蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 37. かりそめの覚悟

長編 『蒼穹の果てに』

本当は、隣にいるだけでいいなんてきれいごとだ。いつかクレフが私のことを特別に見てくれる日がくることを今でも期待しているし、諦めきれていない。

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 目を覚ましていの一番にすることは、カーテンを開けて日光を取り入れることだ。そうすれば、どんなに寝ぼけた頭でもすっきりと冴えわたる。けれど今日はそううまいこといかなかった。カーテンを開けても、外の景色はまるですりガラスを通しているかのように霞んでいた。
 靄がかかった朝なんて、ずいぶん久しぶりのことのような気がした。そんなぱっとしない空模様の影響を受けたのか、プレセアはしばらくのあいだ、その場に突っ立ったまま窓の外の景色をただぼんやりと眺めていた。
 いつもは起きたらすぐに顔を洗い、身支度が整い次第クレフのところへ向かうのだけれど、さすがに今日はそんな気分にはなれなかった。仮に行ったところで、クレフが部屋の扉を開けてくれるとはとても思えない。傷つくとわかっていても自ら乗り込んでいけるほどの強さは、今のプレセアにはもうなかった。だから本当は、足取りが重たいのは空模様だけのせいではなかった。
 けれどいつまでも呆けているわけにはいかない。ゆらりと窓際から離れ、プレセアはバスルームへ足を向けた。下ろした髪が肩のあたりで揺蕩い、あいまいな朝日を反射して鈍い波を描いた。


 洗面台の鏡に、疲れ切って目の下にくまを作った女が映っている。無意識のうちに手を伸ばしていた。ひんやりとしたガラスに触れ、はっとする。プレセアがおもねるように笑うと、鏡の中の女も似たような表情を作った。けれどプレセア自身が思っているほど、鏡の中の女の顔色は明るくなかった。
「そんな顔して、どうしたの」
 プレセアが言うと、鏡の中の女は不器用に笑みを取り繕った。これが私か。あまりにも頼りなくて、泣きそうになった。
 以前のプレセアならば、たとえ傷つくとわかっていても、きっとそんなことはものともせずにクレフのところへ乗り込んでいただろう。クレフのためならばどんなことだってできると思っていたし、やりたかった。今だって、その想いそのものに変わりはないつもりだ。あのひとが窮地に陥るようなことがあれば、この命をなげうってでも助けたい。それが長いことプレセアの願いであり、それはもう、固い地盤のようにプレセアの心を支えていた。ちょっとやそっとのことで崩れるような地盤ではなかった。それでもこの部屋から出る気になれないのは、そばにいるだけでいいと言いながらその実、心の奥底ではそれ以上のものを望んでいると、ついに認めざるを得なくなってしまったからだった。

 初めて逢ったときから好きだった。そのことを自認したのは出逢ってからだいぶ後のことだけれど、一度認めてしまえばその気持ちは何の抵抗もなくストンとプレセアの心に落ちた。修行時代に経験した幾多の困難や挫折はクレフに出逢うための対価だったのだとさえ思うほどだった。プレセアにとってクレフは、すべてを懸けてもいいと思える存在だった。自分以外の誰かをそれほどまでに好きになれる、それは感動的に喜ばしい感情だったけれど、いかんせん相手が悪すぎた。この恋は最初から破れる運命にあったのだということに気づくのに、さしたる時間は必要なかった。
 クレフは誰のことも「特別」には見ない。当たり前すぎて誰も感謝しないほど、彼は皆のことを愛している。空を舞う鳥から地を這う雑草まで、死が目前に迫っている老人から生まれたばかりの赤子まで、文字どおり「すべて」だ。もちろんプレセアもその対象に入っていたけれど、それはプレセアが求めている「愛」ではなかった。プレセアは、できることならクレフの「特別」になりたかった。けれどそれは、クレフに求めてはいけないことだった。

『よいな、プレセア。導師クレフには、決して慕情を抱くな』
 あのとき老師が本当に伝えようとしていたことをプレセアが理解できるようになったのは、彼がこの世を去り、それから何年もの月日が流れてからのことだった。けれどそのころになると、プレセアの気持ちはすでに後戻りできないほどにまで大きく膨らんでしまっていた。父親も同然の存在であった老師との約束は、たいていの場合、プレセアにとっては何よりも優先されるべきことだったが、唯一その約束だけは守れなかった。けれど後になって思う。老師は、ほかのどのような約束を反故にしてでもあの約束だけは守ってほしかったのかもしれないと。

 老師はプレセアを守ろうとしてくれたのだろうと思う。確かに、この恋は破れるしかないのだと知ったときの絶望は大きかった。もしもクレフに対して慕情など抱かなければ、そんな絶望は知らずに済んだだろう。けれどそこで諦めないのがプレセアだった。ほかに何も望まない代わりに、プレセアはただクレフの隣にいることを欲した。クレフが誰のことも「特別」に見ないというならそれでもいい。ただ自分が彼を「特別」に想うことは赦してほしかった。亡き師匠がこの決断を知ったら哀しむかもしれないという一抹の罪悪感がありながら、それでもプレセアはクレフを想い続けることを選んだ。報われない覚悟はできていたつもりだった。

