蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 21. 輪廻

長編 『蒼穹の果てに』

エメロードが『柱』に選ばれることがなければ、こうして風に出逢うこともなかった。そう思うと、まるでエメロードが自分たちを引き合わせてくれたような気がした。

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 かつては自分のために強くなりたいと思ったことなど一度もなかった。早くから剣の修行に勤しんだのも、無理やり険しい道を選んで歩いてきたのも、すべては姉、エメロードのためだった。フェリオにとってエメロードは、生きる理由も同然だった。
 フェリオが生まれたときにはすでに『柱』としての地位を確立していたエメロードは、確かにいつもほほ笑んではいたが、絶えず哀しみを漂わせている人でもあった。そんな彼女を間近に見て育ったフェリオが「姉の助けになりたい」と思うようになったのは、ごく自然な成り行きだったと言えるだろう。フェリオにとってエメロードは、たった一人の肉親だった。
 王子という立場上、フェリオの周りには常に人がいたが、フェリオ本人は常に孤独だった。その孤独を唯一感じることがなかったのが、エメロードと一緒にいるときだった。エメロードのほほ笑みを前にしたときだけは、「淋しい」という感情を捨て去ることができた。いつも自分に優しく接してくれる姉が大好きだった。だから、姉の身に危険が迫るときは真っ先に自分が駆け寄り、支えられるようになりたい。長いこと、それがフェリオの願いだった。

 しかしなかなかどうして、『柱』であるエメロードの力になれるようなことを探すというのは大層難しいことだった。魔法や勉学ではたとえ逆立ちしてもエメロードにはかなわなかったから、そういう部分を強化しても徒だと思った。考えに考え抜いてようやく剣術に行き着いた。運動神経には自信があったし、エメロードも剣術は嗜まなかったから、もうこれしかないと思った。
 剣を取ることに決めたそもそもの動機はそんな不甲斐ないものだったが、いざ修行を始めてみると、それが驚くほど楽しく、また剣が手によく馴染んだので、フェリオはすっかり夢中になった。剣の腕を磨けば姉を護ることもできるかもしれないと思った。外見だけならエメロードを追い越すほどに成長したころには、旅の途中で出遭う剣士たちには負けることがないほどの腕前を手に入れていた。


 セフィーロに異変が起こり始めたとき、フェリオはまだ、ようやく一人前の剣士としての自信を持ち始めたばかりだった。セフィーロの異変はそのままエメロードの異変に繋がる。そのことをよくわかっていたフェリオは、しかし城へは戻らず、そのまま修行の旅を続けることにした。もしも姉に重篤な事態が発生しているのだとしたら、のこのこ城へ戻れば王子である自分は匿われ、自由に動くことができなくなってしまうかもしれないと危惧したからだ。もう机に向かわされるのはこりごりだった。それに、剣術の方もまだ胸を張って「姉を護れる」と言えるほどの腕前には達していなかった。そんな中途半端な状態でエメロードのもとへ帰れるわけがなかった。
 身分を隠して外を歩いていたので、エメロードの状態については噂レベルでの手がかりしか得られなかったが、それでもフェリオは旅を続けた。やがて、剣士としての腕前を確かめるにはこれ以上ない場所と言える『沈黙の森』に入った。風に出逢ったのは、そのときだった。

 正直、第一印象はそれほどよくなかった。そもそも見慣れない恰好をしていたし、頭が切れそうな割には魔法が使えないことも知らずに『沈黙の森』をうろついているなど、不可解な点も多かった。だがその印象はのちに決定的に覆されることとなった。
 『沈黙の森』の出口で待ち構えていたアルシオーネの攻撃を受け、海は瀕死の重傷を負った。そのときただ一人魔法を使うことができた光が必死で応戦していたが、力の差は火を見るよりも明らかだった。どう考えても彼女たちに勝ち目はなかった。それでも風は、フェリオに助けを求めることはしなかった。
「これは、私たちの戦いです」
 そのときの彼女の言葉は、今もフェリオの胸にはっきりと刻まれている。あの横顔に惚れたのだ。凛々しく、自分の前に立ちはだかる壁がどれほど高くとも怯えない、その強さに。
 そのとき初めて自分のために強くなりたいと思った。風の横顔が持つ凛々しさに負けない強さを自分も欲しいと思った。誰かのためではなく自分のために。自分が、彼女の隣に立って恥ずかしくないように。
 その気持ちはフェリオを変えた。城へ戻り、「王子」と呼ばれることを受け入れることを決めた。自らに課せられた運命から逃げてはいけないと教えてくれたのは、風だった。


