蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 25. 眩暈

長編 『蒼穹の果てに』

人は一人では生きていけない。エメロード姫を間近で見守り、いち早く姫のザガートに対する想いに気づいていたクレフなら、そのことを誰よりもよくわかっているはずだ。

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 固く閉ざされた瀟洒な扉を見上げ、海はため息をついた。想像はしていたけれど、やはり本当に開かれないとなると、少なからず傷ついた。
 この中にクレフがいるのかいないのか、海にはそれさえもわからない。いないならいないでほかのところへ探しに行くこともできるのだけれど、いるかもしれないと思うと動けない。それに、ここは彼の自室だから、たとえ今どこかへ行っているのだとしてもいつかは必ず帰ってくるだろうという期待もあった。もっとも、たとえば窓から入られたらそれまでだけれど。
 せめて気配を追うことができたらいいのにと切に思う。けれどクレフの気配はランティスでさえも追うのが難しいというのだから、海に追えるはずもなかった。

 扉に背を預け、何度目か知れぬため息とともに視線を落とす。回廊の端に並ぶ柱が太い影を作り、海の足元を覆った。時刻はまだ昼下がりで、影はくっきりとした輪郭を持っている。光が強まれば強まるほど、影も濃くなる。心に燻る気持ちを、海は無視できなかった。
「クレフ」
 どこにいるのかもわからない人の名を、ぽつりと呟く。風が吹き込んできて、海のスカートの裾を揺らした。その動きをぼんやりと眺めていると、いつもクレフの後を追いかけるように靡いているあの長いローブのことを思い出した。広間を去っていったときのクレフの小さな後姿は、こちらを拒絶しているように見えた。あのときはっきりと感じた胸の痛みは、つい今しがた感じたものであるかのようにそこに残っている。
「どうして何も話してくれないの?」

 こちらの世界で過ごすようになって今日が六日目だけれど、この間、海がクレフと話をすることができたのは初日の夜だけだった。それ以降、どれほど訪ねてもクレフがこの部屋の扉を開けてくれることはなかった。避けられていると考えるのが普通だろう。でも避けられるような理由は、海にはまったく思い浮かばなかった。
 海を避けているというより、クレフの方が人から見られることを避けていると言った方が正しいかもしれない。仕事で忙しいだけなのよ、と何度も自分に言い聞かせようとしたけれど、できなかった。クレフは十中八九、何かを隠している。
 クレフが隠そうとすればするほどその中身を知りたくなる。それがたとえどんなことであったとしてもだ。なぜならクレフが隠し事をするのは決まって周りの人のためだからだ。クレフが何かを隠そうとするとき、それがクレフの保身のためだったことは一度もない。それどころか、クレフがすべてを背負い、周りの人を護るためだったことばかりだ。

 半年前、クレフと話をしたときのことを思い出す。あのときクレフは、高校生活が不安だと漏らした海に「私はいつもここにいて、おまえの話を聞こう」と約束してくれた。あのときの言葉があったから、海はその後高校生活を満喫することができたと言っても過言ではない。クレフはいつも私の話を聞き、私のことを助けてくれる。それがどれだけ大きな力になっているか、クレフは気づいていないだろう。
 クレフが約束してくれたときは純粋に嬉しかった。けれど今はもう、ただ話を聞いてもらうだけでは満足できなくなっていた。自分ばかりが心を打ち明けるのではなくて、クレフにも、不安に思っていることがあるのならそれを打ち明けてほしい。いつしか海はそう思うようになっていた。

 クレフはこの世界で一番強い。先ほど大広間でザズを捜すために魔法を使ったのを見て、改めてそう思った。クレフが魔法を使うところを見るのは、意外にもあまりあることではなかった。でも、クレフが本気を出したらきっと誰もかなわないのだろうと、今日誰に言われるでもなく納得した。
 あれほどの力がある人は、誰かに護ってもらう必要などないのかもしれない。けれど海はどうしてもそうは思えなかった。クレフが自分のことも護ろうとするような人ならば話は別だ。でもクレフは、いつも自分のことを優先順位の最下位に位置づけている。そういうところが危なっかしくて、放っておけない。こんなことを言ったら笑われるかもしれないけれど、クレフのことは誰かが護らなければいけないと思うのだ。
 人は一人では生きていけない。エメロード姫を間近で見守り、いち早く姫のザガートに対する想いに気づいていたクレフなら、そのことを誰よりもよくわかっているはずだ。それなのにクレフはいつも一人で生きようとする。まるで自分のことだけは愛していないみたいに――