 クレフとともに過ごす時間は至福だった。安売りの茶葉を使ったお茶でも、彼と一緒に飲めばそれだけでどれほど高級な茶葉にも負けない味になった。どんなささやかなことでも、クレフが隣にいればそれだけでプレセアにとっては特別な時間だった。そんな時間の積み重ねが、プレセアにとっては何よりも大切で、そして何よりも愛おしいものだった。
 このまま変わらない日々が続いていけばいいと願い、そしてきっとそうなっていくのだと信じていた。けれどセフィーロは変わった。『柱』はいなくなり、変わらなく続いていくはずだった未来は予測不可能なものとなった。他国との交流が生まれ、多くの異なる価値観が入ってくるようになった。そして――クレフのことを「特別」に見る者も、プレセアひとりではなくなった。

 世界が変わったことでクレフまでも変わり、彼が突然誰かのことを「特別」に見るようになる。そんなことはあり得ないと、ほとんど確信的に思っているのに、不安は消えない。考えれば考えるほど、どうしてそれを「あり得ない」と言い切ることができるのかわからなくなった。あり得ない話だと、どうして決めつけることができるだろう。クレフは不変な人のように見えるけれど、もしも彼が変わることを望むのだとしたら、それを止める権利は誰にもない。

 いつか海がクレフの隣に自然と立つようになり、そして彼にとっての「特別」になるのではないか。ひとり想像し、ひとり身震いした。そうしてみて、わかった。隣にいられるだけでいいと思っていたのは、これまでは自分以外にクレフのことを特別に想う人がいなかったからで、自分が今いるところ以上にクレフに近づくことができる人などいないと自惚れていたからだったのだと。本当は、隣にいるだけでいいなんてきれいごとだ。いつかクレフが私のことを特別に見てくれる日がくることを今でも期待しているし、諦めきれていない。

 もう、これまでと同じ顔をしてクレフの前に出ることはできない。今彼と対峙したら、ずっと押し込めてきたものすべてを吐き出してしまいそうで怖かった。そんなことをしてもクレフを困らせるだけだ。彼が申し訳なさそうに笑うところを簡単に想像できてしまって、厭になる。そんな顔、私は見たくない。だからクレフのところへはどうしても足を向けることができなかった。
 彼が今どこにどんな気持ちでいるのか、すごく心配だし、とても会いたい。けれど、会えない。出口の見えないジレンマのスパイラルに、プレセアは完全に囚われてしまっていた。

 たとえば海のことを憎めたら、もっと違ったかもしれない。恋敵として彼女に対してライバル心をむき出しにすることができたなら、もっと楽になっていただろう。でもそんなことはできなかった。クレフを想うのとは形は違うけれど、海もまた、プレセアにとっては大切な人だった。本当は誰よりも優しいのにその優しさを器用に表現できないところや、人のことをまるで自分のことのように心配できるところがかわいいと思う。彼女には幸せになってほしいと心から思っている。でも海にとっての幸せは、プレセアにとっては不幸せなことだ。彼女の願いがかなえば、プレセアの想いは敗れる。それもまた、苦しかった。

 われ知らず苦笑いがこぼれた。なぜこうも煮え切らないことばかり考えているのだろう。これではまるで、年ごろの娘のようではないか。
 年ごろだったとき、私はいったいどんなことを思いながら生きていただろう。過去に想いを馳せようとするときに浮かぶのは、来る日も来る日も鉱物とにらめっこをしている姿だけだった。創師の仕事に魅せられ、師匠のもとに弟子入りしてからは、意識的に自らを俗世間から切り離していた。誰かに恋をしたことも、恋をしたいと思うこともなかった。当時のプレセアにとっては、惚れた腫れたなどということよりも、一日も早く創師として一人前になることの方が大切だったのだ。けれど本当は、年ごろのときは年ごろらしいことを経験しておくべきなのだろう。そうでなければこうして後々になって苦しむことになる。とっくに大人だと思っていた自分の中に幼稚な部分を見つけるということは、想像以上に痛手だった。


 ふっと一つ息を吐き、鏡から視線を外すと、プレセアは一思いに蛇口をひねった。冷たい水に突っ込むようにして顔を洗う。たとえクレフのところへ行くことはできなくても、一日中部屋の中にこもっているわけにはいかない。私には私の役割がある。本当は戦になどなってほしくないけれど、いざこの地が戦場となったときのために剣を創り、そして戦う人々を補佐するのが、創師に与えられた役割だ。その役割を、私はきっちりと果たさなければならない。
「……補佐」
 タオルで顔を拭く手を止め、自分が何気なく考えたことを声に出した。「戦」と聞いたときに真っ先に思い出すのは二年前のことだ。物心がついてからというもの、セフィーロで争いらしい争いが起きたのはあのときが最初で最後だ。あのときプレセアは、主にクレフの補佐に徹していた。新しいセフィーロ城を建立するのに文字どおり心血を注ぎ込んだクレフは、本来であれば少なくともひと月は絶対安静が必要なほど危険な状態にあった。それでも、「私が弱いところを見せれば民が一層不安を抱く」と言って、無理をおして人々の前に出ずっぱりだった。そんな彼のことが心配で心配でたまらなかった。人々が大広間を去ると倒れこむようにして椅子に腰を下ろす彼を見るたびに泣きそうになった。遠慮する彼を無理やり説得してそばに置いてもらった。武器を創ることしかできない手でも、せめてクレフが倒れないように支えていることくらいはしたかった。

