蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 39. 苺日和

長編 『蒼穹の果てに』

痛みを伴わずに願いがかなうことなんて、あり得ない。けれど今、そのあり得ないことがあり得ている。考えてみれば確かに不自然だ。

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 甲高い笑い声が聞こえてきて、物思いに耽っていた海はふと顔を上げた。遠くに見える波打ち際で、子どもたちが遊んでいた。打ち寄せる波を両手ですくい、互いの体にかけ合っている。男の子たちはズボンの裾を膝までたくし上げ、女の子たちはスカートのウエストを縮め、皆、汚れることも厭わず裸足になって駆け回っていた。
「やめてよ、冷たいったら!」
「冷たくないよ、ほら!」
「きゃっ!」
 いつの間にか海自身の表情も綻んでいた。子どもの屈託のない笑顔というのは、落ち込んでいる心には何よりの薬だ。幼い子が笑顔でいるというだけで、自らもまた童心に返ったような気持ちになり、悩んでいることがあっても「きっとなんとかなるだろう」と思えてくる。今ならいつまででも子どもたちのことを見ていられそうだった。

 子どもたちは縦横無尽に海辺を駆け回り、ひとところに留まっているということがない。何度も視界から消えてはまた現れる。けれどそのうちに、だんだんと視界から消えている時間の方が長くなり始めた。海辺の手前には森が広がっているが、どうやらその森の方に興味が移ってきているらしい。姿が捉えられなくなってからも声だけは微かに木霊していたけれど、やがてそれさえも聞こえなくなった。
 しばらくはまた現れてくれることを期待していたが、結局子どもたちはそれきり戻ってこなかった。波の音だけが隙間を埋める。そうなると途端に、海の心に秋風が吹いた。

『見知らぬ女の人が現れたら、気をつけて』
 イーグルに言われた言葉が、妙な形でずっと心に引っかかっている。イーグルは無意味に人の不安を煽るようなことを言う人ではないから、あの忠告も、何か彼なりに考えがあってのものだったのだろうとは思う。でも、見ず知らずの人をどうやって警戒したらいいというのだろう。
 よくよく考えてみれば、あのときのイーグルにはなんとなくその「見知らぬ女の人」が誰なのかを知っているような気配があった。イーグルに思い描いている人がいるのだとすれば、その人はいったい誰で、そして具体的にどう気をつけたらいいのか。もっと突っ込んで話を聞いておくべきだったと、後になって悔いた。けれどかといって、いまさらわざわざイーグルのところへ出向いて問い詰めようという気にもならない。仮に行ったところで、イーグルはもうあの話はしてくれないような気がした。それに、あのときのイーグルの声は明らかに強張っていて、またあんな声を聞かされるのかと思うとたまらなかった。
「女の人、か」
 呟いた声をさらうように、風が音を立てて海の前を通っていく。セフィーロを吹く風はいつもいい匂いがする。もしもこの風を形にすることができたなら、イチゴのような甘酸っぱい果物になる気がした。

「女の人」と言われたとき、どきっとした。その反応を受け入れるためには、自分自身のことだというのに少し時間が必要だった。
 「そういう意味」ではなかったのかもしれない。けれどその「女の人」という言葉には、クレフも生身の人間なのだと思わせる説得力があった。ただ「女の人」と言っただけでは、その人がクレフにとってどういう存在の人なのかまではわからない。プレセアのように仕事仲間なのかもしれないし、エメロード姫のように教え子なのかもしれない。ただ、イーグルが言いたかった「女の人」というのはそういう単純な関係にあった人のことではないような気がした。根拠も何もない考えだけれど、しいて言うなら「女の勘」、それだろう。

 思えば海は、クレフのこと、とりわけ彼の過去についてはほとんどと言っていいほど何も知らないのだった。年齢が747歳であるということとセフィーロ最高の魔導師であるということ、そしてエメロード姫をずっと見守っていたこと。「知っている」と胸を張って言えるのはせいぜいこれくらいだ。クレフがどんな幼少期を過ごしたのか、青春はあったのか、そういうことは何一つ耳にしたことはなかった。
 そもそもどうして子どもの姿のままでいるのか、その理由もわからない。訊こうとしたこともなかった気がする。クレフは最初からあの姿で海の前に現れたので、もはや当たり前のことと受け止めてしまっていたけれど、改めて考えてみれば妙なことだ。

