蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 13. ストレイシープ

長編 『蒼穹の果てに』

答えなんて、本当は決まっている。誰にもわかってもらえなくても、たとえ誰かを傷つけることになったとしても、失えないものがある。

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 朝を迎えてからというもの、フェリオは言葉少なだった。
 目を覚ましたとき、風は広いベッドを独り占めにしていた。いつの間に眠ったのだろうと思いながら、腕が無意識のうちにフェリオを探していた。フェリオが寝ていたと思われるところはすっかり冷えていた。
 体を起こしたときに感じた鈍痛は一生忘れないだろうと思った。それは甘美な痛みだった。その痛みを確かめるように下腹部をさすりながら、フェリオの気配を追いかける。彼はひとりでバルコニーにいた。物思いに耽っている様子だった。
 近づいていってそっと覗き込むと、フェリオは思いの外憂いに満ちた表情をしていた。訳もなく不安を覚えたけれど、振り向いたフェリオが照れくさそうな笑みを浮かべてくれたことでほっとすることができた。それ以降、フェリオの表情はずっと穏やかなままで保たれている。けれど口数は、いつもより明らかに少なかった。

 つかの間の逢瀬が終わろうとしている。皆で囲んだ朝食を終えると、風の心を淋しさが押し潰した。次はいったいいつこの世界へやってくることができるのだろう。フェリオに触れられたところすべてが、まだ脈打つように昂っている。この温もりが消えてしまう前に、また会いにくることができるのだろうか。風は答えを知らなかった。
 いくら東京を捨ててセフィーロで暮らしたいと思っていると言ったって、東京へ帰らないというわけにはいかない。二つの世界をつなぐ『道』は光、海、風の三人がそろわなければ開かれず、風一人がこちらの世界に残って残りの二人は東京へ帰るということはできないからだ。もしも風がセフィーロに留まることを選ぶとしたら、二人の親友をも巻き込んでしまうことになる。けれど光と海にまで東京を捨てることを強制したくはなかった。
 まさに八方塞がり、出口のない迷路に迷い込んだかのような心境だった。セフィーロで暮らしたいと強く願う気持ちがあるのに、その願いをかなえるためにはたくさんの人を傷つけなければならない。誰もが幸せになれる道なんて、所詮理想でしかないのだろうか。


 沈んだ風の心を感じ取ったのか、フェリオは朝食が終わると皆で囲んでいた席から風を連れ出した。不思議そうな顔ひとつする者もなく、皆「二人の時間を楽しんでおいで」とでも言わんばかりに快く見送ってくれた。ただ、最後に視界の隅を掠めた海の表情だけはいつもと違っていた。何か言いたそうに開いた口を、けれどぎゅっと噤んだ海の表情に差した影が、彼女に背を向けてからも風の心に燻っていた。

 フェリオは風を先導してただひたすらに歩き続けた。終始無言だった。どこへ行くつもりなのかも話さない。つないだ手が汗ばんできても、フェリオは握り直そうともしなかった。
 風には二人をつなぐ沈黙を破る勇気も手を解く勇気もなかった。転ばないようにだけ注意して、フェリオのあとをついていく。風にとっては早歩きをしなければならないほどの速度でフェリオが進むので、ようやく立ち止まるころには息がすっかり上がっていた。足が止まると同時に、つながれていた手が自然と離れていった。
 風はフェリオの一歩後ろに立ち、辺りを見回した。そこはどうやら『精霊の森』の最先端のようだった。見渡す限りまさに絶景が広がっている。セフィーロでもっとも背の高い建物は当然セフィーロ城だけれど、この場所はそのセフィーロ城の最上階に匹敵するほどの高さがあるように思えた。セフィーロ全体を俯瞰することができる場所というのはそうそうない。どこまでも広がる水平線に、われ知らず笑顔になった。

「不思議だよな」
 風と同じように周囲の景色に目を細めながら、フェリオが言った。横顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。背が伸びたな、と不意に思った。もともとは風と同じくらいの背丈だったはずなのに、今フェリオの横顔を見るためにはほんの少しだけれど目線を上にしなければならない。
「何もかも一度は消滅したのに、この『精霊の森』は昔と同じままに蘇ったんだ」
 風は後ろを振り返った。青々とした木々が広がるこの森は、蘇ってからも再び『精霊の森』と名付けられた。そういう場所はかなり多くある。『沈黙の森』もそうだ。けれどたとえ同じ名前を冠していても、かつての面影をそのまま継承しているとは限らない。そのような中にあって『精霊の森』は、唯一昔の姿を忠実に再現して蘇った場所と言われていた。
 『柱』がこの世界の中心だったとき、風も一度だけ当時の『精霊の森』に足を踏み入れたことがある。クレフが招喚したフューラに導かれて最初に降り立ったのがこの森だった。純粋に美しい森だなと思った。その後いろいろあったけれど、この森に足を踏み入れるといつも、あの初めて訪れたときに感じた気持ちを思い出す。幼かった当時の自分が脳裏を過ると、とてもくすぐったかった。

