蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 33. 危なっかしいひと

長編 『蒼穹の果てに』

クレフに会えない――その事実は、海の心に広がる闇を日に日に深くしていく。彼の存在が自分にとっていかに大きなものであるのか、いまさら思い知って愕然とした。

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 寝ているかもしれないと思って極力控えめなノックにしたつもりだったのに、間髪容れず名前を呼ばれて海は驚きに目を瞠った。そんな自らの反応に、思わず自嘲気味な笑みがこぼれる。起きていてくれることを期待して、ここへやってきたくせに。海はノブに手を掛け、ゆっくりと廻した。
「もしかして、起こした?」
『いいえ。起きていましたよ』
 最初の「いいえ」はすぐに返ってきたけれど、そこから「起きていましたよ」へつながるまでには少し間があった。やっぱり起こしたのではないかと申し訳なく思ったけれど、せっかくの厚意には甘えることにする。海は静かに扉を閉め、ベッドサイドへと向かった。

 雨が降っているので、いつもは開かれているカーテンも今日は閉じられている。その向こう側には薄いガラスが一枚あった。天候が悪いときだけ姿を現すのだと、前にイーグルが言っていた。まるで魔法だと思いかけて、ここは魔法の国だったといまさら改まる。
「ごめんなさい、イーグル。こんな時間に突然来ちゃって」
 言いながら、海はベッドサイドの椅子に腰を下ろした。
『とんでもない。むしろ嬉しかったですよ。ちょうど誰かと話がしたい気分だったので』
 その言葉が本心なのか、それとも海の心情を慮ったがゆえの優しい嘘なのか、海には判断できなかった。イーグルが口にする言葉はどれも真実めいて聞こえるから、彼の真意を測ることは至難の業だった。けれどいずれにせよ、突然の海の来訪を迷惑だと思っている節はなさそうなので、ほっとする。誰かと話がしたい気分なのは海の方だった。そのためにここへ来たのに、けれどいざ話し出そうとすると言葉が出てこなくて、海は黙り込み、俯いた。

 道中はほとんど助けを求めるような心持ちだった。本当はクレフと話がしたいのに、彼は全然会ってくれない。ここへ来る前は光、風と三人で話していたのだけれど、手がかりが少なすぎて、結局堂々巡りをしただけで終わってしまった。ラファーガが教えてくれた「模様」のことは、海も光も、たとえ風が相手でも言えなかった。特に口止めをされたというわけではなかったけれど、なんとなく、自ら口にチャックをしていた。渋るラファーガの口を無理やり割らせたことに対する罪悪感があったのかもしれない。これ以上あの話を人に広めるべきではないと、心の中にいるもうひとりの自分が警鐘を鳴らしていた。

 風たちと話をしたことで少しは気持ちの整理がついた気がしたけれど、心がすっきりと晴れ渡るには程遠かった。もっと違う人と違う角度から話がしてみたいと思った。では誰のところへ行こうかと考えたとき、真っ先に浮かんだのがイーグルだった。一度彼が浮かんでしまうと、イーグル以外の人のところへ行こうとは思えなくなってしまった。どうしてイーグルだったのかは、自分でもわからない。いつも眠っているイーグルの寝室を訪れることの方が、ほかの人のところを訪れるよりもハードルが低いと考えたのかもしれなかった。

