蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

夢のあとさき バレンタインデー(後篇)

連作短編集 『夢のあとさき』

こんな漫画みたいな展開が本当にあるんだと、私は一瞬唖然としてしまった。

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 翌朝は、雲一つない青空が広がった。けれどそんなすがすがしい空とは裏腹に、寝不足の私の頭は冴えなかった。ただでさえ眠いのに、この冬一番の寒さが眠気に拍車をかける。遅めの足取りで校門へ向かいながら、何度目か知れぬあくびをした。
「間抜け面に磨きがかかっているな」
 突然すぐ後ろから声がしたので、私は驚いて小さく悲鳴を上げた。けれどぱっと振り返ってそこにいた人を見たときには、悲鳴はため息に変わっていた。
「うるさいわね、クレフ。間抜け面なんかしてないわよ」
「歩きながらあくびをするなど、間抜け面と言って差し支えないと思うが?」
 にやりとこちらを見下ろすドヤ顔が心底憎い。でも、ここで言い返しても不毛な議論が続くだけだ。私は湧き上がりかけた憎しみに蓋をするように、かぶりを振った。
「そもそも、なんで『間抜け面』なんていう日本語を知ってるのよ。半年前には『こんにちは』しか話せなかった人の使う言葉じゃないわ」
「失敬な。『はじめまして』も知っていたぞ」
「『五十歩百歩』って言うのよ、そういうの」

 クレフがイギリスからの留学生として私のクラスにやってきたのは、去年の夏休み明けのことだった。今でこそこうして普通に――という表現が正しいのかはさておき――会話ができているけれど、来たばかりのころは、冗談抜きで「こんにちは」くらいしか通じなかった。たまたま私の隣の席が空席だったというだけでそこがクレフの席になり、そのため私はクレフの日本語の先生まがいのことをすることになってしまった。最初は会話の8割以上が英語だったけれど、そのうち日本語が8割になるまでにそう長い時間はかからなかった。もともと頭は悪くないのだろう、外国人には難しいとされる日本語を、クレフは驚異的なスピードでマスターしていった。今では日常会話で困ることはほとんどなかった。
 でも、クレフの話し方は少しおかしい。時代劇とか大河ドラマが好きらしく、そういうものばかり見ているせいで、やけに昔の人みたいな話し方をする。しかも毒舌だから、彼の紡ぐ言葉はときにかなり辛辣だった。

 寝不足の朝に会う人としてはもっとも避けたかった人物だと思う。放っておいてくれたらよかったのに。そう思ってちらりとクレフを横目ににらんだ私は、ふと、彼がその手に通学鞄以外のものを提げているのを見止めた。
「ねえ、それって……」
 クレフは一瞬きょとんとした。けれど彼の手にしているものを私が指差すと、「ああ」と納得したようにうなずいた。
「来る途中で渡されたのだ」
 クレフの手には、一見男の子には似つかわしくない、いずれも洒落たデザインの小ぶりな紙袋が三つぶら下がっていた。どれもこれも有名なショコラティエの紙袋ばかりだ。中には一粒400円もするようなところの袋もあった。
 私は驚いて目を丸くし、まじまじとクレフを見た。
『クレフにチョコレートあげようと思ってる子も結構いるよ』
 昨日光が言っていた言葉が脳裏を過る。あのときはあり得ないと思って歯牙にもかけなかったけれど、どうやらあながち冗談でもなかったのかもしれない。まだ朝の8時だというのに、すでに三つもチョコレートをもらっているなんて。
「モテ男じゃない。そんなにたくさん、チョコレートもらうなんて」
 私は肘でクレフを小突いた。ここで照れるそぶりの一つでも見せればかわいいのに、クレフは顔を赤らめることすらなかった。それどころか、なぜか迷惑そうにため息をつく始末だった。
「断ったのだが、押しつけられたのだ。欲しかったわけでもない」
「べつに、くれるって言うんだからもらっておいたらいいじゃない」
「甘いものは苦手なのだ」
「え、そうなの?」
 私と同じね。そう言いかけて、けれどやめた。クレフと共通点があるということは、なんとなく簡単には認めたくないことだった。

