蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 32. 死を覚悟した日

長編 『蒼穹の果てに』

好きだ、とイーグルは何の前触れもなく思った。しかしそれは情熱的に恋愛をするような「好き」ではなく、もっと落ち着いた、もっと深い「好き」だった。

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 自由に動ける各国の王族でさえ手をこまねいているというのに、寝たきりの状態でいるイーグルがザズの行方を探ることは不可能だった。ザズはいったいどこにいて、何をしているのだろう。気がかりなことは気がかりだが、それよりもイーグルにとっては、ザズが失踪したという事実そのものがまずもって大きな衝撃だった。
 オートザムで起きた出来事をかいつまんだジェオの話は、少しばかり被害妄想が過ぎる部分もあったが、全体的には要点がうまくまとまっていた。ザズがこんなことになった直接の原因は、ジェオの発した言葉ではなく、母親の死だろう。いつも気丈に振舞っていたとはいえ、ザズは常に母親の身を案じていた。そんなザズにとって母親の死がどれほど衝撃的なことであったのかということは、察するに余りある。ただ、それが行方をくらませてしまうほどのものだったということまで理解できていたかと問われると、はっきり首肯できる自信はなかった。だからこそ、失踪という事実にこれほどの衝撃を受けているのだ。誰よりも近くにいて誰よりもザズのことをわかっていたつもりだったのに、本当は、その心の片隅でさえもわかっていなかったのかもしれない。風を前にして「俺の母さん、危篤なんだ」と実にあっけらかんと言い放った、あれが強がりでなかったはずはないのに、ザズの明るさに甘えて、彼が心に抱えていたであろう苦しみを軽んじてはいなかっただろうか。次にザズに会ったら真っ先に謝ろうと思った。

 おそらく無断でオートザムを発ってきたのだろう、今回ジェオがセフィーロに滞在した時間は驚くほど短かった。無事帰路に就いたとプレセアが報告に来てくれたのは、ジェオがイーグルの部屋を去ってから半刻も経たないうちのことだった。
 話した時間は15分にも満たない。当然顔を見ることもできなかった。それでもイーグルは、言葉の端々からジェオの心の迷いを感じ取った。祖国オートザムに対する想いと、恩人であるセフィーロに対する想い。そのせめぎ合いは、簡単に決着をつけられるものではないだろう。それに、ジェオの迷いは決して他人事ではない。ジェオが迷っていることにいち早く気づけたのは、イーグルの中にも少なからず似たような葛藤があるからだ。

 皮肉なものだ、と苦笑する。捨てる覚悟で出てきたというのに、いざオートザムがセフィーロに助けを求めなければならないほど深刻な事態に陥っていると聞くと、たとえ一瞬であっても動揺してしまう。むしろ大切な人が多くいるのはセフィーロの方だというのに、きっぱりとセフィーロの味方になると言えない自分が、厭でたまらなかった。
 導師クレフらの厚意に甘えてもう二年もこの地で療養を続けている。けれどそれは卑怯なことだった。何と言ってもイーグルは、たとえどのような理由があったと言えど、かつてはこの地への侵略を試みた身なのだ。誰も問い詰めてこないのをいいことに未だお客様としての態度を貫いているが、それは本来赦されていいことではない。このままセフィーロの世話になり続けるのならば、今後祖国とのあいだで戦が起きたとしてもイーグルはセフィーロの味方でい続けなければならないし、それができないのであれば即刻この地を立ち去らなければならない。しかしひとたびこの地に背を向ければ、おそらくイーグルの目が覚めることは永遠にないだろう。そもそもいまさらセフィーロに反旗を翻すことなどできるのか。理屈ではセフィーロ側に立つのが当然の道理なのに、はっきりと肯うことのできない自分がいる。その事実はイーグルを打ちのめした。もとは鋼のように強靭だったはずの心なのに、たった二年ばかりのあいだでもろくなってしまったのだろうか。


