蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 29. 仁義

長編 『蒼穹の果てに』

もういい加減にしろ、とフェリオはそんな自分自身を叱咤した。これ以上は逃げられないのだ。『柱』は消滅した。姉は、死んだのだ。

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 当時のセフィーロはまるで地獄絵図も同然だった。悲鳴や怒号が絶えず響き渡り、国を支配しているのは「混乱」だけだった。次から次へと容赦なく大地が失われていく。そんな中で突如聳え立った三つ又の輝き、それは問答無用で人々を安心させた。その一瞬、地表は確かに崩壊を止め、人々のあいだからは自然と拍手が沸き起こった。
 あの城の中へさえ入ることができれば助かる。三つ又の輝きは、フェリオにも揺るぎない自信を与えてくれた。そのため辛うじて首の皮一枚がつながったという安堵は間違いなくあったが、一方で、心を過る動揺を消し去ることができないのも事実だった。これは果たして現実のことなのだろうか。まるで足の裏の感覚が失われたかのように、心もとなかった。

 聳え立った水晶を目指し、海のように波打つ地面をただひたすらに駆ける。予測不可能な動きをする地面には苦戦を強いられ、何度もつまずいた。膝にできた擦り傷は深くなるばかりだった。拳を作れば鉱石の破片が掌に突き刺さるため、おちおち握りしめることもできない。水晶の城はすぐそこにあるはずなのに、まるでフェリオから遠ざかっていくかのように、いつまで経ってもたどり着けない。
 どうして魔法を習得していなかったのだろう。魔法さえあれば、あの城まで一瞬にして転移を行うことなど造作もないはずなのに。フェリオは煮えたぎる怒りを感じていた。その矛先はほかでもない、自分自身へと向けられていた。
「くそっ!」
 転がっていた鉱石を拾い、思いっきり地面に叩きつける。しかし蚊が鳴くような音でさえも立たなかった。

 風はうねり、地は叫喚する。ともすれば、龍のようにうごめく地面に飲みこまれてしまいそうになる。だがそのたびにフェリオは立ち上がった。こんなところで死ぬわけにはいかないのだ。死んでたまるか、俺はまだ生きるんだ。何度目かもわからず立ち上がった、そのときだった。地響きの中に微かに赤子の鳴き声が交じったような気がして、フェリオははっと息を呑んだ。
 何をしてるんだ、早く逃げろ。頭の中からそんな声がする一方で、「赤子を見捨てていくのか」と別の声がフェリオを責める。身の安全を考えれば、確かに「逃げる」という選択が賢明だろう。だがフェリオはそうできなかった。ここで赤子を見捨てたら、俺はきっと後悔する。そんな根拠のない確信があった。意を決して一旦水晶の城に背を向け、辺りに目を凝らした。

 波打つ地面を這うようにして、声だけを頼りに赤子を探す。幸運にも、さほど遠くないところに影を見つけた。赤子を包んだ絹は、もともとは白かったのだろうが、今は泥まみれの雨に濡れて無様に変色してしまっていた。近づくと、赤子の泣き声がかなり大きいことに気づかされて驚く。少なくとも、先ほどフェリオが放った罵声よりは大きな声だった。
 女の子か男の子かもわからない。フェリオは夢中で手を伸ばし、汚れも気にせず抱き上げた。しっかりと胸に抱きかかえれば赤子から体温を感じ取れて、ほっと息をつく。しかしその直後、地面が一際大きく揺らいだ。

 ここにいてはいけない。とにかく城へ向かおうとフェリオは体を起こした。両手が塞がってしまっている分、先ほどよりもさらに足取りが重くなる。それでもこの子を護らなければと、何とか身を奮い立たせる。膝が悲鳴を上げている。遠くで雷が落ち、辺りが一瞬明るくなったが、しかし目の前に聳える三つ又の方がよほど明るかった。よく見ると、城の周りはほかと比べて地面の揺れ幅が明らかに小さかった。
 フェリオがもう一歩近づいたときのことだった。突如として、水晶全体が巨大な膜に覆われた。
 雨が当たらなくなったことにも気づかなかった。フェリオは無我夢中で走り続け、水晶の中へと入った。