「海ちゃん?」
 突然呼ばれて、海ははっと顔を上げた。すると顔の周りで雫が霧散した。その事実に、誰よりも海自身が驚いた。涙をこぼしていたことに、ちっとも気がついていなかった。
「どうしたの、だいじょうぶ?」
 慌てて駆け寄ってきたのは光だった。海は急いで涙を拭い、ほほ笑んだ。
「ごめんね、光。ありがとう、だいじょうぶよ。自分でもびっくりしちゃった。泣いてるつもりなんて全然なかったから」
 笑顔で言ったにもかかわらず、光の表情は冴えない。「本当にだいじょうぶよ」と繰り返すと、ようやくうっすらとながらも笑ってくれた。けれどそれは本当に一瞬のことだった。光はすぐに表情を引き締めると、海が寄りかかっていた扉を見上げた。
「クレフ、いないのかな」
 意志とは無関係に眉が動いた。海は深呼吸をしてから力なくかぶりを振った。
「わからないわ。いつもなら、もしも中にいれば扉を開けてくれるんだけど」
 扉から背を離し、光の隣に並び立つようにして首をもたげる。いつもそんな風に感じたことはないのに、今日はその扉がまるで越えられない壁として立ちはだかっているように感じた。

「光もクレフに会いにきたの?」
 ううん、と光はかぶりを振った。
「ラファーガのところへ行く途中で、ここを通りかかったんだ」
「ラファーガ? ああ……」
 海が光の目的に気がついてうなずくと、光も同じように首肯した。
「ラファーガ、何か知ってるみたいだったから、話を聞きに行こうと思って」
 大広間で、ジェオのポケットから落ちた紙を拾ったときのラファーガの様子は確かに不自然だった。まるで脅迫状を見たかのような顔だった。けれどその割には、もともと紙を持っていたジェオはさほど気にしている様子ではなかった。それほど重要なことが書かれていたわけではなかったのかもしれないけれど、それならそれで、ラファーガがあれほど強張った表情を見せるのは不自然だ。

「私も一緒に行くわ」
 海は光に向き直って言った。え、と光が瞬いた。
「いいのか? クレフのこと待ってなくて」
「ここで待っていても、いつ帰ってくるかわからないもの。それなら、少しでもザズの手がかりになることを探しに行きたいわ」
 クレフならどうするだろうと考えたら、答えは自ずとひとつに絞られた。クレフは、何か問題が起きたときにただ手をこまねいているような人ではない。きっと自分から動いて、何が起きているのか自分の目で確かめようとするだろう。海自身、ただクレフの帰りを待つという受け身の姿勢は性に合うものではなかった。
「善は急げよ。行きましょう、光」
「……『善は急げ』はちょっと違うんじゃないか?」
「細かいことはいいのよ。とにかく行きましょ」
 海は迷いのない足取りで歩き出した。後ろから光の笑い声がついてくる。ほんの少し、気分が軽くなっていた。

***

 ラファーガの気配を追っていくと、意外なところにたどり着いた。城を出て『精霊の森』を抜けたその先にある、開けた更地。湖が干からびたあとのように窪んだ空き地の真ん中に、ラファーガは一人、直立不動の姿勢で佇んでいた。剣を手にしている。その表情はまるで戦いに赴く直前の戦士のように険しかった。けれど一見したところ、近くに魔物の姿があるわけでもない。何をしているのだろう、と海は小首を傾げた。
「ラファー……」
「待って」
 声をかけようと身を乗り出した海を、けれど光が腕をつかんで制した。驚いて振り返ると、光は真剣なまなざしでラファーガのことを見ていた。
「剣の修行中みたいだ」
 海が一歩下がりラファーガを見た、その刹那のことだった。それまで微動だにしなかったラファーガが、まるでたった今目を覚ましたかのように突然動き出した。

 巧みに剣を操りながら、縦横無尽に窪地を駆け回る。敵の姿なんてどこにもないのに、まるで相対する存在が浮き上がって見えるかのような剣さばきだった。動きに少しも無駄がない。鮮やかな芸術作品のような身のこなしに、思わず見惚れた。
「たああっ!」
 最後の一撃は強烈だった。振りかざした剣を天から真っすぐ下ろすと、凄まじい剣圧が生まれ、窪地に砂埃が立ち込めた。まるでラファーガを中心につむじ風が巻き上がっているようだった。やがて砂埃が収まると、地面には一筋の真っすぐな亀裂が入っていた。圧力だけでできた亀裂だった。
 海は思わず隣に立った光を見た。あんなに強い人と、光はかつて面と向かって戦ったことがあるのだ。いまさらながらあれはすごいことだったんだと思い、鳥肌が立った。