 考え込んでいるうちに、どうやら眠ってしまったようだった。信じられないほど簡単に開かれた目が、闇以外の色をはっきりと捉える。目の表面をぬるい風に撫でられると、鼻の奥がツンとした。
 風はどこから吹いてくるのだろう。そんなことを考えたことは過去には一度もなかったが、今はそんな疑問を抱いている。抱かせているのはこの景色だった。何もない、ただ乳白色が延々と続いているだけなのに、この世界では確かに風が吹いていて、イーグルの髪を靡かせる。
 つと顔を上げると、視線の先に人影があった。また、あの娘だ。
 こちらに横顔を向けた娘は、手にした花をどこかに活けるしぐさをしている。活ける先は見えないのに、娘の手から離れると花の姿はすぐに見えなくなった。ひょっとしたら、この景色が乳白色に見えているのはイーグルだけで、娘の目にはまったく違うように映っているのかもしれない。娘の自然な動作を見ていて、イーグルはふとそう思った。

 薄い紅がかった娘の銀髪が、波打つように揺蕩う。好きだ、とイーグルは何の前触れもなく思った。しかしそれは情熱的に恋愛をするような「好き」ではなく、もっと落ち着いた、もっと深い「好き」だった。
 これまで一度として感じたことのない感情が、今目の前にいる人に対してはっきりと浮かび上がってくる。もうわかっていた。これはただの夢ではない。この感情を「夢」で片付けることなど、できはしない。たとえ誰が何と言おうと、この感情、そして娘の存在は、イーグルにとっては「現実」のものだった。
 不意に娘がこちらを振りかぶった。
「こんにちは」
 イーグルの周りを吹く風をそのまま音にしたような声だった。その声は真っすぐイーグルの心に届き、ぐらぐらと揺さぶった。ほとばしるような熱さを感じるのに、不思議と涙は出なかった。ここが現実世界ではないからだろうか。それならば現実の世界で娘に会いたいと思う。現実世界ではこうして姿を見ることはできないだろうが、近づいてさえきてくれれば、彼女ならきっと気配でわかる。そんな気がした。

「あなたは」
 イーグルはやっとの思いで口を開いた。
「ご自分の名前も教えてはくれないんですね」
 おもねるような笑みが浮かんだのは、答えがわかっていたからだ。「あなたの知らないことは教えられない」。娘はきっとそう答えるだろう。実際、娘は困ったような顔をしてイーグルから視線を外した。そしてまた、腕の中の花を目の前に活け始めた。
 娘が自らの名前を口にしない。それはつまり、彼女はイーグルが知っている人物ではないということだ。当然イーグルの記憶の中に彼女の姿はない。けれどそれならばなぜ、彼女の方はイーグルのことを知っているのだろう。そしてなぜ、この乳白色の空間でしか会うことができないのだろう。
 娘が答えてくれることはないとわかっているのだから黙っていればいいのに、口を開かずにはいられなかった。
「ここは――」
「わかっているはずよ」
 ところがイーグルの言葉は娘のそれによってぴしゃりと遮られた。その確信的な言い方に、覚えずはっと息を呑んだ。
「ここがどこなのか、あなたはもうわかっているはず」
 娘は横顔を向けたままなのに、まるでそのガーネット色の瞳に射抜かれたような衝撃があった。

 喉がひりつくように痛んだ。息を吸い込めばひゅうと鳴る。こめかみが冷えた。わかっているのか、とイーグルは自問した。ここがどこなのか、僕はわかっているのか。
 けれど答えが浮かんでくることは一向になかった。途端に自分が自分ではなくなってしまったような気がした。厭な焦燥感がイーグルを駆り立てる。そんなイーグルの心持を知ってか知らずか、娘は淡々と花を活け続けている。そしてついに最後の一本を活け終わると、娘は名残惜しそうにゆっくりと手を離し、立ち上がってイーグルに向き直った。
「死を覚悟したことがあるでしょう」
 どくん、と心臓が大きく脈打った。そんな経験をするのは、少なくともこの二年間では初めてのことだった。突然訪れた衝動に、戸惑いを隠せない。気づくとぐっと拳を握りしめていた。そんなイーグルの動きを見てか、娘がふっと目を細めた。
「ここは、そういう人間しか来ないところよ」
 風が囁く。やはりこれは夢かもしれない。そうではないとはっきりわかったのに、なぜかふとそう思った。そう思いたかった、だけなのかもしれないが。