***

 こんな恰好で中を歩いてもだいじょうぶだろうかという心配は杞憂に終わった。城の中では誰もがフェリオのように薄汚れた恰好をしていた。むしろフェリオの恰好はまだいい方で、頭から血を流している者や、意識が混濁している様子の者もいた。広いはずの回廊が、混乱しきった人々でびっしりと埋め尽くされ、本来よりも狭く感じる。フェリオは呆然とその場で立ち尽くしたまま、しばらく動き出すことができなかった。ここは本当にセフィーロなのか。持っても仕方のない疑問が、フェリオの脳裏を旋回する。そんなとき、不意に一人の女性がフェリオのもとへ近づいてきた。
「その子は……」
 女性は憔悴しきった顔で、震える腕を恐る恐るフェリオの方へ伸ばしてきた。彼女が自分の抱いた赤子を求めているのだとわかると、フェリオは腕を緩めた。女性が赤子を覗き込む。その瞬間、彼女は声にならない声を上げてその場に崩れ落ちた。フェリオは慌てて身を屈めた。女性は人目も憚らず大声で泣きながら、フェリオに向かって三つ指をついた。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
 女性はしきりに頭を下げながら、まるで熱に浮かされたかのように何度も何度も同じ言葉を繰り返した。フェリオが何気なく助けた赤子はどうやらその女性の子どもだったようだ。いたたまれず、フェリオは赤子を女性に押しつけるとほとんど逃げるようにしてその場を去った。呼び止められたが、一度も振り返らなかった。振り返られなかった。

 あの子を助けたことに何の理由もないことが、フェリオに強烈な罪悪感を植えつけた。本来俺には人々を助ける義務がある。『柱』の弟として、この世界をこのような状態へと追い詰めてしまった者の縁者として。しかしそんなこと、地を這っているときはこれっぽっちも考えなかった。あの赤子を助けたのは、たまたま泣き声が聞こえたからだ。それまでの俺は、身勝手にも自分だけが助かることを考えていた。
 セフィーロがこんな状態になってしまった原因について、もはやフェリオは確信を得ていた。たった一人の『心』がすべてを決めるこの世界がこれほどまでに荒れ果ててしまう理由として、考えられることはひとつしかない。『柱』であるエメロード姫が――姉が、死んだのだ。

 王子という国の中枢を担ってしかるべき立場にありながらフェリオはそれを早々に放棄し、幼いころから今日に至るまでほとんどの時間を城の外で過ごしてきた。今はなきかつてのセフィーロ城に背を向けたあの日から、いったいどれほどの時間が流れたのだろう。
 当時はフェリオを見れば誰もがすぐにそれと認識したのに、今ではフェリオのことを振り返る者さえいない。誰もフェリオが王子だとは思っていないのだ。「王子」という存在があったことさえ、ひょっとしたら忘れ去られているのかもしれない。それはフェリオにとって屈辱だった。そして「屈辱だ」と感じるというその事実こそが、そもそも大きな衝撃だった。


 足は自然と最上階へ向いた。会わなければならないひとがいる。誰のことも残像程度にしか思い出せないのに、そのひとのことだけはなぜか昨日会ったばかりであるかのようにはっきりと脳裏に思い浮かべることができた。あのひとは今でも少年の姿をしているのだろうか。一言の挨拶もせず城を飛び出した自分を、あのひとは赦してくれるだろうか。
 あまりに幼稚な思考回路に、われ知らず苦笑いがこぼれる。いつも眉間に皺を寄せていた彼から逃げ出したくて城を飛び出したくせに、今になって彼に赦しを請おうとしている。こんな都合のいい話があるか。
 もしも自分が彼の立場だったとしたら、こんな人間は到底赦すことなどできない。粋がって飛び出していったくせに、結局は何もできずに尻尾を巻いてこうして戻ってくることになった。自らの愚かさを痛感した。この体の成長が子どもとも大人ともつかないところで止まったことも、今となっては納得できる。俺は子どものままでもいられない一方で、大人にもなりきれずに今日まで来たのだ。