 風にはいつも教えられてばかりだ。数日前の夜、フェリオのことが好きだと切実に訴えた彼女の涙は、自分の心を偽ることなどできないのだということを教えてくれた。風の真っすぐな想いはフェリオを素直にさせた。だが素直になることは痛みを伴うものでもあるのだとは、フェリオはこれまで知らなかった。
 失うことなどできない。もうずっと、彼女と離れ離れにならなければならないことを苦痛だと感じていた。たまの逢瀬も、再会への悦びよりもすぐにやってくる別れへの辛さをより強く感じさせるものになっていた。だがそれを口にすることはできなかった。口にすれば風を傷つける。フェリオへの想いと自らの祖国への想いとで、風は悩み、傷つくだろう。そのため二の足を踏んでいた。彼女を傷つけたくなくて、決断を風に委ねていた。だがそうして逃げ続ける態度こそが、何よりも風を傷つけていたのかもしれなかった。

 もう戻れないのだ。あの夜、無我夢中で風の体温を感じながらも、心のどこかにいるもうひとりのフェリオは冷めてそう考えていた。その事実はフェリオを震え上がらせた。「戻れない」――フェリオの背中にのしかかるのは惨酷な現実だった。「俺のものになれ」とは言ったが、風の人生を俺のために捧げろと言うことは、果たして本当に正しいことなのだろうか。家族のいない俺のために風に家族を捨てることを強いるのは、本当に彼女のためになるのだろうか。
 しかし、そうして風のためを思うが故の逡巡であるように見せかけながらその実、フェリオ自身が怖がっていただけだった。今後一生をかけて風を守っていけるのか、自信が持てないだけだった。

 しかし、たとえ自信がなくてもやらなければならないのだ。自らの心に素直になるのならば、答えは一つしかない。風は手放せられない。いつまでも隣にいてほしい。そのためには、俺も覚悟を決めなければならない。
 それでもまだ迷いがあった。その迷いを振り切るために、風にこの胸の内を聞いてほしいと思った。だからあの日、本当は風が東京へと帰るはずだった日、その話をするつもりで彼女を連れ出した。だが結局、決意の根幹を伝えることはできなかった。これもひとつの運命か――そう思ってほろ苦く笑ったのだが、その直後、思いがけずフェリオの目を覚まさせる出来事が起きた。異世界とをつなぐ『道』が、突如として閉ざされたのだ。
 あれはフェリオの心を大きく揺さぶった。『道』を実際に閉ざしたのは別の人間かもしれないが、そうなることを願ったのは風だった。彼女はどんなに傷ついてもセフィーロに留まることを選んだ。フェリオの隣で生きていくことを選んだ。

 またしても、風に教えられた。逃げてばかりではいけないのだと。「運命」とは自らが切り拓いていくもので、その濁流に自らが飲まれるようではいけない。ひとつの想いを貫こうとすれば深く傷つくこともあるかもしれないが、傷つくことを恐れていては、前には進めない。
 まったく、本当に「王子」の肩書がふさわしいのは風の方かもしれない。思わず自嘲気味に笑った、そのときだった。不意に背後の扉が三度ノックされた。

 あぐらを掻いた太ももに乗せていた肘が、反射的にずり落ちた。振り返ったフェリオは瞠目した。扉の外に、たった今脳裏に思い描いていた人が立っていたからだ。
 観音開きの扉のうち、一方だけが開かれている。その状態で放置していたのはフェリオ自身だった。その扉に手を添えて、一人の娘が立っている。ほっとしたような笑みを浮かべているのは、紛れもなく風だった。
「あなたの気配を、こちらに感じたものですから」
 彼女の言葉を原動力にして、フェリオは立ち上がった。

