蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 12. 玉虫色の心

長編 『蒼穹の果てに』

今日ここを発ってしまえば、きっとまた彼に何週間も会えなくなる。その事実は、海の心を容赦なく締めつけた。

本文は「続きを読む」からどうぞ。





 眠れなくて何度も寝返りを打っていたのが嘘のように、クレフと別れた後、海は朝まで一度も起きることなく泥のように眠った。目覚めはとても自然で、かつ心地よいものだった。けれど目覚めの瞬間を「心地よい」と感じるなんて、いつも目覚まし時計に強制的に起こされる東京では絶対にあり得ないことだった。
 セフィーロでは、窓から射し込んでくる朝日が目覚まし代わりだ。睡眠時間それ自体はあまり長くなかったのに、信じられないほど体がすっきりしている。本来あるべきまさに理想の目覚めだった。東京でもこんな風に自然と目を覚ますことができたらいいのに。ささやかで、けれどかないそうにもない願いはため息に乗って消えた。

 むくりと上体を起こし、そのまま大きく伸びをする。時計を見ると、朝食の時間まではまだ一時間以上の余裕があった。メニューを勝手に予想しながらふと隣のベッドに目を向けたとき、もっこりと盛り上がったそれの中に親友の姿がないことに気がついた。
 首を傾けて反対側のベッドも見る。そちらは布団が動かされた形跡さえなかった。最初に見たのは光の、そして今見ているのは風のベッドだ。光の場合は、海よりも先に起きて大方ランティスのところにでも行っているというオチだろうけれど、風の場合は、おそらくゆうべはこの部屋に戻ってこなかったのだろう。
 ともすれば深い水底へと沈んでいってしまいそうな思考を振り切るように息を吐き、勢いをつけてベッドから下りる。無造作に髪を束ねながら向かった洗面所でふと顔を上げると、備え付けてある大きな鏡に海自身が映り込んでいた。鏡の中の瞳がゆらゆらと揺れていることに気づき、思わず苦笑した。

 冷たい水で顔を洗うと、頭がすっきりと冴えわたるのを感じた。その冴えた頭をさらに爽快にさせようと、部屋へ戻って窓を目いっぱい開け放った。新鮮な朝の空気が惜しげもなく吹き込んでくる。燦々と降り注ぐ太陽の光はただ柔らかく、東京のそれのようにぎらぎらとはしていない。澄んだ真っ青な空に、有明の月がぼんやりと薄白く浮かんでいる。錦あやなす木々は朝露に濡れ、まるでモネが描く水彩画のような朝だった。
 それほどの天候にもかかわらず、海の心は晴れなかった。理由はいろいろあるけれど、一番は、この空との別れがあと数時間後に迫っているということに対する淋しさだった。
 今生の別れになるわけではないことはわかっている。けれど会えないなら会えないで、いっそのことはっきりとした別れがあればいいのにと思ってしまう。いつもうやむやなままで別れるから辛いのだ。もしも「次は何月何日何曜日に」と約束することができていたら、次への期待感が別れの淋しさを中和させてくれもするだろう。けれど海たちがセフィーロを離れるときはいつも淋しさと不安しかない。最後は誰もが「またね」と言うけれど、その「また」がいつ来るのか、そもそも本当に来るのかさえわからないのだ。

「あなたらしくないわよ、海」
 言って、海は自分の頬を両手でパンパンと叩いた。こんなネガティブ思考のループに陥るなんて、本当に私らしくない。それに、これまで一度として別れた後の再会が果たされなかったことはなかった。もしかしたらまた何か月も空いてしまうかもしれないけれど、きっとまた来られる。約束はできなくても信じることはできるだろう。たくさんの人が信じたら、それはきっと現実になる。何と言ってもこのセフィーロは、「信じる心が力になる」世界なのだから。
 海は髪を束ねていたゴムを解いた。服に着替え、靴を履くと、窓は開け放したままで部屋をあとにした。

