蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 17. 惨酷な遺志

長編 『蒼穹の果てに』

胸の奥、手の届かないところがざらりとした。それは厭な予兆だった。

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 一人乗り込んだNSXのコックピットから、遠ざかるセフィーロをぼんやりと眺める。この巨大な戦艦に一人で乗るのは、記憶にある限りでは初めてのことだった。もちろん、警備目的で数人の兵士が同乗してはいるが、機密情報が詰まったこのコックピットにいるのはジェオだけだった。
 いつも狭い狭いと思っていたコックピットも、一人になると広すぎるとさえ感じるのだから不思議なものだ。もう長いことNSXに乗っていないイーグルはともかく、大きいのはザズの不在だった。
 セフィーロとの往来の際、いつもはザズが酒、ジェオがケーキを片手にくだらない雑談に花を咲かせているのだが、今回はザズが一足先にオートザムへ帰ってしまったため、その雑談がない。同じ速度で進んでいるはずなのに、オートザムまでの道のりがやけに長く感じた。
「なんだかな」
 呟いてみても当然返事はない。時折響く無機質な機械音だけが話し相手というのは、なんと味気ないことだろう。ふっと溜まった息を吐き出すと、窓が一瞬白濁した。

 セフィーロを離れるのに、今回ほど後ろ髪を引かれる思いを抱いたことはなかった。突然『異世界』とをつなぐ『道』が閉ざされ、そのためにこちらの世界に留まらざるをを得なくなってしまった少女たちのことが気がかりだった。できることならセフィーロにもう少し滞在し、何でもいいから彼女らの力になりたかった。『道』を見つける手助けはできないかもしれないが、そばにいれば、たとえ些細なことでも何かしら協力できることがあるかもしれない。しかし現実はそう簡単ではなかった。オートザムを長く留守にすることはできない。あちらでの仕事もあるし、ザズのことも気がかりだ。すでに予定より一泊長く滞在していたこともあり、結局、何もできないまま一人セフィーロを離れるしかなかった。

 副司令官の椅子に座り、ジェオは腕と足を組んだ。息で白濁する窓のように、もやっとしたものが心に燻っている。原因はわかっていた。それはほかでもない、ジェオ自身の『心』の中にあった。
 風たちが異世界へ戻れなくなったとわかったとき、もちろん彼女たちのことを案じた。だがその一方で、浮き立つ気持ちがあったことも事実だった。つい考えてしまったのだ。風がずっとこちらの世界にいるのなら、大気汚染の研究がトントン拍子で進むのではないかと。
 不謹慎な考えだとすぐに打ち消したが、「考えてしまった」という事実までも消すことはできなかった。そんな自らの独善的な思考回路は、ジェオをキリキリと締め上げた。風はそれどころではないのだ。オートザムのことなど二の次で、まずは自分たちに降りかかった運命と向き合わなければならない。そんな状況で、俺はいったい何を考えているんだ。
 人の不幸は蜜の味――そんな言葉が脳裏を過って、ジェオはコックピットに乗ってからもう何度目かわからないため息をついた。
「最低だな、俺」
 呟いた言葉は、ジェオの背中を重くした。

 気がかりは風のことだけではない。セフィーロを離れるときはいつも必ずたくさんの人が見送ってくれるのだが、今日はその中に導師クレフの姿がなかった。どんなに忙しくても必ず顔を見せてくれる律儀な人なので、何かあったのだろうかと訝った。「昨日から少し様子がおかしい」と曇った表情で教えてくれたのはランティスだった。よほどクレフのことを案じているのか、眉間に深く皺が寄っていた。
 瞠目したのは、クレフの様子は風たちが異世界へ帰ることに失敗したときからすでにおかしかったと聞かされたときだった。確かに風のブレスレットを見たときは驚いている様子だったが、あのときは誰もが困惑していて、クレフ一人の様子がとりわけ不自然なものだとは感じなかった。しかしランティスに言わせれば、クレフの様子は突出しておかしかったという。ジェオは自分の観察眼の鈍さに思わず肩を落とした。するとランティスは、「おまえはまだ導師との付き合いが浅いのだから、気づかないのも無理はない」と無表情のまま言った。慰められているのか馬鹿にされているのかわからなかったが、その場は取りあえずおもねるように笑ってやり過ごした。とにかくクレフの様子に不可解な点があるということだけは間違いないようだった。

