蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 14. 対価

長編 『蒼穹の果てに』

その顔を見て、海ははっとした。そのときの風は、まるで後ろについてくるものすべてを放り出したようなすがすがしい顔をしていたのだった。

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 何がなんだか、最初はさっぱりわからなかった。混乱していたので、もしかしたらセフィーロの人たちまで一緒に東京へやってきてしまったのではないかという突拍子もないことまで脳裏を過った。けれどそうではないと気づくのにそう長い時間は要らなかった。皆が東京へ来たのではなく、自分たちがセフィーロに留まったのだ。
 その結論にたどり着いたとき、海は思わず風を見ていた。そして、その自分の何気ない行動にたとえようのない怒りを覚えた。彼女のせいじゃない、風は悪くなんかない。けれどすぐに、そう言い切ることもできなくなってしまった。風はまるで自らの非を認めるように俯き、固く唇をかんだのだった。

***

「すみません」
 部屋へ戻ると、風は開口一番そう言って項垂れた。海は光と顔を見合わせた。何と言ったらいいかわからなかった。
 とりあえず、風を挟むようにして光と二人、ソファに腰を下ろす。少し考えてから、海は緩くかぶりを振った。
「謝らないで、風。私も光も、あなたを責めてなんかないから」
 風はますます深く俯くだけだった。
 けれど風は、どうやら自責の念だけを抱えているのではないようだった。俯いた風の横顔には、憂いと同時に強い決意も滲んでいた。彼女の気持ちを少し甘く見ていたかもしれないと、その表情を見て海は内心後悔した。東京へ帰ろうとして三人で手をつないだときに風が小さくうなずいたのは、きっと精いっぱいの強がりだったのだろう。そのことに、もっと早くに気がつくべきだった。
 自然と落ちた視線の先に、きらりと光るものが見えた。海が見ていることに気づいたのか、風は手首に輝くそのブレスレットを隠すようにさりげなくブラウスの袖を引いた。そのとき、部屋の扉が控えめにノックされた。

「どうぞ」と海は扉に向かって言った。
 一拍置いて扉が開く。現れたのはアスコットとフェリオだった。アスコットは両手いっぱいにブイテックを抱えていた。フェリオは手ぶらだった。
「ごめん。こんなことしか、思いつかなくて」
 そばまでやってくると、アスコットは抱えていたブイテックをローテーブルの上にある籠の中に入れた。甘酸っぱい香りが鼻を突く。たぶんアスコットは、海が前にブイテックを好きだと言ったことを覚えていて、少しでも気を紛らわすことができるようにと急いで取ってきてくれたのだろう。その気遣いだけでも嬉しかった。海はほほ笑んだ。
 アスコットはそのまま、ローテーブルを挟んだ向かい側の丸椅子に腰を下ろした。けれどフェリオは扉のすぐ脇の椅子で胡坐をかいた。まるで見えないバリアが張られているかのように、フェリオはそれ以上こちらに近づいてこようとはしなかった。

「いったいどういうことなんだろうね」
 アスコットが遠慮がちに口を開いた。海はちらりと風と見てから再びアスコットに視線を戻し、おもねるように笑った。
「私たちにもわからないの。でもいずれにせよ、もうしばらくご厄介になるわ」
 おどけて言ったつもりだったのに、意図したほど声は明るくならなかった。現に誰も笑わなかった。
「その、フウが聞いたっていう『声』のことなんだけど――」
 アスコットの声に、再びノックの音が被さった。皆がそちらを見る。扉のもっとも近くにいたフェリオが、「どうする?」とこちらに向かって目だけで問うてきた。
「きっとプレセアだと思うわ」と海は言った。
 フェリオはうなずくと、立ち上がって扉を開けた。すると思ったとおり、扉の向こうにはプレセアが立っていた。彼女はフェリオとアスコットの姿を見止めると目を丸くした。そして気まずそうに、
「申し訳ありません、王子。お話の邪魔をしてしまいましたか?」
 と言った。
 プレセアは両手で大きめの盆を抱えていた。そこには湯気を立ち昇らせているお椀が三つ乗っていた。
「俺たちには構うな」とフェリオがあっさり言った。「それより、それ、薬湯だろ? 早くフウたちに渡してやってくれ」