***

 朝食の前にイーグルの部屋へ立ち寄ることにした。扉からではなく、天気のいい日はいつも解放されている窓の方から訪れるのが海の定番コースだった。ちらりと部屋の中を覗いてイーグルが眠っていることを確認すると、海は足音を殺して抜き足差し足で階段を上った。風が海の髪をさらう。イーグルの寝顔が少しずつはっきり見えるようになってくる。
『おはようございます、ウミ』
 けれどイーグルは寝ていなかった。海がそばにたどり着く直前、まるで狙ったかのようなタイミングで海の『心』にそんな声を響かせてきたのだった。
「ばれてたのね」
 海はため息交じりに苦笑した。
 イーグルは、はっきり言ってかなり鋭い。本当は目が見えているのに見えないふりをしているんじゃないかと思うほど、周囲の状況に敏感だ。今だって、海としてはかなり慎重に歩いてきたつもりだったのに、そんな海の努力を鼻で笑うかのようにイーグルはいとも簡単に海の存在を言い当てた。――そう、「海の」存在を言い当てたのだ。誰かがそばにいるということに気づくだけでもすごいのに、イーグルは具体的に誰がいるのかまでわかっている。これって実は結構すごいことなんじゃないかといつも思う。

 イーグルを驚かせるという作戦は見事失敗に終わった。もはや足音に気を遣う必要もない。海は普通に歩いてベッドのところへ向かい、脇にある椅子に腰を下ろした。
「気分はどう?」
『とてもいいですよ。その証拠に、ほら』
 最初はその「ほら」が何を指しているのかわからなかった。けれど直後、視界の中で何かが動いた。海は思わず「えっ」と声を上げた。動いていたのはイーグルの腕だった。
 ひどく緩慢で、またぎこちなくもあったけれど、イーグルの腕は確かに動いていた。肘から下で10度ほどの傾斜を作っている。海にとっては、イーグルが自らの意志で体のどこかを動かしているのを見るのはこれが初めてのことだった。自然と笑顔がこぼれた。
「すごいわ。もう動かせるのね」
『まだまだ全快には程遠いですが』
「でも、着実に回復してきてるんだわ。最初は指先だって動かせなかったのに」
 本来ならば二年前、イーグルは永遠に醒めない眠りに就くはずだった。けれどすぐに意識は回復し、『心』に直接語りかけるという形で人々と意思の疎通を図ることもできるようになった。二年が経った今では、こうして体の一部を動かすことができるようになるまで回復している。
 すべての原動力となっているのは『心』の強さだ。人並み外れたその強さに心底感服する。早くイーグルと目を合わせて話がしたいと思った。

 再びゆっくりとベッドに下ろされた手に、海はそっと自らの手を重ねた。
「何か困ったことがあったら、いつでも言って。私にできることなら何でもするから」
『ありがとうございます、ウミ』
 こんな会話を、海はイーグルと会うときにはほぼ毎回交わしている。けれどイーグルが実際に何かを頼んでくることはほとんどなかった。せいぜい「ランティスと光がもっと仲良くなれるように後押しをしてほしい」とか「クレフにもう少しちゃんとした休息をとるように言ってほしい」などというようなことくらいで、およそ「頼みごと」とは呼べないことばかりだった。

『優しいですね、ウミは』
 不意に言われて、海は虚を突かれたように目を丸くした。直截な褒め方に反応して、顔の温度が否応なしに上がる。イーグルの穏やかな表情を見ていると、目が合っているわけでもないのにまるで染まった頬を見られているように感じて落ち着かなくなる。海は思わずイーグルの手を離し、顔も逸らした。
「そんなことないわよ」
『そんなことありますよ。あなたは導師クレフと似てますから』
「え?」
 思わず声が裏返った。それと同時に、どくんと鼓動が速くなる。そんなつもりはないのに、見開いた目でイーグルを凝視してしまう。どういうことかと問い詰めようとしたのだけれど、
「あれ、海ちゃん?」
 そのときちょうど外から声がした。振り返ると、光が階段を上ってイーグルの部屋へやってくるところだった。
 どうやら光も、海と同じように朝食の前にイーグルの顔を見ておきたかったらしい。光は後ろにランティスを従えていた。二人は一緒にいるだろうという自分の憶測が当たっていたことに対する満足感もあって、海はにっこりと笑った。
「おはよう、光。ランティス」
「おはよう、海ちゃん。早起きだね」
「光こそ」
「早く目が覚めちゃったんだ」
 そう言いながら駆け寄ってきた光は、ベッドに手をついてイーグルの顔を覗き込んだ。
「イーグル、起きてる?」
 一歩離れたところでランティスが立ち止まる。彼も昔は真っ黒い鎧に身を包んでいたので相当迫力があったけれど、今では白い装束を着ていることが多いのでかなり丸くなったように思う。もちろん、着ているものだけが理由ではないのだろうけれど。
『起きてますよ』とイーグルは答えた。『あ、もちろん「心は」という意味ですが』
 海は光とそろって笑った。
 それからは、四人で――というより、ほとんどはランティスを除く三人で――他愛もないお喋りをした。ランティスはほとんど発言しなかった。ときどき光から急に水を向けられると、たじろぎながら片言の返事を返していた。その様子がどこか子どもっぽく見えて、そのたびに、海はイーグルと二人でこっそり笑った。