 ふと顔を上げ、何気なくイーグルを見やった海は、きょとんと小首を傾げた。気のせいか、その頬に疲労の色が窺えるように見えたのだ。
 もちろんイーグルは療養中の身なのだから、元気いっぱいということはないだろう。でも、少なくともここ最近は会うたびに顔色がよくなってきている印象しかなかったので、今のように疲れた顔をしているイーグルを見るのは妙に新鮮だった。眠っているのに疲れることなどあるのだろうか。どことなく滑稽な疑問を抱いていると、ふっとイーグルが笑った。
『どうしました、ウミ。僕の顔に何かついてますか?』
「あ、ううん、そういうわけじゃないの。ただ」
 どう言うべきだろう。海は戸惑った。目が合うはずもないのに、つい窺うような態度を取ってしまう。でも、と海は思い直す。イーグルは、見えているはずはないのに海が彼の顔色を確かめていることに気づいていた。
「イーグル、疲れてる?」
 ごまかしても無駄だと思って、またそんな必要もないと思って、結局感じたことを感じたままに言った。そうすると、部屋を漂う空気が一瞬凛と張り詰めた。その一見ささやかな変化は、けれど海を厭な焦燥感へと駆り立てた。
「だいじょうぶ? 無理してない? どこか辛いところがあるの?」
 思わずベッドに手をついて身を乗り出した。もしかしてどこか具合が悪いのではないかと本気で心配になった。けれどそんな海の心配をよそに、イーグルは突然ぷっと吹き出した。

 思いがけない反応に呆気に取られた海の『心』に、イーグルの細やかな笑みが直接響く。虚を突かれた気分で、海は忙しなく瞬いた。
『ごめんなさい、そういう意味じゃないんです』
 イーグルは言った。「そういう意味」とはどういう意味なのかと、視線だけで問いかける。するとイーグルはもう一度『ごめんなさい』と言った。今度の言葉は笑いを含んだものではなかった。
『ウミは本当に優しいですね。僕はこの状態なんですから、無理なんてしたくてもできませんよ。それに、痛いところもかゆいところもありません。唯一不自由な点があるとすれば、起き上がれないことくらいです』
 それもそうかもしれない。でもさっきは確かにイーグルが疲れているように見えたのだ。そのことを指摘した後の凛とした気配も気になった。そのため簡単には納得できず、海は押し黙った。するとイーグルが軽く息をついた。
『でも、まったく疲れていないと言ったら嘘になります』
 イーグルの頬にできている影が突然色濃くなったように見えて、海は覚えずまじまじとその顔を見つめた。その言葉は本心だろう。けれどイーグルは、彼を疲れさせている理由が何なのかまでは口にしようとしなかった。海はしばらく無言を貫いて待ってみたけれど、イーグルがそれ以上言葉を続けることはなかった。

 彼が心を痛めるのも無理はないと思う。ザズの突然の失踪、オートザムがセフィーロへ向けて20隻の戦艦を用意しているという事実、そして、その軍を指揮しているのがオートザム国大統領――イーグルの実の父親であるということ。あらゆることがイーグルの心に重くのしかかっているのだろう。ただ、そういうことだけを気にしてイーグルが疲れているのか、それともほかにも気に病んでいることがあるのかまでは、海にはわからなかった。
 イーグルがその心の内に今何を感じているのか、海はふと気になった。イーグルは大統領の令息という立場にありながら、かつては祖国であるオートザムを捨ててセフィーロとともに眠りに就こうとしていた。命が助かってからも、イーグルはめったなことではオートザムの話をしない。まるでセフィーロを自らの生まれ故郷としたがっているようにさえ見えることもあった。

 大統領とのあいだで確執があったらしいということは、ジェオの口からちらりと聞かされたことがある。けれど具体的に何があったのかまでは海は知らされていない。ただ、もしかしたら父子の仲がうまくいっていないのかもしれないとはうすうす感じていた。何しろ大統領は、息子が寝たきりの状態だというのにこの二年間一度も連絡をよこしていないのだ。普通の父親なら、自分の子どもが生死の境を彷徨ったと聞いたらその身を案じるのが当然だろうに。
 けれどいくら不仲だとはいえ、自らの父親が自分の暮らしている国に攻め入ろうとしていると聞いたイーグルの心中が穏やかなわけはないだろう。このままでは実の父子が争うことになるのだと思うと、自ずと視線が落ちた。
「争いは、いやね」
 言葉がつと口をついて出た。
「どんな形で終わっても、関わった人はみんな心に傷を負うわ。そんな傷、ほんとうは必要ないはずなのに。どうして人は、争わずに生きていくことができないのかしら」