 プレセアは律儀に一礼をしてから部屋の中へやってきた。アスコットがスペースを空けるために少し左側へ避ける。空いたところにすっと入ってきたプレセアは、三つのお椀をローテーブルの上に置いた。
「これを飲めば、きっと気分が落ち着くわ。導師クレフの特製よ」
 飲む前から香りを嗅いだだけで気持ちがふっと楽になるのを感じた。クレフが淹れる薬湯はいつもそうだ。そのとき必要としている効能をぴたりと与えてくれる。時には自分でさえ気づかないような体の不調に気づかせてくれることもあった。
 落ち着く反面、海は胸を鷲づかみにされるような切なさも覚えた。ほかの二人のようにお椀に手を伸ばすことはせず、海は真っすぐにプレセアを見た。
「クレフは?」
 プレセアが海を見返す。空になった盆を手に、彼女はアスコットと並ぶようにして空いていた丸椅子に腰掛けた。そして盆を膝に置くと、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「お部屋で休まれているわ。今日はもう、外へは出られないと思う」
 そう、と海は視線を落としながら答えた。本当は誰よりもクレフと話がしたいのだけれど、たとえ訪ねて行っても今日はもう会ってくれないだろう。「あのとき」のクレフの態度は、海がそう考えるに至るにはじゅうぶんすぎるほど異常だった。

***

 東京タワーにしては床がやけに柔らかいなと思った。目を開けた海は、自分たちがまだセフィーロにいるということに実感を抱くことができず、しばらくきょろきょろと辺りを見回してしまった。挙句の果てには「東京にもこんなに緑豊かな場所があっただろうか」なんて考え出す始末だった。
「どうしたの、あなたたち」
 ようやく地に足がついたと感じたのは、プレセアの声がしたときだった。はっとしてそちらに向けた目に飛び込んできた景色に、思わず絶句した。目を閉じる前と何も変わっていなかった。別れの挨拶をしたばかりのはずの人たちがそこにいて、広がる情景はセフィーロそのものだった。夢かと思い、何度も瞬いた。けれどどれほど瞬きをしても目の前の光景が変わることはなかった。

「何があった?」
 さすがのクレフも驚きを隠せない様子だった。それでも、すいと一歩前へ出てきた彼は比較的冷静な瞳を海たちに向けた。海が思わず風を見てしまったのは、そのときだった。ぶわっと闇が弾けるように、とある可能性が脳裏を掠めた。けれどそれはあまりにも短絡的な考えだった。海はすぐに思考を振り切り、光、風とつないでいた手を解いてクレフを見た。
「わからないわ。いつもと同じようにやったはずなのに、気がついたらここにいて――」
「取引をしました」
 けれど海の言葉はあっけなく遮られた。弓矢の如く放たれた一言はあまりにも唐突だった。海はぎょっとして風を振りかぶった。海のみならず誰もがそうした。風はクレフの足元のあたりを見ていた。私たちを拒絶している――海は咄嗟にそう感じた。
「取引?」
 クレフが眉間に皺を寄せて訊いた。声色が緊張を孕んでいる。「はい」と風はうなずいた。そしてようやく顔を上げた。
 その顔を見て、海ははっとした。そのときの風は、まるで後ろについてくるものすべてを放り出したようなすがすがしい顔をしていたのだった。つい数分前までの彼女とはまるで別人だった。その急激な変化が、海にはから恐ろしくさえあった。
「目を閉じてすぐに、とある『声』が聞こえました。私だけに話しかけてきたようでした。その『声』の主は、『おまえの願いをかなえてやる。永遠にこの地に留まることができるようにしてやる』と言いました。けれど同時に、願いをかなえるためには対価を払うことが条件だとも言われました。私はその条件を呑み、取引に応じました。そして目を開けたら、セフィーロにいました」
 風は一息に言い切った。