『あなたは導師クレフと似てますから』
 そうして話しているあいだも、イーグルに言われたことがずっと頭の片隅にぶら下がっていた。あれはどういう意味だったんだろう。クレフに似たところがあるなんて、海自身は一度も思ったことがなかった。
 イーグルを問い直したい気持ちは山々だったけれど、光たちがいる手前なんとなくできなかった。それに、仮に光たちが今すぐこの場を離れたとしてもこの話題は結局うやむやになる気がした。たぶん、私がそうしたがっているのだと思う。クレフが関わってくることについて、冷静さを保ったまま話をすることができる自信がまったくなかった。
 クレフのことを想うといつも胸が苦しくなる。ほかの人の口から彼の名前を聞くだけでもそうだ。
 今日ここを発ってしまえば、きっとまた彼に何週間も会えなくなる。その事実は、海の心を容赦なく締めつけた。何よりも淋しいのは、たぶん、そのことだった。

 ふと会話が途切れた一瞬、そこに割り込むように「きゅるる」と音がした。海は目を丸くして光を振りかぶった。ランティスもさすがに驚いた顔をしている。咄嗟に自らのお腹を押さえた光は、俯き、頬を真っ赤に染め上げた。最初に吹き出したのはイーグルだった。それから海も、そしてランティスでさえも笑った。
「ごめん」
 光は今にも消え入りそうな声で言った。海は「いいのよ」と笑いながら光の肩をポンと叩き、立ち上がった。
「私もお腹空いちゃった。行きましょう。そろそろ朝ご飯も用意されてるころだわ」
 気がつけば、海がイーグルの部屋へ来てからもう30分以上が経っていた。イーグルに暇を告げ、海たちは中庭へと急いだ。

***

 海たちが中庭に着くと、すでにほとんど全員が集まっていた。
 ノアを抱いたカルディナは、何やらアスコットにちょっかいを出しているようだった。その様子をラファーガがほほ笑ましそうに眺めている。プレセアはジェオと隣り合って座り、談笑していた。珍しくジェオはザズと一緒ではないのだと思いかけて、そういえばザズは一人で先にオートザムへ帰ったと聞いていたことを思い出した。
 海の目は、最後に風とフェリオのところでぴたりと止まった。二人はいつものように仲睦まじく語り合っている。それはよく見る光景のはずなのに、海にはなぜか、今日の二人はいつもとはまるで違うように見えた。風の頬に、うっすらとながら赤みが差している。その赤みが何を示すのか、彼女は結局どのような結論にたどり着いたのか、今すぐ風をここから連れ出して問い質したい気持ちだった。その衝動を抑え込むのは想像以上に難しいことだった。

 けれど問い質したい以上に伝えたいことがあった。「焦る必要はない、急いで答えを出そうとしなくていい」。ゆうべクレフが言ってくれた受け売りだけれど、風に伝えたかった。今の風は生き急いでいるように見える。そんな状態で出す結論が最善策だとはとても思えない。どのような結論にたどり着くのだとしても、問題が問題だけにもっと時間をかけて考えるべきことだ。これは風一人の問題ではないのだから。海や光、そしてセフィーロの人たちの問題でもあるのだから。

「海ちゃん?」
 光の声ではっとわれに返る。どうやらむつかしい顔をしていたらしい。振り向きざまに「なんでもないの」と答えようとしたけれど、そのとき突然目の前に大きな影ができて、覚えず言葉を止めた。
「ランティス」
 その影が低い声で言葉を紡いだ。思わず海がヒッと上ずった悲鳴を上げてしまうほどの迫力がある声だった。一歩引き、恐る恐る見上げる。するとそこに立っていたのは、つい今しがたまで穏やかな表情でわが子を見守っていたはずのラファーガだった。あの優しげな顔が嘘のように、今はその眉間に数えきれないほどの皺を刻んでいた。
「なんだ」
 応じたランティスの声も、ラファーガのそれに負けず劣らず低い声だった。