 歩いているうちにだんだんと最上階が近づいているのだということが、誰に聞かずともわかった。歩く人の身なりがまったく違うし、われを失ったような悲鳴も聞こえない。すれ違う者は皆確かに緊張を孕んだ横顔をしているが、瞳に宿した輝きは失っていない。力ある者が集っているのだ。
 この力の中心。あのひとはそこにいるはずだ。歩みを速めようとしたそのとき、正面から三人の男たちが走ってくるのが見えた。
「急げ! 全員の安否が確認できるまでは気を抜けない」
「逃げ遅れた者がいなければいいが」
「今のところ死者の報告はない。導師クレフが早速にこの城を創り上げてくださったおかげだ」
「とにかく急ぐぞ」
 口々に言いながら、男たちは近づいてくる。皆、フェリオのことは一瞥しただけですぐに通り過ぎようとした。しかしその会話の中にまさに自分が探している人の名を聞きつけたことで、フェリオは咄嗟に最後尾を走っていた男の腕をつかんだ。
「おい」
 ぎょっとして男が振り返る。長いローブを羽織っているから、魔導師なのだろう。男たちが一斉に立ち止まると、途端に回廊が静まり返った。

「導師クレフはどこにいる」
 腕を離しながらフェリオが問うと、男たちは一様に顔を見合わせた。そして一番年長と思しき男が一歩前へ出、フェリオを見返した。
「見慣れない顔だな。居住区の者か。なぜこんなところにいる? ここは一般人の立ち入りは禁じられている区域だぞ」
「違う、俺は――」
 王子だ。そう言いかけて口を噤んだ。フェリオを見てそれと認識できない男たちに対して名乗る意味などあるのだろうか。
 しかしそこでためらったのが運のつきだった。フェリオが紡いだ沈黙をどう受け取ったのか、男たちは突然フェリオを羽交い絞めにした。
「ここはおまえのような者が来るところではない。去れ」
「離せ! 俺は導師クレフに会わなければならないんだ!」
 必死にもがき、一度は何とかして男たちの腕を離れることに成功した。しかし大の男三人を相手にして力で敵うはずもなく、すぐにまたつかまれてしまう。踏み留まってもどんどん引っ張られていく。万事休すか。自分の無力さに憤りを覚え始めたそのとき、背後にあった巨大な扉が大きな音を立てて開け放たれ、中から大勢の人が飛び出してきた。

 飛び出してきた者は皆、今フェリオを羽交い絞めにしている男たち以上の『力』を漲らせている。あそこだ、あの部屋の中に導師クレフがいる。フェリオはそう直感した。
「離せ!」
 しかし無情にも、部屋はどんどん遠ざかっていく。あと一歩なのに、すぐ届くところに彼はいるのに。俺はこんなにも無力なのか。セフィーロの一大事だというこのときにでさえ、何の力も発揮できずに終わるのか――
「王子?」
 ほとんど諦めかけていたそのとき、やにわに後方から女の声がした。フェリオを羽交い絞めにした男たちが、思わずといったように立ち止まる。フェリオははっと振り返った。すると一人の女性が、信じられないといった表情でその場に立ち尽くしていた。彼女の面影は、確かにフェリオの記憶の中にあった。フェリオは必死に記憶を引っ張り出し、浮かんだ名を口にした。
「プレセア」
 すると彼女は弾かれたように駆け寄ってきた。彼女が相当険しい顔をしていることに、そばへやってくるまで気づかなかった。
「あなたたち、何をしているの。その方を離しなさい」
「しかし、創師――」
「聞こえなかったの? 離しなさい」
 その声の迫力に、フェリオの背筋までもが粟立った。怯んだ男たちの手が緩む。その隙にフェリオはするりと抜け出し、プレセアの側に立った。
「行きなさい。あなたたちにはあなたたちの役割があるはずよ」
 プレセアは凛として言い放った。男たちは憮然としていたが、これ以上は何を言っても無駄と悟ったのか、黙って頭を下げるとすぐに去っていった。

