蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 20. 言霊

長編 『蒼穹の果てに』

言葉は時に、人を縛る。よい方向にも、悪い方向にも。

本文は「続きを読む」からどうぞ。





 ジリ、ジリ、と魔物がにじり寄ってくる。アスコットを背に乗せている魔獣が、喉を鳴らして魔物を威嚇する。両者のあいだで一進一退のにらみ合いが続く。先に動いたのは魔物の方だった。辛うじて目に留まるかという速さで、鋭く太い牙が振り下ろされる。けれど瞬発力ではアスコットの魔獣の方がわずかに優っていた。魔獣は間一髪のところで刃を避けると、素早く後ろへ飛んだ。
 つい今しがたまで魔獣が立っていた地面に、闇の中でも白く輝く牙が突き刺さっている。魔物がその刃を引き抜くより先に、アスコットは魔獣の背を蹴って飛び上がった。
『衝電破激(アスキス)!』
 宙で手を構え、魔法を唱える。現れた魔法陣から光が爆ぜ、その光は、瞠目した魔物に襲いかかった。魔物は咄嗟に刃を構えるが、もう遅い。魔法が命中する。魔物の断末魔の悲鳴が響き渡る中、アスコットは地面に着地した。
 木端微塵となった魔物が、砂と化して地に落ちた。どこからともなく吹いてきた風が、その砂を巻き上げていく。夜空がしんと澄み渡るのを見て、アスコットはふっと息をついた。

 魔物がいなくなった森は、嘘のように静まり返った。魔物さえ出なければ『精霊の森』と遜色ないほど美しい森だ。夜露に濡れた草木がひっそりと息づく。小さな気配を感じて顔を上げると、一匹のシマリスが一際背の高い木の枝を往来していた。その様子に安らぎを覚え、アスコットは目を細めた。そんな和らいだアスコットの気配を感じ取ったのか、魔獣が頬にすり寄ってきた。
「ありがとう、助かったよ」
 アスコットは魔獣の口元を撫でながら言った。魔獣が安堵の鳴き声を響かせた。
 本当は、魔獣たちの力を借りなくても魔物を退治できるようになりたいのだけれど、今のアスコットにはまだそれだけの力はない。成長した、と師であるクレフは言ってくれるが、それはひ弱だった昔に比べればの話だ。現状の力では全然満足できない。もちろん、この世界最高位の魔導師に追いつこうなどという無謀なことを考えているわけではないけれど、せめてこの国を愛する人たちの足手まといにだけはなりたくないと思う。

 地面にはまだ魔物の残骸の砂がうっすらと残っている。二年前の戦いのときほどではないとはいえ、今でもまだ、夜になればこうして少なからず魔物が徘徊する。この二年間、率先して魔物討伐の任務に手を挙げるようにしてきたアスコットだったが、ここ数日でその数が目に見えて増えていることに気づいていた。『魔物』は人々の不安の具現化だ。数が増えているということは、それだけ不安を抱えている人間が多いということを意味する。真っ先に浮かんだのは光、海、風の姿だった。

『私以外の者の前で、その話はするな』
 夕刻、ラファーガとともに導師クレフのところへ行って魔物の出現が頻発しているという話をした。クレフはまったく驚かなかった。おそらくすでにわかっていたのだろう。事情を説明したアスコットたちにクレフが与えた指示は簡潔明瞭だった。それが海たちの心情を慮った上での言葉だったと気づいたのは、クレフのもとを去ってからのことだった。
 今のセフィーロで、海たち以上の不安を抱えている人間はおそらくいない。魔物が増えていると聞けば、海たちは責任を感じて傷つくだろう。だからクレフは、海たちの耳には魔物の話を入れたくなかったのだ。
 相変わらず、短い一言に多くの意味を込められるひとだ。クレフの思慮深さには頭が上がらない。
 海たちが置かれた状況を思うと、アスコットの胸は否応なく痛んだ。どんなに顔見知りの人間が多いとはいっても、海たちにとってセフィーロはあくまでも第二の世界だ。本来の世界に帰ることができないということがどれほどのストレスなのか、アスコットには想像もつかなかった。

 不意に、肩のあたりで魔獣が「きゅるる」と鳴いた。われに返ってその鼻筋を軽く撫でてやる。魔獣がどこか不安げなまなざしでアスコットを見る。アスコットはほろ苦い気持ちのまま、思わず笑った。
「今日もだめだった。言えなかったよ」
 すると魔獣は、喉を鳴らして目を潤ませた。アスコットの気持ちを知っている彼らは、告白に失敗するたびにアスコット本人よりも悔しがってくれる。その姿に救われた夜は、数知れない。

