蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 42. 遠い日の記憶

長編 『蒼穹の果てに』

きっと、誰も悪くない。だが誰も悪くないのなら、この哀しみはどこにぶつけたらいいのだろう。

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 幼いころからザガートは常にランティスの一歩先を歩いていて、ランティスにとってはそんな兄の背中を専ら追いかける毎日だった。ザガートは近くて遠い存在だった。少しでも追いつきたくて、努力して努力して、ようやく手が届きそうになることもあるが、そうするとまた突き放される。そんなことの繰り返しで、ザガートに並び立てたと感じることはほとんどなかった。クレフのもとで修行を始めてからも、ザガートは変わらずランティスの前に立ちはだかった。誰のことは追い越せてもこの兄を追い越すことだけは永遠にできないのだと、半ば諦めてさえいた。しかし別れは唐突だった。ザガートは拍子抜けするほどあっさりとランティスに引導を渡した。彼は死に、ランティスは生き残った。もはや立ちはだかる者のいなくなった今、のびのびとわが道を行くことができるはずなのに、ランティスは未だ自分の進む先にザガートの背中を探しているように思う。

 別れの間際のザガートは、もはやランティスが兄と慕っていたころの彼ではなかった。見た目は何も変わっていなかったが、その瞳の奥に潜む狂気はまるで別人だった。「愛」のためにすべてを捨て、すべてを犠牲にしてでもたったひとりの『心』を守ろうとする、死を覚悟した人間の目をしていた。当時の表情は、強烈な印象としてランティスの中に残っている。だが後になってザガートのことを思い出すとき、脳裏に浮かぶのは決まって優しくほほ笑んでいる表情(かお)だった。狂気を孕まない、「兄」としての慈しみにあふれた笑顔だった。

***

 エメロード姫が『柱』だったころ、セフィーロは平和だった。魔物が徘徊するのは夜のあいだだけで、それも微々たる数しか現れない。そんな状態では、親衛隊長といえども昼間はほとんど仕事がなく、就任してから長いあいだ、ランティスの仕事はひたすらに「昼寝」だった。
 その日もランティスは、セフィーロ城の中でもっとも暖かい木の枝に身を預けていつものように昼寝をしていた。黒服をまとっているというのにランティスを枝の一部だと勘違いしているのか、鳥たちが代わる代わるやってきては肩や腕に止まる。危害を加えてくるような存在ではないので好きにさせてやっていると、不意にほかの鳥たちとは声色の違う鳥が一羽やってきて、ランティスの耳元で鳴いた。
「起きて」と言っているように聞こえたので、目を開けた。すると近くに人の気配を感じた。のっそりと上半身を起こす。気配はどんどんランティスの方へ近づいてくる。木の葉がそよぎ、数枚が落ちた。下に目を向けると、木のふもとに年のころ七、八歳程度の子どもが立っていた。
「ここどこ?」
 少女かと思いきや、少年だった。少年はランティスの存在には気づかず、不安げにあたりをきょろきょろと見回している。どうやら迷子のようだった。

 子どもは好奇心旺盛だから、城も居住区も関係なしに遊びまわる。エメロード姫が特に結界等を張っていないこともあり、城内に迷い込んでくる子どもは少なくなかった。このだだっ広い迷路のような城へやってくると、子どもたちは決まって迷子になる。その場面に出くわせば、放っておくわけにもいかないので出口を案内してやるのだが――なかなかどうして気が進まない。
「ママ……」
 しかし少年の涙声が耳を掠めればやはり聞き流すことにはできず、ランティスは重い腰を上げ、木からひょいと飛び降りた。同時にそこかしこに止まっていた鳥たちも羽ばたいていく。ランティスが目の前に降り立つと、少年は涙に濡れた瞳で忙しなく瞬いた。
「ここはおまえのような子どもが来るところではない」
 普段どおりの口調で言ったつもりなのに、ランティスがそう言った瞬間、少年はびくっと肩を震わせた。そして、すでに濡れていた瞳いっぱいに涙を溜め、ついに声を上げて泣き出した。

