広間へと向かった。二人きりになると、それまでピンと張り詰めていた心の糸が弛むのをはっきりと感じた。弱いところを見せるために訪ねたのではなかったのに、クレフを前にした途端、ずっと堪えていた涙がついにこぼれた。「ごめんなさい」。やっと口にすることができたその一言は、けれど海の心を軽くしてはくれなかった。

「おまえが私に詫びることは、何もない」
 最終的に海の心を救ったのはクレフの言葉だった。彼は「詫びなければならないのは私の方だ」と言い、海の手を取った。
 クレフにとって海は「憎むべき相手」であってもおかしくない。彼がずっと大切に見守ってきたエメロード姫を殺したのだから。けれどクレフは、海に対して憤るどころかお礼の言葉を口にした。そして海の手をゆっくりと、まるで夜泣きをする赤ちゃんをあやすような手つきで撫でてくれた。気がつくと海の心はすっかり落ち着きを取り戻し、涙も出なくなっていた。

 クレフには、自分たちの世界の問題に海たちを巻き込み傷つけてしまったという負い目があったのだと思う。そんな負い目、彼が背負う必要はまったくないのに。彼は何も悪くないのに。でもクレフはそういう人だった。自分に関係のないことでも、すべてを受け止め、すべてについて傷ついた。海たちも確かに傷ついたけれど、あの戦いで一番傷ついたのはクレフだったのではないかと海は思う。それでもクレフは一切の弱音を吐かず、一切の愚痴を言わなかった。海の心を知って、「今度は自分たちのために戦え」と言ってくれた。自分が授けた魔法も、プレセアが創った武器も、すべて自分自身のために使えと。当の彼本人は自分のために魔法を使ったりは絶対にしないくせに。

 もしもクレフのためにできることがあるのなら、それが何であってもやりたいと思った。最初に見せてくれたあの笑顔をもう一度見たい。そのために今度こそ、セフィーロのために戦いたい。クレフの笑顔を取り戻すために戦いたい。
 それはずっと海の心にあった気持ちだったけれど、それが恋だということには、二度目の戦いが終わってからもしばらくは気づかなかった。はっきりと自分の気持ちを自覚したのは、一年後、受験した高校から合格通知が届いた直後のことだった。

***

 せっかくひと月ぶりにセフィーロへやってくることができたというのに、そのときの海の気分はどん底だった。皆とさりげなく別れてひとりになると、なんとなくセフィーロ城の天門に向かった。体育座りをして、そこから景色を俯瞰する。稜線が日を隠そうとしている。真っ赤な空は、まるで太陽の断末魔のようだった。頬をさらう風が冷たく鳴る。胸に迫る切なさに、海はぎゅっと強く膝を抱いた。そんな背中に声をかけられたのは、突然のことだった。
「こんなところにいたのか」
 はっとして振り返ると、少し離れたところにクレフが立っていた。額のサークレットに夕陽の光が当たり、眩しかった。海はほっと胸を撫で下ろした。
「クレフ」
 ゆっくりとクレフが近づいてくる。長いローブの裾が風にはためいた。
「おまえにいつもの覇気がないと、皆が心配していたぞ」
 クレフは海の隣までやってきて立ち止まった。海は答えず、再び膝を抱いて外へ目を向けた。皆の前では普通を装っていたつもりだったけれど、どうやらあっさりばれてしまっていたようだ。
「何かあったのか」
 クレフが静かに訊いてきた。答えを急かすような言い方ではなかった。そういえば、クレフの前では心を偽れないなと、このとき初めて海は気がついた。

 深く息を吸い込むと、セフィーロの風が全身に行き渡った。透明な香りがした。東京の風と比べればまるで月とすっぽんだ。東京では、こんな風に思いっきり風を吸い込みたくなるようなことはまずない。
 目を閉じて祈るだけで簡単に行き来できる世界なのに、風ひとつ取ってもセフィーロと東京はまるで違う。セフィーロでは簡単に使える魔法も、東京ではどんなに頑張っても使えない。瞬間移動やテレパシーでの会話なんてもってのほかだ。東京では、誰かと話がしたかったら電話に頼るか直接会いに行くしかない。
「私、間違ってたのかしら」
 徐に海は言った。
「なに?」
 海は外を見たまま、抱えた膝に視線を落とした。
「英語が好きだから、英語教育に力を入れている高校に行くの。でもその高校には、私が今通ってる中学校から行く生徒は一人もいないの。場所も遠いし、電車で通わなくちゃならなくなるわ。光や風の学校とも方向は違うの。全然知らない人たちの中に、突然放り込まれるのよ」
 クレフに話すのならば、もう少し丁寧に説明しなければならない単語がいくつもあった。英語、高校、生徒、電車。けれどそういう細かい説明はすっ飛ばして、海はあふれ出る想いのままに喋った。
「受験勉強をしてるあいだは、その高校に行きたいっていう気持ちばっかりで、そのあとのことなんてちっとも考えられなかった。でもいざ合格したら、みんなと離れるんだっていうことが急に現実味を帯びたの。4月からはもう、みんなとは会えなくなる。そう思ったら、どうしようもなく淋しくなっちゃって」
 海はため息をつくと膝に顔を埋めた。心細さに押し潰されそうだった。
「高校で、友達ができなかったらどうしよう」
 それは完全な泣き言だった。

 誰にも言えなかった。両親や学校の先生、友人たちは皆、海の進路を応援してくれた。その人たちに向かってこの心の不安を打ち明けることはできなかった。光や風ならば聞いてくれただろうけれど、二人と会う時間を取ることは難しかった。今日だって、ようやくひと月ぶりに三人の時間がそろったのだ。そうなれば、互いの近況を話し合う時間を削ってでもセフィーロに来たかった。最後に三人でゆっくり話をしたのがいつだったか、もう思い出せなかった。