 ラファーガが剣の構えを解く。ふう、と彼が息をついたのを見て、光が拍手をした。
「すごいね、ラファーガ」
 こちらを振りかぶったラファーガは、驚いたように目を丸くした。どうやら海たちが見ていることには気づいていなかったようだった。ばつが悪そうな顔になったラファーガは、手にしていた剣を腰に挿した。
「見ていたのか」
 そのがたいの良さからは意外なほど軽々とした身のこなしで、ラファーガは窪地から出てきた。海たちも歩み寄る。こうして近くで対峙すると、ラファーガは相当首を傾けて見上げなければならないほどの大男だった。
「ラファーガ、いつもここで修行してるのか?」
 光が目を輝かせて訊いた。
「時間があるときはな」
 ラファーガは肩を竦めてみせた。修行の現場を見られたことに照れているのか、頬がほんの少し染まっていた。
「ところで、私に何か用か」
 途端、光は口を噤んだ。ちらりと海の方へと向けられた彼女の視線は、話題を変える糸口を探して彷徨っているように見えた。
「聞きたいことがあるの。ザズのことで」
 海は光から会話のバトンを受け取り、意を決して口火を切った。するとラファーガの表情にさっと緊張が走った。そこを突くように、光が海の後を続けた。
「さっき大広間で、ジェオのポケットから紙切れみたいなのが落ちたよね。あれ、いったい何が書かれてあったんだ?」
「クレフに訊こうと思ったんだけど、つかまらないの。ラファーガ、何か知ってることがあるなら教えてくれないかしら」
 ラファーガは顔を逸らし、黙した。けれどこの沈黙は想定の範囲内だった。ラファーガは口の軽い男ではない。
 もちろん、だからといってここで引き下がるつもりもなかった。少しでも手がかりがあるのなら、見逃すわけにはいかない。東京へ戻れるめどが立たない以上、セフィーロで起きている問題はそのまま海たち自身の問題でもあった。

 ふとラファーガは海たちに背を向け、近くにあった岩場に腰を下ろした。そして脇に挿していた剣を抜き、懐から取り出した布で表面を磨き始めた。
「ねえ、ラファーガ」
 海たちはラファーガを挟むようにして隣に座った。どんなにじっと見つめてもラファーガの表情は変わらない。それでも海たちは懸命にその横顔に視線を送り続けた。そうしているうちにラファーガが根負けしてくれることを期待していた。
 そしてそのときはついにやってきた。
「導師クレフから他言無用だと念を押されている」
 剣を磨く手を止めることなく、ラファーガは押し殺した声で言った。
「たとえおまえたちが相手でも、導師に断りなく話すわけにはいかない」
「クレフの『他言無用』は『一人で抱え込んでいる』っていう意味よ」
 海が言うと、ラファーガの手がぴたりと止まった。
「あの紙に書かれてあったものだけでも教えてくれないか」と光が畳みかけた。
 クレフは今もどこかで一人苦しんでいるのだろうか。あの小さな背中が丸まるさまを想像すると、胸が締めつけられるように痛んだ。私では力不足かもしれないけれど、お願いだからひとりで全部背負い込もうとしないで。海は心の中で叫んだ。クレフのことを護りたい。海にあるのはその気持ちだけだった。

 ラファーガからため息が落ちる。彼は剣を磨いていた布を懐にしまうと、膝の上に置いていた剣を片手で握り直し、切っ先を足元の砂地へ向けた。
「あの紙に描かれていたのは、何かの模様だ」
「模様?」
 海たちも地面を見る。するとラファーガの手にした剣が、さらさらと砂を擦りながら地面に「それ」を描き出した。
 ためらうことなく動いたその剣先が地面から離れたとき、海は軽い眩暈を覚えた。一瞬視界が揺らぐ。ぎゅっと目を閉じてもう一度開けると、その眩暈は簡単に治った。開かれた目は、地面に描かれたものに釘付けになった。
「星……?」
 確信なく呟いたのは光だった。海は無言のままうなずいた。ラファーガが描いたのは確かに「星」だった。海は顔を上げてラファーガを見た。
「これがあの紙に描かれていたっていうの?」
「ああ」とラファーガはうなずき、海を見返した。「教えられるのはここまでだ」
 ラファーガはすっくと立ち上がった。彼は自分が描いたものを跨ぐと、また窪地へ向かって歩いていった。その後姿を止めようとはもう思わなかった。「教えられるのはここまで」というラファーガの言葉は揺るぎなく、これ以上のことを彼から訊き出すことはできそうになかった。

「ねえ、海ちゃん」
 不意に光が言った。彼女は地面に視線を落としたままだった。
「私これ、どこかで見たことがあるような気がする」
 海は一度深呼吸をした。胸が妙にどきどきしていた。
「光もなの?」
 光が顔を上げた。一度顔を見合わせ、それから二人は同時に地面を見た。どこで見たのかまでは思い出せないけれど、そこに描かれたものははっきりとしたデジャヴでもって海に迫ってきた。星は星でも、六芒星だった。見つめていると、まるでその中に吸い込まれていきそうな錯覚を覚えた。
 どこで見たのだろう。ここまで出ているのに、あと少しのところで記憶に靄が掛かって思い出せない。思い出そうとすればするほどなぜか吹きつけてくる風の温度が急に幾度も下がるように感じて、海は思わず身震いした。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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