 胸の奥、手の届かないところがざらりとした。それは厭な予兆だった。ファイターとしての経験が培った嗅覚が警鐘を鳴らしている。これは、騒動の前触れを告げる予兆だ。
 よもやオートザムとセフィーロが争うことになどなるまいな。何度否定しようとも、その疑惑はしぶとく浮かび上がってきた。しかしそんなことには絶対になってほしくなかった。誰のためでもなくジェオ自身のために。もしも二国が争うことになったとしたら、ジェオはどちらにつくこともできそうになかった。万一戦が避けられない事態になったとしても、出来ることなら当事者として関わることは避けたい。軍人としてあるまじき考えだが、それがジェオの正直な気持ちだった。戦う前からこれほど逃げ腰になるのは初めての経験だった。

 以前セフィーロへ侵攻したときは、迷いながらもジェオは100%オートザムの味方だった。だが今は違う。ジェオにとっての祖国であるオートザムは言わずもがな大切だが、自分の上司であり親友であるイーグルがいるセフィーロのこともないがしろにはできない。それにセフィーロには、クレフやランティスなど恩義を感じている人も大勢いる。彼らを裏切ることなどとてもできない。ジェオにとって彼らは、もはや大切な友人だった。友人を攻撃することなど考えられない。だが、もしもどちらかを選ばなければならない窮状に陥ったとしたら――。答えが出る前に、到着を告げるブザーが鳴った。
 ジェオは思考を振り払い、酸素マスクを乱暴に引っつかんだ。考えても仕方がない。そもそも戦争になると決まったわけではないのだ。こんなことを考えるのは無意味だ。心の中で自らに言い聞かせながら、ジェオはコックピットを後にした。


 マスクをしてNSXから出る瞬間、ジェオはいつもうんざりする。体全体にまとわりつく空気が汚染されたものであることを、手に取るように感じるからだ。われ知らず舌が鳴った。
 セフィーロという美しく澄んだ国を知るまでは、こんな気持ちを抱くことはなかった。NSXから大統領府へと戻るあいだも、昔はマスクなどしなかった。だが今は、大統領府の中でさえもマスクをして歩きたくなる。こんな汚れた空気を当たり前だと思って過ごしていた過去の自分が恐ろしくさえあった。今なら断言できる。この国は正常ではない。方法には熟考の余地があるだろうが、オートザムが変わらなければならないことは明らかだった。

 早足で、自らの居室である「テリトリー」へと向かう。一刻も早くシャワーを浴び、もやもやとした心ごと体に染みついた不浄な空気を洗い流してしまいたかった。そんな風に急いていたから気づかなかったのかもしれない。テリトリーへと続く曲がり角を曲がったとき、奥から突然現れた影と正面衝突した。
「うわっ!」
 不覚にもまともにぶつかってしまった。ジェオ自身はよろけただけで済んだが、相手は派手な尻餅をついたようだった。慌てて手を差し伸べようとして、ジェオははっと息を呑んだ。
「ザズ」
 二日ぶりに会う彼は、ずいぶんとやつれたように見えた。こちらを見上げる瞳は充血し、腫れ上がった下瞼には青黒いくまができている。まるで別人になったザズの表情を見て、われ知らずどくんと鼓動が大きく脈打った。

「ジェオ」
 こちらが差し出した手をつかむことなく、ザズは自力で立ち上がった。声は意外なほどしっかりしていた。
「母さんがヤバい」
 捲し立てられたその一言に、ジェオはない唾を呑み込んだ。ザズはそれ以上のことは口にせず、ジェオを追い越して走り出した。
 拒まれなかったことをイコールついていくのを赦されているのだと無理やり解釈し、ジェオも後を追った。一刻も早くシャワーを浴びたいという気持ちは、気づかぬうちにどこかへと吹っ飛んでいた。
 ザズの家族が暮らすテリトリーにはすぐに着いた。ドアを開ける暗証番号を入力するザズの手が震えているのを見て、ジェオはやりきれなくなった。錠が開く。ザズは自動ドアが開くことさえ待ちきれないといった様子で、わずかな隙間から体を中へねじ込ませた。
「母さん!」
 一歩入ったその場でザズは急停止した。背後から部屋を覗いたジェオも、言葉を失ってその場に立ち尽くした。助からない――病状など聞かなくてもそうわかってしまうことが、どうしようもなく哀しかった。

