蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 36. 蕾

長編 『蒼穹の果てに』

あの木漏れ日のような笑顔が恋しかった。エメロード姫。けれど心の中でどれほど渇望しようとも、彼女はもういない。

本文は「続きを読む」からどうぞ。





 それはあまりにも突然のことで、最初は地面が揺れているのだということさえ理解できなかった。プレセアはセフィーロ城内にある与えられた部屋で剣を磨いている最中だった。その部屋にはまだ慣れていなかった。『魔法騎士』たちに剣を授けた直後、突然やってきたクレフに説明もなくただ「城へ来い」と言われ、慌てて移り住んだばかりだった。もともと地に足がついていない感じがしていたところを襲ってきた揺れは、実際よりも大きく感じた。

 慌てて外へ飛び出したプレセアだったが、目に飛び込んできた光景に愕然となってしまい、その場で足が竦んだ。つい今しがたまで晴れ渡っていたと思った空はどす黒い雲に覆われ、雨とも泥ともつかぬものを落としている。異常なのは空だけではなかった。地表へ目を向ければ、美しかった山並みがどんどん崩れ、まるで重力に逆らうように曇天の空へと吸い上げられていっている。耳を劈くような轟音に、パニックに陥った人々の悲鳴が交ざる。焦げ臭いような、何かが腐るような匂いが鼻をつく。刹那突然空が明るくなったかと思うと、地響きとともに光が爆ぜた。遠くで雷が落ちたようだった。

 地獄絵図を見せられているのだと思った。思考が追いつかず、哀しむということさえできない。本能は「逃げろ」と告げているのに、足がどうしても動かず、その場でただ呆然と立ち尽くしていることしかできなかった。すると不意に、バタバタと忙しない足音が近づいてきた。
「城の中心部へ向かえ。急げ」
 そのときほど彼の声が聞こえてほっとしたことはなかった。純白のローブはまるで太陽の輝きのように見え、無条件にプレセアを安堵させた。彼は背後に数人の術師たちを従えていた。ずっと速度を変えずに歩いていたが、プレセアと目が合うと、彼――クレフは驚いたようにはっと歩みを止めた。それから彼は背後の者たちに早口で何かを告げた。それを受けた術師たちは、クレフを追い越し、軽く会釈をしながらプレセアの前を去っていった。遅れて歩み寄ってきたクレフはプレセアの前で足を止めた。彼の瞳はこんなときでも精悍としていた。
「無事か、プレセア」
「はい」とプレセアはうなずいた。「しかし、導師クレフ」
「説明している暇はない」
 クレフはきっぱり言った。
「私はこれから、『力ある者』たちとともに新しいセフィーロ城を建立する。おまえも、ほかの者たちとともに城のできるだけ中心部へ行け。身を守ることだけを考えろ。留まってはならない。このあたりもじき、崩れる」

 ガンと頭を殴られたような衝撃に襲われた。クレフの真っすぐな言葉は、プレセアの心を容赦なく深々と刺した。彼の言葉は現実を直視することを求めている。目の前に突きつけられたそれを、プレセアはもう無視できなかった。このセフィーロにおいてこれほどの天変地異が起きる理由など、ひとつしかない。『柱』であるエメロード姫の身に何か起きたのだ。いや、何か起きただけではない。おそらく彼女は、もう――
「プレセア」
 呼ばれてはっとわれに返り、顔を上げた。するとクレフの小さな手がプレセアの手を取った。小さくてもその温もりは偉大だった。崩れゆく地を背に、クレフはプレセアがよく知ったほほ笑みを浮かべた。
「だいじょうぶだ。まだ終わっていない」
 もうまもなく城が崩れることを告げ、プレセアの心に槍を立てたのと同じ声だったはずなのに、今度のそれは、プレセアのことを穏やかに包み込んだ。あまりに優しく、そして温かくて、目の奥が熱くなった。クレフが確かめるようにうなずく。そしてプレセアの手をぱっと離すと、迷いのない足取りで去っていった。
「クレフ!」
 さっと手を挙げただけで、彼は振り返らない。「だいじょうぶだ」とその背中が言っていた。