 周囲を見回せば、女子生徒の多くが紙袋を提げている。玄関に向かう後姿が皆、気のせいか浮かれているように見えなくもない。そういえば、どうしてバレンタインはチョコレートなのだろうと私は思った。クレフみたいに甘いものが苦手な男子は、結構多くいそうな気がする。チョコレートなら、むしろ女子の方が好むだろうに。
「甘いものが苦手なら、今日は大変かもしれないわね」と私は自分の下駄箱を開けながら言った。「何しろ日本じゃ、バレンタインといえばチョコレートだか――」
「ら」と言ったつもりが、「ぎゃ」になった。突然誰かに頭を殴られたからだ。
「ちょっと、何する――きゃっ!」
 その後私は立て続けに攻撃を受けた。さすがに誰かが殴っているわけではないらしいとはすぐに気づいた。上から何かが落ちてきているのだ。
 一つひとつの衝撃はさほど大きくないけれど、それが何度も続けばさすがに堪える。ようやく何も落ちてこなくなったところで恐る恐る顔を上げると、まず見えたのは呆然としているクレフの横顔だった。彼は自分の下駄箱を開けたところで硬直していた。
 はっとして、私は地面に視線を下ろした。すると、まるでクレフと私を囲むようにして無数のギフトボックスが散乱していた。私を襲ったのは間違いなくそのギフトボックスたちだった。そしてそれらが詰められていたのは、クレフの下駄箱に違いなかった。

「……うそ」
 こんな漫画みたいな展開が本当にあるんだと、私は一瞬唖然としてしまった。それからはっと思い立ち、大急ぎで靴を履きかえるとクレフをその場に置いて裏側の下駄箱へ廻った。すると案の定、そこでも同じようにギフトボックスが散乱していた。その中心に立っているのは言わずもがな、イーグル先輩だった。
 しかも先輩が周囲のチョコレートを拾っているあいだにも、別の女子生徒が近づいていってチョコレートを渡している。いったい何個のチョコレートが先輩のところに集まっているのかわからない。中には下駄箱から落ちるときに変な落ち方をしてしまったのか、ラッピングが解けてしまっているものもあった。
 もうだめかも、と私は思った。今立っているところから一歩踏み出して先輩にチョコレートを渡す勇気は、私にはなかった。

***

「それじゃ、お先。また明日ね、海」
「お疲れさま」
 シャワールームから更衣室へ戻ると、最後まで残っていた同級生が入れ違いに出ていった。濃い夕焼けに染まるフェンシング部専用の更衣室には、海一人が残った。
 ロッカーを開け、制服を取り出そうとしたところで手が止まった。口が開いた鞄から覗くガトーショコラが目に留まったからだ。
 五個あったガトーショコラは二個にまで減っていた。パパにはもちろん家を出る前に渡せたし、ラファーガ先生と黒鋼先生にも会った瞬間に渡すことができていた。けれど肝心のイーグル先輩にはまだ渡せていない。タイミングを見つけられないままあっという間に時間は過ぎていってしまい、もう時刻は夕方だった。

 半分以上諦めている自分がいた。朝に玄関で見た光景があまりにも衝撃的で、足が竦んでしまっていた。あんなにたくさんのチョコレートをもらう人にとっては、どんなに心を込めて作ったものであったとしても、私のチョコレートなんてやっぱりその他大勢の中の一つにすぎないだろう。あわよくば告白して、もしかしたらそのまま付き合うことになんていう展開まで実は密かに期待していたけれど、それはあまりにも都合がよすぎる妄想だった。そもそも渡すことさえできないのに、告白なんて夢のまた夢だ。
 ため息を吐き出し、制服に袖を通す。仕方ないから余った分はパパとママにあげよう。これもひとつの運命だ。ほろ苦いバレンタインになってしまったけれど、ある意味では忘れられない思い出になった。来年また頑張ればいい。


 最後まで残った人は、使った場所の戸締りを確認してから帰らなければならないことになっている。まず更衣室を施錠すると、私は体育館へ向かった。誰もいないことを確認して、電気を消そうとした。ところがそのとき、用具室の方から微かに物音が聞こえた気がして、はたと手を止めた。
 まだ後片付けに残っている人がいたのだろうか。開け放たれた用具室を何気なく覗き込んだ私は、けれどそこにいた人を見て絶句した。
「イーグル先輩……?」
 鳶色の髪が、夕陽を浴びて金色に輝いている。ゆっくりとこちらを振り向いたのは、間違いなくイーグル先輩だった。彼はサッカーボールを手にしていた。私は途端に瞬きの回数が多くなった。
「どうしたんですか、こんなところで」
「ああ、ちょっと自主練をしていたんですよ。今日の練習で納得がいかなかったところがあって。でも、もう終わりました。ちょうどボールを返しに来たところです」
 にこやかに言うと、先輩はサッカーボールを籠に放り込んだ。

