蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 26. 虹のふもと

長編 『蒼穹の果てに』

ふんぞり返る女の子の奥で、エリーゼが穏やかにほほ笑んでいる。やっぱり全然似てないと、クレフは思う。

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 『主』の住み処は長い長い坂の上にあった。あまりにも長いので、クレフは途中で何度も休憩を取らなければ『主』の住み処へはたどり着くことができなかった。ある日、「いつか一度も立ち止まらずにこの坂を駆け上がれるようになりたい」とこぼすと、『主』は笑って「魔法を使えばよいではないか」と言った。それもそうだが、魔法に頼らずに自分の手でやり遂げることにこそ意味があるのだ。けれど幼かったクレフの語彙はじゅうぶんでなく、そういう趣旨のことをうまく説明できなかった。

 その日、『主』の気配は住み処の方にあった。『主』はひとところに長く留まっている人ではなく、ゼファーの中であればどこでも気まぐれに出没するような人だったので、クレフは急いで『主』のところへ行こうと坂を全速力で駆け上がり始めた。ところがいくらも進まないうちに、あっけなく足を止めることになった。ただそれは、いつものように息を切らしたがために止めたのではなかった。クレフは自らの意志で立ち止まることを選んだ。振り返った空に、七色の橋が架かっていたからだ。
「うわあ……!」
 そのころは、虹というのは一年に一度見られるかどうかというほど貴重なものだった。クレフは久々に目にするその鮮やかな橋に見惚れた。そうしているうちに、同じ年ごろの子どもたちが虹にまつわる不思議な噂を口にしていたことを思い出した。

「どうした、クレフ」
 虹を見るのに熱中していて、背後に人が近づいてきていたことに気づかなかった。思わず「うわっ」と声が上がった。バランスを崩し、前につんのめる。クレフは咄嗟に『風』を呼んだ。たとえそのまま転げたとしても、背後にいる人が手を差し伸べてくれることはないとわかっていたからだ。
 どこからともなく吹いてきた風は、間一髪のところでクレフの体を支えてくれた。そっと地面に降り立つと、クレフは礼を言って『風』を空へと返した。すると唐突に笑い声が響いた。クレフは背後にいる人を思い切りにらんだ。
「驚かさないでください、あるじさま」
 クレフにとっては全力の凄みも、『主』にとっては戯言に過ぎないのだろう。『主』の笑い声が止むことはなかった。白銀の髪が風に揺蕩う。『主』は美しい人だった。
「わたしが近づいていることにも気づかないとは、それほど何に熱中していたのだ」
 言われて、クレフは「あ」と声を上げた。慌てて空を見上げる。幸い虹はまだそこにあった。当分消えそうにないことを確かめて、クレフはまた『主』を見た。
「あるじさま。『虹のふもとには宝物が眠っている』って、ほんとですか」
「宝物?」
「はい」
「虹のふもとに?」
「はい」
 クレフは真剣だった。それが本当なら、これから虹のふもとへ行ってそこに眠っている宝物を『主』のために取ってくるつもりだった。『主』は嘘をつかない。噂の真偽を問いただすのに、『主』以上にふさわしい人はいなかった。
 ところが『主』は、クレフの期待したような答えはくれなかった。『主』はなぜか背を仰け反らせ、大きな声で笑い出したのだった。

 『主』の笑い声に同調するかのように、びゅうびゅうと風が吹き荒れる。坂道の両脇に連なる街路樹までも騒ぎ、まるでゼファー全体が笑っているかのようだった。
「笑い事ではありません」
 クレフは風に飛ばされないよう踏ん張りながら声を張り上げた。少しずつ『主』の声が小さくなっていく。『主』がようやく笑い止むと、そこかしこに落ち葉が塊を作った。街路樹の葉先はまだ揺れている。クレフと目を合わせた『主』は、どこかいたずらにほほ笑んだ。
「おまえはどう思う? 虹のふもとには宝物が眠っていると思うか」
 クレフはもう一度虹を見て、少し考えた。今日の虹は、ふもとがどこなのかはっきりわかるほどいつになく色が濃い。今から走れば間に合うかもしれない。けれど本当にそこに宝物があるのかどうかはわからない。
「わかりません」とクレフは『主』の方を向いて正直に答えた。「でも、宝物があればいいなと思います」
 『主』はまた笑った。今度は先ほどのように大げさなものではなく、もっと控えめな笑い方だった。
「では、行ってみなさい」
 『主』がそう言ってくれたことが、クレフは純粋に嬉しかった。ハイ、と答えたクレフは、坂道を力いっぱい駆け下り始めた。