 飲み込まれてしまいそうなほどの絶望感が確かにあるのに、その絶望がプレセアを打ちのめすことはもうなかった。クレフは生きている。彼はまだ希望を捨てていない。その事実がすべてだった。「まだ終わっていない」――その言葉は、プレセアの中に巣食う絶望の何倍も力強かった。
 胸に手を当てれば、命の鼓動を感じる。プレセアは目尻に滲んだ涙を拭い、一目散に部屋を飛び出した。あれほど大切にしていた武器たちも、このときばかりはもはやどうでもいいと思った。武器はまた創ればいいけれど、人の命は二度と創れない。代替がきく武器よりも、私は人の命を護りたい。プレセアは心からそう思った。


 城の周辺ではたくさんの人がたむろしていた。プレセアのように、『力ある者』の中にはクレフの指示を受けてあらかじめ城へ居を移している者もいたが、それはごく一部に限られた話だった。多くの民は、つい数刻前まで居住区にていつもと変わらぬ生活を営んでいたはずだ。そんな状態だったものだから、おそらく事情が飲み込めていないのだろう、皆どうしたらいいのか決めかねている様子だった。取りあえず城までやってきたはいいものの、果たして入っていいのかどうかもわからない。そんな気配をありありと醸し出している人々を見て、無理もないと思う一方、やきもきとした気持ちを抱くことも禁じ得なかった。「もう」と毒づき、プレセアは駆け寄った。
「何をしているの、急いで! 早く城の中へ!」
 誰もがはっとしたようにプレセアを見た。まるで示し合わせたかのように、ほぼ全員がその瞳に同じような不安の色を宿している。プレセアは一人ひとりを見回し、うなずいた。
「だいじょうぶよ、導師クレフがいらっしゃるもの。あの方が、新しいセフィーロ城を建立してくださるわ。だからみんな、希望を捨てないで。さあ、早く城の中へ」

「導師クレフ」という名前が持つ威力を、その瞬間プレセアは目の当たりにした。あれほど不安で満ちていた皆の表情に、一転して確かな希望の色が燈ったのだった。
 それは期待していた反応ではあったけれど、驚かないわけにはいかなかった。一人の人間の、それも行動ではなく名前が、これほどまでに人の心を動かす。これこそがクレフの持つもっとも大きな力だ。ほかの誰もかなわない、絶対的な安心感。ある意味では『柱』以上の存在かもしれなかった。
 そうして「導師クレフ」という名の希望を手にした人々は、確かな足取りで城の中へと迷わず入っていく。もはやプレセアの先導は必要なかった。もうだいじょうぶだと確信し、プレセアも、残されている人がいないことを確かめて最後尾から城の中へ戻ろうとした。ところがそのとき、一人の少年が集団の中から抜け出し、城から逆に遠ざかっていくのが目の端に映った。

 まったく立ち止まる気配を見せず進んでいくその後姿に、プレセアは面食らった。少年は淡々と歩いているように見えるのに、まるで風のような速さで遠ざかっていく。そのまま行けば二度と戻ってこられなくなる。プレセアは急いで少年を追いかけた。死に物狂いで走り、ようやく追いついてその手首をつかむ。すると少年がはっと振り返った。
 年のころはまだ15,6歳といったところだろうか、面影に幼さを残した少年は、右の目に眼帯をしていた。左目は闇を切り取ったように暗い。その闇に吸い込まれそうになっていたことに、少年が瞬きをしたことで気がついた。プレセアははたとわれに返り、少年の手首を握る手に力を込めた。
「どこへ行くの?」
 答えず、少年は俯いた。行きましょう、と腕を引っ張る。ところが少年は頑としてその場から動こうとしない。プレセアは信じられない気持ちでまじまじと少年を見た。少年はプレセアの視線を避けるように顔を逸らし、崩れゆく地を遠く眺めた。そして、一切の抑揚をつけずに言った。
「どこにいたって同じさ。セフィーロは滅びる」