 初めて体の異変を感じたのはセフィーロ侵攻の二年前のことだった。今から数えれば四年前ということになる。妙に疲れやすくなった気がしたのだ。けれど当時は一刻も早く評議会のメンバーとなるべく日々身を削っていたため、疲れるのも当然と、さして頓着しなかった。精神エネルギーの使いすぎを指摘されたのはそれからさらに一年後、評議会メンバーに選ばれた直後に受けた健康診断でのことだった。医者はただちに職を辞して療養に専念することを勧めた。そうでなければ余命二年という宣告だった。思えばあれが、生まれて初めて死を意識した瞬間だった。

 医者からの宣告があと一日早ければ、イーグルはまったく違う道を選んでいたかもしれない。けれど奇しくも宣告を受けたその日、イーグルの運命を変える出来事があった。ランティスとの出逢いだ。
 今では唯一無二の親友となったランティスとの出逢いは、イーグルの根本をがらりと変えた。それまでは最低でも「ギブアンドテイク」でなければ人付き合いなどしたくもなかったイーグルが、初めて「ギブアンドギブ」でも構わないと思えた相手。それがランティスだった。しがらみにとらわれず己の信念を貫きながら生きるランティスは、イーグルにとって憧れだった。少しでも彼に近づきたい。その一心で、イーグルは文字どおり命を削りながら仕事と勉学に没頭した。ランティスと切磋琢磨しながら過ごす日々は本当に充実していた。曇っていく医者の顔色とは対照的に、イーグルの心は晴れ渡っていった。それからの一年は驚くほどあっという間に過ぎ、気がつくと、まだ一年の猶予が残されていたはずのイーグルの寿命はすでにカウントダウンの段階に突入していた。

 それは突然のことだった。セフィーロに起きた異変とランティスとの別れ。めまぐるしく変わる周囲の状況に追いつくので精いっぱいだった一方、イーグルの心は急速に定まっていった。自分が何のためにこれまで生きてきたのか、そのときようやく理解した。「セフィーロとともに永遠の眠りに就く」。その結論は、まるでずっとそこにあったかのようにイーグルの心にストンと落ちた。渡したホバーでセフィーロへと発つランティスを見送ったあのとき、イーグルにとって「死」はもはや「意識するもの」ではなく「覚悟するもの」になっていた。
 たったひとつの『願い』のために奔走していたとき、命を惜しいと思ったことはただの一度もなかった。むしろこんなちっぽけな命でいいのならば喜んでくれてやるとさえ思っていた。不思議なもので、そう思うとまるで百人力になったかのように感じられるのだった。病など、あのときのイーグルにとっては、顔の周りを舞う蚊のように目を瞑っていても片手で簡単に握りつぶしてしまえるほどの意味しか持たなかった。

 これほどまでにはっきりと過去のことを思い返すのは初めてだった。きっかけとなったのはもちろん娘の言葉だ。「死を覚悟したことがあるでしょう」。その言葉はいつまでもイーグルの中で木霊し続けていた。
「どうして、そのことは教えてくれるんですか」
 声の震えを隠せないことを情けないと思った。けれど口を開かないわけにはいかなかった。「ここは、そういう人間しか来ないところ」――娘は確かにそう言ったが、解せなかった。彼女はイーグルの知らないことについては教えられないはずで、それは逆に言えば、彼女の口にすることはイーグルがすでに知っていることだという意味でもあるのに、イーグルは、「ここ」が「そういう人間しか来ないところ」だということを、娘に教えられて初めて知ったのだ。
 娘はほほ笑んだままイーグルを見ている。娘が笑えば笑うほど、イーグルは笑えなくなった。断崖絶壁の上にひとりで立っているようなから恐ろしさが、イーグルの眼前にあった。
「あなたが知っていることだからよ」
 やがて娘は、まるで水面に笹船を浮かべるかのようにあっさりとそう言った。
「わかっているでしょう、心の奥では。ここに来たということは、そういうことよ」

