蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

夢のあとさき ホワイトデー(前篇)

連作短編集 『夢のあとさき』

バレンタインから始めている連作短編集、ホワイトデー編です。
設定を引き継いでいますので、初回から通して読まれることをおすすめします。

本文は「続きを読む」からどうぞ。





 卒業式も終わり、三年生が学校に来なくなると、通学路の人口密度も確実に小さくなった。当然の変化なのに、得も言われず物悲しい。ふと道端に溜まっている落ち葉が目に留まれば、柄にもなく感傷的な気分になる。予行演習のときからさんざん歌ったせいで、卒業式で合唱した『3月9日』が未だ耳の奥に残って離れない。あの歌は反則だ。思い出すだけでなんとなく泣けてくる。

 今年の桜前線は妙にゆっくりで、東京に春が訪れるのはまだまだ先らしい。3月も半ばだというのに冬物のコートが手放せないし、時には手袋までしたくなることもある。もっとも、いつだっておしゃれに敏感でいたい年ごろだから、意地でも手袋はしない。おかげで指先がかじかんで仕方ない。中に着たセーターの袖をギリギリまで引き伸ばし、一生懸命白い息を吐きかけながら校門へと急いでいると、不意にポンと肩を叩かれた。
「おはようございます、龍咲さん」
「イーグル先輩」
 振り返った瞬間、それまで感じていた寒気が吹き飛んだ。おはようございます、と返し、私は足取りを緩めた。先輩と並んで歩く時間は、一秒でも長くしたい。
「今日も寒いですね」と先輩が言った。
「本当ですね。特に今年は、いつもの3月よりだいぶ寒い気がします」
「来週からは一気に春らしくなるらしいですよ」
「そうなんですか?」
「今朝のニュースで言っていました。桜の開花も、例年並みの時期が予想されているそうです」
「それならもうすぐですね。私、学校までの桜並木が好きなんです。満開になるとすごくきれいですよね」

 誕生日パーティーに来てくれてから、私と先輩の距離は格段に縮まった。毎日なんだかんだと喋る機会がある。それは今のように通学途中だったり、昼休みだったり、あるいは放課後の部活前だったりとさまざまだ。最初は緊張してなかなか口の廻らなかった私も、今ではほかの先輩たちと話すときのように普通に接することができている。一回の会話時間は5分にも満たないけれど、毎日顔を合わせて話しているうちに、雲の上の人だと思っていた先輩が実はいい意味でもっと近いところにいる人なのだと感じることができるようになってきていた。

「それじゃあ、私はこっちなので」
「あ、龍咲さん」
 下駄箱の前で別れようとすると、不意に先輩に呼び止められた。
「実は、あなたに――」
「イーグル」
 先輩が鞄に手を突っ込んだその瞬間、先輩の後ろにぬっと大きな影が現れた。先輩がぎょっとして振り返る。けれどそこに立っている人を見て、先輩はこれ見よがしなため息をついた。
「なんですか、ランティス。驚かさないでくださいよ」
「黒鋼先生が呼んでいる」
「え?」
「職員室に来てほしいそうだ」
「こんな朝早くから? いったい何の用事です?」
「俺に訊くな」
 ランティス先輩のぶっきらぼうな言い方がおかしくて、私はついくすりと笑ってしまった。その声に反応して、ランティス先輩とイーグル先輩が同時に私を見る。私は慌てて「あ、すみません」と言ってから、ランティス先輩に朝の挨拶をした。ランティス先輩は、ふむ、とでも言うかのように一つうなずいただけだった。
「すみません、龍咲さん。また後で話しますね」
「あ、はい」
 イーグル先輩はランティス先輩と連れ立って足早に去っていった。その後姿を見送りながら、私はきょとんと首を傾げた。「また後で話す」なんて、そんなに改まっていったいなんだろう。