 またか、とランティスは思わずため息をついた。ランティスが出て行くといつもこうなる。正直子どもは苦手だった。どう接したらいいかわからないのだ。おそらくそんな戸惑いが伝わってしまって、子どもの方も不安がるのだろう。泣かれては事情を訊き出すこともできないので、こうなってしまうと、魔法で無理やり城の出口まで連れていってやるしかない。
 だから気が進まないのだ。心の中で毒づきながら、腰に挿した魔法剣に手を伸ばす。ところがそのとき、不意に近づいてくる別の気配を感じ取ってランティスは手を止めた。
「また迷子か」
 困ったように笑いながらやってきたのはザガートだった。同じ黒い装束を、それもランティスのものとは比べものにならないほど重厚なものを身にまとっているというのに、ザガートの醸し出す気配はなぜか柔らかかった。ランティスは首を竦め、彼の言葉を肯定した。

 ザガートは未だ泣きじゃくっている少年の目の前までやってくると、その場でしゃがんで少年の肩にそっと手を置いた。少年はまた肩を震わせ、恐る恐る顔を上げた。目を合わせたザガートがほほ笑む。すると少年の涙がぴたりと止まった。
「ひとりなのか?」
 ザガートの問いに、少年が首を縦に振った。あいわかったとでも言うかのようにうなずいたザガートは、すっと立ち上がると徐に手を翳した。
 柔らかい風が吹き、その風が、ザガートと少年の前に動物を模っていく。やがて姿を現したのは一体のカモシカのような精獣だった。ランティスもよく知るザガートの精獣だったが、いつも見る姿よりも体の大きさが五分の一ほどしかなかった。どうやらその背に少年を乗せたときにちょうどいいような大きさになっているようだった。

「居住区まで連れていこう。乗りなさい」
 突然目の前に現れたカモシカを興味深そうに眺めていた少年は、ザガートの言葉を受けてぱっと表情を明るくした。
「これに乗っていいの?」
「ああ」
 少年は飛び跳ねて喜んだ。カモシカが、少年がその背に乗りやすいようにと身を屈める。少年はカモシカの首根っこのあたりをつかみ、ぎこちないながらもなんとか一人で乗り上がった。カモシカが足をピンと伸ばす。真っすぐに顔を上げた少年の瞳は、涙を理由にしたのではなしに輝いていた。
「居住区まで」
 ザガートがカモシカの長い首に軽く触れて言った。カモシカが一度瞬きをする。了解した旨を告げるしぐさだった。そして次の瞬間、カモシカはまるで風のように軽やかな足取りでその場を駆け出した。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
 首だけをこちらに向けて、少年が叫んだ。ザガートがほほ笑み、うなずく。カモシカと少年の姿はあっという間に見えなくなった。

「子どもというのは純真無垢だ」
 少年たちが去った方を見て目を細めながら、ザガートが静かに口を開いた。
 自分とよく似たその横顔を、ランティスは見るとはなしに見つめた。ザガートの瞳は慈愛に満ちていた。姿形はよく似ているのに、兄と自分とを隔てているこの巨大な壁のようなものはいったいどこから生まれてくるのだろうと、いつにも増して不思議だった。
「与えられたものをそのまま受け取る。行間を読むということをしない。故に子どもと接するときというのは、誰に接するよりも慎重に、それでいて正直にならなければならない。わかるか? ランティス」
 こちらを振り向いたザガートの目つきは、少年に向けられていたものと大差なかった。

