蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 11. うたかたの夢

長編 『蒼穹の果てに』

美しいものには棘がある。不意に、以前耳にした言葉を思い出した。果たして誰が言った言葉だったか、今となっては思い出せない。

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 もしも「セフィーロ」という国を一言で言い表すとするなら、「風と水の音が絶えない国」というのが適当だろう。セフィーロの人にとっては平凡で当たり前なことかもしれないが、蝕まれたオートザムで生まれ育ったイーグルにとっては信じがたいほどに感動的なことだった。人の手が加えられていない、本当の意味での「自然」が奏でる音には、どれほど洗練された音楽も遠く及ばない美しさがあった。
 『柱』を巡る戦いの後、イーグルの意識は長いあいだ闇の中に沈んでいた。闇の中にいるということにさえ気づけなかった。けれどようやく意識を取り戻し、周囲の出来事を感じ取ることができるようになってからは、風と水の音を存分に楽しんだ。目はまだ見えないが、セフィーロの自然の美しさを知るには音だけでも十二分だった。

 寝たきりの状態はやはり圧倒的に不自由だが、その一方で思いがけないプラスの副作用を齎すこともあった。そのひとつが、研ぎ澄まされていく聴覚だ。今では人の気配も音で感じ取ることができるほどだった。
 人は、どれほど気をつけていても、そこにいれば必ず何かしらの音を立てる。さらにその音は人それぞれで微妙に違う。だからそばに誰かがいればすぐにわかった。けれど今、周囲に人の気配は感じない。つい先ほどまでそこにいたジェオも、今度こそ去ったようだった。部屋を宛がわれることは断ったようだから、大方『精霊の森』あたりで休むつもりなのだろう。

 ジェオはときどき、今日のように何をするでもなくただぼんやりとそこに佇んでいることがある。そんなときイーグルは、密かにジェオの気配を追うことを楽しんだ。目の見えないイーグルが自分の存在に気づくはずがないと油断し切っているジェオの気配を追うことは、造作もないことだった。その油断の端から、ジェオは時折本音をこぼした。今日もそうだった。こちらが寝ていると思い込んでいたジェオは、昼間はまったく感じさせなかった憂いを素直に垂れ流していた。
 普段ならば、たとえジェオがそばにいることがわかっても彼の方から話しかけてこない限り見て見ぬふりをする。けれど今日ばかりはどうしても看過できなかった。伝わってくるジェオの気配があまりにも陰鬱だったからだ。

 オートザムで何事かあったのだ。それ以外には考えられなかった。意を決して口を開き、訊ねると、ジェオは強張った口調でその胸中を打ち明けた。
 大統領が、秘密裏に何かを企んでいる。十中八九そういうことだろうと踏んでいたのに、いざジェオの口からその人の名を聞くと、イーグルの心はざわついた。
 この二年間、大統領は完全に音沙汰なしの状態だった。けれどかの人がこのまま無言を貫き通すことはあり得ないと、イーグルにはわかっていた。わかっていたはずなのに、実際に大統領の不穏な動きを耳にするとベッドから体が浮き上がったかのように心もとなかった。そんな自らの反応を思い出し、イーグルは心の中で唾を吐いた。まるで大統領と自分とのあいだに深いつながりがあるかのような反応ではないか。そんなもの、あの男とのあいだに生まれたことは一度もないというのに。イーグルにとって大統領は「大統領」であり、それ以上でも以下でもなかった。

 
 二年前、イーグルがセフィーロ侵攻を評議会に諮ったとき、賛成したのは大統領ただ一人だった。ほかのメンバーは一様に顔を顰めた。理由は単純だった。オートザムは当時すでに精神エネルギーの枯渇が深刻化し、他国に攻め入る軍力を維持するだけの余裕がなかったのだ。
 自国の生命活動を維持することでさえ満足にできず、国家存亡の危機に立たされているというのに、そのような状況で他国へ軍を向けるとは何事か。ご子息は外にばかり目を向けて、内側の状況を理解しておられないのではないか。評議会ではここぞとばかりにイーグルへの批判が展開された。当時イーグルは最年少の評議会議員であり、そこにいるというだけで謂れのない妬みを買っていた。
 皆、イーグルがその若さで評議会議員になれたのは大統領の息子だからだと斜に構えて見ていたが、それは真実を穿った見方ではなかった。大統領は、血縁者を優遇するような人間らしさを持った男でもなければ、血のつながった息子の成功を願ってくれるような殊勝さを持った男でもない。イーグルが議員に選出されたのは、そのための条件をすべてクリアしたからに過ぎない。事実、イーグルが議員に選出されたことを、大統領はイーグル自身が口にするまで知らなかった。