 誰もが狐に抓まれたような顔をしていた。風の話は寝耳に水だった。おまけに彼女は名前のとおり風のように捲し立てたので、海の頭ではとても理解が追いつかなかった。ただ、残念ながらはっきりとわかってしまったことがあった。それは、風が「セフィーロに留まる」ことを心の底から願ったのだということだ。
「その『声』が、おまえたちをこの世界に引き留めた。そう言うのか」
 唯一沈着だったのはやはりクレフだった。彼は戸惑いながらも的確に問い返した。風はうなずいた。
「『おまえの願いをかなえることくらい、造作もない』。その方はそう言いました」
「造作もない?」
 海は思わず身を乗り出し、素っ頓狂な声を上げた。
 風の『願い』――つまり、この世界に留まりたいということ――をかなえるということは、三人の『意志』によって創られている二つの世界をつなぐ『道』を封じるということだ。創ることでさえ大変なのに、それを封じることが簡単であるはずがない。もしも簡単にできることだったとしたら、あの二年前の戦いのとき、セフィーロを目指して創られていた三本の『道』を力づくで封じることだってできたはずだ。でも誰もそんなことは考えなかった。なぜならそれが並大抵の力でできることではなかったからだ。
 けれど風に語りかけたという『声』の主は、それが「造作もない」ことだと言った。現に海たちはこうして東京へ帰ることができずにセフィーロに戻ってきてしまっている。もしも本当に声の主が『道』を封じたのだとしたら、その人物は相当な力の持ち主ということだ。けれどそんなに強い『力』を持っている人など、海たちは知らなかった。あるいは『柱』であればできるのかもしれないけれど――そこまで考えて、海ははっとした。
「ひょっとして」
 口を開いたのは光だった。
「新しい『柱』じゃないのか?」
 誰もがはっと息を呑んだ。
 破りたい沈黙が目の前にあっても、海はどうすることもできなかった。この空気を変える力が欲しいと心底思ったけれど、どうすればいいのか残念ながらまったくわからなかった。

「いや、それはない」
 その、破ることが不可能であるかに思われた沈黙は、けれどあっさり破られた。破ったのは、やはりと言うべきかクレフだった。
「ヒカルよりも強い『心』を持つ者の気配は、このセフィーロにはない。それに、この世界はもう『柱』制度には終焉を告げたのだ。新しい『柱』が生まれることはない。少なくとも、私が生きているあいだは、そんなことは断じて赦さぬ」
 力強い言葉だった。海の目にはクレフの背丈が急に伸びたように見えた。もちろんそんなことはなかったけれど、ただ、クレフの言葉がどんな魔法よりも強く皆を安心させたのは確かだった。

「しかし、ではいったい誰が」
 ランティスが言った。クレフは表情をますます険しくして風に向き直った。
「その『声』に、心当たりは?」
「ありません」と風はかぶりを振った。「男の方であったようにも、女の方であったようにも聞こえました」
「そうか」
 クレフはがっかりしたように視線を落とした。けれどその直後、クレフは急に肩を震わせた。そしていつになく顔面を蒼白させ、やにわに風の手首をつかんだ。風の喉が鳴った。悲鳴を飲み込んだような音がした。
「クレフさん?」
 風が恐る恐る、といったように呼びかける。クレフはしばらく何も言わず、ただじっと風の手元を見つめていた。「どうしたの」と言いかけて、海も驚いた。クレフがつかんだ風の手首には、見たことのないブレスレットがあった。
「風ちゃん、そんなのつけてたっけ?」
 光が不思議そうに言う。風は間髪容れずかぶりを振った。風自身も、そのとき初めてブレスレットの存在に気がついたようだった。
 海はじっとそのブレスレットを見た。地金は金で、幅五センチほどのそれは、風の腕にぴたりと密着しているように見えた。中央に緑色の大きな宝玉がある。その宝玉の中には何か模様が彫られているようだったけれど、海のところからはよく見えなかった。
「まったく気がつきませんでしたわ。いつの間に、こんなものが」
 風が言った。嘘をついているようには聞こえなかった。そもそも、これまですべてを正直に打ち明けてきた彼女がここにきて嘘をつく理由があるとは思えなかった。