「ラファーガはな、ランティスとあんまり馬が合わんらしいねん」。ずっと前にカルディナが言っていた言葉を、このとき急に思い出した。海は無意識のうちに光に寄っていた。大の男二人がいがみ合うさまには、必要以上の凄味があった。
「怠慢が過ぎるのではないか」
「何のことだ」
「とぼけるな」とラファーガは声を荒げた。「かつては親衛隊長だった身だろう。それが今では、朝から晩まで暇さえあれば昼寝ばかり。あまつさえ、昨日はおまえを頼った隊員を足蹴にしたそうではないか」
 詰問に、けれどランティスは答えず、それどころか臆することなくじっとラファーガの瞳を見つめ返している。表情は険しいけれど、怒っているのか楽しんでいるのかよくわからなかった。
「違うんだ、ラファーガ」
 口下手なランティスに代わって、光が釈明に乗り出した。
「ランティスは、私と一緒にセフィーロを見て廻るために仕事を途中で切り上げてくれたんだ。だから悪いのはランティスじゃなくて――」
「ヒカルは関係ない」
 ラファーガのその一言で、せっかく二人の仲を取り持とうとした光の健気な努力も水の泡と化した。ラファーガは光のことなど眼中にないようで、その双眸はランティスだけを捉えている。
 あーあ、始まった。遠くでカルディナが言った。その腕の中でノアが泣き出した。

「セフィーロはまだ、完全に平和というわけではない」
 押し殺した声で、ラファーガは言った。
「残された力ある者たちが注意深く見守っていかなければならないのだぞ。そんなときに、この国唯一の魔法剣士ともあろう者が昼寝ばかりしているようでは、民に示しがつかぬだろう」
「おまえに指図される謂れはない」
 黙秘を貫いていたランティスが、ついに口を開いた。けれどそれは何の解決の糸口にもならず、それどころか二人のあいだに流れる空気の悪さを決定づけた。ラファーガのこめかみがひくつく。ノアの泣き声が大きくなる。勘弁して、と海は天を仰いだ。このセフィーロで一、二を争う剣豪の二人が戦うところなんて、見たくない。
「貴様――」
 堪忍袋の緒が切れたのだろう、ラファーガがついに身を乗り出した。

 海は取っ組み合いの喧嘩を覚悟した。けれどラファーガがランティスの胸倉をつかむようなことにはならなかった。二人は今まさに四つの体勢を組まんとさえしていたのに、突然それぞれぱっと後ろに跳ねたのだ。え、と海が瞬いた、その直後のことだった。ラファーガとランティスのあいだ目がけてどこからともなく何かが飛んできた。
 地面に突き刺さったそれを、最初は短剣か何かだと思った。けれどそうではなかった。美しい金色の輝きを放つそれは、剣と言うには細すぎるし美しすぎる。まるで宝飾品の一部のようだと思った海は、そのときはっと息を呑んだ。その物体に見覚えがあることに気づいたのだ。けれどそれはあまりにも思いがけないものだった。

 本当に「それ」なのか確かめようと、海は手を伸ばしかけた。けれど海の手が届くより先にそれはひとりでに地面から抜け、まるでテープを巻き戻すように、飛んできた方へと舞い戻った。
「そこまでだ」
 刹那、背後で凛とした声が響いた。振り返ると、いつからそこにいたのか一歩離れたところにクレフが立っていた。クレフは先ほど地面からひとりでに抜けていったそれをまさにぱしっと受け止めたところだった。クレフはそれを、額のサークレットの端に留めた。
 やっぱりそれだったの? 海は軽くショックを受けた。ランティスとラファーガのあいだ目がけて飛んできたものは、いつもクレフの顔の横にぶら下がっている、あの黄金の装飾だった。

「導師クレフ」
 戸惑い気味にラファーガがクレフの名を呼んだ。
 歩み寄ってきたクレフは、直前の鋭い声とは裏腹に柔らかくほほ笑み、ラファーガとランティスとを見比べた。
「二人とも、それ以上続けるというのなら、まずは私が相手だ」
 二人とも目を丸くした。先に表情を変えたのはランティスだった。ランティスはその目に宿していた鋭い光を大人しく収めると、クレフに向かって項垂れるように頭を下げた。片やラファーガはといえば、最初こそ呆気に取られたようにぽかんとしていたけれど、やがてはっとわれに返って表情を引き締め、その場で慌てて跪いた。
「申し訳ありません、導師クレフ」
 このセフィーロで随一と謡われる剣豪二人でも、さすがにクレフを相手に戦うなどという無謀なことはしたくないのだろう。それにしても、二人の言い合いの幕引きはあまりにも唐突であっけなかった。あまりの急展開に、海は内心拍子抜けしていた。
「もう!」
 ふとカルディナが駆け寄ってきて、ラファーガの肩を思いっきり叩いた。
「そうやってランティスに突っかかるの、いい加減やめなて、いつも言っとるやろ」
 口を尖らせたカルディナに向かって、ラファーガは困ったように笑った。ランティスも肩で息をつく。場の雰囲気が一気に柔らかくなった。海は光と顔を見合わせ、互いに肩を竦めた。