 虹を見失わないよう、空を見上げたまま走っていたので、何度もけつまずきそうになった。そのたびに精霊たちに助けられながら、クレフは虹のふもとを目指して一直線に走り続けた。何かとてもすてきなものが待っていそうな予感がしていた。楽しそうね、と風の精霊に言われて初めて、自分が笑顔でいるのだと知った。
 ふもとが近づいてくると虹が急速に薄くなってきたので、クレフは焦った。あまりに急いだため、目の前に川があることに気がつかず飛び込んでしまいそうになったことがあったが、そのときは、たまたま近くにいた精獣に助けられた。そういった幸運も重なって、クレフは虹が消える直前にその場所にたどり着くことに成功した。虹はクレフが着いたのを見届けるようにして消えていった。

 虹のふもとと思われる場所にあったのは、平屋の小さな小屋だった。屋根も壁も扉も、すべてが木でできていた。窓が薄く開いていて、内側に掛かるレースのカーテンがそよ風に揺れている。そのカーテンが邪魔で、遠くからでは中の様子を窺うことはできない。
 クレフは周囲を見回した。四方は森に囲まれ、辺りには人が暮らしている気配がまったくと言っていいほどない。まるで小屋を作るためだけに森の一部分を切り取ったかのようだった。下り坂の長い一本道が伸びていて、その先に広がる街並みにこそ見覚えがあるが、今立っている場所自体はクレフにとっては初めて訪れるところだった。森に囲まれているためか、とても空気の澄んでいるところだった。

 まずは中に誰かいるのかどうか確かめようと、クレフはそっと、薄く開いた小屋の窓へ近づいた。窓はちょうど、クレフが背伸びをしなくてもいい高さから始まっていた。近づいてみると、遠くから見るよりも意外と大きな窓だった。枠に手を置き、クレフはそっと中を覗こうとした。けれどやはりカーテンが邪魔で見えない。それを払おうと手を伸ばしたのだが、背後から吹いてきた風がクレフの代わりにカーテンを向こうへ押しやった。そのときクレフははっきりと中を見た。それは一瞬のことだったはずなのに、まるでその一瞬だけ時間の流れが遅くなったかのように感じた。

 中には小ぶりなベッドがあった。小屋全体と同じように木でできたそのベッドには、背後から射し込む日の光が柔らかく当たっていた。そしてその明かりを頼りにして、ひとりの少女が本を読んでいた。
 そのすべては刹那のうちにクレフの視界に入ってきたことだった。風はすぐに止み、またカーテンが視界を覆った。
 なぜかクレフはぼんやりとしていた。われに返るまでには何度か瞬きをしなければならなかった。やっと正気を取り戻すと、クレフは今度こそ自らの手でカーテンをつかんだ。そろりとカーテンをよけ、隙間を作る。すると思いがけないことが起こった。先ほどは確かに本に目を落としていたと思った少女が、クレフの方を見ていたのだった。