「きっと、ホワイトデーのお返しをくださるおつもりだったんですわ」
 急に背後から声がして、私は悲鳴交じりに飛び上がった。振り返ると、そこにはしたり顔をした風の姿があった。
「もう、びっくりさせないでよ。誰かと思ったじゃない」
 ふふふ、と風は笑った。
「残念でしたわね。もう少しでお返しをいただけるところでしたのに」
「え?」
「とぼけなくてもよろしいんですのよ。海さんだって、期待なさっていたのでしょう? 今日は3月14日ですもの」
「なっ……そんな、私はべつに……!」
「追いかけた方がいいんじゃないのか?」
 今度は風の後ろから別の人の声がして、私はさらに驚いた。当たり前のようにクレフが立っていた。どうやらずっとそこにいたらしいが、今の今まで気がつかなかったので、私はすっかり動転してしまった。
「ちょっとクレフ、気配消さないでよ! 心臓に悪いじゃない」
「気配など消していない。それより、いいのか」
「へ、何が?」
「追いかけなくてもいいのかと訊いているのだ。おまえのことだ、せっかくくれるというものも、タイミングを見誤ってもらい損ねるぞ」
「失礼ね、そんな言い方……っていうか、そもそも先輩がお返しをくれようとしてたって決まったわけじゃ」
「いや、あれは間違いなくそのつもりだったはずだ」
「私もそう思いますわ」
「……二人とも、私の反応見て楽しんでない?」
 クレフと風は互いの顔を見合わせ、ほぼ同時に口角をきゅっと引き上げた。その腹黒い笑い方が妙にそっくりで、私の背筋をぞくぞくと鳥肌が這い上がった。

「いずれにしても、ゆめゆめきっかけを逃すようなことはするなよ。おおかた、バレエ団の公演にもまだ誘えていないのだろう」
 私はたじろいだ。
「よ……余計なお世話よ」
「相手に先に予定が入ってしまったらどうするつもりだ」
「だから余計なお世話だったら!」
 クレフはしてやったりといった顔をすると、私と風をその場に置いて一人去っていった。遠ざかる後姿に、私はいーっと歯を見せて地団駄を踏んだ。
「いつか絶対ぎゃふんと言わせてやるんだから」
 下駄箱に靴を入れる動作がどうしても乱暴になる。鼻息荒く歩いていると、隣で風がくすくすと笑った。
「相変わらず、仲良しさんですのね」
 風が私とクレフとの関係をそうしてどこまでもポジティブに捉えることについて、もはやいちいち目くじらを立ててもしょうがないということは学習していた。
「ですが、本当ですの?」
「え?」
「クレフさんがおっしゃっていたことですわ。『公演にまだ誘えていない』というのは、本当ですの?」
 咄嗟にうまい言い訳が思い浮かばず、私は口を噤んだ。聡い風ならばその態度を肯定と受け止めるだろうということに、気まずい沈黙が流れてから気がついた。案の定、風は私が何も言わなくても困ったように苦笑した。
「せっかくのクレフさんのご厚意ですから、このままお誘いにならないというのはもったいないですわ」
「わかってるわよ。わかってるけど……」
 こんな風に言葉を濁すことは、私の場合あまりあることではなかった。だからそんな私の珍しい態度に、たぶん、私自身が一番困惑していた。
「何か理由がおありなのですか?」
 疑問形で終わってこそいたけれど、風の口調は確信めいていた。私は答えなかった。というより、答えられなかった。心に靄がかかっていることは事実だけれど、その靄の正体は自分でもよくわかっていないのだ。
 まるで今の東京のようだと思う。桜の季節はすぐそこなのに、春霞を前に二の足を踏んでいる。去りゆく冬を惜しんでいるのか、それともやってくる春を怖がっているのか、いったいどちらなのだろう。

***

 ホワイトデーは淡々と過ぎていった。結局あの後イーグル先輩とは一度も会う機会がないまま、時間だけがあっという間に流れていき、放課後になった。夕暮れを迎えた校舎はさらに人気が少なくなる。がらんと空いた体育館は、形容しがたい侘しさに包まれていた。
「やっぱり誰も、クレフからお返しもらってないのね」
 シャワールームから更衣室へ戻った私は、扉を開けた瞬間に耳に飛び込んできた言葉に、思わず手に持っていたペットボトルを落としてしまった。
「あ、海。ちょうどよかった、ねえ、海ってクレフと同じクラスだったわよね。見かけなかった? クレフがホワイトデーのお返しあげてるところ」
 同級生の女子部員が二人残っていて、私にそう声をかけてきた。
 内心の動揺を悟られないよう細心の注意を払いながら、ペットボトルを拾い上げ、何食わぬ顔で自分のロッカーに手をかける。けれど鍵がかかっているのに無理やり開けようとしている時点で、すでに気持ちの揺れをコントロールし切れていなかった。
「確かに同じクラスではあるけど、ずっと一緒にいるわけじゃないから」
 それでも私は努めて平静を装いながらそう言った。
「それはそうだけど、やっぱりクラスが同じだと圧倒的に一緒にいる時間が長いじゃない。それに、クラスの中にもいるんでしょ? クレフにバレンタインのチョコレートあげた人」
 思わず手が止まったのは、同級生の指摘が私にも当てはまることに気づいてしまったからだった。どさくさに紛れた中でのことだったとはいえ、私も間違いなく「クレフにチョコレートをあげたクラスメイト」の一人だ。