 ザガートにとってランティスは、いつまで経っても子どもなのかもしれない。彼の視線を受けてランティスはふとそう思った。年はひとつしか違わないが、ランティスにとってザガートは常に自分の前を歩いている存在だ。それは裏を返せば、ザガートにとってのランティスも、常に自分の後ろをついてくる存在だということだ。
 二人のあいだには常に一定の距離があり、並んで歩くことはない。その埋められない差を窮屈だと感じた時代も確かにあった。しかしザガートは神官、ランティスは親衛隊長とそれぞれ果たすべき役割がはっきりと変わった今、ランティスは心からザガートを尊敬し、そして必ず追いつきたいライバルとして見ることができている。
 しかし、見ることができるようになることと実際にそれを言葉にできることとはまるで違う。ランティスは黙ったまま首を竦め、木に飛び乗った。当然昼寝の続きをするつもりだった。下からザガートが苦笑するのが聞こえる。このときはまだ、二人の別れがすぐそこまで迫っているとは考えもしなかった。

***

 それからいくらもしないうちの、ある晴れた日のことだった。空はいつものように晴れ渡り、宙に浮かんだ島からは下の海へ向かって滝が流れている。滝は途中で霧散し、きれいな虹を描いた。鳥はじゃれあい、錦あやなす木々は囁き合う。それは確かに美しい光景のはずなのに、ランティスはもう、心の底から「美しい」と評することはできなかった。かつては当たり前のようにそう感じ、当たり前すぎてわざわざ「美しい」と口にすることさえなかった時代が、もはや懐かしさでもってランティスの心に迫ってくるのだった。
『この世界は、ほんとうに、美しいか?』
 問われたあのとき、ランティスは答えられなかった。クレフの小さくも大きな背中を見つめながら、ただ無言だった。あのときこの崖の上に立っていたクレフの瞳には、この世界はどのように映っていたのだろう。
『この世界は美しい』
 そう言った直後、しかしクレフは己の言葉に疑問を呈した。あのときの会話を、ランティスは一字一句違わず思い出すことができる。すべてが楔となって、その言葉を発したときのクレフの表情とともに、ランティスの心に打ちつけられていた。

 なぜクレフの言葉が自分の中でこれほどまでに大きな存在感を示しているのか、その理由は明確だった。いつもは穏やかにほほ笑むか、あるいは厳しく眉間に皺を寄せているかのどちらかだったクレフが、初めて憂えているところを見せたのだ。
 クレフほどの人でも何かに思い悩み、苦しむことがあるのだろうか。かつてそんな疑問がふと脳裏を過ったことがあった。ありそうにないな、とそのときは結論づけていたが、そうではなかった。クレフも思い悩み、苦しんでいた。それも、俺では考えもつかないようなことで。この世界のほんとうの美しさ――クレフは、『柱』制度が間違っているかもしれないと思っている。
 導師という立場上、それをはっきりと口にすることはしない。口にしてしまえばすべてが壊れてしまうだろうことを、彼ははっきりとわかっている。だからこそあのようにあいまいな言葉でしか言えなかったのだろう。「『柱』制度は間違っているとは思わないか?」。この世界は美しいかと問うたクレフの言葉は、ランティスの耳にはそう言っているように聞こえてならなかった。

 クレフの置かれた立場の惨酷さを、ランティスはあのとき初めて思い知った。導師として在るということは、その事実に縛られるということなのだ。思ったことを自由に口に出すことなど赦されない。常に世界の安定のため、世界が道を踏み外さぬよう正しい方向へと導くため、必要なときに必要なことを過不足なく口にするようでなければならない。誰よりも強い彼は、誰よりも大きな責任を負う。強くなるということは、必ずしも自由を齎してくれるものではないのだ。
 クレフほどの力があれば、たいていのことは朝飯前にできてしまうだろう。しかしそれと同じくらい、「できないこと」も多い。強くあることの難しさを、ランティスはクレフの表情から教えられた。
 彼の助けになることを願いながら肝心なときにそれができない自分自身に、ランティスは心密かに打ちのめされていた。言いたいことがあるのなら、オブラートに包んだりせずはっきりと言えばいい。誰が拒絶しても俺が受け止めてやる。どんなに頭の中ではそう思っても、その言葉を口にすることはできなかった。実際にクレフの口から「『柱』制度は間違っている」などと言われたら、ランティス自身、自分の中の何かが崩れてしまうような気がしてならなかった。