 目が合った瞬間、クレフは反射的にカーテンから手を離していた。ぱっと窓に背を向け、少女から見えないよう頭を下げて壁に張りつく。耳の奥で心臓がどくどくと音を立てていた。いたずらを働いた後のような感じだった。見てはいけないものを見てしまったと思った。何も見なかったことにしよう。心に決めると、そっと壁から離れ、元来た道を戻ろうとした。ところがそのとき、
「待って」
 思いがけず呼び止められた。
「行かないで」
 鳥が囀るような声だった。クレフは恐る恐る窓のところへ戻り、カーテンを開けた。片目ずつ順に開け、そっと中を覗くと、やはり少女がいた。
 胸のあたりまでの長さがある薄い紅がかった銀色の髪は緩く一つにまとめられ、片方の肩を流れている。肌は着ている服と同じくらい白かった。その肌とは対照的に、瞳は濃い赤だった。まるで宝石のようなその双眸と視線がかち合うと、そのまま逸らせなくなった。
「嬉しい。ここまで来てくれたの、あなたが初めてよ」
 少女はふわりと笑ってそう言った。そんなばかな、と思ったが、かといって少女が嘘をついているとも思えなかった。風がいたずらにカーテンを外にさらおうとしたので、クレフは慌ててまとめ、片手でぎっちりと真ん中のあたりを押さえた。
「ずっとここにいるの?」
「うん」と少女はうなずいた。「病気なの」
「病気?」
「ここから出ちゃいけないって言われてるわ」
 少女は物悲しげにほほ笑んだ。見た目で判断する限り、少女はクレフとさほど変わらない年齢のはずなのに、その表情はいくつも年上に見えた。
「淋しいね」
 なんだかクレフまで哀しくなってしまい、思わず口走っていた。少女は微かに瞠目した。それからすぐに視線を落とし、小さな声で「うん」と言った。睫毛も髪と同じ色だった。

 それ以上どう声をかけたらいいのかわからずにいると、少女の方が不意にぱっと顔を上げた。その表情からはもう憂いが消えていた。
「私、エリーゼっていうの。あなたは?」
 突然変わった少女の表情と声色に、クレフは面食らった。けれど少女が泣き出さなかったことにほっとしたのも事実だった。もしも泣かれていたら、うまく慰めてあげられる自信がなかった。
「クレフだよ」
「……『クレフ』」
 エリーゼは咀嚼するようにクレフの名を口にした。それからにっこりと笑い、
「いい名前ね、クレフ」
 と言った。
 エリーゼに名前を呼ばれると、なぜだかとてもくすぐったかった。『主』に呼ばれるのとは全然違った。クレフは窓枠に腕を乗せ、部屋の中へ少し身を乗り出した。
「ねえ、また遊びに来てもいい?」
「来てくれるの?」
「だめ?」
 ううん、とエリーゼはかぶりを振った。
「だめなんかじゃない。とっても嬉しいわ。ほんとに、嬉しい」
 細められたエリーゼの目がはっきりそれとわかるほど潤んだので、クレフは慌てた。「どうして泣くの?」と訊くと、エリーゼは「嬉しいからよ」と答えた。クレフは大きく首を傾げた。嬉しくて泣くなんて、聞いたことがなかったからだ。けれどエリーゼが言うのだから、きっと嬉しくて涙が出ることもあるんだろうなと思った。

 言葉どおり、エリーゼは涙を滲ませながらもほほ笑んでいた。とてもかわいらしい笑顔だったけれど、どこか愁いを帯びてもいた。もしもエリーゼが心から笑ったとしたら、いったいどんな表情になるのだろう。できることならその笑顔を見たいと思った。
「いつかぼくが、君の病気を治してあげるよ」
 その言葉は自然とこぼれ出たものだった。病気さえ治れば、エリーゼはきっと心からの笑みを見せてくれるに違いないと思った。
 大きく目を見開いたエリーゼに向かって、クレフはにっこりと笑った。きっと自分ならエリーゼの病気を治せるという自信が、このときは確かにあった。
「ありがとう」
 エリーゼが言った、そのときだった。クレフの背後で出し抜けに草を踏む音がした。
「誰?」
 同時に響いた鋭い声に、クレフはぱっと窓枠から飛び降りた。振り返ってみて、驚いた。そこに立っていたのは、クレフよりももっと小さな女の子だった。

