蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 19. わだかまる憂い

長編 『蒼穹の果てに』

こんなにも力になりたいと思うのに、そもそも話をすることさえできない。私ではやっぱり、クレフにとっては足手まといなだけなのだろうか。

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 光、風と三人でカルディナのところへ行こうとすると、道中の中庭で彼女の姿を見つけた。アスコットも一緒だった。
「カルディナ!」
 海は手を振りながら呼んだ。するとカルディナとアスコット、二人ともが気づいてこちらを見た。海は光、風に一度目配せをしてから、午後の光あふれる中庭に先導を切って降りた。
「ノアを抱かせてもらおうと思って来たの」
 海が言うと、カルディナは大仰に眉尻を下げた。
「そら助かるわ。アスコットじゃ子守にもならんから、困っとったんよ」
「しょうがないだろ? 赤ちゃんなんて抱いたことないんだから」
 アスコットが憮然として言った。カルディナはそんなアスコットを「はいはい」とあしらい、海たち三人に向かってウインクをした。
 カルディナの健全なナイスバディは、いつ見ても眩しい。子どもを産んだなんて、その体からはとても想像がつかなかった。東京にいたらカルディナは雑誌に引っ張りだこだろう。よく見る「ママになってもきれい」という特集のトップバッターを余裕で飾れるプロポーションだ。カルディナがそうして変わらぬ姿でいてくれることに、海はなぜかほっとした。

「うわあ、かわいいね」
 カルディナの腕の中を覗き込んだ光が、弾んだ声を上げた。光はさっと腕を差出し、カルディナからおくるみごとノアを抱き取った。意外にも慣れた手つきだったので、海は驚いた。ノアはずっと不思議そうに目を忙しなく動かしていたけれど、光の腕に抱かれてしばらくすると、きゃっきゃっと軽やかな声を上げて笑い始めた。
「ほら、笑ってるよ」
 嬉しそうに光が言う。海は眉尻を下げた。
「私のときとは大違いだわ。光のことは友達とでも思ってるのかしら」
「あら、海さんが抱かれたときはどんな様子だったんですの?」
 風の問いに、海は肩を竦めた。
「どんなも何も、すっかり照れちゃったみたいで、ほっぺたをリンゴみたいに染めてたわよ」
「まあ」
「ウミは別嬪さんやからな」とカルディナが言った。「ちっこいくせに抜かりないんや、この子」
 ノアのその性格は間違いなくカルディナ譲りだろう。今後ノアが大きくなって、ますますカルディナの性格を色濃く受け継いだとしたら、ラファーガ一家はとても賑やかになりそうだなと思った。母子二人に振り回されるラファーガの様子が容易に想像できて、気の毒だと思う反面、ほほ笑ましかった。

「私も抱かせていただいてよろしいですか?」
「もちろんや」
 二つ返事で了承したカルディナに、「ありがとうございます」と丁寧に礼を言った風は、光からノアを抱き上げた。少し緊張しているようにも見えるけれど、そうして風がノアを抱くしぐさは妙にさまになっていた。
 風の腕の中に行くと、ノアはしばらく狐に抓まれたような顔をしていた。皆がその反応を見守っていると、やがてノアは、その小さな口をふんわりと開けてあくびをした。
「まあ」と風は顔をほころばせた。海たちも笑った。
「風の腕はゆりかご代わりってわけね」
「そうみたいやな」とカルディナが言った。
 光では笑って、風では寝て、海では頬を染める。海としてはいささか不本意な気がしないでもないけれど、納得できる反応といえばそのとおりだった。

「僕ももう一回、抱いてみていいかな」
 アスコットが遠慮がちに言うと、カルディナは「えー」とあからさまに厭そうな顔をした。
「だいじょうぶかいな、アスコット。落とさへん?」
「そんなことしないよ!」
 アスコットは顔を紅くして声を荒げた。さすがのアスコットもそこまで不器用ではないだろうと海も思ったけれど、風からノアを受け取るところを見ていると、あながちカルディナの心配も的外れというわけではないのかもしれないと考えを改めるに至った。見ていると訳もなくはらはらした。アスコットの手つきは、この場にいる誰のものよりも危なっかしかった。
「アスコットさん、こちらの腕をもう少しこうして……」
 風と光が、文字どおり手取り足取りアスコットにノアの抱き方を伝授する。その様子に、海の口元は自然と緩んだ。セフィーロで朝を迎えるようになってもう三日目だけれど、風が今のように、引き攣っているのでも強張っているのでもない自然な笑顔を浮かべてくれたのは、東京へ帰れなくなってからはこれが初めてのことだった。風がようやく笑ってくれるようになってくれて、心底ほっとした。

 気がつくと視線は風の手首に向かっている。今は長い袖に隠れていて見えないけれど、そこには例のブレスレットがはめられているはずだった。どんなに頑張っても外れないのだという。あれほど金がふんだんに使われているのに、ほとんど重さがないらしく、外れなくてもあまり気にはならないと風は言っていた。それでも人目にさらすことは避けているようで、あの日以降、風はいつも長袖の服を着るようになった。
 そういうこともあって、実際にあのブレスレットを目にすることはそう多くない。けれど初めて見たときの衝撃は今でも海の心にはっきりと刻まれている。といっても、それはブレスレットそのものに受けた衝撃ではなかった。そのブレスレットを見止めたときのクレフの表情が、どうしても忘れられなかったのだ。