 テリトリーの中は死の匂いで満ちていた。死神が今か今かとザズの母を待っている。どこも悪くないはずのジェオでさえ生気を吸い取られるような気がするほど、部屋全体に重苦しい空気が漂っていた。だが当のザズの母親はといえば、柔らかな笑顔を浮かべていた。無機質なベッドからはもう起き上がれず、頬はげっそりとこけ、瞳を満足に開けることさえかなわない状態だというのに、どこか晴れ晴れとさえしている。被せられた布団の白さが、奇妙に浮き上がって見えた。
 ベッド脇にいたザズの父と妹、弟がこちらを見た。二人の幼い姉弟の目には涙が浮かんでいた。ザズの母がぎこちなく首を動かす。うっすらと開かれた彼女の口元が「ザズ」と言葉を紡ごうとしているのを見て、ジェオの胸は詰まった。ザズは弾かれたように「母さん」と掠れ声で叫び、ベッドへ駆け寄った。母親の手を布団の中から取り出すと、自らの両手で包み込んだ。ザズの手は震えていた。

 ついてくるべきではなかったかもしれない。扉のそばで佇んだまま、ジェオは後悔につまされていた。いくら親友とはいえ、ザズの家族とは所詮他人だ。このテリトリーの中で、ジェオは明らかに異物だった。だがかといっていまさら外へ出るということもできず、扉を背にただ立ち尽くしているしかなかった。
 ジェオがザズと知り合ったばかりのころ、ザズの母親はまだ息災だった。もちろんほとんどの時間を家の中で過ごすなど、活動的ではなかったが、ジェオが遊びに行くといつも手作りのクッキーを出してくれた。彼女が浮かべる穏やかな笑顔が、ジェオは好きだった。
 そのころの面影を、今の彼女の中にもまだ垣間見ることができる。そこに一縷の望みをつなぎたかった。またあのクッキーを食べることができると思い込みたかった。しかしそれがうたかたの夢と消えるであろうことを否定する材料はどこにもなかった。ぎゅっと握りしめた拳に、爪が食い込んだ。

「ごめんねえ、ザズ」
 懸命に声を振り絞るようにして、母親が口を開いた。ザズが激しくかぶりを振る。彼女はほほ笑んだ。
「みんなを、頼むわね」
「母さん」
 この部屋へ来てから、ザズは「母さん」以外の言葉を発していなかった。それがどうにも滑稽で、ジェオは壁を叩きたくなった。今にも死にゆくのは母親の方なのに、周囲の人間よりも彼女の方がよほどしっかりしている。世はこれほどまでにも無情なものだったのか。
 どんなに拒まれても、力づくでも彼女をNSXに乗せてセフィーロへ連れていけばよかった。ずっと考えまいとしていたことを、しかしこのとき考えずにはいられなかった。
「母さん、幸せだったから」
 言いながら、母親の瞼が重くなっていく。声も小さく、薄くなる。ザズがぎゅっと彼女の手を握りしめる。
「大統領様を、恨まないで」
 それが最期の言葉だった。
 一瞬、テリトリーの中を風が吹き抜けていったような気がした。しかしオートザムに風など吹くはずはない。死神だ、とジェオは思った。死神が母親の魂をさらっていったのだ。
 ザズの母親の瞳はもう完全に閉じられていた。そこに涙はなかった。浮かぶ表情は幸せに満ちていた。我が人生に悔いなし、とでもいうかのような表情だった。
 ジェオは愕然とした。
「そんなのって、ありかよ」
 自分では叫んだつもりだったが、誰一人としてこちらを振りかぶる者はなかった。おそらく自分にしか聞こえない程度の音量でしかなかったのだろう。
「母さん!」
 叫んだのはザズではなく、彼の妹だった。幼い弟は泣きじゃくり、その弟を抱いている父親は血走った眼球を飛び出させ、かみしめた唇を震わせている。ザズは母親の手を握りしめたまま、瞬きもせずに彼女の顔を無言のまま見つめ続けていた。感情という感情を失ったようなその横顔にかけるべき言葉を、ジェオは持たなかった。

『大統領様を、恨まないで』
 ザズの母親が最期に口にした言葉が、ジェオの耳の奥で終わりなき木霊を繰り返している。その言葉はジェオの心を鋭く射た。まさかそんな言葉を残して逝くとは思わなかった。恨み節ならまだわかる。だがよりにもよって、大統領への感謝の気持ちが最期の言葉だなんて。
 ジェオは脳裏に大統領を思い浮かべた。息子のイーグルと同じ鳶色の髪に、息子のそれよりずっと厳しい目。時には人を人とも思わぬような態度を取り、感情よりも損得を優先する、生粋の政治人。彼は、こうしてザズの母親が死んだことにさえ胸を痛めたりはしないだろう。仮に大統領が心配するようなことがあるとすれば、せいぜい「今回のことがきっかけでザズの仕事に対する情熱が失せはしないか」ということくらいだ。それほどまでに無慈悲な人のことを最後まで慕って死んでいくなんて、あんまりではないか。

