蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 41. 隠し続けた望み

長編 『蒼穹の果てに』

脳裏に海の笑顔が浮かんだのは条件反射だった。アスコットが強くなりたいと願うとき、その理由は二年前から、専ら彼女の存在に起因していた。

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 岸壁の端に立ち、眼下の窪地を見下ろす。風が法衣の裾をはためかせる。潮の香りが、海が見えるわけでもないのに薫ってくる。孤独だな、とアスコットは思った。すべてを俯瞰することのできる場所に立つということは、孤独なことだ。
 アスコットに魔法の修行をつけるとき、クレフはいつもここにこうして立ち、アスコットを見守っている。ここに立っているとき、クレフはいつも何を考えているのだろう。彼もまた、今のアスコットのように孤独を感じることがあるのだろうか。
 クレフは、たとえすべてを俯瞰できるところにいたとしても決して上から目線では喋らない。厳しいことと驕り高ぶることは違う。クレフはとても厳しい人間だが、理不尽なことで相手を責めたりは決してしないし、人を貶めるようなこともしない。それは上に立つ人間として持つべき当然の心構えだと思っていたが、実はクレフだからこそ、彼の人間性があればこそなせる業だったのかもしれないと、ここに来て初めてアスコットは思うに至った。人よりも高いところにいながらにして人を見下さないということは、本当はとても難しいことなのかもしれない。なぜなら、人を見下さないためには自らの抱える孤独と真正面から向き合わなければならないからだ。世界を俯瞰するということは、孤独でいることを受け入れなければならないということだからだ。

 決して長い付き合いではないが、師匠と弟子として、クレフとのあいだにはそれなりの信頼関係があると思っていた。今のアスコットは、もしも自分一人の力ではどうしようもなくなったときはきっとクレフを頼ろうとするだろう。けれどクレフはそうではない。彼が助けを必要としているときにアスコットを頼ることは、十中八九ない。それは、アスコットの前に姿を見せようとしないクレフの最近の行動を見ていれば一目瞭然だった。もっとも、歴然とした二人の力の差を考えればクレフがアスコットに頼らないのは当たり前のことだ。それなのに地味にショックだった。自らの無力さを思い知らされているようで、たとえば言葉で直接罵られるよりもずっと悔しかった。

 アスコットは強く拳を握りしめると、悔しさをぶつけるように勢いよく地面を蹴った。重力に引かれ、地面まで一直線に降下する。降下というより落下といった方が適切かもしれない。地面が近づいてくる。クレフがいつもやっているようにきれいな着地をしてみようと、足を踏ん張る。けれどタイミングを見誤り、体勢を完全に整える前に足が地面に触れてしまった。なんとか衝撃を吸収して地面に転げる。すでにずり下がっていた帽子が、いよいよもって頭から剥がれ落ちた。
「痛てて……」
 帽子を拾い、かぶり直す。体の節々が痛んだが、傷らしい傷といえば手をすりむいたくらいだった。よくできた方だ。
 地面に両手をつき、たった今降りて(落ちて)きた崖の上を見上げる。以前あの高さから軽々と降りてきたクレフを見てから、いつか自分もそういうことができるようになりたいと思い、魔法の修行とは別に密かに訓練を続けていた。けれどいつまで経ってもクレフのような敏捷な動きは再現できない。ああいう動きができるようになるには、おそらくもっともっと魔法の修行を積まなければならないのだろう。魔導師としての強さと身軽さは切っても切り離せない関係にあるのだと、信じて疑っていなかった。

 膝に手を置いて立ち上がり、アスコットは毅然と目の前の窪地を見据えた。何もない、どこまでも広がっている、文字どおりの更地だった。ここでいつもクレフに修行をつけてもらっている。最初のころ、「ランティスに修行をつけていたときのことを思い出すな」とクレフが目を細めて言っていたのを今でも覚えている。
 いつもはクレフが魔法で創り出した幻影の魔物を相手に魔法を放っているが、生憎彼のいない今日はその手は使えない。この窪地に敵がいることを、自分自身の頭の中で想像しなければならない。拳を握り締め、目を閉じる。意識を集中させ、魔物の姿を脳裏に描く。鋭い牙をむいた魔物が襲いかかってくる。ぎりぎりまで引きつけるため、アスコットはまだ動かない。魔物が手を構え、アスコットに迫り来る。間一髪のところで目を開け、ぱっとその場から飛び退く。魔物がアスコットを捉え損ね、体勢を崩す。その隙を狙い、
『稲妻招来!』
 指を構えて印を創る。唱えた言葉に呼応するように、空からいかずちが落ちた。それは存在しない魔物を貫き、実際にはアスコットの目の前の地面に激突した。衝撃波と爆風が、アスコットの体を後ろに吹き飛ばす。「うわっ」と思わず声が出た。咄嗟に岩につかまり、体勢を整える。顔を上げると、雷鳴が断末魔の叫び声を残して消えるところだった。