 大統領は、人としては最低だが、政治家としては稀代のカリスマ性を持った人物だ。セフィーロに侵攻するというイーグルの意見に耳を傾けたのも、自らの息子の意見だからではなく、純粋にその意見自体に興味を持ったからだ。そして大統領は、イーグルがすべてを説明する前からイーグルがセフィーロ侵攻を持ちかけた理由を見抜いていた。もっともその理由は、表向きのものだったのだけれど。
 セフィーロの『柱』制度を解明できれば、オートザムの大気汚染問題もたちどころに解決へと向かうかもしれない。もっともらしい理由を並べ、イーグルはセフィーロ侵攻の正当性を主張した。それでも評議会の雰囲気は変わらなかった。君の言うことはもっともだが、机上の空論に過ぎない。そんな一言で、老人たちはイーグルの提案を、その中身をろくに吟味もせず一笑に付そうとした。机上の空論ばかりを繰り返しているのはどちらなのだと罵声が喉元まで出かかったが、なんとか堪えた。平行線のにらみ合いが続いていた評議会に一石を投じたのは、大統領だった。
「やらせてみよう。あるいはセフィーロをわが国のものにできるかもしれん」

 大統領の鶴の一声で、すべては決まった。イーグルの本当の『願い』のことなど何も知らず、大統領はすべてをイーグルの望むがままにやらせてくれた。NSXがオートザムを離れる瞬間、重力により体が椅子に押しつけられるような圧迫感を受けたとき、生まれて初めて自分が大統領の息子でよかったと思った。もしもこの立場がなかったら、セフィーロ侵攻について評議会が首を縦に振ることはおろか、議題に上らせることすらなかったかもしれない。
 結果的に、セフィーロ侵攻は失敗した。ただしこれは、評議会議員から見た場合の結果だ。イーグルやジェオ、ザズにとってはむしろこれ以上ない成功だった。セフィーロとの交流が生まれたことで大気汚染問題は着実に改善してきていると、ジェオからは聞いている。終わり良ければ総て良しだ。けれど肝心の大統領はどう思っているのか、その点については訊くまでもなかった。今日までの二年間、一度として連絡をよこさないことがすべてを物語っていた。

 そんなことを考えていると、不意に視界が明るくなった。もう朝になったのだろうか。ジェオが去っていったのはつい今しがたのことだと思っていたのに、あれからもう何時間も経ったというのだろうか。
 結局また、一睡もしないまま朝を迎えてしまった。イーグルはふっと息をついた。もっとも、体はずっと休んだままなのだから心を休めなくともあまり支障はないのだけれど。
 風と水の音がする。いつ聞いても耳に心地よい音だった。徒(むだ)だとわかっていても瞼を開こうと一度は力を込めるのが、イーグルの日課だった。そうしていれば、いつかはこの目で朝日を拝むことができるかもしれない。だからいつもと同じように、ぐっと瞼に力を入れた。いつもなら、鉛のように重いそれは一ミリも動かない。ところが今日はまさかの事態が起きた。さほどの力を入れずとも、瞼を開くことに成功したのだった。

 あまりのあっけなさに、イーグルは拍子抜けした。せっかく二年ぶりに現(うつつ)の景色を見ることができたというのに、感動も何もない。それどころか、イーグルがまず覚えたのは戸惑いだった。そこはまるで乳白色のペンキで塗りつくされたかのような空間だった。風と水の音こそしているが、木々も川も見当たらない。これがセフィーロなのか? イーグルは愕然とした。
 けれどイーグルはすぐに自らの考えを否定した。ここがセフィーロであるはずはなかった。本来イーグルは大きなベッドに寝かされ、外へと直接続いている広い部屋にいるはずなのだ。それなのに、見下ろした体はやはり乳白色の地面に垂直に立っていた。ベッドもなく、扉もない。これは現実ではないと考えるのが自然だった。しかしだとすればこれは、
「夢……?」
 思えば二年間も眠り続けていたというのに夢を見たことは一度もなかった。ただの一度もだ。これは二年ぶりに見る夢だったが、なんだか夢らしくない夢だった。夢とはこのように、果てしなく単色が広がっているものだっただろうか。久しぶりすぎて思い出せなかった。

「誰?」
 声がしたのは突然のことだった。イーグルは飛び上がらんばかりに驚いた。はっとして振り返ると、やや離れたところにひとりの娘が立っていた。彼女はガーネット色の瞳を大きく見開き、イーグルのことを見ていた。
 われ知らず見惚れた。美しい娘だった。薄紅がかった豊かな銀髪に、雪花石膏のように白い肌。薄い絹のワンピースが、彼女の持つはかなげな雰囲気を助長している。年のころは、イーグルよりもいくつか下だろうか。娘と女性とのちょうど中間に位置するような年ごろに見えた。
 娘はその両腕に大輪の花を抱えていた。どこからか風が吹いてきているのか、娘の髪とドレスの裾が静かに揺れた。イーグルがその姿を確かめていると、娘は見開いていた目を細め、漣を凪へと変えるように笑った。