 クレフだって人間だ。ほかの人と同じように『心』を持ち、その『心』でいろいろなことを考える。それならクレフも、かつては誰かに恋をしたこともあったのだろうか。
 『導師』という立場や年齢、それにあの達観した風体もあり、クレフは一見「そういうこと」とは無縁の世界に生きているように見える。けれどクレフだって、なにも生まれたときから導師だったわけではないだろう。好きだった人がいたっておかしくないし、家族があったっておかしくない。年齢を考えれば、彼より何代も先の子孫がいたって不思議はない。
 クレフと話がしたくてたまらなかった。閉ざされてしまった『道』のことやザズの失踪のことはもちろんだけれど、それ以外の、ごく普通の話もしたかった。クレフはこれまでどんな人生を送ってきていて、どんな楽しいこと、哀しいことがあったのか、そういう話を聞かせてほしい。けれどそれは、当分望めないことなのだろう。二人きりで話しがしたいのに、今のクレフはおそらくそうなることを避けている。
 不意に波音が、海の耳まで届いた。落ち込まないで、だいじょうぶよ。そう言ってくれているように聞こえて、海は精いっぱいほほ笑んで目を細めた。考えても仕方がない。今はただ、いつかクレフの方が「話したい」と思ってくれる日が来るのを信じて待つしかない。
 海はもたれかかっていた柱から体を離し、ゆっくりと歩き出した。静かな回廊に、海一人が歩く足音が響く。天井や柱に反響して、それはやがて、緩やかな風にすうっと溶けていった。

***

 ほかに行く当てもなかったので部屋へ戻ると、珍しく光と風もそこにいた。こうして三人がそろうのはずいぶんと久しぶりなことのような気がした。光と風の二人はソファに向かい合って座り、顔を突き詰めるようにして何やら「うーん」と唸っていた。
「どうしたの?」
 首を傾げながら二人のもとへ歩み寄る。光が先に顔を上げ、ぱっと笑みを咲かせた。
「おかえり、海ちゃん。ちょうどよかった、今探しに行こうかと思ってたところだったんだ」
「何かあったの?」
 光が一人掛け、風が二人掛けのソファにそれぞれ座っていたので、海は風の隣に腰を下ろした。
「何かってわけじゃないんだ。ただ……」
「話が行き詰まってしまってますの」
 風が光の後を引き継いだ。そして彼女は、ロングスリーブに隠れている自らの左手首をちょんちょんとつついた。それだけで海は「ああ」と納得した。風は決して人前にさらそうとはしないが、そこにはあの黄金のブレスレットがはめられているはずだった。
「『道』のことを考えていたのね」
「それもあるけど」と言って、光が風の手元に視線を落とした。「なんか、おかしいなと思って」
「おかしい?」
「風ちゃんの、『セフィーロで暮らしたい』っていう願い。それがとても強いものであるっていうのは納得できるんだ。でも、その願いがこんなに簡単にかなうなんて、あり得るのかな」
 海は思わず風を見た。彼女もこちらを見る。しっかりとした輝きを宿した翡翠色の瞳が、一度瞬きをした。
「セフィーロは、『願い』の強さがすべてを決める世界です。でも、そのセフィーロにおいてこんなに簡単に『願い』がかなえられるということは、どうも腑に落ちない。光さんはそうおっしゃいます」
「……それもそうね」

 考えたこともなかったけれど、言われてみればそのとおりだ。セフィーロでは『意志』の強さがすべてを左右する。強い『願い』であればあるほどそれはかなえられやすいけれど、願いをかなえるためには相応の努力をしなければならない。たとえばイーグルは、結果的にはかなわなかったけれど、「ランティスを死なせたくない」という願いを自らの命と引き換えにしてかなえようとしていた。『柱への道』を破壊することを望んでいたランティスもそうだ。そして、好きな人のためだけに祈りたいと願ったエメロード姫も、自らの人生を終わらせることによってその願いをかなえようとした。
 強い願いがかなえられるとき、そこにはいつも痛みが伴う。そのことを、海たちほどよく知っている人間もいないだろう。