 初めて人を好きになってから、二年が経った。海に会えば会うほどアスコットの気持ちは大きくなるばかりだった。海への想いは、もうずっと昔からそこにあるかのようにアスコットの心を抱いた。その想いが変わったことは一度もなく、また、これから先もきっと変わらないだろう。けれど彼女に気持ちを打ち明けることに二の足を踏む理由は、この二年で少し変わってしまっていた。
 最初はただ単に照れくさかっただけだった。「好き」というたった一言が、海を前にするとどうしても言えなくなった。魔獣相手に告白の練習をしているときは簡単に言えるのに、本人の前だと、当たり前かもしれないけれど勝手が違った。逡巡しているうちに、時間は無情なまでの速さで流れていった。そして、つい半年くらい前のことだ。海は突然きれいになった。
 海をずっと見てきたアスコットだからこそわかったことかもしれない。アスコットにとってその変化は、海が急に手の届かないところへ行ってしまったように感じて思わず足が竦んだほど大きなものだった。海にそれほどの変化を齎したものが何なのか、残念ながらアスコットはすぐにわかってしまった。彼女の変化はアスコット自身に起きたそれと実質同じだった。彼女も恋をしたのだ。ただしその相手は、アスコットではなかった。

 もちろん、海の気持ちが自分に向いていないからというだけでアスコットの気持ちが冷めてしまうわけがない。でも一度海の気持ちに気づいてしまうと、告白するのをそれまで以上にためらうようになった。僕が告白なんかしたら、海は困るだろう。それでもいいと決意して何度も告白しようと試みたけれど、心の中にある煮え切らない感情が、一歩踏み出すことをよしとしなかった。今日の昼間もそうだった。「早く『道』を開く方法が見つかるといいね」なんて、完全なきれい事だった。
「最低だな、僕」
 ため息交じりに言ったそのとき、魔獣が不意にアスコットの肩から顔を上げた。そしてその首をすっと空へ向けると、嬉しそうに尾を振った。何事かと自分も夜空を見上げたアスコットは、覚えず悲鳴を上げそうになった。大きな鷲が、雄大な羽を広げて月明かりを遮っている。そのこと自体にも驚いたが、それよりも、その背中から突然人が飛び降りてきたことが、アスコットの度肝を抜いた。

 上げかけた悲鳴は、けれど声にはならなかった。中途半端に喉でくぐもったそれを唾と同時に呑んだとき、目の前に人が降り立った。
 相当の高さから飛び降りてきたはずなのに、彼は息のひとつさえつかず、何気ないしぐさで体を起こすと涼しい顔でアスコットを見返した。アスコットの目がおかしくなっていないならば、それはクレフだった。
「グ……導師、クレフ」
 われ知らず声が上ずった。そのときクレフの姿がさっと影の中に沈んだので、アスコットは反射的に空を見上げた。覚えず身が竦んだ。空を旋回している鳥の巨大な両翼には、息が詰まるほどの威圧感があった。
 飲み込んだはずの悲鳴が息を吹き返しそうになる。アスコットはぶるっと身を震わせ、クレフに視線を戻した。
「あの鳥から降りてきたんですか?」
「そうだ」
 クレフはこともなげに答えた。あどけなささえ感じさせるその口調に、アスコットは面食らった。
「『そうだ』、じゃありませんよ! だって、あの鳥って、古くから人食いと伝わる伝説の大鷲じゃないですか。食べられたらどうするんです。っていうか、なんで手なずけてるんですか」
「私は人ではないかもしれんぞ」
 クレフはいたずらに瞳を輝かせ、にやりと笑った。そんな顔をした彼を見るのは初めてのことのような気がして、つい思考を持っていかれそうになる。すんでのところでアスコットは慌ててかぶりを振り、
「からかわないでください」
 と言った。
 こちらとしては大真面目なつもりで言っているのに、クレフはまるで軽口を叩き合っているかのような明るい顔をしている。それを咎めるつもりで再び口を開こうとしたけれど、それよりも、クレフが視線を外す方が先だった。クレフは真っすぐに上を向くと、手にしていた杖を握り直した。その表情は柔らかかったが、同時に真剣でもあった。
 緩やかな夜風に、クレフの細い髪が揺れる。クレフは空を見上げたまま、小さな声で何か呪文のようなものを呟いた。
「――」
 アスコットの知らない言葉だった。どんなに耳を澄ましても、彼が何を言っているのかはわからなかった。

