蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 40. つぐない

長編 『蒼穹の果てに』

でも、『心』は理屈では片付けられないのだ。頭ではわかってもそのとおりに動くことなんてできない。少なくとも、今は。

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 プレセアと目が合うと、ノアはにこっと笑った。つられてプレセアの頬も緩む。手を伸ばしてそのりんごほっぺに触れると、ノアはキャッキャッと声を上げた。そんなわが子の様子を、ゆりかごを挟んだ向かい側からカルディナが覗き込む。彼女は何やら眉間に皺を寄せ、腕を組みながら「うーん」と喉の奥で唸った。
「普通はこの子、別嬪見たら照れるんやけど……」
 そう言いながらプレセアを見上げたカルディナは、狐につままれたような顔をした。
「あんたの前でだけは、からっきしやな」
 プレセアは思わず吹き出した。
「何よ、それ。つまり私は美人じゃないってこと?」
「逆や、逆。こないな別嬪前にしとってなんで照れへんのかなあて言うてんのや」
 冗談のつもりで言ったのに真面目くさった顔でそう返されて、プレセアは目を丸くした。
 そんなプレセアをよそに、カルディナはもう一度低く唸ると、ゆりかごの中のノアに再び視線を落とした。
「なんやこの子、あんたのこと家族やと思っとるような気ィすんねん」
「家族? 私が?」
「そやったら、あんたに照れんでも納得できるやろ。こないにビューティホーなうちにも、さすがに母親やと色目使うたりせえへんし」
「そ、そうね……」
 ともすればものすごく自意識過剰な発言に聞こえる可能性もあるのに、カルディナが言うとまったく厭らしさがないから不思議だった。
 もしも自分がカルディナの家族だったら、と想像してみる。立場的にも年齢的にも、カルディナの姉あたりがちょうど当てはまりそうだ。そうだとすると、ノアにとってプレセアはおばさんということになる。おばさん――そう呼ばれることを想像するとなんだか一気にいくつも年を取ったように感じて、プレセアは苦笑した。

「おかしな子やろ」とカルディナは眉尻を下げて言った。「でも、意外と鋭いところもあるんよ。あんたのことを家族やと思っとるんも、たぶん、うちとあんたの仲の良さを感じ取ってるからやで」
 ノアが生まれてからというもの、カルディナはとても柔らかい表情(かお)をするようになった。露出度の高い奇抜な服を着ていることは以前と変わらないが、醸し出される気配はずっと落ち着いたと思う。母になるということが女性にとっていかに大きなことであるか、カルディナを見ているとつくづく感じる。プレセアは子どもが欲しいと思ったことはないけれど、ノアのように、こうして身近な人に生まれた子どもを見るのは好きだ。他人の子どもでさえこれほどかわいいと思うのだから、自らがお腹を痛めて産んだ子はどれだけかわいいことだろう。俗に言う「目に入れても痛くない」という表現も、あながち誇張ではない気がする。

「あ」
 不意にカルディナが、組んでいた腕を解いた。彼女の視線につられてプレセアもノアを見る。するとノアの小さな瞼が、重そうにゆったりとした瞬きを繰り返していた。
 ぷっくりとした唇が、まるで言葉を紡ごうとしているかのようにパクパクと動く。そのまま黙って見守っていると、やがて唇の動きが止まり、瞼もすっかり閉ざされた。一度長く息を吐き出してから、ノアは規則正しい呼吸音を、まるで囁くように響かせ始めた。
「眠ったみたいね」
 無意識のうちに声が落ちる。首肯したカルディナが、ノアの足元で皺になっていたブランケットをそっと持ち上げ、肩までをすっぽりと覆ってやった。
「こうやって何べんかけてやっても、気がつくといっつも蹴飛ばしとるんや。この寝相の悪さばっかりは、うちの遺伝子やな」
 確かに、ラファーガはどちらかというと直立不動の体勢を朝まで変えないイメージがある。容赦なく寝返りを打ちまくるカルディナと、その隣で顔を顰めるラファーガ。そんな様子が考えなくてもパッと脳裏に浮かんで、プレセアはくすりと笑った。
「なあ、お茶にせえへん? この子もう当分起きないやろし」
 プレセアは二つ返事で了承した。カルディナの笑顔を前にすると、ぴんと張り詰めていた心がいい意味で緩むのを感じた。

