蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 43. 星のない夜

長編 『蒼穹の果てに』

クレフの心がわからないということがこれほどまでに不安なことだとは、思ってもみなかった。

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 イーグルが貸してくれたホバーは小型な割に馬力があって、覚悟していたよりも相当短い時間でセフィーロに到着することができた。しかし、道のりを間違えるはずなどないのに、その地にたどり着いた瞬間、ランティスは本当にそこがセフィーロなのかという疑いを持つことを禁じえなかった。
 荒れ狂う大地はみるみるうちに削られていく。かつては美しかった空は、もはや広がっているのかさえわからない。昼間だというのに辺りはどんよりと暗く、聞こえるのは動物や人のか細い悲鳴ばかりだ。外敵の侵入を阻みセフィーロを守っていた大気の膜はとっくに失われ、今となってはオートザムをはじめ、この星を取り巻いているものすべてをはっきりと目視することができた。
 すべてが失望に沈みかけている。しかしその中にあっても唯一『力』を失っていない場所があった。荒れ狂う地の中心に聳える、巨大な水晶の城だった。

 戻ってきたのだ――その水晶の城を見たとき、どれほど変わり果ててもここはセフィーロなのだと納得せざるを得なかった。さまざまな人の力が結集した城だということはわかるが、その大半を占めているのはたった一人の人間の『意志の力』だった。その力の気配には確かに覚えがある。『柱』なき今のセフィーロで、おそらく誰もが心の拠り所としているであろう人。そして、自らの師。彼の力を感じるということは、この地がセフィーロでないはずはなかった。
『この世界は、ほんとうに、美しいか?』
 あれからもう一年以上が経つというのに、その言葉はまるで昨日聞いたばかりのようにはっきりと思い出すことができる。あのときは答えられなかったが、今なら間違いなく答えられる。そして、一年という歳月をかけてランティスの導き出したその答えは、「否」だった。たった一人の少女が死んだだけですべてが失われようとしている国が、美しいはずはない。

 もう少しで城にたどり着くというところで、ホバーの馬力が急に鈍くなった。
「ここまでか」
 無理もない。オートザムからセフィーロへは長旅だった。ここまで無傷で運んできてくれたことに感謝こそすれ、あとわずかなところで力尽きてしまうことを罵るつもりなどこれっぽっちもなかった。無茶をすれば城まで運んでくれるかもしれないが、借り物である手前、そんなことはさせられない。ありがとう、と心の中で礼を言い、ランティスはホバーを降りた。
 カードキーを抜くと、ホバーが一瞬にしてそのキーの中へと収められた。キーの表面に自分の顔が映る。遠くに落ちた雷に照らされて、その顔が一瞬明るく光った。小さな悲鳴が聞こえたのは、その直後のことだった。
 雷鳴に混じって場所がよくわからないが、そう遠くないところから聞こえた悲鳴だったような気がして、ランティスは耳をそばだてた。勘を頼りに歩き出すものの、思った以上に足場が悪く、何度もバランスを失いかける。たった今足を離したばかりの地面が真っ二つに裂けたときはさすがに肝を冷やした。急がなければ、と一層感覚を研ぎ澄ませる。すると、少し先の岩陰にパタパタとはためくものを見止めた。

 その場へ駆け寄り岩の裏を覗き込んだランティスは、思わず目を瞠った。この荒れ狂う大地には鮮やかすぎるほどの色彩を持った精霊が、泥まみれの雨に濡れて倒れていたのだった。
「た、助けて……」
 怯えきった目をした精霊は、必死の様子でランティスの指にしがみついた。エメラルド色の髪はベタつき、美しさを失っていた。岩場に体を打ちつけたのか、オーロラ色の羽根が一枚もげていた。
 胸が痛まないわけがなかった。こうしていったい、どれほどの罪のない命が失われたのだろう。ランティスは黙って精霊をすくい上げると、胸元にしまい込んだ。よほどの恐怖を味わったのだろう、精霊は震えていた。どれほどランティスが「だいじょうぶだ」と唱えようとも、精霊の震えが収まることはなかった。

 出し抜けに地面が大きく揺れ、ランティスは咄嗟に地面に手をついた。立ち上がることさえうまくできない。もはや自力で城へ戻ることは不可能だと判断し、ランティスは止むを得ず自らの精獣を招喚した。精獣は求めに応じて殊勝にも姿を見せてくれたが、怯えていることは火を見るより明らかだった。早く戻ろう、とその瞳が訴える。ランティスは手綱をつかみ、その背に乗り上がろうとした。しかしそこで、急に足が動かなくなった。
 胸元にそっと触れれば、精霊が未だ震えていることがわかる。確かにこの精霊には罪はないかもしれない。だが、ではこの惨状の罪はいったい誰にあるのだろう。
 世界の安定を祈れなくなったエメロード姫か、それとも『神官』としての職務を放り投げて自らの『願い』のために突っ走った兄ザガートか、あるいは『柱』にすべての重責を背負わせるこの世界の仕組みそのものか。