 ここはかつてエメロードが使っていた『祈りの間』だった。ほとんど物は置かれていない。唯一祭壇に、エメロードがいつも座っていたソファがそのままの状態で置かれているくらいだ。
 この部屋を管轄しているのは導師クレフだった。ここを自由に出入りできる者は限られている。政の中心を担う人物でさえ、ここに入ることのできる者は少ない。だが今、風はいとも簡単にこの部屋へ足を踏み入れた。
 導師クレフは、風のことも中へ入れるようにしてくれていたのか。なんだかいろいろな想いが込み上げてきて、泣きそうになった。振り切るように笑い、フェリオは風に歩み寄った。
「どうしたんだ、こんな時間に」
 扉を閉めた風の目の前に立ち、フェリオは言った。時刻はそろそろ深夜を廻ろうとしている頃合いだった。
「眠れなくて」と言って、風は軽く肩を竦めた。「それに、ここのところ、あなたとゆっくりお話をすることができていませんでしたから」
 胸がちくりとした。咄嗟に言葉が出なかったフェリオを見て、風は一瞬戸惑うように視線を揺らがせた。だがすぐに、何事もなかったかのようにいつもの穏やかな笑みを取り戻していた。
 気を遣わせているのだと思うと申し訳なかった。フェリオは黙ってその場でしゃがみ、扉に寄りかかった。風も隣で同じようにした。左肩が、今にも触れそうな風の体温を探していた。

「フウ」
 フェリオは徐に口を開いた。はい、と風が答えた。
「『帰りたくない』って、願ったんだろ」
「え?」
「『道』が閉ざされたときのことだ」
 フェリオは風の方へ首を傾けた。瞠目した風を見て、思わず苦笑した。
「おまえの『願い』は、『トウキョウに帰りたくない』ということだったんだな」
 風はフェリオから視線を外し、俯くと、まるで自らを護るように膝を軽く抱いた。ネグリジェの裾から覗く白い足首が、妙に艶めかしかった。
「そうです。東京に帰りたくないと願いました。ずっとセフィーロに、あなたの隣にいたいと願いました。迷惑でしたか?」
 一息に言い切った横顔は張りつめ、傷つくことを恐れている。フェリオは眉尻を下げてかぶりを振った。
「そんなわけないだろ」
 風がほっと息をついてこちらを見上げた。ようやく浮かんだ細い笑顔をしっかりと受け止め、しかしフェリオは続けた。
「だが、おまえがこのままセフィーロに留まり続けることを、俺はいいことだとは思わない」
 風の頬が一瞬にして強張った。フェリオは否応なく感じた胸の痛みを無理やり振り払い、風を真っすぐに見返した。
「いいか、フウ。いずれ、『道』を開く方法は必ず見つかる。そうしたら、おまえは『異世界』に帰れ」
 しん、と空気が冷えた。部屋を照らしているいくつもの蝋燭が、はかなげに揺らいだ。

「どうしてですの?」
 流れていた沈黙の隙間から、風が囁いた。声色が憂いと緊張を帯びていた。
「やはり、私がそばにいるのはご迷惑ですか」
「そうじゃない」
「それならどうして」と風は声を荒げた。「どうしてそんなことをおっしゃるのです。東京へ帰れなんて、そんな」
「落ち着け、フウ」
 フェリオは風を遮った。そして彼女の両肩をぐっとつかむと、正面から向かい合った。風が怯む。彼女の細い肩は、フェリオが少しでも手に力を込めたら簡単に折れてしまいそうなほどに細い。この細い体を支えることを風が赦してくれるというのなら、俺はいつも隣にいたいと思う。