 海の視線はクレフへと向かった。クレフは風の手首をつかんだまま、瞬きもせずに硬直している。まるでクレフの周りだけ、流れる時間の速さが変わってしまったかのようにも見えた。
 クレフは何も言わず、取り乱すこともしない。けれど彼が動揺していることは火を見るよりも明らかだった。その態度は海の不安を煽るにはじゅうぶんすぎた。いつも動じたことなどないクレフを、これほどまでにうろたえさせるもの。何かとんでもないものが待ち構えているように感じて、全身が粟立った。
 ふっと息をついたクレフが風の手首を解放したのは、それからすぐのことだった。クレフを取り巻く気配は、風の手首をつかむ前と後ではすっかり変わってしまっていた。その後クレフは、二言三言言葉を交わしただけでさっさとその場を離れていった。その背中がまるでこちらを拒んでいるように見えて、海は声をかけられなかった。

***

「『わたしの封印を解け』。それが、風ちゃんの聞いた『声』が言った『対価』だったんだよね」
 光の声で、海は自らの記憶から抜け出した。隣に座った風がこくりとうなずいた。
「でも、『わたし』って誰なんだろう」とアスコットは言い、腕を組んで風を見た。「知ってる人の声じゃなかったんだよね?」
「はい」と風は答えた。「私も、どうやってその方の『封印』を解いたらいいのか、まったくわかりません。そのことも説明したのですが、『知らずともわかる』と言われました」
 うーん、と皆一様に唸った。「封印を解け」と言った声の主が誰なのか、声を直截に耳にした風でさえ心当たりがないという。そうなれば、その声さえも聞かなかった海たちにわかるはずもなかった。当然アスコットやプレセアも同様で、それ以上は会話に広がりようがなかった。

「導師クレフは何かご存知なんじゃないか」
 そのとき、無言を貫いていたフェリオが初めて口を開いた。途端、皆がまるで聞いてはいけない言葉を聞いてしまったような顔をして思わずといったようにフェリオを振りかぶった。フェリオは丸椅子の上で胡坐をかき、じっとこちらを見据えていた。
「そんな様子だっただろう、あのときの導師は。プレセアが薬湯をもらいに行ったとき、導師は何かおっしゃっていなかったのか」
 フェリオの視線を受けたプレセアは、一瞬ひどく傷ついた顔をしたように、海には見えた。
「私には、何も話してくださらなかったわ」
 プレセアは力なくかぶりを振ると、ぎゅっと唇をかみしめて俯いた。自然と皆の視線が落ちた。

「暗い顔をしてても仕方ないよ」
 不意にアスコットが、沈みかけた空気を打破するような明るい声で言った。
「みんなで力を合わせて、手がかりを見つけていこう。だいじょうぶだよ。僕たちはいつだって、ウミたちの味方だから」
 アスコットの、不器用だけど真っすぐな心遣いが嬉しかった。海はうなずき、光、風を見た。「だいじょうぶよ」という意味を込めてほほ笑むと、風が今にも泣きそうな顔をした。
 海たちは誰からともなく互いの手を取り、強く握り合った。私たちは今、こうして確かにここにいる。三人がばらばらになったわけじゃない。これまでだって数多くの試練を三人で乗り越えてきたのだ。今回だってきっと乗り越えられる。何も心配はいらない。
 それよりも、心配なのはクレフのことだった。どうして何も話してくれないのだろう。
 海の話はいつでも聞いてくれると言ったのに、思えばクレフは自分の話はほとんどしない。そのことが、いまさらのように淋しかった。心に吹き込んでくる冷たい秋風を感じた気がして、海は思わず身震いした。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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