 あの日以来、クレフと話す機会はまったくなかった。避けられていると、いい加減認めざるを得ないだろう。けれどどんなに考えても海の方には避けられるような理由はなかった。ということは、クレフの方にこそ海たちを避ける理由があるということだ。
 クレフには訊きたいことが山のようにあった。風のブレスレットのことはもちろん、風に語りかけたという「声」のことだって、クレフはおそらく何かを知っている。知っていて、それでも何も言わないのだとしたら、それを口にすると何か都合の悪いことがあるからだ。ただしそれは、クレフにとってではなく、彼の周りにいる人にとって。
 クレフは、自分の都合如何で行動する人ではない。クレフが何かを隠そうとするとき、それは専らほかの人の心を慮ってのことだ。たとえばそう、海たちに『魔法騎士』の真実について教えなかったように。

「ようやく笑うてくれるようになったな、フウ」
 不意にカルディナの声がして、海ははっとわれに返った。カルディナは穏やかにほほ笑んでいた。彼女の声は決して小さくはなかったけれど、一歩離れたところにいる風たちには聞こえない程度の音量だった。もっとも、風たちはノアをあやすのに夢中になっているようで、こちらの会話にはまったく関心を払っていなかった。
「ずっとふさぎ込んどったさかい、心配しとったんやけど」
 海はうなずいた。
「風は全部自分でしょい込もうとしちゃうのよ。責任感の強い子だから。風がどんな道を選んだって、誰も責めたりしないのに」
 風のことを話しているのに、その自分自身の発言には思いがけずクレフにつながる部分があった。「全部自分でしょい込もうとする」。そういうきらいは、風だけではなくクレフにもある。クレフは、彼自身には非がないことでも自分が犯した罪であるかのように傷つき、その傷を自分一人で抱え込もうとする。そのことに周囲の人間がどれだけ心を痛めているかも知らずに。どれほど周りが彼のことを助けたいと思っているか、クレフは全然わかっていない。
 無意識のうちに視線が下がっていた。こんなにも力になりたいと思うのに、そもそも話をすることさえできない。私ではやっぱり、クレフにとっては足手まといなだけなのだろうか。

「まるで誰かさんとそっくりや、ってか?」
 そのとき、カルディナがふと言った。海ははっと息を呑んだ。慌てて顔を上げたけれど、カルディナと視線は交わらなかった。咄嗟に言葉が出ないままその横顔を見つめていると、カルディナがちらりとこちらを横目に見てにやりと笑った。
 どうやらすべてお見通しらしい。海は観念して、けれど素直に認めるのも面映ゆく、結局黙り込んだままでいた。
「そのとおりやとうちも思うよ。あのひとは、自分が周りからどれだけ愛されてるかわかっとらん。自分は簡単にセフィーロ全部を愛せるくせに、なんや知らんけど、自分が他人から愛されることは難しいと思っとるみたいや。ああいう男は、愛するだけ損やわ」
 そう言うと、カルディナは自分の言葉を咀嚼するようにうんうんと何度かうなずいた。

 海はまじまじとカルディナの横顔を見つめた。こんなことを言っては失礼かもしれないけれど、意外とよく見ているんだなと驚いた。カルディナの言うことはもっともだと海も思う。クレフは本当に自分のことには鈍感で、どれほど自分が愛されているかわかっていない。けれど海がそのことに気づいたのはクレフのことが好きだと自覚した後のことで、それまではそんな風に考えたことすらなかった。でもカルディナは、まるでとっくの昔から知っている事実を口にするかのように淡々と話した。そして実際「そう」なのだろう。カルディナはもうずっと前から、クレフが抱えている密かな孤独に気づいていたのだ。
 カルディナは、実は周りのことをよく見ていて、人の心の機敏によく気がついている。そのあっけらかんとした見た目と話し方でどうしてもごまかされてしまいがちだけれど、彼女もまた、心の深いところでは誰も知り得ないような闇を抱いているのかもしれない。だからこそ、他人の淋しさや孤独にいち早く気がつくことができるのかもしれない。

「あんたの気持ちを否定しとるわけやないよ」とカルディナは眉尻を下げて言った。「誰が誰を好きになろうと、それはその人の自由や。ただな――」
 カルディナの言葉は、突然響いたノアの笑い声によって中途半端なところで遮られてしまった。これまでの笑い方とは全然違って聞こえたので、海はカルディナとそろってノアの方を振りかぶった。すると、今は光の腕に抱かれているノアが、身を乗り出すようにしてこちらを見ていた。まるでこちらへ来たがっているかのように手を伸ばしている。
 てっきり母親であるカルディナを求めてそうしているのだろうと思った。けれどどうやら違うようだった。どんなにカルディナが近づいても、ノアの視線は海の方へと向けられたままだった。
 もしかしたら自分を呼んでいるのかもしれないと、海もカルディナに続いて歩み寄ろうとした。けれどそのとき、アスコットがはっと目を見開いたので、踏み出しかけた足が止まった。カルディナと入れ違うようにして足早にこちらへやってきたアスコットは、険しい視線を遠くへ向けたまま、海の隣で立ち止まった。