***

 カルディナが淹れる紅茶からは、いつもトロピカルな香りが漂ってくる。チゼータの茶葉を使っているのだという。初めて口にしたときは、セフィーロの紅茶と比べたらずいぶん甘いなと感じたものだった。一方でどこか後を引く味わいもあって、嫌いではない。疲れているときに飲みたくなる味だと思う。いつかカルディナから茶葉を分けてもらってクレフにも味わわせてあげたいと常々思っているのだけれど、なんだかんだでそれは未だ実現せずにいた。そもそもここ数日は、クレフのためにお茶を淹れる機会そのものが皆無だった。
 クレフは、プレセアがせっせとやれお茶だ、やれ茶菓子だと持ち込まなければ平気で一日中飲まず食わずで過ごしてしまうような人だ。そのクレフに、けれどここ数日はまったくまともに接していない。果たしてちゃんと食事は取っているのだろうか。水分は足りているだろうか。本当は気が気ではなく、そばにいるとき以上に彼のことを考えている。それでもどうしても、彼の部屋へ足を向けることはできなかった。一歩を踏み出すために必要な力は、あまりにも膨大だった。

「導師クレフに、会うた?」
 まるで心を読んだかのように訊かれて、プレセアは思わず紅茶を吹き出しそうになった。すんでのところで留め、ティーカップをソーサーごと膝に置く。「え?」と目を丸くすると、カルディナが上目遣いにこちらを見た。
「最近、顔、見てる?」
 どう答えようか迷った。「顔」は、遠巻きながらも見ることには見ている。たとえば城付きの魔導師と一緒に歩いているところや、精獣たちと戯れているところ。だから、言葉どおりに受け取ってそれに答えを告げるならば、首を縦に振るのがもっともふさわしい。でも、カルディナはおそらくそういう意味で訊いているのではなかった。それがわかっていても平然と首を縦に振れるような姑息さは、プレセアにはなかった。けれどかといって首を横に振れるほどの強さもなく、結局は、黙り込んだまま俯いた。
 ふ、とカルディナがため息をついた。
「そやろな。顔見てたら、うちのとこになんかおらんもんな」
 そんなことない、とは言えなかった。


 クレフからこれほどあからさまに避けられるのは初めてで、どうしたらいいかわからなかった。もっとも、避けられているのはプレセアに限った話ではなく、今のクレフは、彼に近しいほとんどの人間を自分から遠ざけている。けれどそういう問題ではなかった。むしろ、自分もほかの人と同じような扱いを受けているということがショックだった。「私はその他大勢とは違う」と、無意識ながらにずっと思っていた。たとえ誰を避けたとしても私にだけは本心を打ち明けてくれる、そんな風に思っていた。けれど違った。どれほど近くにいたつもりでも、クレフにとってのプレセアは、所詮その他大勢のうちのひとりにしかすぎなかったのだ。
 結局のところ、その事実を突きつけられるのが厭でクレフのところへ行こうとしていないのだろうと思う。頭ではわかっていることを、それでも心は否定したがっている。往生際の悪さに、ほとほと嫌気が差し始めていた。

「導師クレフがあんたを避けとるのは、あんたのことが大切やからと思うよ」
 唐突にカルディナは言った。プレセアは驚いて顔を上げた。からかわれているのかと思ったが、カルディナの表情はあくまでも真剣だった。咄嗟に返す言葉を見つけられず、プレセアは忙しなく瞬いた。
「あんたのことが大切やから、傷つけたくないから、会わへんのや」とカルディナは言った。「あんたなら、顔見たら『なんで避けるんか』て導師クレフのこと問い詰めるやろ。そんで、自分もあのひとの助けになりたいと思うやろ。たとえ自分が傷ついても、それであのひとが楽になるんやったら構へんと思うやろ。それが厭なんよ、導師クレフは」
「……どういう意味?」
「どういう意味て、そのまんまの意味や。導師クレフは、何かを知ってる。知っててそれを言わんのは、それを言ったらあのひとが大切に思ってる人らが傷つくからや。あのひとが口を噤むのに、ほかに理由なんてないやろ」
 まるで、クレフの心に入り込んでその中を見てきたかのような言い方だった。
「大切な人は守りたい。けど問い詰められたら黙ったままでもいられへん。せやからあのひとは、あんたのことを避けとるんや」
 そこでカルディナはつとプレセアから視線を外し、どこか遠くを見た。
「罪なお人やな」
 独り言のように呟き、カルディナは紅茶をすすった。