「龍咲さん、ですよね? 一年の」
 振り向いた先輩の言葉に、私は飛び上がらんばかりに驚き、思わず後ずさりしてしまった。
「ど……どうして、私の名前」
「知ってますよ。フェンシング部期待の星なんですよね。顧問の黒鋼先生、僕のクラスの担任ですから、よく聞かされてますよ」
 あまりの感動に言葉が出なかった。イーグル先輩と二人きりで話す機会があって、しかも先輩は私の名前を憶えていてくれた。もう他には何もいらないと思った。生まれて初めて本気で神様の存在を信じた瞬間だった。
 けれど感動はそこで終わりではなかった。用具室から出てきた先輩は、さらに思いがけないことを口にした。
「それに、去年の入学式の日にも会いましたよね」
 私は瞠目した。
「憶えてるんですか?」
「たしか、木にネクタイを引っかけたでしょう。きれいな子だなと思ったから、憶えてますよ」
 盆と正月が一緒に来たような気分だった。たとえば今ここで死んでも、悔いはないかもしれない。

 イーグル先輩は、用具室の扉を閉めると体育館の出口へ向かって歩き出した。ぼうっとその後姿を眺めていた私は、慌てて彼を呼び止めた。立ち止まった先輩が、きょとんとこちらを振りかぶる。私は急いで駆け寄ると、鞄からガトーショコラを取り出した。けれど渡す寸前でリボンの色が違っていることに気がついて、慌ててもう一つと取り替えた。
「あ……あの、これ」
 咄嗟に言葉が思い浮かばなかった。しかも恥ずかしさのあまり先輩を直視できず、俯いて、ただガトーショコラを突き出すことしかできなかった。
「僕に?」
 私はこくこくと首を縦に振った。
 一瞬の間があってから、袋を持っていた両手の感覚がふっと消えた。弾かれたように顔を上げると、ガトーショコラの入った袋はイーグル先輩の手の中にあった。
「ありがとう。大事にいただきますね」
 その瞬間の先輩は、私にとっての神様だった。文字どおり後光が差している。先輩の笑顔は、私のことも当たり前のように笑顔にした。

 先輩は私のガトーショコラを手に体育館を去っていった。その後姿を見えなくなるまで見送ると、私はその場でぺたんと座り込んだ。膝が笑う。頬が緩む。体育館に誰もいないのをいいことに、私はその場でのたうち回るように右へ左へ転がった。渡せた。ついに渡せた。告白はできなかったけれど、チョコレートは渡せた。しかもそれを受け取ってもらえた。
 ほろ苦いまま終わるはずだったバレンタインデーが、最高の日へと180度転換した。体育館を施錠すると、私は鼻歌を歌いながらスキップで玄関へと向かった。あまりに浮かれていたので、曲がり角の向こうから出てきた人の姿に気がつくのが一瞬遅れ、正面衝突しそうになった。
「ごめんなさ――あっ」
 すんでのところで衝突を回避し、慌てて頭を下げようとした。ところが相手が誰だったかを確かめると、私の謝罪の言葉は途中で止まった。
「あ」と相手も言った。クレフだった。

 なんとなく気まずい沈黙が流れる。それをやり過ごすように、私は努めて平静を装いながら歩き出した。まさかクレフの前でスキップはできないし、するつもりもなかった。すぐ後ろをクレフがついてくる。こういうときに限って、すれ違う人は誰もいない。
「ついてこないでよ」
「私も帰るところだ。仕方ないだろう」
 それもそうだ。なんてばかなことを言ってるんだろうと、さすがに自分でも思った。
 ちらりと振り返ると、クレフは片方の手に一冊の本を抱えていた。英語の長々しいタイトルの中で、判別できたのは「chess」の単語だけだった。よほど読み込んでいるのか、付箋がびっしりとついていた。
「チェス部って、こんなに遅くまでやってるのね」
「ああ、今は大会が迫っているからな」
 風も言っていたけれど、クレフのチェスの腕前は相当らしい。うちのチェス部には去年の全日本学生大会でチャンピオンに輝いた有名な生徒がいるのだけれど、クレフは入部したその日にその生徒を負かしたという話だった。私はチェスには明るくないけれど、チャンピオンを破るということは、クレフの実力は本物なのだろう。

