蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 27. 光と影

長編 『蒼穹の果てに』

一言で言えば「不器用」だ。けれど本当は、そういうタイプの人の心こそ、ガラスのように繊細にできているのだろう。

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 物足りないな、とアスコットは思った。穏やかな日射しの温もりが感じられる昼下がり、普段であれば、紅茶を片手に誰かしらと他愛もない話に花を咲かせている時間帯だ。相手は時にプレセアだったり、職務に疲れた(飽きた)フェリオだったり、あるいは海たちがいれば彼女たちだったりする。日課と言っても過言ではなかったその茶会が、けれど今ではすっかりご無沙汰になってしまっているのだ。ぽっかりと心に穴が空いたかのように物足りない。しかしだからと言って、わざわざ誰かを誘うほどでもない。そもそも今は、誰とテーブルを囲んだところで穏やかに茶を酌み交わすような気分にはとてもなれそうになかった。
 空を見上げれば、晴れてこそいるが全体にうっすらと靄がかかっている。今歩いている回廊の雰囲気でさえ、思いなしか元気がない。必要以上に大きく響く足音が、まるで涙を堪えているかのように侘しかった。

 徐に立ち止まり、並び立つ柱に軽く身を寄せて外の景色を眺める。そうして精神統一を図ると、姿こそ見えないが、眼下に広がる森の奥に海がいる気配を感じた。どうやら光、ラファーガと一緒らしい。最近ようやく、目を閉じなくても人の気配を探ることができるようになってきていた。
 海たちがそこにいる目的は想像に難くなかった。おおかた昼間の出来事についてラファーガを問い詰めているのだろう。ジェオのポケットから落ちた一枚のうすっぺらい紙を拾ったときのラファーガの態度は、アスコットから見てもおかしかった。それに加えて、紙を受け取った導師クレフが黙ってかぶりを振った、そのしぐさは一見自然だったが、「自然だった」ということこそがそもそも不自然だった。普通、ラファーガがあれほどまでに動揺をあらわにしたら、クレフの方も何がしかの反応を見せるのが自然だろう。けれどクレフは、眉を動かすことさえしなかった。彼が驚かなかった理由は一つしかない。クレフは、あの紙を見ればラファーガがあのような態度を取るに至るとあらかじめわかっていたのだ。

 クレフとラファーガは、ほかの人間が知らない何かを知っている。アスコットでさえピンときたのだから、海たちが気づいていないはずはない。そして、人一倍好奇心と探究心旺盛な彼女たちが、一度気づいたことをそのまま放っておくはずもなかった。
 不自然な態度を取った二人のうちラファーガの方へ行くことを選んだのは、消去法だろう。クレフは明らかに人目を避けている。一足先に大広間を出た彼がどこへ行ったのかもわからない。気配を追おうとしてみたけれど、とても無理だった。そもそも魔導師としては駆け出しであるアスコットにこの世界最高の魔導師の気配を追うことなど、できるはずもなかった。

 クレフのもとで魔法の修行をさせてもらうようになってから、もう二年以上が経つ。最近になってようやくわかってきたことだが、クレフは彼自身のことには驚くほどに無頓着だ。自分のことはそっちのけで、いつも周囲の人間のことばかり考えている。最初こそ、『導師』という立場上気を張ってそういうことをしているのだと思ったが、そうではないと気づくのにさほど長い時間はかからなかった。クレフは常に自然体だった。自分のことには頓着しない、それは「クレフ」という人を形成する人間性の根幹と言っても過言ではなかった。
 そんなクレフが今、周囲の人間とのあいだにはっきりと距離を置いている。そのことによって少なからず傷つく者がいることも、彼ほどの人ならばわかっているだろうに、それすらも厭わずありとあらゆるものを拒絶している。そうまでしてクレフはいったい何を隠そうとしているのだろう。そうまでして、彼は彼の愛する者たちをいったい何から守ろうとしているのだろう。

 そこまで考えて、アスコットは肺に溜まった息を一思いに吐き出した。気だるい足を無理やり動かし、強引に踵を返す。これ以上考えることには意味がない。まだまだ青二才の僕に、導師クレフの深い心のことなどわかるはずもないのだ。あの紙切れのことについても、ひとまずは海たちに任せよう。
 けれど、では自分にはいったい何ができるのだろう。わからなかった。わからないまま、アスコットは取りあえず歩き出した。とてもじっとしてなどいられなかった。