 ザズの母親は心根の優しい人だった。なぜ彼女のような人が死ななければならないのだろう。哀しみに暮れている家族の姿を目の当たりにしながら、ジェオは張り裂けそうな胸の内を感じていた。やはりこの世は無情だ。必要とされている人間ばかりが、早くに世を去ってしまう。
 もっと間近で最期の顔を確かめさせてもらおうと、ジェオは一歩踏み出した。他人である自分にも温かく接してくれたことについて一言礼を言わなければと思った。ところがそのとき、まるでそのジェオの動きを制するかのように背後で扉がノックされた。

 父親と妹が顔を上げ、こちらを見る。ジェオもまた振り返った。こんなときにいったい誰だ?
 開けてもいいか、という意味の視線を父親に送ると、彼は神妙にうなずいた。ジェオは開閉ボタンを押した。ドアがスライドする。するとその向こうに一人の男が立っていた。
 ジェオも面識のある男だった。腕に大統領直属の護衛隊のメンバーであることを示す腕章をつけている。その護衛隊を率いているのがこの男で、彼は軍事学校でジェオと同期だった。
 男はジェオを見て驚いたように目を見開いたが、すぐに落ち着きを取り戻し、部屋の中の様子をちらりと窺ってからうなずいた。
「ちょうどよかった、ジェオ。おまえもここにいたのなら、話は早い」と男は言った。「大統領がお呼びだ。ザズを連れてすぐに来てくれ」
「……は」
 仮にも副司令官としてはあるまじき、間抜けな声が出てしまった。意図した上でのことではなかった。
「おまえ、見てわからねえのか。たった今、ザズの母親が死んだんだぞ。大統領のところになんか行ってられるかよ」
 憤りを通り越して呆れた。ところが男は、心を痛めた風でもなく、ただ不機嫌そうに眉を顰めた。まるで「今日の夕食のメニューが変更になります」と伝えられて気分を害した子どものようだった。その態度が、ジェオには信じられなかった。
「大統領の命に背くというのか」と男は言った。
「そういう問題じゃねえだろうが」とジェオは凄んだ。「てめえの心は鋼で出来てんのか? 人が一人死んだんだぞ、弔おうって気になんねえのかよ」
「いいよ、ジェオ」
 男につかみかかろうとしたジェオを、静かな声が遮った。ジェオはぎょっとして振り返った。時が止まったように微動だにさえしていなかったはずのザズが、母親の手をそっとベッドに下ろしているところだった。その頬は乾いたままだった。
「行こう」とザズは言った。
 その瞬間、ジェオは理解した。ザズは母親の遺言を貫こうとしているのだ。「大統領を恨んでくれるな」というあの殊勝な言葉を守ろうとしているのだ。
「早く仕度をしろ」
 澄ました声で男が言った。

 無言のまま、ザズが淡々とグローブをはめ直す。その様子を、残された家族が心配そうな目で見つめている。行かないでほしいと思っていることは明らかだった。幼い姉弟の道に迷った子猫のような表情を見たとき、ジェオの中で何かが切れた。
「おまえはここにいろ」
 考えるより先に言葉が出ていた。ザズが微かに目を見開く。ジェオはうなずいた。
「俺一人で行ってくる。おまえはここに残れ」
「おい、大統領は二人でと――」
「大統領には俺が説明する」
 男を遮り、ジェオは声を張り上げた。
「ザズだけは行かせねえ。わかったら、とっととそこを避けろ」
 ジェオはオートザムで一番の巨漢だった。取っ組み合いのけんかで負けたことは一度もない。その気になれば、今目の前に立っている痩身の男を倒すことなど朝飯前だ。実のところ、喉から手が出るほどそうしたかった。気を抜いたらパンチを繰り出してしまいそうになるのを抑えることは、至難の業だった。男の冷酷さが心底憎かった。
 思い切りにらみつけると、男はいよいよたじろいだ。そして短く舌を打って一歩下がった。
「責任は取らないぞ」
「こっちから願い下げだ」
 吐き捨てるように言い、ジェオはザズのテリトリーを出た。扉を閉める前に振り返り、「来るんじゃねえぞ」という意味を込めた視線をザズに送った。ここから一歩でも出たら殺すと、半分本気で思っていた。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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