 女の子は大輪の花を抱えていた。彼女の大きな橙色の瞳は、クレフのことを明らかに警戒していた。目と同じ色の髪が短く刈られているせいか、まるで男の子のように見えた。
「誰? あんた」と女の子はもう一度言った。
「クレフだよ。虹のふもとを追いかけて、ここまで来たんだ」
「虹のふもと?」
 女の子は眉間に深く皺を寄せた。クレフのことを不審者か何かだと思っているようだった。
「君、聞いたことない? 虹のふもとには宝物が眠ってるって――」
「大した用事じゃないなら帰って。あねさまは病気なんだから、あんたのくだらない話なんかに付き合ってる暇はないの」
 女の子はクレフの話にはまったく興味を示さなかった。その反応も意外だったけれど、それよりも、女の子がさりげなく言った言葉の方がもっと意外だった。
「『あねさま』?」
 女の子はすたすたと歩いてきて、クレフをにらみながら前を通り過ぎていった。その間女の子は一度も瞬きをしなかった。

 女の子はわが物顔で扉を開け、小屋の中へ入った。かと思うと、藪から棒にカーテンの向こう側からぬっと顔を突き出してきた。
「うわっ」
 驚いて、クレフは思わずしりもちをついた。
「どうやってここに来たか知らないけど、興味本位であねさまに近づかないで」
 このときクレフはまだ「興味本位」という言葉を知らなかった。女の子はほんの5、6歳くらいにしか見えないのに、10歳のクレフが知らない言葉を使っている。それは結構衝撃的なことだった。
「ナディア」
 不意に小屋の奥から声がした。エリーゼの声だった。女の子が振り返る。「ナディア」というのが女の子の名前なのだろうか。
「そんなこと言わないで。クレフはまた遊びに来てくれるって言ったの。私、嬉しいわ」
 エリーゼが自分を庇ってくれたという事実は、クレフの心を喜びで満たした。頬が自然と緩む。けれどこちらを振りかぶった女の子にきつい目でにらまれると、感じた喜びはまた心の奥へと押し込められてしまった。
「あねさまに近づいて、どうするつもりなの」
 けんもほろろな言い方に、さすがのクレフもむっときた。
「そんな言い方しないでよ。ぼくはただ――」
「よいではないか、ナディア」
 立ち上がったクレフの言葉は、しかし背後から遮られた。聞き覚えのあるその声にびっくりして振り返ると、少し離れたところに『主』が立っていた。『主』はゆったりとした足取りで歩いてくると、隣で立ち止まってふわりとクレフの肩を抱いた。
「ナディア、クレフはわたしの寵愛を受けている。クレフがエリーゼに危害を加えることはない。好きにさせてやりなさい」
「でも、あるじさま」
「だいじょうぶだ」と『主』は女の子を制した。「クレフはただ、虹のふもとを探して来ただけのようだから」
 そう言って、『主』はクレフを見た。「そうだろう?」とその目が訊いてきたので、クレフはうなずいた。
 というか、それはさっき女の子にも説明したことだ。上目遣いににらむと、女の子は両手を腰に当ててこれ見よがしなため息をついた。真っすぐにクレフを捉える視線は、どこか試すような色を宿していた。
「クレフ、だっけ?」
「うん」
「あねさまに少しでも妙なまねしたら、あたしが赦さないからね」
「しないよ、妙なまねなんて」
 意図していたよりもきっぱりとした声になった。女の子も驚いたようで、目を丸くした。

 「あねさま」と言うくらいだから、女の子とエリーゼは姉妹なのだろう。けれど二人は似ても似つかなかった。エリーゼのことはもうすでに大好きになっていたのに、「ナディア」と呼ばれている女の子とはちっとも仲良くなれる気がしなかった。
「しかし、クレフ」
 不意に『主』が、クレフの肩から手を離しながら口を開いた。
「エリーゼが病を抱えていることには変わりない。今日はもう帰りなさい。エリーゼに無理をさせて、『柱』の『心』が動揺するようなことになってはいけないからね」
「はい、あるじさま」
 一度は素直にうなずいたものの、すぐに「え?」と『主』を見返した。今、このひとは何と言った?
 『主』は変わらずほほ笑んでいる。クレフは口をぽかんと開けたまま、エリーゼと、そしてそのエリーゼを守るように立っている女の子のことを見比べた。
「え……え?」
 ふんぞり返る女の子の奥で、エリーゼが穏やかにほほ笑んでいる。やっぱり全然似てないと、クレフは思う。




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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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