 咄嗟に言葉が出なかった。ぴゅうと冷たい風が頬を撫でる。心では「そんなことない」と強く少年の言葉を否定しているつもりなのに、いざそれを口に出すことはできなかった。少年の、あまりにもきっぱりとした物言いがそうさせるのかもしれない。紡ぐ言葉は惨酷なのに、少年は自暴自棄になっているわけでもなく、ただ飄々とした様子で佇んでいる。
「死に場所くらい、勝手にさせてくれよ」
 そう言って、少年はプレセアを見上げた。その瞬間、プレセアははっと息を呑んだ。少年の瞳は、自らの死を覚悟した人のそれだった。

 本当は、この腕を解放してやることこそが、今自分が彼に対してしてやれる最大限のことなのかもしれない。そう思う自分がいるのに、けれどプレセアはどうしても手を離すことができなかった。それは少年のためではなくプレセア自身のためだった。たとえ少年が死を覚悟し、もっと言えばそれを望んでいるのだとしても、黙って見過ごすわけにはいかなかった。ここで諦めることは、クレフが諦めていないのに自分が先に諦めてしまうことは、どうしても赦せなかった。
「あなたは死なないわ。あなただけじゃない、誰も死なないわ。私たちはみんな生きるの。生きて、未来を紡ぐのよ」
 すると少年は、あからさまに訝しげな顔をした。
「何、言ってるんだ。この国のどこに希望があるっていうんだよ」
「『だいじょうぶだ。まだ終わっていない』」
 プレセアが言うと、つかんだ少年の腕が微かに震えた。プレセアはうなずいた。
「導師クレフの言葉よ。まだ終わってないの。だから、信じて」
「……今は終わってなくても、そのうち終わるよ」
「そんなことないわ。ねえ、あなただってセフィーロの人間なんでしょう? それならわかるわよね。セフィーロは、『信じる心が力になる』国なのよ。みんなが『まだ終わってない』と信じるなら、まだ終わってないの」
「けど」
「いいから、生きるの」
 プレセアはぐっと少年を引き寄せた。
「死んだらそれで終わりよ。人の命は、武器のように作り直すことはできないの。残された私たちは、生きなくちゃ。この国を護るために死んでいった人のためにも」

 脳裏にまざまざとエメロードの姿が浮かんだ。幼女のような姿を保ったまま、常にセフィーロの平和と安定を祈り続けていた、心優しかった姫。会えばいつも心をまっさらにするような笑顔を向けてくれた彼女は、この国を心底愛し、慈しんでいたはずだった。それなのになぜ、姫はセフィーロを残して死んでしまったのだろう。魔法騎士たちは姫を救うことができなかったのだろうか。
 やるせない気持ちでいっぱいだった。今のセフィーロを見たら、エメロード姫はきっと哀しむだろう。そう思うと、堪えていた涙がまたあふれてきそうになる。あの木漏れ日のような笑顔が恋しかった。エメロード姫。けれど心の中でどれほど渇望しようとも、彼女はもういない。

「行きましょう」
 問答無用と言わんばかりに、プレセアは少年の手を引いて歩き出した。「ちょっと」と後ろから抗議の声がする。けれど歩みを止めるつもりはなかった。もう、誰のことも死なせない。強い気持ちが心の奥から湧き上がってきていた。見ているばかりではなく、後ろに立って護られるばかりではなく、私も誰かのことを護りたい。心底そう思った。その気持ちが、波打つ地面を踏みしめる力となっていた。
 雷がひっきりなしに地面を打つ。まだ昼間なはずなのに、そうとは思えないほどに空が暗い。木々が次から次へと無惨にもなぎ倒されていく。どうして――血が滲むほどに唇を噛み、それでも歩き続けなければならなかった。立ち止まったが最後、それは命尽きるときだ。

 やがて、唯一形を留めているセフィーロ城の前にたどり着く。まだ気は抜けないとわかっていながら、多少なりとも気持ちがほっとする。そのときだった。突然城の中心部で光が爆ぜ、空へ向かって一直線に伸び上がった。
 思わず悲鳴を上げるほど、その光は強烈だった。光はやがて三つ又の水晶を作り上げた。こんなときなのに、その水晶を見て「美しい」と思った。暗闇を照らす水晶は、希望の塊のようにも見える。それが誰の手によって創られたものなのかは、火を見るよりも明らかだった。
「クレフ」
 自然とその名が口からこぼれていた。彼の『想い』は、形にするとこうなるのか。