 モコナに申し訳ないな、と不意に思った。『創造主』であるモコナは、日々人々が争い合う地球の惨状を嘆き、争いのない世界を望んだが故にこのセフィーロを中心とした世界を創り上げたと言っていた。それなのに、そのセフィーロを含むこの世界が今まさに争いの時代を迎えようとしている。この世界に明るい未来が訪れることを信じて別次元へと旅立っていったモコナが今のセフィーロを見たら、いったいどう思うだろう。
 避ける手立てがあるなら何でもしたい。でもその一方で、所詮自分たちは来訪者、お客様に過ぎないのだという思いもあった。こちらの世界の問題について、果たしてどこまで踏み込んで関わっていいのか、戸惑いを覚えないと言ったら嘘になる。今は『道』が閉ざされてしまっているから、こちらの世界で起きている問題はイコール自分たちの問題だけれど、ひとたび『道』が開いて異世界へ戻らなければならなくなったら、こちらの世界だけにかかずらっているわけにはいかなくなる。そうなのだ。最初は何よりも『道』の問題が最大の懸案事項だったのだ。そこにプラスアルファで、ザズの失踪やオートザムの策略などの問題が新たに積み重なってきている。考えなくてはいけないことがありすぎて、頭がパンクしそうだった。

 こんな経験をするのは何も初めてのことではない。でも今回は、これまでとは決定的に違う。なぜならクレフと話をすることができないからだ。
 これまでは、困ったことがあればいつもクレフを頼っていた。二年前の『柱』を巡る戦いのときもそうだ。クレフはいつもそこにいて、どんな話でも聞いてくれた。ただ聞いてくれるだけのときもあれば、はっと目が覚めるようなアドバイスをしてくれることもあった。どのような反応でも、クレフの言葉や表情は海の心に沁みた。クレフがいたからどんな難局でも乗り越えてこられたのだ。けれど今は、クレフと話をするどころか、顔を見ることさえ簡単にはできない。
「いつもここにいて、おまえの話を聞くと約束しよう」。クレフがそう言ってくれたのはほんの半年ほど前のことだったのに、今ではもうはるか遠い昔のことであるように感じた。クレフに会えない――その事実は、海の心に広がる闇を日に日に深くしていく。彼の存在が自分にとっていかに大きなものであるのか、いまさら思い知って愕然とした。

 われ知らずため息が漏れた。このまま膝を抱えて丸まってしまいたい。そんな弱気な考えが頭の中を支配する。するとそのとき、ベッドに置いた手に不意にぬくもりが触れた。イーグルの手だった。
『あなたは、導師クレフのことが心配でたまらないんですね』
 目の奥がじんと熱くなった。なんとか心で押し留めていた不安な気持ちが、隙間を縫ってどんどんあふれてきそうになる。でもここで泣いてはいけないと思った。海はイーグルの手の下から片方の手を抜き、目尻に滲んだ涙を拭いた。そしてイーグルの手を両手でしっかりと握り返した。とても温かい手だった。目を開けることはできなくても、彼は生きている。そのことが、無性に嬉しかった。

 何も言えず、海はただじっとそうしていた。イーグルは、海が密かに抱いている気持ちに気づいている。そんな人の前でこれ以上言うことはなかった。イーグルもそのことをわかっているのだろう、あえて何かを口にしようとはしなかった。
 雨の音が部屋に満ちる。しっとりと体にまとわりつく空気は、まるで海がひとりではないことを教えてくれているようで、心強かった。
 やがて海は、深呼吸とともにイーグルの手を離した。気持ちはだいぶ落ち着いていた。
「今に始まったことじゃないけど、クレフが何を考えてるのか、全然わからないの」
 昼間、すたすたと一人大広間から去っていったときのクレフの小さな後姿を思い返す。「話すことなど何もない」、あの背中はそう言っていた。ひとたび遮断されてしまえば、どう頑張ってもクレフの心は覗けない。隙間さえ見つけたら絶対に逃しはしないのに、隙間どころか本人の姿さえ拝めないのだからどうしようもない。
「何か思っていることはあるみたいなのよ。でも、それが何なのか、見当もつかないの。クレフはたぶん、私たちが知らないことを知ってるんだと思う」
『あなたたちが知らないこと、ですか』
「ええ」と海はうなずいた。「747年も生きてるんだもの、クレフしか知らないようなことも、たくさんあるでしょう」
 イーグルからの答えはなかった。海もそれ以上言うことを見つけられなかったので、そっと口を噤んだ。