 本を持っていない方の手で、クレフは鞄のほかに大きな紙袋を提げていた。鞄よりも大きいその紙袋は、入り口までぎっしりと中身が詰まっている。どうやら今日彼がもらったチョコレートがその中に入っているらしい。いったい何個のチョコレートが入っているのか、想像もつかなかった。
「渡せたのか」
 不意にクレフが言った。
「え?」
「サッカー部の主将には渡せたのかと訊いている」
 思わず立ち止まってしまった。クレフも私を追い越したところで片時足を止める。ちらりとこちらを見て、けれどクレフは何事もなかったかのようにすぐに歩き出した。
「ど、どどどどうしてイーグル先輩が出てくるのよ」
 私は慌ててクレフの後を追った。先輩にチョコレートを渡したときよりも緊張していた。
「おまえの態度を見ていれば一目瞭然だ」
 私は動揺した。そして動揺しているというその事実にまた動揺した。イーグル先輩に対する気持ちについて、光や風に指摘されたときはしぶしぶとはいえ認めることができたけれど、今は全然違う風に感じていた。

 理由はよくわからない。でも、クレフに対してはどうしても弁解がしたくなった。私は咄嗟にクレフの前へ廻ると、彼と向き合って立ち止まった。クレフはぎょっと目を見開き、思わずといったように足を止めた。私は残っていた最後のガトーショコラを鞄から取り出すと、それをクレフの胸に押しつけた。
「これ、イーグル先輩にあげたのと同じものだから」と私は言った。「勘違いしないでよね。ラファーガ先生にも、黒鋼先生にもあげたんだから」
「……私に?」
 クレフはガトーショコラを手に取ると、ぱちくりと目を丸くした。その大きな瞳で真っすぐに見られることがたまらなく恥ずかしくて、私は思わず顔を逸らした。そうしてから、そういえばクレフは甘いものが苦手だと言っていたことを思い出した。
「べつに、無理して食べなくてもいいわよ。今までにもらった分だけでも、消化するのが大変だろうし。なんなら、私が代わりに食べてあげても――」
 そこで私ははたと言葉を止めた。急にクレフがくすくすと笑いだしたからだ。
「……何がおかしいのよ」
「いや」とクレフは言った。「『くれると言うものはもらっておけ』と言ったのはおまえだろう」
 思いがけないことを言われて、私は目を丸くした。
「それはそうだけど、でも」
「だからもらっておく。ありがとう」
 そんなに素直にお礼を言われるとは思わなくて、しかもなんだかクレフの表情がずいぶんと嬉しそうで、私は咄嗟に言葉を返せなかった。

「……私、ちょっと先生のところに用事があるから」
 それ以上クレフと一緒にいられる気がしなくて、苦し紛れの言い訳をすると、私は駆け足でその場を去った。クレフは何も言わなかった。追いかけても来なかった。
 職員室の手前の角を曲がったところで立ち止まる。当然先生に用事などなかった。何度か深呼吸をして、上がった息を整える。呼吸はすぐに落ち着いたけれど、速い鼓動はなかなか収まってくれなかった。
 ふと見上げると、空の半分以上が闇に覆われていた。バレンタインデーが終わろうとしている。
 五個用意したガトーショコラは、思いがけない形ですべてさばき切ることになった。なんとなく気分がいい。大本命だった先輩に渡すことができたのはもちろん、いつもは冷たいクレフがあんなに素直に喜んでくれたことが、私にとっては最大のサプライズだった。「ありがとう」と言われたら、相手が誰であっても悪い気はしない。
「どういたしまして」
 窓の向こうの夜空に向かって、私は呟いた。一番星が、まるで応えるようにウインクをした。




『夢のあとさき』 バレンタインデー 完





今後ちゃんとクレ海になる予定ですw
ここまで読んでくださってありがとうございました^^

2014.02.14 up




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篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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