「そういうこと」とはどういうことなのか、わかるようでわからない。「わからない」という感覚は、イーグルにとっては新鮮だった。これまでの人生でわからないことといえば父である大統領の本心くらいのもので、あとは「わからない」と思うようなことはあまりなかった。しかし今、わからないことが、一瞬のうちにまるで扇が広がるように急増した。
 考えろ、と自分自身に言い聞かせる。考えるんだ、彼女が何を意味しているのか。
 イーグルは娘を真っすぐに見返し、一度深呼吸をした。
「あなたもそうなんですか? あなたも、死を覚悟したことがあるのですか」
 娘は答えない。いや、沈黙が彼女の答えだった。
「あなたは――」
 このままでは終われない。イーグルはなおも言い募ろうとした。けれどそのとき、娘がやにわに視線を外した。上を見上げた娘は刹那どこか哀しげな笑みを浮かべた。それから一度瞬きをすると、改めてイーグルを見返した。
「お客様よ」
「え?」
「今日はお別れね」
「待ってください、僕はまだ――」
「焦らないで」と娘はイーグルを遮った。「次に会うときには、もっと話せるわ」
 だめだ、と言ったはずだったのに、それは声になっていなかった。意識が遠のいていく。瞼も閉ざされようとしている。ここから離れることなど望んでいないのに、しかしイーグルは抗えない。のしかかる重みに負けて、イーグルはついに瞼を閉ざした。娘に別れの挨拶をすることさえできなかった。

***

 まだ夜のようだった。闇の匂いがしている。瞼が鉛のように重い。戻ってきてしまったのだと、厭でもわかる。イーグルはため息をついた。
 眠っていたとは思えないほど鼓動が速い。正確には「眠って」はいなかったのだから当然かもしれないが、その鼓動の速さは妙にリアルだった。瞼の裏一面に広がる闇に、娘の幻想が鮮やかに浮かび上がる。彼女と交わした会話は、夢などではなかった。

 娘に会うのは毎夜のことというわけではなかった。どんなに願っても会えない夜もあれば、今日のように、まったく違うことを考えていたのに会うこともある。規則性はまったくない。けれど娘は、邂逅のたびにイーグルの心をいとも簡単にさらっていった。娘と過ごした後は決まって全身の血液が沸騰したようになる。鎮めるのはたいへんな重労働だった。何度も深呼吸を繰り返して、ようやく地に足がついた感じがしてくる。長く息を吐き出すと、強い疲労感がイーグルを襲った。
 彼女はたぶん、望んであそこにいるわけではないのだろう。直接訊いたわけではないが、そう感じるものがあった。かといって誰かに押さえつけられている様子もない。理由があって離れられないのかもしれない。
 あそこにいることが娘にとっていいことなのか悪いことなのか、イーグルにはわからない。名前さえも、どこの誰なのかも知らないのだ。ただ、もしも彼女があそこから離れることを望んでいるのだとしたら、どんなことをしても助け出してやりたいと思った。

 そういえば、と思い当たったのは、ようやく鼓動が落ち着いてきたころのことだった。娘に訊かなければならないことがあるのを忘れていた。導師クレフとの関係だ。
 二人のあいだには間違いなく何らかの接点がある。直接的なのか間接的なのかはわからないが、そうでなければ、彼女の風貌を口にしたときのクレフの動揺っぷりに対する説明がつかない。クレフが話してくれることは期待できそうにないから娘に訊くしかないと思っていたのだが、結局訊けなかった。今夜はそんなところにまで思考を及ばせられるような余裕がなかった。
『次に会うときは、もっと話せるわ』
 不意に娘が最後に言った言葉を思い出した。あれはどういう意味だったのだろう。考えようとしたそのとき、扉が二度ノックされた。

 夜も更けたこの時間にいったい誰だろうと訝りながら、イーグルは扉の向こうに意識を飛ばした。そこにいるであろう人の気配に自らの意識を這わせる。やがてたどり着いたひとつの答えは、イーグルの虚を突くものだった。
『……ウミ?』
 キイ、と扉が開かれる。その気配の主は間違いなく、その名を持つ娘だった。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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