 突如姿を消したザズの行方について、今のところ手がかりらしいものはまったくない。世界中のどこにも姿がなく、気配さえないというのだから、捜すといってもどこから手をつけるべきなのか、そこからしてわからなかった。
「変なことを考えていなければいいが」と言ったジェオの表情が脳裏を過り、薄ら寒くなる。そんなことがあっていいはずはない。ザズは必ずどこかで生きているはずだ。ただ、母親を亡くしたザズの心情を思うと、存命を100%信じ切ることができなくなってしまうのも事実だった。責任感の強いザズのことだ、母親を救えなかったことについて、強い自責の念に苛まれているだろう。膝を抱えて俯くザズの姿を想像することはあまりにも容易だった。早く見つけなければと、焦燥感ばかりが募る。焦ってはいけないと、頭ではわかっているのに、心がつい先へ先へと行きたがる。
 セフィーロは『意志の世界』だ。でも、気持ちばかりが強くてもどうしようもないこともある。自らの無力さを痛感し、アスコットは臍を噛んだ。ふと視界の隅に揺らぐ人影を捉えたのは、そのときだった。

 立ち止まって目を凝らすと、少し先の柱にもたれかかっている人の姿を認めた。浅黒い肌を存分に露出したその恰好は、チゼータの人のそれだ。燃えるような色の髪が小刻みに揺れている。タータだった。
 様子が不自然だったので、気づかれないようそっと歩み寄った。腕を思い切り伸ばせば触れられるほどの距離まで近づいたとき、アスコットははっと目を瞠った。鼻をすする音が聞こえる。タータは泣いていた。細い肩を震わせる彼女の気配は、普段の姿からは想像もできないほどはかなげだった。
「どうしたの?」
 驚かさないよう、極力小さな声をかけたつもりだった。けれどタータにとってはじゅうぶんに驚くべきことだったようで、彼女はびくっと肩を強張らせると勢いよくこちらを振りかぶった。反動がついたせいで、そのまま体のバランスを崩してしまう。アスコットは咄嗟に腕を伸ばしてタータを支えた。思いがけず至近距離で目が合い、どきりとした。タータの真紅の瞳は涙に濡れ、まるで揺らめく炎のようだった。
 タータが自らの足でしっかりと地面を捉えているのを確認すると、腕をそっと解放しながら、同時にさりげなく視線も外した。人の涙を見るのは得意ではなかった。

 タータは自らを抱きしめるように腕を交差させると、柱に寄りかかって俯いた。彼女と向かい合うようにして、アスコットも隣の柱に背を預ける。タータが掌で頬を素早く拭った。拭いきれなかった涙が、頬を白く浮かび上がらせた。
「ザズのこと、考えてたの?」
 タータは俯いたまま首肯した。そしてやおら顔を上げると、アスコットに横顔を向けて外を見た。太陽の光が真っすぐに彼女を照らす。眩しそうに細められた目の下が、微かに腫れ上がっていた。
「母親を亡くすなんて、どれだけ無念だったか。考え出すとやるせなくなる」
 そう言って、タータは新しく流れた涙を拭った。
「しかも、ザズの母上が亡くなった直接の原因は大気汚染だった。大気汚染問題さえ解決できていたら、ザズの母上は死ななくても済んだかもしれない。私たちがもっと早くに手を取り合って、あの国のためにできることをしていたら、ザズはもっと長く母上と一緒に暮らすことができていたかもしれない。そう思うと、やりきれないんだ」
「……そうだね」
 同意を示しながらも、アスコットは内心うろたえていた。今回のザズの一件について、タータが涙を流すほどに胸を痛めているとは思わなかったからだ。

 負けず嫌いでプライドの高いお姫様。アスコットが抱いたタータの第一印象はそんなところだった。口調も男勝りで、妹姫だというのに何事も姉であるタトラより前に出たがるし、海と会えばいつも二人で口げんかまがいのことをしている。そんなところばかり見ていたから、時には彼女が王女であるということさえ忘れそうになった。でも今のタータは、アスコットが思っていた彼女とはまるで違う。こんな風にしおらしくしているところを見るのは初めてだった。
 これまで僕は、タータのことを表面上でしか見ていなかったのかもしれない。図らずもそんなことに気づかされて、小さな衝撃を受けた。もう二年も付き合ってきているというのに、いまさらタータの本当の内面を知った気がした。
 海と似ているなと思った。表向きは勝気で、ともすれば誤解されて敵を作りやすい性格なのに、根は誰よりも心優しく傷つきやすい。一言で言えば「不器用」だ。けれど本当は、そういうタイプの人の心こそ、ガラスのように繊細にできているのだろう。