 一度だけ、同じ魔法をクレフが放つところを見せてもらったことがある。けれどそのときの威力は、今アスコットが紡いだ魔法が鳥の囀りに聞こえてしまうほど強烈だった。アスコットの魔法だって、初めて伝承してもらったときよりは多少力強さを増しているような気もするが、まだまだ足りない。もちろん、この世界最高位の魔導師であるクレフと同程度の威力を得られるとはとても思わないが、僕は彼の教え子なんだと胸を張って言えるくらいの力は欲しかった。自分がまだそのレベルに達していないことは、ほかでもないアスコット自身が一番よくわかっていた。

「もう一回」
 パンと膝を叩き、屈伸する。よし、と気合を入れたそのとき、不意に人の気配を感じて振り返った。
「何をしている」
 そこにいたのはランティスだった。城から遠く離れたこんなところへ知り合いがやってくるとは思わなかったので、純粋に驚いた。けれどこの国唯一の魔法剣士でありかつてはエメロード姫の親衛隊長を務めていた彼の実力とセフィーロの現状を鑑みれば、ランティスがこのあたりを闊歩していることは納得できることだった。アスコットは体ごとランティスに向き直った。
「魔法の修行をしてたんだ」
「魔法の修行?」
「うん。もっと強くなりたくて」
 ふむ、とランティスはうなずいた。自分より強い人に向かって「強くなりたい」と言うことは、どうにも気恥ずかしいことだった。いつか臆せずに言えるようになりたい。たとえばランティスのように、愛する人のことは全力で守り抜けるような力が欲しかった。

 そこまで考えたとき、ふと思いついた。「そうだ」と手を叩き、アスコットはランティスに一歩歩み寄った。
「ランティス、時間ある? もしよかったら、僕の修行を見てくれないかな」
「修行を?」
「うん。ひとりだと、やっぱり限界っていうか。ランティスも、幻影の魔物とか出せるでしょ? そうしてもらえると助かるんだけど」
 われながらいいアイディアだと思った。けれどランティスは不機嫌そうに眉根を顰めてしまい、すぐにはうなずいてくれなかった。
「俺はおまえの師ではない。教えは導師クレフに乞うべきだろう」とランティスは言った。
「それはまあ、そうなんだけどさ」
 アスコットは言いよどんだ。
「ランティスも知ってると思うけど、導師クレフ、最近全然つかまらないんだ。無理もないのはわかってるよ。ザズのこととかオートザムのこととか、最近いろいろあったしね。そんなときに魔法の修行を見てくれなんて、なかなか頼めなくってさ」
 その言い訳じみた物言いに、自分のことながらうすら寒くなった。修行を見てくれることを頼めないのは、何も遠慮しているからではなく、物理的に不可能だからだ。クレフはどうやら周囲の人間と顔を合わせることを避けている。おそらくほとんどの人間がそのことに気づいていた。ランティスだって例外ではない。だから本当のこと――頼みたくても頼めないのだと言ってしまえばいいのに、気がついたら今のような言い方になっていた。心のどこかに、クレフに避けられていることを事実として認めたくない気持ちがあるようだった。

 ランティスはじっと口を閉ざし、何か深く考え込んでいた。それほど困るような頼みごとだったろうかと、アスコットの方が萎縮してしまう。そこまで気乗りしないのならば無理強いはしないと言おうとしたとき、ランティスがアスコットと視線を合わせた。
「なぜ、それほどまでに強くなりたいと願う?」
 思いがけない問いに、え、とアスコットは瞬いた。
 脳裏に海の笑顔が浮かんだのは条件反射だった。アスコットが強くなりたいと願うとき、その理由は二年前から、専ら彼女の存在に起因していた。
「護りたいものがあるからだよ」とアスコットは拳を握りしめて答えた。「護ることって、意外と難しいんだよね。強くならないと護れないから。攻撃することは簡単さ。でも、誰かを護るためには、攻撃を仕掛けてくる相手よりも強い力がなくちゃいけない。導師クレフみたいに、セフィーロ全部を護ろうとすることは無理だけど、せめて自分の周囲にいる人のことくらいは護れるようになりたいんだ」
「周囲の人」という表現に、思いがけず自分自身の逃避願望を思い知らされた。けれど100%嘘というわけでもなかった。究極は海のことを護りたいけれど、できることならプレセアやカルディナたちといった、これまで自分を助けてくれた人のことも護りたかった。