 中途半端なのだ。禁じられた恋を諦められない兄を咎めることも、かといって味方になることもできない。俺は結局、ぬるま湯につかっていつまでも現実と向き合おうとしていないのだ。だがそうしているあいだにも時間は刻々と過ぎていく。今このときも人の心は揺れ、遠くに見えるあの海のように、大きな波を描いてうねっている。
 刻一刻と迫る「そのとき」は、もう止められはしないのだろう。しかし、その瞬間俺はここにいてはいけない。誰に言われたのでもなくランティスはそう思った。このタイミングでクレフがセフィーロの美しさに疑問を呈したということは、偶然ではない。あれは彼から与えられた宿題なのだ。彼の投げかけた疑問に、俺は俺なりの答えを見つけなければならない。そしてその答えは、この地に留まっていたのでは見つけられない。

「こんなところにいたのか、ランティス」
 背後で草を踏む音がしたかと思うと、柔らかい声が背にかかった。振り返ると、ザガートが立っていた。
「おまえの姿が見えないと、ラファーガが目尻を極限まで吊り上げていたぞ」
 楽しそうに笑いながら、ザガートは隣までやってきた。しかしその笑顔にかつてのようなすがすがしさはもうなかった。
「『弟君は、隊長としての心構えが足りないように見受けられます。神官ザガート、あなた様から一言おっしゃっていただけませんか』」
 ザガートはラファーガの真似をしたつもりだったようだが、まったく似ていなかった。
 ランティスは答えず、ザガートをじっと見返した。薄いほほ笑みを浮かべていたザガートだったが、やがてその表情をさっと曇らせ、ランティスから視線を外した。

『ランティス。「柱」をどう思う?』
 やにわに聞こえたと思った声は、だが錯覚だった。遠くない昔、ザガートにそう訊かれたことがある。あのとき自分はいったい何と答えたのだっただろう。何も答えなかった気がする。いや、答えられなかったのだ。ザガートの『想い』に気づいていながら、あのときはまだ、気づかないふりをしていたかった。
「ランティス」
 不意に呼ばれた。今度は錯覚ではなかった。話し始める前、ザガートはいつも、どれほどそばにいてもそうしてランティスの名を呼んだ。
「この世に圧倒的な『悪』などあるのだろうか」
 それは思いがけない問いだった。ランティスは覚えずザガートの横顔をまじまじと見返した。

 幼いころからよく似ている兄弟だと言われてきたし、ランティスもまた、見目に限って言えば自分とザガートは似ていると思っていた。だがいつのころからか、かつて感じたほど似ているとは思わなくなった。なぜなら今は、魔法力や性格以上に二人を圧倒的に隔てているものがあるからだ。そしてそれは――
「責めるべき対象を見つけられないのに、怒りだけはある。そんなとき、人はどうするのが一番正しいのだろう」
 問うているのか独り言なのか判断がつかない言い方だった。
 ランティスは無言を貫いた。ザガートがわからないことをランティスがわかるわけはなく、わからないことについて知った風な口を利くことはできなかった。
 きっと、誰も悪くない。だが誰も悪くないのなら、この哀しみはどこにぶつけたらいいのだろう。
 沈黙が場を支配する。セフィーロが『心』がすべてを決める世界なのだとしたら、今の二人の周りを漂っている空気の温度は、あるいは雪山の上を漂うそれよりも明らかに温度が低いはずだと思った。

「すまない、忘れてくれ」
 やがてザガートは吹っ切るように言った。
「おまえは、おまえが正しいと思う道を行けばいい」
 どくん、と鼓動が脈打った。さもない言葉だったが、ランティスにとってはじゅうぶん過ぎるほどの言葉だった。知っている――ザガートは、ランティスがこの地を去ろうとしていることを知っている。
「ああ」
 ランティスは素直にうなずいた。ザガートは何か言いかけたが、結局彼の口がそれ以上言葉を紡ぐことはなかった。
 その日の夜更け、ランティスは人知れずセフィーロを発った。風のない、静かな夜だった。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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