 願いをかなえることは、簡単ではない。簡単ではないからこそ、人は自らの願いを追及し、それをかなえることを渇望する。風は自らの願いと現実とのギャップに苦しみ、揺らいでいた。なぜなら「セフィーロに留まりたい」という願いは簡単にかなえられるものではないからだ。けれどそれだけむつかしいはずの風の願いが今、誰かや何かを傷つけることもなく簡単にかなえられてしまっている。彼女がそうしたいと望むなら、風はこのままこちらの世界での生活を続けていくことができるだろう。『道』が閉ざされているあいだは地球での時間は止まっているというのだから、風がいなくなったことによって向こうの世界にいる彼女の家族が苦しむこともない。
 痛みを伴わずに願いがかなうことなんて、あり得ない。けれど今、そのあり得ないことがあり得ている。考えてみれば確かに不自然だ。

「せめて、あの方とお話することができたらいいのですが」
 風がため息交じりに言い、ソファに身を沈めた。
「『あの方』って、『声』のこと?」
「ええ」と風は首肯した。「あの方とは、もっとお話をしなければならないと思うんです。どうして私の願いをかなえてくださったのか、『対価』として求められている、あの方の『封印を解く』というのはどのようにしたらいいのか。わからないことだらけですわ。それに」
 一度言葉を区切り、風は海と光を交互に見た。そして自らの手元に視線を落とし、軽く両手を絡ませた。
「一度、東京へ戻りたいんです。もう一度両親ときちんと話をして、こちらの世界で暮らすことを認めていただき、それから改めて旅立ちたいんです」
「……風」
 思いがけない告白だった。海は風の横顔をまじまじと見つめた。するとそのとき、ここ数日彼女の瞳をずっと濁らせていた憂いが消えていることに初めて気がついた。

 フェリオと何か話をしたのかもしれないと思った。二人がどんな結論を出したのかはわからないけれど、風に「もう一度東京へ戻りたい」と言わせるほどの変化を齎すものがあるとすれば、フェリオの言葉以外には考えられなかった。
「身勝手ですみません。光さん、海さん」
 風はほろ苦く笑った。
「帰りたくないと言ったり、帰りたいと言ったり。私のわがままに付き合わせてしまう恰好になって、お二人には本当に申し訳ないと思っています」
「そんなことないよ」と光がかぶりを振った。「今回のことがあったから、私、将来のことについてもっと深く考えようと思えるようになったんだ。このままずっと二つの世界を行き来し続けることは、将来的にはたぶん難しくなると思う。そのとき私はどうしなきゃいけないのか、どうしたいのか、早くから考えられるようになって、本当によかったよ」
「それに、あなたはわがままなんかじゃないわ、風。好きな人と一緒にいたいと思うのは、当たり前のことよ」
「光さん、海さん……」
 緩んだ風の目尻に涙が浮かぶ。風はめったに涙を見せない人だから、こうしてたまにその瞳が光ると、じんと来るものがあった。

 海は風の両手を取り、しっかりと握った。
「がんばりましょう。三人で」
 いつもこの三人で乗り越えてきた。きっと今度も、たとえ何があっても乗り越えられる。『信じる心が力になる』というのなら、私たち三人はきっと無敵だ。
「そうだね」
 光の手も伸びてきて、三人の手がひとつになる。そこから無限のパワーがあふれるように感じられた。ほほ笑み合い、三人は誰からともなくゆっくりと手を離した。何が起きてもここにある絆は変わらないと、皆思っていた。