 知っているのだ、彼女は。この娘は、自分のことを知っている。誰に言われたのでもなく、イーグルはそう直感した。
 記憶の海に身を沈め、探る。それほど長くない人生だ、出逢った人間の数もそう多くはない。とりわけ女性となればなおさらだ。これほどの美女ならば、一度でも出逢っていたら覚えているはずだと思った。ところがどれほど昔まで記憶をさかのぼっても、似ていると思う人がひとりいるだけで、娘本人は見つからなかった。
「あの」
 思い出せないのならば本人に聞くしかない。イーグルは口を開いた。自分が念話ではなく口を使って話すことができていることの重大さに、このときは気がつかなかった。
「はじめまして、ですよね?」
 すると娘はほほ笑んだまま、ゆっくりと首を縦に振った。イーグルは知らぬ間に汗を握りしめていた。
「ご存知でしたら、教えてください。ここは、僕の夢の中なんでしょうか」
「夢」と娘は、イーグルの言った言葉を断片的に取り出して言った。「そう呼ぶ人もいるわ」
 まるで流れる水のような声だった。
「差し支えなければ、あなたのお名前を教えてくれますか」
 女性は軽く首を傾げ、困ったように笑った。それは意外な反応だった。人を拒絶するような気配を持つ娘ではないのに、自分の名前を口にするのは憚られるのだろうか。

 そこまで考えて、はたとイーグルは瞬いた。
「すみません。先に名乗るべきですよね」とイーグルはおもねるように笑った。「僕は」
「ごめんなさい」
 ところが名乗ろうとした途端に遮られてしまい、最後まで言い切ることができなかった。みっともなく出鼻を挫かれた恰好だ。
 娘は少しだけ眉間に皺を寄せた。その表情は、心から申し訳なく思っているようにも、現状を楽しんでいるようにも見えた。そしてその表情のまま、娘は言った。
「あなたが知らないことは教えられないの。イーグル」
 ぞくり、と背筋が氷を当てられたように冷えた。遅れて全身の毛という毛が逆立った。
 どうして僕の名前を知っている?――心では言ったつもりだった言葉は、けれど声にはならなかった。何かがイーグルをせき止めていた。その「何か」は、目には見えないながらも圧倒的な存在感を持ってイーグルの前に立ちはだかっていた。
 美しいものには棘がある。不意に、以前耳にした言葉を思い出した。果たして誰が言った言葉だったか、今となっては思い出せない。ただ、あれはきっとこういうことを言うのだろうと思った。目の前の娘は確かに美しいが、その美しさには付け入る隙がまったくなかった。

「あなたは――」
 けれど名前を教えてくれないくらいで引き下がるわけにもいかなかった。長く感じてこなかった緊張感が、イーグルを包む。いったい彼女は誰で、ここはどこで、この夢にはどんな意味があるのか、自分はそれを知らなければならないという使命感のようなものがあった。ところが口を開いた直後、突然瞼が鉛のように重くなり始めた。
 思わずうめいた。意志によって抗うことさえできないほど、その重みは強烈だった。両手でなんとか瞼の開きを維持しようと試みるも、それはイーグルの力ではどうにも成し得なかった。
「――!」
 助けてください、と言おうとして、けれどそれは声にならなかった。娘の名前を知らない。その事実はなぜかイーグルを落ち着かなくさせた。無我夢中で口を開いたが、その口が何か言葉を紡ぐことに成功したのか、あるいは何も言わなかったのかさえわからなかった。
「だいじょうぶよ」
 ただ、娘が紡いだ言葉だけははっきりしていた。イーグルの心情とは裏腹に、彼女の声はとても落ち着いていた。
「また、会えるわ」
 顔を見ようにも、辛うじてその足元しか視界に映らない。娘の足元に違和感を覚えたが、その違和感の正体に気づく前に、イーグルの意識は瞼の重さに負けていた。

***

 視界が明るくなったのを、また感じた。反射的に深く息を吸い込むと、いつものセフィーロの空気が肺を満たした。再び瞼を開けようと試みる。けれど今度は先ほどのようにうまくはできなかった。うまく、どころかまったくできなかった。瞼の上下が接着剤でくっつけられているかのように重い。それはいつもの感覚だった。夢から醒めたのだと、そのときようやく理解した。
 肺に溜めた息を、時間をかけてすべて吐き出す。確かに眠ったのだろう、気持ちはしっかりしていたが、たとえようのない疲労感を覚えていた。

『そう呼ぶ人もいるわ』
 娘のあの流れる水のような声が、耳の奥で木霊した。その一瞬、イーグルは無意識のうちに息を止めていた。
 あの娘はいったい誰なのか、そして彼女の言った「夢と呼ぶ人もいる」とはどういう意味だったのか。わからないことの多い夢だった。けれどひとつだけ確かなことがある。あの夢はただの夢ではないということだ。
 美しい女(ひと)だった。彼女はあそこで何をしているのだろう。セフィーロの人間なのだろうか。なぜイーグルの名を知っていたのだろう。
 似た面影を持つ人ならば知っている。けれどあの娘がその人であることはあり得なかった。目も髪の色も違っていたし、第一その人は、もう何年も前にこの世を去ったのだ。
 わけもなく寒気を覚え、身震いした。きっといつになく冷え込んだ朝なのだと、自らに言い聞かせようとした。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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