「姉上はよく、ここからこうしてセフィーロの景色を眺めておられた」
 突然フェリオが紡いだ「姉」という言葉に、風は無視できない胸の痛みを覚えた。前を向いたままのフェリオは、風が咄嗟に胸元をつかんだことにも気づいていないだろう。けれどどこか意図的に気づかないふりをしているようにも見えた。
「フウ」
 フェリオの声はとても固かった。それに影響されて、「はい」と答えた風の声までも掠れた。
「ほんとうのこと、言ってもいいか」
 胸がざわついた。フェリオはこちらを見ない。それでも風が神妙にうなずくとフェリオは表情を硬くした。フェリオの拳に白い筋が浮かんでいる。風はその手を包み込みたい衝動に駆られた。包み込み、かぶりを振り、「何も言うな」と言ってしまいたい。けれどそれは逃げでしかなかった。「ほんとうのこと」を聞くのが怖いだけだ。けれど逃げてはいけない。聞かなければならない。風はごくりと唾を呑み、フェリオの言葉を待った。

「俺は、おまえが思うほどできた男じゃないんだ」
 フェリオは言った。まるで自分自身に言い聞かせるような口調だった。
「ずっと、姉上の栄光に縋って生きてきた。『王子』なんて名ばかりで、今でも施政は導師クレフに任せっぱなしだ。長い修行で剣術を磨いたとは言っても、俺はラファーガにもランティスにも勝てない。かといって魔法が使えるわけでもない。正直言って、俺は『王子』という肩書以外には何も持ってない」
「そんなことは」
「それでもいいと思ってたんだ」
 口を挟みかけた風を、フェリオは否応なしに遮った。
「それでもいいと思ってた」とフェリオはもう一度、今度は声のトーンを落として言った。「姉上は天性の強い『心』の持ち主だったが、俺はそうじゃない。だから俺は、強くなるためには努力しなければならなかった。でも俺は腑抜けだから、努力するにも理由が要った。その理由は、俺にとってはずっと姉上だった。姉上を守れるほど強くなりたい。そう思っていた。でもその姉上もいなくなった。姉上がいなくなったということは、俺にとっては強くなる理由がなくなったということでもあったんだ。だから、姉上がいないならもう強くなる必要なんてないんじゃないかと思うようになった。王子だって、望んでやっているわけじゃない。施政に身が入らなかったのもそのためだ。逃げていたんだ、俺は。王子というだけでちやほやされて、でも実際には何をするわけでもない。そのことに居心地の良さを覚えてしまって、もうずっとこのままでいいとさえ思うようになっていた。……でも、それももう終わりだ」
 そこまで言って、フェリオはようやくこちらを振り向いた。真っすぐに見つめてくる双眸から目が離せない。自分は強くないとフェリオは言ったけれど、そんなことはないと風は思う。強くない人は、こんなにも鋭い目をしていない。

「フウ」とフェリオはかみしめるように言った。「俺は――」
「風ちゃん」
 そのとき、二人きりだった世界が急に消し飛んだ。風ははっとして振り返った。森の中からこちらへ向かって一人の少女が駆け寄ってくるのが見えた。光だった。
「こんなところにいたんだね。そろそろ帰らないと、遅くなっちゃうよ」
 短く息を切らしながら、光は屈託のない笑顔で言った。いつもは彼女のそんな笑顔を見ると自然と頬が緩むのに、今日はどうしても笑えなかった。風は無言のまま、縋るようにフェリオを見た。するとフェリオは、ずっと張り詰めていた気配を緩めるようにほろ苦く笑った。静かにかぶりを振るその表情は、何かを諦めたようにも見えた。
「ごめん。私、タイミング悪かったかな」
 光が遠慮がちに言った。それに答えたのはフェリオだった。
「いや、いいんだ。急ぐ話じゃない。また今度にしよう」
 行こう。そう言って、フェリオは一人さっさと歩き出した。その背中を呼び止めることもできず、風は光に促されるまま元来た道を戻り出した。心に靄がかかったように、居心地が悪かった。