『覚えていますか、ウミ』
 やがてイーグルは、突然吹っ切れたような声になってそう訊いてきた。
「え?」
『僕はあなたのことを「導師クレフに似ている」と言いました。覚えていますか?』
 不覚にもどきっとした。その話を今ここでされるとは思っていなかったので、準備がまったくできていなかった心はまともに衝撃を喰らって大きく揺らいだ。
「ええ……覚えてるわ」
 海は戸惑いながらも首肯した。
『僕は、あなたのことも導師クレフのことも、直接自分の目で見たことはありません。ですからこれは、僕がお二人と話して感じたことです。もしかしたら間違っているかもしれません。でも僕は、あなたの優しさが導師クレフのそれに似ていると感じました』
「優しさ?」
『ええ。お二人とも、「不器用に優しい」んです』
「ぶ、不器用……」
 なんだか褒められているのかけなされているのかよくわからず、顔が引き攣った。するとイーグルは、まるでそんな海の表情が見えたかのようにくすりと笑った。
『あなたが導師クレフに惹かれるのは、彼と似たところがあるからかもしれませんね。もちろん、それだけではないでしょうが』
 かあっと顔に血の気が上るのを感じた。けれど同時に皮膚の表面からは熱が逃げていくようにも感じ、それはとても不思議な感覚だった。

 イーグルの発言は、部屋の中の空気をがらりと変えた。それまでのシリアスな雰囲気が嘘のように、今は穏やかな空気が二人を優しく包み込んでいる。そんな場合ではないと思うのに、この穏やかさに安心している自分がいた。
『導師クレフは危なっかしいひとですが、自らの立場は弁えていらっしゃいます。周囲の人を哀しませてまで暴挙に出るようなことはないでしょう。そう思いませんか?』
 その穏やかな空気を壊さないような口調で、イーグルはそう続けた。
 そう言われて思い出すのは、あの約束のことだった。そしてストンと納得がいった。言葉は時に人を縛る。あの約束がある限り、クレフはきっといつか顔を見せてくれるだろう。なぜならあの約束が破られたら海はとても哀しむし、そしてそのことを、クレフも絶対にわかっているはずだからだ。
「そうね。そう思うわ」
 海は言った。
「ありがとう、イーグル。あなたと話せてよかった。だいぶ気が楽になったわ」
『僕もですよ』
 海はやおら立ち上がった。これ以上イーグルの睡眠の邪魔をするのは本意ではなかった。

 肩が冷えてしまいそうだったので、海はイーグルの毛布を少し引き上げてやった。『ありがとうございます』と頭の中に声がする。こういうなんでもないようなことにも感謝の心を示すことができるところに接すると、むしろイーグルの方がクレフに似ているように思う。
「夜遅くにお邪魔してごめんなさい。そろそろ行くわ。ゆっくり休んで」
 ベッドに背を向け、扉へと向かう。取っ手に手を掛けたとき、『ウミ』と呼び止められた。
『女の人に、注意してください』
「え?」
『見知らぬ女の人が現れたら、気をつけて』
 妙な忠告だった。真意を探ろうとイーグルを数秒見つめたけれど、その言葉の裏にどんな意味があるのかは読み取れなかった。
 見知らぬ女の人。一人歩く帰り道で考えてみたけれど、思い当たる人は浮かばなかった。そもそも「見知らぬ」という接頭語がついているのだから、思い当たるはずもなかった。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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