 思考が泥沼にはまっていく。無理やり振り切るようにかぶりを振り、ランティスは立ち上がった。誰に、あるいはどこに罪があろうとも、それを定める資格は自分にはない。そもそも罪のない人間などいないだろう。生きていれば必ず、大小こそあれ、誰でも皆罪を犯す。――では、と、しかしそこでまたランティスは思った。誰にでも罪があるのならば、俺の罪とは何だ?
 精獣の背に跨り、つと水晶の城を見上げた。この城を建立するためには、果たしてどれだけの力が必要だったのだろう。
 遠くでまた雷が落ちる。ランティスは強く手綱を引き、精獣が求めるままに城へと急いだ。


 城の中は混沌としていた。下層階では傷を負ったものたちが当てどなく回廊を彷徨い、上層階では力ある者たちが青ざめた表情であちらこちらへと奔走していた。ランティスを呼び止める者など皆無だった。本来ならば「いつ戻ってきたのだ」と詰問を受けてもおかしくない立場だというのに、今は他人のことに気を配っている余裕のある者などいないようだった。ため息をつきそうになるのをすんでのところで堪え、ランティスは固く唇を閉ざしたまま、淡々と回廊を歩き続けた。

 あるところまで進むと、突然人気がなくなった。どうやら城の最上階までやってきたらしい。そこではかつてのセフィーロ城の中枢に似た雰囲気を感じた。どこよりも強い気配が、頭痛がするほど満ちている。この城を守らんとする強い意志が四方八方を埋め尽くしており、それはいちいちランティスの心を突き刺した。いつの間にか拳を握りしめていたことにさえ気づかないまま歩いていくと、一際大きな扉の前にたどり着いた。
 中から見知った者たちの気配を感じる。ここが司令室の役割を果たしているのだろう。中へ入ろうかと手を翳しかけて、しかしためらった。入ってどうするというのだ。
 中へ入れば、何の目的でこの地へ戻ってきたのか問われることになるだろう。だがその理由は到底口にできるものではなかった。誰からも支持されないことであるのは明白だったし、支持してほしいとも思わなかった。それならば、この中へ入る理由などないのではないか。
 この中には間違いなくあのひとがいる。あのひとのみならず、この中に集っている者は皆、セフィーロを守りたいという強い意志を持っているだろう。もちろん俺にとってもこの国は大切だ。できることなら守りたいと思う。だが、俺の『願い』は――

 去ろう。そう決めて踵を返しかけた、そのときだった。意に反してゆっくりと開かれ始めた扉が、ランティスの足を止めた。
 薄暗い回廊に光があふれてくる。思わず顔を顰めるほど眩しかった。オートザムとは違う、柔らかい光。まだこんな光が残っているのか、と思った。それは喜ぶべきなのか哀しむべきなのかよくわからないことだった。光があることは喜ばしい。だが、光は持続させることができなければ意味がない。今のセフィーロに、この光を持続させていくだけの力が果たして残されているだろうか。
「ランティス……!」
 強張った声には確かに聞き覚えがあった。顔を上げると、大男と目が合った。声と同じく強張った表情が、隠しきれない怒りを滲ませている。一年ぶりの邂逅だった。男は――ラファーガは、かつてよりも眉間の皺が深くなったように見えた。
「今までどこへ行っていた?」
 強い口調で、ラファーガがこちらへ向かって歩いてくる。答えずにいると、真っすぐ正面へやってきた彼にいきなり胸倉をつかまれた。
「ラファーガ!」
 悲鳴に近い声を上げたのはプレセアだった。しかしラファーガは怯まない。ランティスはわれ知らず眉根を顰めた。ラファーガのことが嫌いなわけではないが、苦手なことは確かだった。
「この一年、セフィーロがどれだけ大変だったか。何人もの民が死んだのだぞ。今も皆、崩れ行く日々に怯えている。そのあいだ、おまえは一人のうのうとセフィーロを離れていたのか。エメロード姫の親衛隊長だった、おまえが!」
「そのくらいにしておけ、ラファーガ」
 決して大きくはないが強い声が、ぴしゃりとラファーガを遮った。
「ですが……!」
 血走った目を背後へ向けたラファーガだったが、玉座で静かにかぶりを振るクレフの姿に、ついに諦めてランティスを解放した。大層乱暴な手つきだった。ラファーガはぎろりと横目にこちらをにらむと、わざとらしく唾を吐くしぐさをしてから一人玉座へと向かっていった。