 ランティスは瞬きもせず、アスコットのことをじっと見てくる。彼の向こうに広がっている空と同じ色の瞳が、アスコットの心を奥深くまで射た。その視線を前にしていると、密かに抱き続けているまったく別の気持ちまで見透かされている気がして、心が浮ついた。
 誰にも言ったことはなかった。でもその気持ちは、海を護りたいと思うそれと同じくらいの強さでもってアスコットの中にあった。
 アスコットはランティスから視線を外し、空を見上げた。大鷲が羽を広げ、空という真っ青なキャンバスをゆっくりと旋回しているのが見えた。
「ほんとは、罪滅ぼしの意味もあるんだ」
 アスコットはひとりごちた。
「僕は昔、大した努力もしなかったくせに、セフィーロの人たちが僕の友達を受け入れてくれなかったことを憎いと思ってた。でも今は、魔獣を怖がる人が完全にいなくなったわけじゃないけど、ほとんどの人は僕の友達がセフィーロのために働いていることをわかってくれてる。たぶん昔だって、僕がもっとみんなの方に歩み寄っていれば、僕の友達を受け入れてくれる人は大勢いたはずなんだ。でも僕は悲劇のヒーローを気取って、わざと人から離れてた。そして……結果的に、たくさんの人を不幸にするようなことに手を貸してしまったんだ」
 どこを触っても冷たかったザガート城のことを、今でもはっきりと思い出すことができる。昼夜を問わず薄暗かったあの城の主は、いつも不敵な笑みを浮かべていた。常にポーカーフェイスを保っていて隙のない男だったけれど、ひょっとして時折彼の表情に淋しさが差していたことはなかっただろうかと、今になって思う。
「本当は、今でも思うんだ。もしもあのとき――って。もしもあのとき、ザガートが本当は何を思って戦っていたのか、もっと深く知ろうとしていたら、全然違う結果になったんじゃないかって。あのときザガートの周りにいた僕たちは、みんな自分のことでいっぱいいっぱいだった。ラファーガの場合は、操られていたからちょっと違うけど、カルディナもアルシオーネも、自分の欲しいもののために戦ってた。僕だってそうだ。友達と一緒に暮らしたいって、それだけのためにウミたちを攻撃した。ザガートがずっと哀しみを抱えていたことなんて、これっぽっちも知らなかった。知ろうともしなかったんだ」
 ザガート城を流れていた水は、触れば一瞬で体温を奪われてしまうのではないかというほど、まるで氷になる直前のように冷たかった。あの冷たさは、ザガートの隠し続けた望みの一端だったのではないかと思う。ザガートは愛する人の温もりを欲し、でも手に入れられなかった。ザガートが求めていたのは、ただ愛する人と体温を分け合うことだけだったのではないだろうか。
 そんな、人としては当たり前に持つべき願いのために、ザガートは自らの命を懸けた。魔法騎士たちがザガートに勝てたのは、ザガート自身が心の奥底では死ぬことを望んでいたからだと思う。自分の願いが生きている限りはかなわないことを、ザガートはわかっていたのだろう。彼は望んで戦っていたわけではなかった。ただ、願いが強すぎて偽れず、戦うしか道がなかったのだ。そうでなければ、エメロード姫に次ぐ力を持つとまで言われたザガートに、戦いの初心者である魔法騎士たちが勝てるはずはなかった。

「だから、強くなりたいんだ」
 吹っ切るようにランティスへと視線を戻し、アスコットは迷うことなく言った。
「強くなって、人が本当に望んでいることはなんなのか、そのために自分は何ができるのか、間違わずに判断できるようになりたい。もう二度と、ザガートのような犠牲を出したくないんだ。それが僕の願いだよ」
 今知りたいのはクレフの心だった。彼が何を望んでいるのか、彼のために自分は何ができるのか知りたい。そのためには強くならなければならないと思っている。将来自分の選択を後悔するようなことがないように。
 これでもランティスが首を縦に振らなかったら諦めようと思った。アスコットが強くなりたいと願う理由は、これ以上はない。心はすべて打ち明けた。それでもランティスがクレフに師事した方がいいと言うなら、大人しくそうしよう。
 ランティスはじっと沈黙を貫いていたが、ある瞬間ふっと肩の力を抜き、そして突然ローブを翻した。
「手は抜かないぞ」
 アスコットは思わず瞬いた。
「え……いいの?」
 ランティスが立ち止まる。彼は面倒くさそうな顔をしてこちらを振りかぶり、「早くしろ」と言った。
 ザガートと同じ声なんだ、といまさら思った。ランティスは幸せにならなくちゃいけないと思う。ずいぶん大胆なことを頼んだんだなと思い、頬が熱くなった。
「ありがとう」
 言って、アスコットは駆け出した。もっと強くなりたい。心からそう思った。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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