「ザズを見つけよう。一刻も早く」
 拳を握りしめ、アスコットは言った。タータが微かに瞠目する。アスコットはうなずいた。
「君のその想いを、ザズに伝えるんだ。君だけじゃない、たくさんの人がザズの心に寄り添おうとしてることを、僕たちはザズに伝えなくちゃいけない」
 一人じゃない。タータの涙を見て、どうしてもそのことをザズに伝えたいと思った。そうしなければならないと思った。もしもザズが追いつめられているとするなら、その心を救えるのはやはり、人の『心』でしかないはずだから。
「きっとだいじょうぶだよ。君やタトラ、それにアスカたちもいるんだ。みんなの力が集まれば、きっとザズを見つけ出せるよ」
 その言葉は、タータを慰める意味はもちろんあったけれど、それ以上にアスコットがアスコット自身に言い聞かせる意味の方が大きかったかもしれなかった。きっとだいじょうぶだ、力を結集すればきっとザズを見つけられる。声に出してみると、その気持ちは確かな希望となって心に根づいた。けれどそれは、逆に言えば、はっきりと言葉にしなければ持てないほど危うい希望だということでもあった。

 ただ、どんなに危うくても希望であることには変わりない。持ち続けていればそれは必ず心を支えてくれる。そう決意を新たにしたアスコットだったが、タータの言葉が、そんなアスコットの思いを一刀両断した。
「そうだな。でも、私は非力だ。私にできることはたぶん、何もない」
 あまりにもきっぱりとした物言いに、アスコットは唖然とした。信じられない気持ちで、タータの横顔を穴が開くほど見つめた。
「何言ってるの? 君が非力だなんて、そんなことないよ」
 思わず怒ったような口調になった。それでもタータは外を向いたまま、表情一つ変えない。アスコットは畳みかけるように続けた。
「君はチゼータの王女様だろ。守護精霊を操ることもできるし、剣を手に自ら戦うこともできる。そんな人が『非力だ』なんてこと言ったら――」
「仕方ないやろ。ほんまのことなんやから」
 タータは吐き捨てるように言った。今日初めて聞く関西弁だった。

 思わず口を噤んでしまったアスコットを見返すタータの瞳は、足が竦んでしまうほど強かった。一度瞬きをして表情を緩めると、タータはおもねるように笑った。
「私が『王女』と呼ばれるのは、王家に生まれたからというだけの話だ。王位そのものは、第一王女であるタトラ姉様が継ぐことになるだろう。その方が国のためにもなる。姉様は誰よりも強く、誰よりも懐が大きい人だからな」
「でも、王位を継承しないからって『非力だ』ってことは」
「そういう問題じゃないんだ」とタータはかぶりを振った。「王位どうこうの問題じゃない。純粋に、私の力不足なんだ。私は、姉様にはたとえ逆立ちしても勝てない。剣も勉強も、何もかも。姉様は、いつものほほんとしているように見えるけど、あれでいて実際はものすごく頭がいいし、剣の腕もチゼータ随一だ。私なんか足元にも及ばない。今回のザズの一件だって、姉様が力になれることはあっても、私が力になれるようなことはないだろう」
 束ねられたタータの髪が揺れ、片方の頬に影を落とす。その影の濃さが、光が当たるもう一方の頬の明るさとはあまりにも対照的で、アスコットは何も言えなくなった。