「永遠の別れというわけでもあるまい」
 永遠に続くかに思われた沈黙を破って、クレフが言った。
「え?」
 海は顔を上げた。目を合わせるためには今日は海がクレフを見上げなければならなかった。
 クレフは優しい笑みを湛えていた。彼の手にした杖の装飾が風に揺れ、風鈴のような音を立てた。
「私には、異世界の仕組みのことはよくわからない。ただ、おまえがどのような道を選んだとしても、友人たちとの別れは一時のこと。永遠に会えなくなるわけではないのだろう」
 語尾が上がったクレフの言葉に、海はぎこちなく首を縦に振った。ならばいいではないか、とクレフは言った。
「会いたくなったら会いにいけばいい。おまえの友人なら、きっと温かく迎え入れてくれるだろう。それとも、なんだ。おまえたちの世界の『友情』は、一定の時間会わなければ簡単に消え去ってしまうほど脆いものなのか?」
「そんなことないわ」
 海はほぼ即答した。するとクレフは満足げにほほ笑み、海に横顔を向けた。夕陽が彼を照らす。細められた瞳は、この世界を心底愛していた。

 それもそうだ、と海は思った。高校が別になることは、何も今生の別れを意味しているわけではない。学校が変わったからといって、友人たちとの連絡を絶たなければならないということもないのだ。
 けれどそうは言っても、不安をすべて拭い去ることはできなかった。学生の海にとって、学校生活は一日の大半を占める。三年間苦楽をともにしてきた友人たちと別れるのは、やはり辛いことだった。
「何も心配はいらない」
 不意にクレフは言った。
「おまえなら、新天地でもきっとたくさんの友人に囲まれる」
 彼の横顔は疑うことを知らなかった。どうしてそんな風に断言できるのか、海にはさっぱりわからなかった。けれどなんだか、耳の後ろを猫じゃらしで触られているようにくすぐったかった。クレフの目に、私はどう映っているんだろう。海はこのとき初めて、「クレフの目に映る自分」という存在を意識した。
 クレフの言葉のひとつひとつが心に沁みた。彼はお世辞は言わないけれど、嘘も言わない。だからクレフは皆から信頼を集めた。クレフがいればだいじょうぶだと、誰もが思った。海もそのうちのひとりだった。クレフが「何も心配はいらない」と言うのであればそうなのだろうと、信じてみようという気になった。
「そうなれば、嬉しいわ」
 ようやくほほ笑むことができた。クレフも笑う。そしてその真っ青な瞳が海を捉えた。
「もしも不安になることがあれば、セフィーロへ来ればいい」
「え?」
「私は話を聞いてやることくらしかできないが、しかし誰にも打ち明けられずひとりで抱え込むよりは、多少なりとも救いがあるだろう」
 ああ、と海は思った。クレフはいつもここにいてくれる。ここにいて、私の話を聞いてくれる。そう思うと、心に巣食っていた不安が一気に消し飛ぶのを感じた。誰がいなくてもいいと思った。クレフがいてくれるのなら、どんなことでも乗り越えていける。

 自分が考えたことが、嬉しかったけれど恥ずかしくもあった。海は自分の腕を抱いた。
「ねえ、クレフ」
 恐る恐る、彼を呼んだ。
「なんだ」
「信じてもいい?」
 答えはなかった。海はちらりとクレフを見上げた。クレフはただでさえ大きな目をより大きくしてこちらを見ていた。目が合うとどきりとした。海は慌てて、自分の気持ちをごまかすように笑顔を作った。
「あなたがここにいてくれるなら、私、きっと頑張れるわ。だから」
 クレフは海の言葉を最後まで聞かず、体勢を変えて海と向かい合った。そして杖を肩に預け、海の手を片方そっと取った。
「この手に誓おう」とクレフは、海の手を撫でながら言った。「おまえが悩めるときは、常にそばにいると」
 思いがけず泣きそうになった。戦いのさなかにも彼が同じようにして手を包んでくれたことが脳裏を過った。私はいったい、この手にどれほど救われてきただろう。

 きっとクレフは、海だけではなく誰に対しても同じような言葉をかけているのだろう。クレフはセフィーロを平和へと導く絶対的な存在だ。何人もの人が彼を頼り、彼をよすがにして生きてきたに違いない。けれど、と海は思った。皆がクレフを頼るなら、クレフはいったい誰を頼るのだろう。
 クレフの手は海の手よりもずっと小さいのに、計り知れない温もりを与えてくれる。この温もりを守りたいと思った。この手は常に温かいままであってほしい。
 分け与えることはできなくても、分かち合うことはできる。海は自らの小指を彼のそれに絡め、少しいたずらに笑った。
「約束よ。死ぬまで私の愚痴を聞いてくれるって」
 するとクレフは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。けれどすぐに破顔し、小指にぐっと力を込めた。
「これは、とんだ約束だな」
 絡み合った小指は、いつまでも離れなかった。
 その約束は、海が海自身と交わした約束でもあった。もしもクレフが苦しみ、悩むことがあったそのときは、私がそばにいて彼を助ける。たとえ非力であっても、私は私にできることをして彼を支えたい。クレフには誰よりも幸せになってほしいから。クレフのことが、好きだから。
 はっきりとした名前を与えられたその気持ちは、甘みよりも酸味の方が強かった。初めて知った恋を胸に、海はほろ苦く笑った。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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