***

 中庭へ戻ると、風たちが中座するのを見送ってくれたメンバーがそっくりそのまま残っていた。その中からすっと一歩歩み出てきたのはジェオだった。彼は手にしていたコピー用紙の束を差し出した。それは昨日、中身についてもう少しイーグルと話がしたいと申し出たジェオに風が預けていたものだった。
「助かったよ、お嬢ちゃん。いつもありがとな」
 風はふるふるとかぶりを振った。
「こんなことしかできなくて、すみません」
「何言ってんだよ。お嬢ちゃんがいなかったら、俺たちは今ごろ万事休すだぜ」
 ジェオの豪快な笑顔には、内心いつも救われている。礼を言って、風は受け取ったコピー用紙を鞄にしまった。
「次までに、私ももう少し調べておきますわ」
 そのときには「お嬢ちゃん」という呼び方も変わっていることを期待したいところだけれど、きっとそれはないだろう。

「それじゃあ、行きましょうか」
 海が言った。光がうなずく。光はポニーテールを揺らして振り向き、ランティスに向かって「またね」と言った。それを受けたランティスは、ほかの人には絶対に向けないような笑顔で「ああ」と答えた。
「またね、ウミ」と今度はアスコットが言った。
「次はプリンを作ってくるわね」
 そう言った海は、ふと思い出したようにジェオを見て「あなたのケーキもたまにはごちそうしてよ」といたずらっぽく続けた。ジェオは首を竦めた。海の視線が、ジェオの隣にいたクレフを捉える。ほんの一瞬だったけれど、海はすっと目を細めた。

 それからやにわにこちらを向いた海は、風と光の手を取った。はっとして、風はほとんど反射的にもう一方の手を光とつないだ。二人の親友はそこで一度風を見て、「だいじょうぶ?」と目だけで訊いてきた。昨日東京タワーで二人と話をしたことを思い出した。なんだかもう何日も前のことのような気がした。
 だいじょうぶかだいじょうぶでないかと訊かれたら、どちらかと言えばだいじょうぶじゃない。フェリオに気持ちを打ち明けることはできたけれど、ではこれからどうするのかという話はできずじまいだった。本当はもう少し長くこちらの世界にいたい。けれどそれでは光と海に迷惑をかけることになる。たとえ二人が赦してくれても、それは風自身が赦せなかった。だから風は二人に向かってほほ笑み、小さくうなずいた。二人はほっとしたように表情を緩めた。これでいいのだ、と風は思った。

 風はちらりと顔を上げ、中庭に戻ってきてから初めてフェリオを視界に捉えた。目が合うと、フェリオは一瞬虚を突かれたようにたじろいだ。けれどすぐにほほ笑み、胸元で小さく手を振った。
 その笑顔が、けれど風には痛かった。笑い返すことができず、振り切るように逸らした目をそのまま瞑った。
 東京になんか帰りたくない。心がはち切れんばかりにそう叫んでいる。けれど帰らなければならない。そうしなければ大切な人たちを困らせることになる。
 強制的に意識を集中させれば、どこからともなくつむじ風が吹いてくるのを感じた。いつもと同じだ。この風が止めば、私は東京タワーに立っている。何も考えなくていい。ただ風に身を任せていればいい。
 けれどそう思えば思うほど、心の中から抑えきれない疑問がいくつも湧き上がってきた。私は何のために帰るの? 身を引き裂かれるような想いを抱いてまで、どうしてセフィーロを離れなければならないの? 本当は、離れたくなんかないのに。

『その「願い」、かなえてやらないこともない』
 突然聞こえてきた声に、風は反射的に開眼した。
「え?」
 そして息を呑んだ。風はまったく見覚えのない景色が広がるところに立っていた。
「景色」と呼ぶことさえ憚られるほどだった。四方八方には闇が広がるばかりで、空間を照らすものといえば、ところどころに散らばる星のような明かりだけだ。まるで宇宙空間を漂っているかのようだった。
 はっとして風は光と海の姿を探した。けれど両手は何ともつながっておらず、周囲には誰の姿もなかった。風は文字どおり一人だった。けれど不思議と孤独は感じなかった。