 持て余した視線をアスコットが空へと向けたとき、クレフの声が止まった。すると大鷲が旋回を止め、翼をはためかせながらその場を去っていった。
 アスコットが呆気に取られているうちに、大鷲の姿は見えなくなってしまった。ぽかんと開いた口を無理やり閉じ、アスコットはクレフを見た。クレフは細めた目でまだ空を見上げていた。
「人食いの大鷲が、人の言うことを聞くんですか?」
 クレフはつとこちらを見、ほほ笑んだ。その笑顔が肯定の意を含んでいるのかそれとも否定の意を含んでいるのか、アスコットにはわからなかった。
「それに、今の言葉は何ですか? セフィーロの言葉じゃありませんでしたよね」
「ああ、違う。とても古い言葉だ。今は理解できる者はいない」
 アスコットはなおも問い詰めようとしたが、それより早く、クレフが思い出したように瞬きをしてアスコットに向き直った。
「魔物の気配を感じてやってきたのだ。大事なかったか」
 言われるまで、つい今しがた魔物討伐をしていたことを忘れていた。アスコットは虚を突かれた思いでぎこちなくうなずいた。
「だいじょうぶです。教えていただいた魔法で、対処しました」
「そうか」
 クレフはほっと肩を撫で下ろした。けれどすぐに険しい表情(かお)になり、辺りを素早く見回した。
「やはり増えているようだな」
「はい」
 沈痛な色を隠さないクレフの横顔に、アスコットは唇をかんだ。クレフがこんなところにいるということが、もどかしくてたまらなかった。
 いくら数が増えたとはいえ、たかが魔物討伐に最高位の魔導師であるクレフがわざわざ足労する必要はない。こんなところにいる余裕があるのなら、海のところへ行って顔だけでも見せてやってくれないか。喉元まで出かかった言葉を、けれどアスコットは言えなかった。海のためにはそうしてほしい。でも彼女の心がこれ以上クレフに囚われていくのを見るのは耐えられない。二つの相容れない想いを抱え、アスコットは発狂しそうだった。自分の心なのに、どうすることもできなかった。

「僕は最低な男です」
 言葉が口からこぼれ落ちた。クレフがきょとんとしてこちらを見る。海のようでもありながら同時に空のようでもあるクレフの双眸を見つめつつ、アスコットは続けた。
「今日、ウミに言いました。『早く「異世界」への「道」を開く方法が見つかるといいね』って。でも、それは本心じゃありません。むしろ、ウミがセフィーロにずっと留まってくれるなら、『道』なんか永遠に開かなければいいのにとさえ思っています。……僕は、いまさらになって口にした言葉の重みを感じています。口先ではウミにとって一番いい道が開かれるように願っているふりをしながら、心の底では、自分自身の願いのために、自分の言葉を否定しているんです」
 先ほど空を駆っていった大鷲の姿が脳裏に蘇った。僕はあの鳥のようには飛べない。がんじがらめに両手両足を縛られ、今いるところからもう一歩も動けないような気持ちだった。アスコットを縛っているのはほかでもない、アスコット自身が発した言葉だった。その事実が突然背中にのしかかってきたように感じて、アスコットは黙した。微かに見開かれたクレフの瞳が、今のアスコットには眩しすぎた。アスコットはクレフから顔を逸らし、俯いた。

 言葉は発せられた瞬間から意志を持ち、その意志は「言霊」と呼ばれる。そう教えられたのは、無理を言ってクレフに弟子入りさせてもらってすぐのころのことだった。当時のセフィーロは未曽有の混乱のさなかにあり、口を開けば誰もかれもが未来への不安を吐露するような時期だった。けれどクレフだけは、どんなに絶体絶命のときでも決して泣き言を言ったり弱音を吐いたりしなかった。でもだからといって、人を鼓舞するようなことを言うわけでもない。クレフはクレフのままだった。彼が口にするのはいつだって「事実」だけだった。