「諦めちゃだめよ」
 それは後ろの少年へ向けた言葉であると同時に、自分自身に対して言い聞かせる意味もある言葉だった。諦めてはいけない。まだあそこに希望がある。あの新しいセフィーロ城が、私たちの帰りを待っている。
「諦めなければ、生きていけるわ。死ぬということは、生きることを諦めるということだから」
 少年は答えない。けれどつないだ手から、彼の心が揺さぶられていることを感じた。その手をしっかりと握りしめ、プレセアは再び歩き出した。


 水晶の城の内部はまるで戦場のようだった。痛い、痛いと泣き叫ぶ子もいれば、声を出すことすらできないほどの重症を負っている者もいた。雷に打たれたか、あるいは割れる地面に足を取られて転げ落ちたか。いずれにせよ、たとえ九死に一生を得たとしても五体満足で生き続けることは難しいと思われる者が多くいた。医術に長けた者たちが手当てに当たっているようだけれど、数が多すぎて捌ききれていない。絶えず人々の叫び声が木霊するそのさまは、衝撃以外の何物でもなかった。
 無力だ、と思った。どんなに美しいものを創ることができたとしても、武器は所詮、誰かを殺したり傷つけたりするための道具だ。たとえ正義のためにそれを使っているとしても、多くの武器が使われれば使われるほどたくさんの血が流れることには変わりない。創師である私は、その手助けをしているに過ぎない。誰のことも傷つけたくないのに、もしかしたら私は、間接的には誰よりも一番人を傷つけているのかもしれない。

 人を傷つける以外に、私には何ができるだろう。たとえばそう、クレフが助けを必要としていたら。
 彼のところへ行かなければ。強く思った。
「ごめんなさい、私、行かなくちゃいけないところが――」
 その前にこの少年を家族のもとへ帰さなくてはと振り返った。けれどプレセアはそこではっと言葉を止めた。しっかりと手を握っていたはずだったのに、いつの間にか少年の姿が消えていたのだった。
「え……え?」
 慌てて周囲を見回したけれど、少年らしい姿はどこにもない。あまりにも影も形もないから、ひょっとして幻を見たのだろうかとも思った。ところがふと、彼の手を握っていた手に違和感を抱いて目を落とした。持ち上げてみると、そこには一厘の小さな花が握られていた。

 プレセアも知っている花だった。今は蕾の状態だけれど、夜が明ければ大輪の花を咲かせるはずだ。美しいピンク色の花弁が広がるところが、脳裏にくっきりと浮かび上がる。思わず泣きそうになった。希望を捨てないで――まるでそう言われているかのようで。
 わかってくれたのだろうか。「希望」という言葉とは対岸にいるかのような哀しげな瞳をしていたあの少年も、私の意味したところをわかってくれたのだろうか。
 この花が彼の答えだと信じたい。プレセアは蕾を潰さないように握りしめ、ありがとう、と小さな声で言った。そしてくるりと踵を返し、城の最上階を目指して迷わずに歩き出した。




web拍手 by FC2

コメント

コメントを投稿


管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック

TB*URL

PrevEntry |  to Blog Top  | NextEntry
What's new?
ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

▶ 連作短編集を始めました。クレ海学生パラレルです。今後年中行事に合わせて不定期更新の予定です。詳しくはこちらからどうぞ。

▶ こちらは作品展示専用です。コメントへのお返事は別ブログにて行っております。
カテゴリー
最新記事
月別アーカイブ
全記事表示
Counter
プロフィール

篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

このブログは作品展示専用です。
いただいたコメントへのお返事は別ブログにて行っております。
どうぞお気軽にコメントお寄せくださいませ^^

 

Copyright ©蒼穹楼. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha. Photo by sozai-free 2000px.