 この姉妹を見たとき、どちらかといえばタータの方が光でタトラの方が影であると感じた。先頭に立つのはいつもタータで、タトラはそのタータを背後から支えているような印象だった。けれどタータが言うことは真逆だった。自分が影で、タトラこそが光だと。あまりにもその口調が冷静なためか、おいそれと笑い飛ばすことはできなかった。タータは別段捨て鉢な態度を取っているというわけでもなく、あくまでも淡々としていた。だからこそ、彼女の言葉はぐさぐさとアスコットの心に突き刺さった。
 タータがそんなことを考えていたなんて、これっぽっちも知らなかった。慰める言葉が何も浮かばない。そもそもやんごとなき家柄の人間でもなんでもないアスコットに、タータの気持ちを100%理解することはできない。そんな自分が何を言ったところで「おまえに何がわかる」と足蹴にされてしまうのがオチだろう。慮ってやることはできるけれど、中途半端な言葉は逆に彼女を傷つけてしまいかねない。

 適当な言葉を見つけられず、アスコットは黙り込んだ。やがて口火を切ったのはタータの方だった。
「二年前の戦いのときもそうだったんだ。姉様は、イーグルの決意を敏感に感じ取っていた」
 タータは問わず語りに言った。
「え?」
「私はてっきり、イーグルは、セフィーロをオートザムが独り占めするためにチゼータとファーレンに宣戦布告をしてきたのだと思っていた。でも、姉様は違った。姉様は、イーグルの心を完全に理解していたわけではなかったかもしれないが、奴の覚悟が生半可なものではないことには気づいていたんだ。あのときの姉様の言葉、今でもはっきりと覚えてる」
 そこで一度、タータは口を閉ざした。
「何て言ったの? タトラは」
 意図したわけではなかったが、恐る恐る、といったような口調になった。
 タータは静かに目を閉じた。まるで目に見えているものすべてを遮断するかのような動作だった。そして凛と通る声で、言った。
「『タータ、覚えておきなさい。「死を覚悟した者」は強いわ。それに勝てるのは、「己の命の尊さを知っている者」だけよ』」
 咄嗟に反応を返すことができなかった。顔を上げたタータの表情が、一瞬タトラとダブって見えた。
「姉様は、イーグルが死を覚悟していると感づいていたんだ」

 あの戦のさなか、セフィーロの上空ではオートザム、チゼータ、そしてファーレンが三つ巴の争いを繰り広げていた。そのこと自体は後になって知り得たが、当時の詳細なやり取りについて聞かされるのはこれが初めてのことだった。
「『己の命の尊さを知っている者』か」とアスコットは呟いた。「ってことは、それがヒカルだったってことだよね」
「ああ。イーグルに勝る『心』の持ち主だと、『創造主』に認められたんだからな」
 タータは体ごと完全に外を向いた。
「『命の尊さ』なんて、私は考えたこともなかった。そんな私が、姉様に勝てるはずはないんだ。誰に言われなくても、私が一番よくわかってる」
 いつになく、その体の細さが痛々しかった。

 確かにタトラの洞察力はすごいかもしれない。剣技はチゼータ一だというのも、誇張表現ではないだろう。順当にいけば王位を継承するのは第一王女であるタトラだというのもわかる。でも、だからといってタトラと比べてタータが劣るとは、少なくともアスコットはこれっぽっちも思わなかった。タータは誰よりもチゼータを愛し、誰よりもチゼータのためを思って行動している。領土を拡大したいという彼女の願いはチゼータの民のことを考えてこその願いだ。そんな願いを持てる彼女の王女としての責任感は純粋にすごいと思うし、第一、こうして自分の弱さを認識していることがそもそもタータが強い証拠だ。弱い人は、自分の弱さと向き合えない。でもタータは向き合っている。彼女が引け目に感じることなど何もないと、アスコットは思う。

「おこがましいことを言うようだけど」
 そう前置きして、アスコットは続けた。
「君には君のいいところがたくさんあるよ。もっと自信を持ってもいいんじゃないかな」
 タータが首だけでこちらを振りかぶる。微かに瞠目した彼女に向けて、アスコットは精いっぱいほほ笑んでみせた。するとタータは搾り出したような笑みを浮かべ、
「おおきに」
 と言った。
 心ではもっとたくさんのことを思っているのに、そのすべてを言葉にできないことがもどかしかった。こんなとき、たとえばクレフだったらもっと気の利いたことを言えるんだろうと思う。自分の未熟さを痛感し、悔しかった。心の中で、アスコットは苦虫を噛み潰した。タータの細い体を力の限り抱きしめてやりたいと思うのに、そうする勇気すら振り絞れない自分が、じれったくてたまらなかった。




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篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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