 ランティスはその場を動かなかった。いや、動けなかった。なんとかして顔だけでも上げると、この城を支えている力の源であり、おそらく先ほど扉を開けた本人であろうクレフと目が合った。彼は玉座の中央にある、今は空になっている大きな椅子の前に立っていた。クレフは一度瞬きをしてから静かに目を細めた。それはまるで、昨日会ったばかりの人に向けるような表情だった。
 ランティスが口を開くことができずにいると、クレフはやおら視線を外した。そして玉座の前で傅いたラファーガを呼んだ。
「ランティスは、今も昔も私の教え子だ。この城を覆う結界をくぐってこられたということは、セフィーロに敵意を抱いているのではないということだ。それだけはわかってくれるな、ラファーガ」
 ラファーガは何か言いたそうに顔を上げたが、すぐにぐっと拳を握り、「はい」と答えた。満足気にクレフがうなずく。そして彼は再びこちらを見た。しかしそのまま、クレフは何も言わなかった。
 内心で打ちのめされているランティスの気持ちを、クレフは理解していただろうか。「今も昔も私の教え子だ」――まさか彼の口からそんな言葉が飛び出そうとは想像だにしていなかった。どんなにセフィーロが変わってもこのひとは変わらない。その事実は、ランティスの心を鷲づかみにした。時には責められた方が気持ちが楽になることもあるのだということを、このとき初めて知った。

 話したいこと、話さなければならないことが山のようにある。だがどれひとつとして口にすることはできなかった。口を開けば本心を吐露してしまいそうだったが、それは絶対にしてはいけないことだった。この『願い』は、たとえクレフが相手でも口にすることはできない。
 ランティスはその場で膝を折り、無言のまま頭を下げた。この行動を取る相手は、もはやこのひとしかいないのだ。エメロード姫の死を、ようやく現実のこととして感じた瞬間だった。その事実だけを胸に、ランティスは大広間を後にした。誰も追いかけてこなかった。

***

 今日のように星のない夜は、あの日々を思い出す。真っ暗な空に覆われた、明日をも知れぬ状態に誰もが不安を抱えていた日々。その中にあって唯一、導師クレフだけは常に毅然としていた。当時は誰もが必死で気づかなかったが、彼はあのときのセフィーロではただひとつの光り輝く星だった。誰もが彼を道しるべに歩いていた。しかし、と後になって思う。当のクレフ自身は当時、いったい何を道しるべにして歩いていたのだろう。何が彼をあれほどまでに強く保っていたのだろう。

 『柱』制度に疑問を持ちながらも、「次の『柱』を探すことが残された自分にできる唯一のことだ」と言い切ったクレフ。その心情はいかばかりだったのだろうと思う。自分ごときに推し量れないものだとはわかっていても、考えることはやめられなかった。
 クレフはエメロード姫のことを、生まれたときから見守っていたと言っていた。そんなエメロード姫が『柱』になり、そしてあんな最期を迎えたことについて、クレフが自分を責めなかったはずはない。それでもクレフはエメロード姫亡き後も『導師』としてあり続け、一度もその職務を放棄しようとしたことはない。あのひとは、何を思いながらあれほど長い時を生き続けているのだろう。

 昨今セフィーロを覆う不穏な事象の数々について、クレフはおそらく何かを知っている。だが彼が何を知っているのか、どれほど考えても手がかりさえつかめない。誰よりも長く彼の下で修行を積み、誰よりも彼の心を理解していると思っていたが、自惚れすぎていたのかもしれない。クレフはおそらく、この世界の誰も知らないようなことをまだまだ数多く知っている。ランティスに継承されたのは、そのうちのたかだか何百分の一ほどにしか過ぎないことなのだろう。そもそもランティスは、クレフの過去については驚くほど何も知らないのだ。

『この世界は、ほんとうに、美しいか?』
 再びあのときの言葉が脳裏を過った。美しくなったと、今ならばランティスは思う。しかし思えば、クレフの口からその言葉を聞いたことは、『柱』制度が終焉を迎えてから二年が経った今もまだ、一度もなかった。クレフにとっては、今のセフィーロでさえも美しくはないのだろうか。
 ほんとうの美しさとはなんだろう。静まり返った回廊に、答えはない。今の自分の心はまるでこの星のない空のようだと思った。クレフの心がわからないということがこれほどまでに不安なことだとは、思ってもみなかった。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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