 彼女は私のクレフへの想いを知っているのだと、プレセアはこのとき確信した。自分では隠しているつもりだし、カルディナとそんな話をしたことは一度もない。けれどカルディナの口ぶりはそれ以外に考えられない。いつからわかっていたのだろう。とても今日突然わかったというような喋り方ではなかった。ずっと前からこの不毛な恋を知られていたのかと思うと、頬にぐっと熱が集まってくるのを感じた。
 カルディナがからかったりしないことがせめてもの救いだった。クレフとのあいだには年齢や立場を超越した差が存在していることくらい、プレセアだってわかっている。その差は決して埋められるものではなく、すなわちこの恋は徒爾に終わるだろうということも。だからこそプレセアは、クレフを想う気持ちをずっと内側にしまい込んでいた。こんな身分違いも甚だしい恋、知られたら笑い飛ばされるのがオチだろうと、誰に打ち明けるつもりもなかった。でも、少なくともカルディナは笑わない。クレフに恋をしてもいいのだと言われているようで、不覚にも泣きそうになった。

 不意にカルディナの瞳が、真っすぐにプレセアを射た。
「あんたが誰を好きになろうと、あんたの自由や。うちはあんたのことが好きやし、幸せになってほしいと思うから、あんたの想いが本物なんやったら、うちはそれがかなうように全力で応援する。でもな、プレセア。世の中の半分は男やねんで。これから先、ほんまに幸せになれると思う道を別に見つけたりしたら、迷わんと、そっちに進まなあかんで」
 カルディナの言葉は、暗にかなわぬ恋に固執しても意味がないことを忠告しようとしているように聞こえた。プレセアだって、それはよくわかる。よくわかるし、そのとおりだと思う。でも、『心』は理屈では片付けられないのだ。頭ではわかってもそのとおりに動くことなんてできない。少なくとも、今は。

「幸せにならなあかんよ、プレセア。エメロード姫とザガートのためにもな」
「え?」
 思いがけない名前を思いがけないタイミングで聞かされて、われ知らず鼓動が大きくなった。
「残された者は、幸せにならなあかん。それが、二人をあんな形で死なせてしまったことに対する、せめてもの罪滅ぼしや」
「……罪滅ぼし」
 カルディナは「そうや」とうなずいた。そしてすっと視線を落とし、頬に影を作って淋しそうにほほ笑んだ。どきっとするほど憂えた顔だった。
「うちがセフィーロに留まってるんもな、半分は、罪滅ぼしの意味もあるんよ」
 カルディナは問わず語りに言った。
「残り半分は、ラファーガがおるから。うちはあのひとのことが好きやし、ずっと一緒にいたいと思てる。せやからセフィーロにおる。でも、うちにとってのふるさとはチゼータや。セフィーロはもちろんええところやし、大好きやけど、チゼータを思う気持ちはまったく別もんや。せやからセフィーロにおると、どうしようもなくチゼータのことが恋しくなるときもある。それでもうちは、チゼータには帰らん。少なくともこの世界が平和になるまでは、帰るつもりはないんや。微力かもしれんけど、うちにできることがあるうちは何でもしたい。何も知らんかったとはいえ、この国が一度は崩壊するきっかけを作ってしまったわけやしな」
「そんなこと――」
「そんなことあるんよ」とカルディナはきっぱり言った。「あのときのうちは、金の亡者とまでは言わんけど、お金欲しさにのこのこザガートについていって、あの人のほんとうの目的も知らんと、お嬢様がたを苦しめるようなことしたんや。今でも思うよ。あのときもっとザガートのこと問い詰めとったら、もっと違う結果になっとったんとちゃうやろかってな」