 クレフのそばにいることで、プレセアは確かに満たされていた。けれど同時に、自分の無力さが悔しくもあった。補佐をするだけでは満足できないと思い始めたきっかけは、あの戦だったかもしれない。ただクレフを補佐するのではなく、彼の隣に立って堂々と戦いたい。いつしかそんな風に考えるようになっていた。
 けれどその一方で、プレセアは創師である自分に誇りを持ってもいた。それに、確かに最高位とは認められているが、創師として自分のレベルが極まったとは思っていない。伸びしろはまだあると考えているし、もっと自らの創る武器の精度を上げたいという探究心もあった。
 補佐に留まらず前線に出て戦いたいという気持ちと、創師としての職務を極めたいという気持ち。二つは決して相容れるものではなかった。これまでは補佐役に徹する道を選んできたけれど、心の底から自らのやりたいことをやれているかと問われたら、簡単には首を縦に振れないのだった。

 海もクレフのことを想っているのだということに気づいたときに戸惑いを覚えたのは、そういう自らの置かれた状況のせいもあったかもしれない。海とプレセアでは立場が全然違う。プレセアは創師としてクレフを補佐する立場にあるが、海はたとえ年若くとも立派な戦士なのだから、どちらかといえばクレフとともに戦う立場だ。力の問題はさておき、海ならば、彼女が望めば当たり前のようにクレフの隣に立って戦うことができる。そういう立場にいる海のことを、プレセアはきっと、うらやましかった。「隣に立って戦う」という意味では、プレセアよりも海の方が、できることはたくさんある。

『「できることは何もない」なんて、あんたらしくない』
 そのとき不意に、ジェオに言われた言葉が耳の奥に蘇った。
『あんな剣を創れるんだ、操る方もできんだろ? 暇なら自分のために一本こしらえたらどうだ』
 そう言われたとき、プレセアは素直に驚いたものだった。創師であることは当然明かしていたが、剣を振る方にも覚えがあるということは、ジェオには一度も言っていない。彼の目の前で剣を振るったことも当然ない。それでもジェオは「操る方もできるのだろう」と、疑いのない口調で指摘した。プレセアの所作からそれを見抜いたというのなら、ジェオは意外にも洞察力が深い。そして何より、ジェオは驚くべき提案をしてくれた。「自分のために一本こしらえたらどうだ」。ジェオとしては思いつきで口にしただけの言葉だったのかもしれないが、プレセアにとってそれは、はっと目が覚めるような言葉だった。

 自分のために剣を創る。そんなことはこれまで一度も考えたことがなかった。だから最初は違和感を覚えたのだけれど、それもほんの一瞬のことで、すぐに「そうしたい」と切に思った。自分のために、自分の手で剣を創ってみたいと。でも、果たしてそんなことが赦されるのだろうか。
 創師は剣士ではない。どれほど剣の扱いに優れていたとしても、剣を振りかざすのは職務ではない。与えられた職務から離れるのであれば、最高位を次代へ引き継ぐことが、まずもってしなければならないことだ。けれどそうまでして剣を振りかざしたいかといえば、必ずしもそうではなかった。創師の仕事を放り出すつもりは毛頭ない。四六時中剣を創っているわけではないとしても、私は死ぬまで『創師』であり続けたい。けれどそれならば、仮に自分のために剣を創ってみたところで、いったい何の意味があるだろう。

 凝り固まった肩を撫で下ろし、プレセアはふうっと息を吐き出した。部屋へ戻ってカーテンを開くと、ぼんやりとした日の光が射し込んでくる。私の気持ちも今、こんな風にぼんやりとしている。そのことを、プレセアははっきりと認識した。
 パキッとした青ではない空を見上げていると、ふとその色に重なる瞳を思い出した。二年前、嵐の中で突如遭遇し、大した言葉も交わさないまま、気がついたら姿を消していた少年。彼の眼帯をしていない方の瞳も、こんな色をしていた気がする。
 あの日以降、少年には一度も会っていない。このセフィーロ城のどこかにはいるのだろうが、探そうとする暇さえなかった。正直言って、少年のことを思い返すこと自体が、この二年間で初めてのことだった。

 ふと自嘲気味に笑い、プレセアは、靄の中に沈んだ外の景色に背を向けた。いつもの『創師』としての服に袖を通すと、背筋がすっと伸びるのを感じた。やはり自分にはこの服が一番似合っている。無心で剣を創っているときだけは、あらゆるしがらみや喧騒を捨て、自らの『心』に正直でいられる。
 今はただ、目の前のことに集中しよう。心の中で決めて、プレセアは自室を後にした。ジェオは無事にオートザムに到着しただろうかと、ふと思った。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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