 私は一度深呼吸をして、ロッカーから着替えを取り出した。
「クレフがお返しをあげてるところは、私は見てないわ」
「そっかあ。やっぱりそうよね」
 二人の同級生は同じように肩を落とした。明らかに落胆したその様子に、私は瞬いた。
「……もしかして、あなたたちも渡してたの?」
「そうよ」
 いともあっけなく答えが返ってきた。
「渡したっていうか、無理やり押しつけたって言った方がいいかもしれないけどね」
「そうそう。それに、そんなに期待してたわけじゃないのよ。ろくに話をしたこともない私たちがもらえるわけないもの。告白した子でさえだめだったんだから」
「えっ、クレフに告白した子がいるの?」
「そうよ、バレンタインデーにね。でも答えは、全員が『NO』。しかもその断り文句まで全員一緒っていうオチつき」
「断り文句?」
「『どうせ付き合っても、私はあとわずかしか日本にいないから』」
 どくん、と鼓動が大きくなった。
「それでもいいってどんなに食いついてもだめだったんだって。あ、これはうちのクラスの子に聞いた話ね。『そういう刹那的な恋愛はしたくないんだ』って苦笑いされて、あっけなく終了。ただ、そういう硬派なところがまたいいってことで、ふられてからますます好きになっちゃった子もいるみたい」
 制服のブラウスに両腕を通したところで、私の動きは止まっていた。

 クレフはあと四か月もすればイギリスへ帰ってしまう。逆立ちしようが何をしようが、その事実は変わらない。そもそもクレフが一年間の予定で来ているということは、去年彼が私のクラスへやってきたときに聞かされていたことだ。でも数か月を一緒に過ごすうちに、いつしかクレフが隣にいることが当たり前になっていた。心のどこかで、このまま卒業まで光や風たちと同じようにクレフとも一緒にいるのだと思っていた。でもそうじゃない。クレフはいなくなる。それも、あともう少しで。
 そのことをはっきりと意識したのは、誕生日パーティーのときだった。それ以来なんとなく、心の片隅に引っ掛かっているものがある。ずっと考えないようにしていたけれど、そもそも「考えないようにする」ということ自体がそのことを多分に意識しているということの裏返しかもしれなかった。

「どうしたの? 海」
 不意に声をかけられて、私ははっとわれに返った。同級生たちが、中途半端なところで動きを止めた私のことを不思議そうに見ていた。
「あ、ううん、何でもないの」
 私は慌ててブラウスを被った。
「クレフのことだから、たぶん、誰にもお返しとか用意してないんじゃないかしら。あいつ、そういうのに頓着しなさそうだし」
「頓着しないっていうより、面倒くさくなっちゃったんじゃない? 相当の数もらってたから、あれ全部にお返しするってなったら結構大変だったはずだもの」
「でも、ほんとに誰とも付き合うつもりないのね。イギリス人って、もっと遊びの恋愛とか普通にしちゃうんだと思ってた」
「クレフはそんな人じゃないわよ」
 それはほとんど無意識のうちに口にしていた言葉だった。口にしてから、変な意味に捉えられはしないかと内心焦ったけれど、同級生たちはさして気にも留めず「そうだよねー」とあっさり流してくれた。


「それじゃ、私たち先帰るわね」
「戸締りよろしくね、海」
「ええ、また明日」
 同級生たちが出ていってから、私もすぐに更衣室を出た。そういえばバレンタインデーのときもこうだったなと思った。あのときよりも外はだいぶ明るい。たった一か月で、ずいぶんと日が長くなったなと思う。
「龍咲さん」
 更衣室の鍵をかけたとき、後ろから聞き覚えのある声がした。振り返った私は、逆光の中に佇んでいるその人を見て、大きく目を見開いた。
「……イーグル先輩?」




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

▶ 連作短編集を始めました。クレ海学生パラレルです。今後年中行事に合わせて不定期更新の予定です。詳しくはこちらからどうぞ。

▶ こちらは作品展示専用です。コメントへのお返事は別ブログにて行っております。
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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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