「私も、風ちゃんほど深刻ではないけど、将来のことを考えると悩んじゃうよ」
 光が問わず語りに言った。
「セフィーロで暮らしたい気持ちもあるけど、東京の家族も大切だ。どっちかなんて、今は選べない。それに、私には夢があるんだ」
「夢?」
「盲導犬の調教師になりたいんだ」と光は言った。「私、動物が好きだから。盲導犬って、人を助ける仕事をしてるでしょう? そんな犬を育てる仕事って、すてきだと思わないか」
 はにかんだ光の瞳がいつになく輝く。急に彼女の背丈がぐんと伸びたように錯覚して、海は目を細めた。すてきな夢だと心から思った。動物と接する仕事は光に似合っているし、しかも盲導犬だったら人との接触もある。そんな盲導犬の調教師なんて、光のためにある職業なんじゃないかとすら思った。
「素晴らしいですわ」と風が言った。「光さんなら、きっとすてきな盲導犬をお育てになると思います」
「そうかな」
「私もそう思うわ。……でも、『すてきな盲導犬』っていうのはちょっと違う気がするわよ、風。それを言うなら『立派な盲導犬』じゃない?」
「あら。光さんがすてきな方ですから、その光さんがお育てになる盲導犬も、きっとすてきになりますわ」
 ふふふ、と風は笑った。彼女の発言は、ときどき冗談なのか本気なのかわからなくなることがある。海は光と顔を見合わせ、曖昧に笑った。そういうことにしておいてもいいかと思った。

 それにしても、と海は光と風を改めて交互に見やった。二人とも、将来のことをもうここまで具体的に決めているなんて、すごい。光の盲導犬の調教師という夢も、風のコンピューターエンジニアになるという決意も、どちらも二人の個性にぴったりはまっている。二人とも、持ち前の強い意志できっと夢をかなえるのだろう。同い年なのに、二人がまるで年の離れたお姉さんのように見えた。
 「夢」と言って海が真っ先に思い浮かべるのは「お嫁さん」だ。仲睦まじい両親を間近で見て生きてきた海にとって、それは自然発生的な夢でもあった。ママのようなお嫁さんになって、パパのような人と結婚する。そんなことを、少なくとも中学生のころまでは真面目に言っていた。でも今は、もちろんそうしたいとは思うけれど、抱いている気持ちの中身は以前とは少し違う。どう違うのかということは、うまく言葉にできないけれど。

 そもそも「お嫁さん」というのは、「夢」として語るには少し弱い。結婚願望のあるほとんどの女子ならばかなえることだろうし、完璧さを求めるならば別だけど、結婚さえしてしまえばかなえられる夢だ。たとえば光や風の言う「夢」とは全然違う。二人の「夢」は、かなえるためにたくさんの努力と、時には犠牲を必要とすることもある、いわば「本当の夢」だ。「お嫁さん」というのはかわいらしすぎて、とても二人の夢と同列に語ることはできない。
 それならば、私の「本当の夢」は何だろう。少し考えたくらいでは答えは出なかった。学校で一番好きな授業は英語だから、将来は語学を生かせる仕事に就きたいと思うことはある。でも語学を生かせる仕事なんて山のようにあるし、むしろこのご時世、生かせない仕事を見つける方が難しい。

 そういえば、と海は思った。光の夢も風の夢も、東京だけに留まらずこちらの世界でも生かせるものではないか。
 風のプログラミング知識はすでにオートザムの環境汚染問題の解決に一役買っているし、こちらの世界に盲導犬がいるのかどうかはわからないけれど、目が見えない人がいないとは限らないのだから、盲導犬の調教師がいれば役に立つだろう。でも、私の「夢」は――。
 たとえば英語を話せるような職業に就いたとして、こちらの世界では英語は話されていないのだから意味がない。「お嫁さん」に至っては、もしも東京で誰かのお嫁さんになってしまえば、こちらの世界には来られなくなる可能性すらある。
 こっちの世界でお嫁さんになればいいのかな――そんな突拍子もないことを考えた海の脳裏に、ほとんど反射的にクレフが浮かんだ。話し込んでいる光と風を残して、一人赤面してしまう。けれど直後には淋しさを覚えた。「それ」はたぶん、かなわない夢だ。
 心が甘酸っぱさで満ちる。海は思わずため息をついた。すると光が「海ちゃん?」と覗き込んできたので、「なんでもないの」と慌ててかぶりを振った。堂々と口にできる「本当の夢」を持った二人のことを、心からうらやましいと思った。




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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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