「どうしたの?」
 海の問いかけには答えず、アスコットはじっと遠くへ目を凝らしている。その視線の先を追いかけるようにして振り向いた海は、思わず「あっ」と声を上げた。
「あの子を知ってるの?」
 アスコットが驚いたように言った。けれど今度は海の方が答えに詰まる番だった。「知っている」というわけではない。ただ、その長くふんわりとしたペールグリーンの髪は記憶の中にははっきりとある。東京へ帰ることができなくなったあの日、朝食のときに見かけた女の子だった。女の子はあのときと同じように、柱の陰に身を潜めてじっとこちらを窺っていた。

「どういう子なの? あの子」
 海は視界の隅に女の子を捉えたままアスコットを見上げて訊ねた。アスコットは探るようにじっと女の子のことを見つめている。その瞳は、はっとするほど真剣だった。
「そんなところにいないで、こっちへおいでよ」
 やがてアスコットは、突然声を張り上げてそう言った。よく通ったその声に、女の子はぴくりと肩を震わせた。怯えたような目をした女の子は、けれどアスコットの誘いには乗らず、逃げるようにして去っていった。追いかけようとしてアスコットが身を乗り出したけれど、女の子の姿はあっという間に見えなくなってしまった。
 時を同じくしてノアの笑い声も止んだ。どうしたん、とカルディナの声が背中にかかる。けれど海とアスコットはしばらく女の子が去っていった方を見つめたままでいた。

「ウミ、あの子に何か感じなかった?」
 一瞬の沈黙の後、アスコットは妙に緊張を孕んだ声で言った。海はどう答えようか迷った。何も感じなかったと言えば嘘になる。けれどいったい自分が何をどう感じたのか、うまく説明し得る言葉が思いつかなかった。
「具体的に何かを感じたわけじゃないわ。不思議な子だとは思ったけど」
 さんざん悩んで、それでもはっきり言うことができたのはそれだけだった。
「あなたは何か感じたの?」
 海はアスコットを見上げて問い返した。アスコットはすぐには答えなかった。ピンと糸が張ったような沈黙が流れる。やがてアスコットは、その沈黙を破るようにふっと息をつき、表情を緩めた。
「感じたっていうほどのことじゃないんだ。変なこと訊いてごめん」
 嘘だと直感的に思った。アスコットは何かを感じたに違いないのに、海に余計な心配をかけまいとしてそんな言葉を口にしたのだろう。
 アスコットの考えを聞きたかった。けれど海が口を開く前に、突然背後から「ぎゃっ」と悲鳴が上がった。

 驚いて振り返ると、ノアを囲んでいた光、風、そしてカルディナの三人が何やらあたふたしていた。ノアはカルディナが抱いていた。そしてどうやら悲鳴を上げたのもカルディナのようだった。頬が紅くなっている。「何すんの!」とカルディナは怒鳴った。どういういきさつがあったのかはわからないけれど、どうやらノアに頬をつねられたらしい。
「母親に向かってそういうことしてええと思てんの?」
 カルディナは本気の剣幕で怒った。それに驚いたノアが、セフィーロ全体に響き渡るんじゃないかと思うほどの声を上げて泣き出した。キーンと耳の奥が鳴る。海は思わず両手で耳を塞いだ。わが子の思わぬ仕返しに目を回しているカルディナに、われ知らず口元が緩んだ。

「ウミ」
 不意にアスコットに呼ばれた。顔を上げると、アスコットは俯いていた。
「あの」
 アスコットからは、つい先ほど女の子のことを話していたときの凛とした気配がすっかり消えていた。突然変わった態度に、海はきょとんと首を傾げた。
 アスコットは体の前で組んだ手をもじもじと動かし、なかなか続きを口にしようとしなかった。海がその顔を覗き込もうとすると、双眸が前髪の奥へとますます隠れていった。
「なあに、どうしたの?」
 海が促すと、アスコットはようやく顔を上げた。吹っ切れたように肩を撫で下ろした彼は、
「……早く、『異世界』への『道』を開く方法が見つかるといいね」
 とはにかみながら言った。
 海は思わず瞠目した。けれど何をそれほど驚くことがあるのか、海は自分のことなのに不思議に思った。
「ありがとう」
 咄嗟に笑顔を取り繕い、言った。そして光たちのところへ向かって歩き出した。

 東京への『道』が開く。そんな日は、果たして本当にやってくるのだろうか。なんだかピンと来なかった。セフィーロで暮らすようになってまだ四日目だというのに、前はどうやって二つの世界のあいだを行き来していたのか、もはやよくわからなくなりかけている。
 暖かい日差しの下を歩いているのに、寒気で背筋が粟立った。漠然とした不安が、心の奥でひっそりとわだかまっていた。




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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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