「朝食にしよう」
 クレフの一言で、皆がそれぞれ、あらかじめ並んでいた椅子に向かう。クレフは途中で席が足りないことに気づいたようで、立ち止まり、軽く杖を振るった。そうすると椅子がもう何脚か出現した。満足そうにほほ笑んで皆のところへ向かうクレフを、海は慌てて追いかけた。
「ねえ。それって、そんな風に使うものなの?」
 訊ねると、クレフはきょとんとしてこちらを見上げてきた。それ、と海はクレフのサークレットにぶら下がる飾りを指差した。ああ、とクレフは表情を砕いた。
「そんなはずはあるまい。先ほどは、やむなくああして使っただけだ。ほかに適当なものがなくてな」
「そうよね」と海は苦笑した。
 クレフは魔導師なはずなのに、先ほどその飾りを器用に扱っているところを見たせいか、彼が杖ではなく剣を握っているところが容易に想像できてしまいそうで少し怖かった。はっきりとクレフが否定してくれたことが、わけもなく海を安堵させた。


 流れのまま、海はクレフの隣に腰を落ち着けることになった。さあ食事だ、となったそのときだった。なんとなく視線を感じるような気がして、海は顔を上げた。見るとはなしに城の方を見る。すると回廊に並ぶ柱の影にひとりの女の子の姿があった。
 五歳くらいだろうか、強く握ったら折れてしまいそうなか細い手を柱に添え、女の子は覗くようにこちらを見ていた。
 腰までの長さがあるペールグリーンの髪が、風に吹かれて柔らかく舞う。淋しげなラベンダー色の瞳になぜか胸をつかまれ、海はその子から目を離せなくなった。
 見たことのない子だった。第一、セフィーロ城広しといえどもこのあたりまで来られるのはごく一部の人間に限られているはずだ。城の中を探検しているあいだに迷い込んでしまったのだろうか。どうしたの、と口を開こうとしたとき、不意に女の子と目が合った。すると女の子は突然はっと目を見開き、怯えたように柱を離れた。あっ、と思ったときにはすでに女の子の姿は見えなくなっていた。

「どうした、ウミ」
 クレフに呼ばれて、はっと彼を振りかぶった。
「クレフ、今……」
 あそこに女の子が、と言いかけて口を噤んだ。もう一度振り返ると、柱のところには誰の影もなかった。あまりにも風景に動きがないので、本当にそこに女の子がいたのかどうか、海は急に自信を失くした。見間違いだったのかもしれない。そもそも迷い込むと言っても、たしかこのあたりにはクレフの結界が張ってあるからそう簡単には入ってこられないはずだ。
「なんでもないわ」
 城から視線を外し、海は言った。クレフは狐に抓まれたような顔をしたけれど、海は黙ってほほ笑み、カトラリーを手に取った。
「おいしい」
 今朝のメニューはパンにオムレツ、野菜のバーニャカウダだった。フレンチトーストが食べたい気分だったのだけれど、残念ながら予想とは外れてしまった。けれどどれもいい味付けがされていて、これはこれでおいしい。ママの作る朝食といい勝負かもしれない、なんて思いながら、海は並べられたものを次から次へと頬張った。自覚していた以上に空腹だったようで、薄味の食事はどれも体の末端にまで沁みた。視界の隅でクレフを確かに捉えながら、心に浮かぶ甘酸っぱい気持ちを、カフェオレと一緒に飲み干した。




web拍手 by FC2

コメント

コメントを投稿


管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック

TB*URL

PrevEntry |  to Blog Top  | NextEntry
What's new?
ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

▶ 連作短編集を始めました。クレ海学生パラレルです。今後年中行事に合わせて不定期更新の予定です。詳しくはこちらからどうぞ。

▶ こちらは作品展示専用です。コメントへのお返事は別ブログにて行っております。
カテゴリー
最新記事
月別アーカイブ
全記事表示
Counter
プロフィール

篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

このブログは作品展示専用です。
いただいたコメントへのお返事は別ブログにて行っております。
どうぞお気軽にコメントお寄せくださいませ^^

 

Copyright ©蒼穹楼. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha. Photo by sozai-free 2000px.