『わたしの力をもってすれば、おまえを永遠にこの地に留めてやることくらい、造作もない』
 先ほどと同じ声がまた聞こえた。男のようでも女のようでもある、不思議な色の声だった。辺りを見回したけれど、声の主と思しき人の姿はどこにも見当たらなかった。そもそもその声がどこから発せられているのかさえ、よくわからなかった。
「どなたですの?」
 恐る恐る、風は言った。
『取引をしないか』
 けれど声の主は、風の問いかけはきれいに無視してそう言った。
「取引?」
『そうだ』と声の主は言った。『おまえの「願い」はわたしがかなえる。ただし、わたしはそれにふさわしい対価をもらう』
「……対価、とは?」
 訝ったように言いながら、心は声の主の提案に引き込まれていた。その事実に、風の背筋が粟立った。
 声の主は不敵に笑った。そして喜びを押し殺したような掠れ声でその「対価」を口にした。風は瞠目した。その対価をどのようにして与えたらいいのか、風には皆目見当がつかなかったのだ。

 風は一度深呼吸をした。冷静にならなければと思った。確かに心は揺らいでいるけれど、こんな怪しげな「取引」、応じる方がどうかしている。ここは首を横に振って当然だ。そうすれば、このような闇の世界には別れを告げて東京にたどり着くことができるだろう。
 頭ではわかっているのに、けれど風はどうしても首を動かすことができなかった。その事実は風を打ちのめした。自らの弱さを目の当たりにしているかのようだった。今ここに広がってる闇は自分の心の闇そのものなのかもしれないとさえ思った。
『迷うほどの「願い」ならば捨ててしまえ』
 怯んだ風に追い打ちをかけるように、声の主は言った。風ははっとして、いつの間にか俯かせていた顔を上げた。
『そんなものは、「願い」でもなんでもない。口ではどれほど「揺るぎない」と言っても、迷うような「願い」は偽りだ』
 このとき、風は悟った。この声の主は風の『願い』が何なのかを知っているのだと。
『偽善の皮は剥がせ。おまえの真の望みはなんだ』

 幼いころから常に周囲の顔色を窺うようにして生きてきた。名家に生まれ、一流のものを嗜み、一流の教育を受けてきた。親が敷いたレールの上を歩くことを、おかしいともなんとも思わなかった。それが幸せになれる道だと信じていた。けれどその考えが変わってきていることに、風はとっくの昔から気づいていた。
 敷かれたレールの上を歩くことは簡単だ。簡単だし、その先には平凡かもしれないけれど間違いのない幸せが待っている。けれど今、風はそのレールからはみ出そうとしている。その先に待っているのは決して幸せだけではないかもしれないとわかっても、それでも心ははみ出すことを望んでいる。
 迷っていたのは自信がなかったからだ。自分の『願い』が誰かを傷つけてしまったとき、その傷まで背負って生きていくだけの強さがあるか自信が持てなかった。だからその『願い』は封じようと思った。でも、本当にそれでいいのならそもそも迷うことなどなかったはずだ。
 答えなんて、本当は決まっている。誰にもわかってもらえなくても、たとえ誰かを傷つけることになったとしても、失えないものがある。

 もう迷わない。風は顔を上げた。
「わかりました」と風は言った。「その取引、応じます」
 刹那、風が鳴るような音が周囲に満ちた。けれど風などどこにも吹いていなかった。
『忘れるな。おまえが果たすべき対価を』
 そう言った声が聞こえた直後、風の視界はまばゆいばかりの光に覆われた。目を開けていられず、咄嗟に腕で顔を覆った。体がねじられるような強烈な力を感じたけれど、抗うすべも、そうするつもりもなかった。

***

 闇の底から意識が浮上する。両手が誰かとつながっている感触がある。つま先が地面を捉えた。土の上のように柔らかかった。風はそっと瞼を開いた。
 ああ、と風は思った。「土の上のよう」ではなく、降り立ったのはまさに土の上だった。別れを告げたはずの、セフィーロの土の上だった。
 しばらくは誰もが無言だった。風と手をつないだ二人はまだ状況が呑み込めていないようで、忙しない瞬きを繰り返すばかりだった。
「どうしたの、あなたたち」
 最初に聞こえた声は、驚いているせいか硬かった。素直にそちらに目を向ける。そこに並んだ人々は一様に目を見開き、絶句していた。一番驚いているように見えたのはフェリオだった。風は彼に向かってほほ笑んだ。けれどフェリオは目を見開いたまま、怯えたように口を噤んだ。
 迷わない、決して。そう誓ったはずなのに、胸が痛んだ。




第一章 完




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篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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