「どうしてあなたは事実しか口にしないのですか」。そう訊ねたアスコットにクレフが言って聞かせたのが、「言霊」の話だった。どんなにさもない言葉でも、口からこぼれ出た瞬間にその言葉は「言霊」を持ち、時に人を縛りもする。だから何を言って何を言わざるべきか、それは慎重に吟味しなければならない。自分の発した言葉が思いもよらぬところで人を傷つけてしまうかもしれない。それを防ぐためには、事実だけを口にするのが一番なのだ。特に皆が過敏になっている今は、不要な言葉は徒な争いのもとになりかねない。クレフはそう言った。
 当時はクレフの言わんとしていることを完全に理解したとは言い難かった。けれど今は、クレフの語った話を身をもって感じている。言葉は時に、人を縛る。よい方向にも、悪い方向にも。

 不意に腕に温もりを感じて、アスコットは顔を上げた。クレフがアスコットの腕をぽんと優しく叩いたのだった。
「ウミは優しい娘だ。おまえの本心を知ったところで、おまえを責めたりはしないだろう」
 どくん、と鼓動が大きくなった。そして気づいた。僕の本心――『願い』を、このひとは知っているのだと。
 それは想像ではなく確信だった。間違いない、とアスコットは思った。するとその瞬間、まるで長い夢から醒めたかのようにアスコットの内側から現実的な感情が湧き上がってきた。腕にはクレフが触れた温もりが残っている。それを感じながら、アスコットは自嘲気味に笑った。
「まるで、ウミの心がわかるみたいに言うんですね」
 厭世的な口調だと自分でも思った。クレフが見開いた目でアスコットのことをまじまじと見た。
 ウミの心なんて、知らないくせに。自分の周囲に漂う嫉妬を、アスコットは如実に感じていた。「ウミはあなたを好いているんですよ」。その言葉を飲み込むのは大変だった。口を開いたら言ってしまいそうだったので、黙っていた。

 やがてクレフは、何も言わずにアスコットからすっと視線を外した。二人のやり取りを見守っていたアスコットの魔獣がクレフにすり寄る。その鼻筋を撫でるクレフの横顔に、切なげな笑みが浮かんだ。今にもこの闇に溶けていってしまいそうなそのはかない表情は、燃え滾るアスコットの気持ちをすっと鎮めた。
「おっしゃるとおりだと思います」とアスコットは言った。「ウミは優しいから、きっと僕を責めたりはしないと思います。……心がわからなくても、ウミを見ていれば、おのずとわかることですよね」
 クレフはアスコットを見上げてほほ笑んだ。まるで今にも泣き出しそうな顔のように見え、そしてそんな顔をさせているのは自分なのだと思うと、胸が痛んだ。

 アスコットは振り切るようにぴゅうと口笛を吹いた。するとクレフに寄っていた魔獣が彼のもとを離れ、アスコットに向かってこうべを垂れた。その首を支えにして背に乗り上がる。体勢を整えると、クレフを見た。
「帰りましょう、導師クレフ。今夜の魔物討伐は終わりました。乗ってください、城までお連れします」
 ところがクレフは、穏やかな表情のままかぶりを振った。
「グリフォンを遊ばせているのだ。私に構わず、先に行け」
 嘘かまことか、アスコットにはわからなかった。けれどどちらにしても、クレフにはこのまま真っすぐ帰路に就くつもりはないようだった。アスコットは素直にうなずき、クレフに背を向けた。
 魔獣の首元に軽く手を当てる。それだけで、魔獣はアスコットの意図を的確に汲み取り、ふわりと浮きあがった。アスコットは一度も後ろを振り返ることなくその場を後にした。


 夜のセフィーロをひとり駆る。アスコットの心を占めているのは、海の話をしていたときにクレフが浮かべた切ない笑顔だった。それはアスコットに妙な焦燥感を与えた。
 これまでは、クレフは海の気持ちには気づいていないのだと当然のように決めつけて考えていた。けれど本当にそうだろうかと、今日初めてアスコットは疑問を抱いた。彼が見せた泣き笑いのような顔には何か深い意味が込められていたように感じてならなかった。
 もしもクレフが、海の気持ちを知っていてそれでも気づかないふりをしているのだとしたら、何かとんでもないことが起こるかもしれない。根拠もなくそう思った。
 僕は何か大切なことを見落としているのではないだろうか。言い知れぬ不安が、アスコットの背筋を撫で上げる。吹きつける風が急に冷たさを増した気がして、アスコットは魔獣の速度を上げた。すべて気のせいであればいいと思った。そう思い込みたい自分がいた。瞳を乾かす風の強さに、アスコットはそっと瞼を下ろした。




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篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
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