 初めて聞く話だった。カルディナがそんな風に思っていたことを、プレセアは全然知らなかった。けれど彼女の気持ちは痛いほどよく理解できて、胸が苦しかった。プレセアだって同じだ。「もしもあのとき」――いったい何度そう思ったか知れない。もしもあのとき、自分がもっと違う行動を取っていたら。過去を悔やんでも仕方ないのに、つい考えてしまう。あの戦いから二年の歳月が流れてもなお、ふとした瞬間、たとえば真っ青な空を見るたびに思い出した。
「ラファーガも同じ気持ちやと思うよ。ちゃんと話したことはないけどな」とカルディナは言った。「あのひとは、うちよりももっと傷ついたと思う。エメロード姫の親衛隊長やったのに、救うこともできなかったって」

 誰にも非のないことだったからこそ、皆それぞれ当時の自分自身の選択を責め、悔いている。すべては仕方のないことだとわかっていても、「仕方がなかった」では済まされない想いもある。もしかしたらこれから先、たとえ何年経ったとしても、未だこの心に燻り続ける靄が晴れることはないのかもしれない。
「うちらだけやないよ。あんたやランティス、王子はん、アスコット……もちろん魔法騎士やったお嬢様がたも、みんな、あの戦いでは傷ついた。傷っちゅうんはな、かさぶたにはなったとしても、痕が消えることは絶対にないんや。口には出さんけど、誰だって後悔しとるはずや。今もな」
 完全なかさぶたになっているのかどうかさえ怪しいと思う。二年という時間は、そうなるには全然足りない。エメロード姫とザガート、二人のかけがえのない人を失ったという事実は、ほんの二年ばかりの時間で埋められるほど軽いものではなかった。

「だからこそ、残された者は幸せにならなあかんのや」
 カルディナは自分自身に言い聞かせるように言った。
「『哀しい』て嘆くのは簡単や。その方が、幸せになろうとするよりよっぽど楽やしな。けど、それやったら意味がない。うちらは幸せになろうとせなあかんのや。哀しみに縛られとるのは楽やけど、楽な道を選んで生きたかて、それはほんまの意味で『生きてる』とは言われへんもん。辛くても苦しくても、歯喰いしばって生きなあかん。一人ひとりが幸せになることが、うちらにできる精いっぱいの罪滅ぼしや」
「……そうね」
 噛みしめるように言い、プレセアはうなずいた。

 これまでプレセアは、生きて添い遂げられなかった二人のことを想うたび、自らの心を戒め、「自惚れてはならない」と言い聞かせてきた。でもそうして贖罪を果たしているように振る舞いながらその実、むしろ辛い現実から目を背けていただけだったように思う。自分の幸せを追い求めようとするときに感じるであろう罪悪感から逃げたくて、わざと幸せから遠ざかる道を選ぼうとしていたような気がする。なぜならカルディナの言うとおり、その方が楽だったからだ。哀しみに暮れているうちは、自らの罪を真正面から見る必要もなく、ぬるま湯に浸かったままでいることができたからだ。
 でもそれでは意味がない。残された、生かされた私たちは、与えられた時間を精いっぱい全うしなければならない。それが、望まない形で死を迎えるしかなかった人たちに対する最大限の償いだ。幸せになろうとすること――本当の贖罪は、その一歩を踏み出したときに果たされるのだろう。

 ラファーガと所帯を持ち、一児の母となったカルディナは、一見何の不自由もなく暮らしているように見えていた。でも、彼女の太陽のような笑顔の裏には人知れず流した数えきれない涙があるのだ。誰よりも一生懸命に生きているカルディナがいつになく眩しくて、プレセアは目を細めた。
 思い出したように紅茶を口に運ぶと、もうすっかりぬるくなっていた。そのとき、「ぎゃあ」とノアが泣いた。
「なんや、もう起きたんかいな」
 眉尻を下げてカルディナが立ち上がる。彼女がノアをあやす様子を見守りながら、『幸せ』を形にしたらこうなるかもしれない、とふと思った。
『幸せにならなあかんよ、プレセア』
 カルディナの言葉が、じんわりと心に沁みた。そう言ってくれる人がいるだけでじゅうぶん幸せだと、プレセアは思った。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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