「プレセア――」
「今は話をしている暇はないわ」
 謝礼を口にしようとしたフェリオを遮り、プレセアはぴしゃりと言い放った。緩みかけていた頬が固まる。見返したプレセアの目に泣きはらした痕があることに気づき、絶句した。
「導師クレフは、あのお部屋にいらっしゃいます」
 思い出したように敬語になって、プレセアは背後を指差した。先ほど大勢の人間が出てきた扉が、まだ開け放たれたままになっていた。
「ただ、今行かれてもお話しできるかどうかはわかりません。大きな魔法を使われた後で、ひどく『心』を消耗していらっしゃいます」
「大きな魔法って……」
 言いかけて、フェリオは先ほどの男たちの会話を思い出した。「導師クレフが早速にこの城を創り上げてくださったおかげだ」。男たちはたしかそんなことを言っていなかったか。
 フェリオは愕然として周囲を見渡した。これだけの巨大な城を、あの短時間で創り上げたというのか。それも、一人の死者も出さずに。

「王子」
 プレセアに呼ばれてはっとする。彼女はぐっと涙を堪えるような顔をしていた。まるで責められているようで、胸が痛んだ。だが実際のプレセアは、フェリオのことを責めるどころか逆に笑顔で包み込もうとしてくれた。無理して作った笑顔ではないように、少なくともフェリオには見えた。
「戻ってきてくださって、ほんとうによかった。どうか、あのひとの助けになってください」
 答えられなかった。だが答える暇も与えずに、プレセアは去っていってしまった。
 助けになどなれるものか。俺は城を飛び出した身だぞ。――浮かび上がってきた言葉は、決して口にしてはいけない言葉だった。もしも本気でそんなことを言うとすれば、ここへ戻ってきた理由がなくなる。だが咄嗟に浮かぶ言葉というものは往々にしてその人の本心を映すものだ。そしてフェリオは確かに、内心では逃げたがっていた。
 もういい加減にしろ、とフェリオはそんな自分自身を叱咤した。これ以上は逃げられないのだ。『柱』は消滅した。姉は、死んだのだ。

 フェリオはプレセアが去っていったのとは逆方向へ足を向け、歩き出した。開かれた扉は、まるでフェリオを待っているかのようである。扉の前に立ち、一度ノックをした。返事はない。意を決して一歩進み、光あふれる大広間の中を見た。その瞬間、背筋を悪寒が駆け抜けた。
「導師!」
 クレフは玉座の椅子に腰掛け、力なく頭を抱えていた。彼がそのようにぐったりしているところを見るのはこれが初めてのことだった。フェリオは急いで駆け寄った。自らが目も当てられないほど汚い恰好をしていることも忘れ、躊躇なく玉座へ乗り上がる。体を支えようとして、言葉が出なかった。身にまとう華美な装束のせいで傍目にはわからないが、何気なく触れたクレフの腕は、力を入れれば簡単に折れてしまいそうなほどか細かった。思わず動きを止めてしまうと、クレフが気づいて顔を上げた。
「フェリオ」
 汗が滲む苦しげな表情とは対照的に、その声色はしっかりとフェリオの耳に届いた。
「遅かったな」
 そう言って、クレフは笑った。
 何も言えず、何も考えられない。フェリオはクレフの腕に触れたまま硬直した。そのときようやく、すべてのことが腑に落ちた。瞬きをすると、頬を冷たいものが伝った。
 外で落ちた雷が、部屋の中を一瞬さらに明るく照らした。




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