「聞いてくれ、フウ。俺が『異世界に帰れ』と言うのは、ずっとおまえと一緒にいるためだ」
「え?」
 風が目を丸くした。フェリオはうなずいた。
「知ってのとおり、俺は天涯孤独の身だ。身寄りは一人もいない。だがおまえは違う。おまえには家族がいる。家族は離れ離れで暮らすべきじゃない。だから本来なら、俺がおまえの世界へ行っておまえの家族と一緒に暮らすのが道理だ。俺だって、赦されるのならそうしたい。だがそういうわけにはいかない。俺の命はもう、俺だけのものではないからな。ありがたいことに、この世界ではたくさんの人が俺のことを必要としてくれている」
 風は神妙にうなずいた。彼女の聡明さが嬉しかった。フェリオは風の肩をつかんだ手の力をほんの少しだけ緩めた。
「俺はセフィーロを離れられない。心を決めたよ。この国を率いていく立場に立つことを受け入れようと思う。おまえのことを、その覚悟ごと支えられるような強さを手に入れたいんだ。おまえが隣に立ったときに恥ずかしいと思われないような男に、俺はなりたい」
 風は瞠目した。フェリオは風の肩から完全に手を離し、背筋をピンと伸ばした。
「簡単なことじゃない。それはわかってる。けど、どんなときでも俺が必ずおまえを護る。世界中の全員を敵に回しても、俺はいつもおまえの味方になる。だから、俺の隣にいてほしい。だが、そのためにおまえに『異世界』を捨てることを強要したくはないんだ」
 言葉の途中から、風の頬を涙が濡らし始めた。こぼれ落ちる粒はどんどん大きくなり、ぽろぽろと、まるで一粒一粒がダイヤモンドの原石のようだった。
「俺はおまえに、親兄弟を失わせたくない。だからおまえは、一度異世界へ戻るんだ。家族とけんか別れしたままになんてしないでくれ。俺と同じくらい、家族のことも大切にしてほしい。俺ができなかった分まで。おまえの家族は、俺にとっても家族だから」

 フェリオが言い終わると、風はわっと両手で顔を覆った。その指の隙間からも涙がどんどん落ちる。そんな彼女の肩に、今度はそっと優しく、フェリオは片方の手を置いた。
「いつか必ず、『道』を見つけ出そう」
 はい、と風が言った。彼女は三度、顔を手で覆ったままうなずいた。フェリオはそっと風を抱き寄せた。包んだ背中は小刻みに震え続けた。この背中は自分が護る。フェリオは改めて自分自身に言い聞かせた。
 風が肩口に顔を埋める。いつも気丈な彼女がこうして自分の前でだけは涙を見せてくれることが、こんなときなのに不謹慎にも嬉しかった。
「ありがとうございます、フェリオ」
 答える代わりに、フェリオは風をぎゅっと強く抱きしめた。もう、「好き」でも「愛してる」でも足りなかった。もっと深く、もっと強く彼女を必要とし、尊く思っている。

 風の柔らかい髪を撫でながら、フェリオは顔を上げた。今は亡き姉の面影が、祭壇の上にぼんやりと浮かんで見えた。
 不思議なめぐり合わせがそこに横たわっているように感じた。エメロードが『柱』に選ばれることがなければ、こうして風に出逢うこともなかった。そう思うと、まるでエメロードが自分たちを引き合わせてくれたような気がした。
 姉が『柱』に選ばれたことを、フェリオはずっと哀しいことだと思っていた。笑顔の裏にいつも哀しみが見え隠れしていたように、エメロードの本心もまた、あの笑顔の裏に隠れていたのだろうとばかり思っていた。だがひょっとしたら、エメロードの人生は哀しみ一辺倒というわけではなかったのかもしれない。長い時を生きる中で、彼女にも、確かな幸せを感じた瞬間もあっただろう。
 死にゆく姉が一瞬見せた心からの笑みが、脳裏に鮮やかによみがえった。あるいはあの一瞬で、彼女の抱えていた苦悩のすべては浄化されたのかもしれない。

 すべては輪廻なのだ。フェリオは風の温もりを抱きながら思った。楽しいことばかりの日々などあり得ず、哀しいままで終わる一生もない。人は、喜びと哀しみを繰り返しながら、それぞれの人生を生きていく。
 それでもできることなら、風には幸多き人生を送ってほしい。その一助になることが、今のフェリオの望みだった。
 見守っていてください、姉上。フェリオは心の中で祈り、そっと目を閉じた。




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篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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