蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 44. 傀儡

長編 『蒼穹の果てに』

居場所はない――そう言い切った男が唯一の正義だと、このときは確かに思った。

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 星のない夜は不安になる。雨が降っている方がまだいい。これほど平和なセフィーロにいてもそう感じるのだから、常に曇天に覆われているオートザムに暮らす人々の不安を思うと筆舌に尽くしがたい。できることなら彼らを救いたいとは思う。しかしその一方で、もしも本当にオートザム国大統領がセフィーロへ侵攻してくるつもりなら、王になると宣言した手前、抗戦しないわけにはいかない。そうなったら情けは捨てなければならないだろう。指導者として、セフィーロの平和を脅かす者はすべからく倒さなければならない。たとえその中に、かつては肩を抱き合い、笑い合った者がいたとしても。しかし、果たして俺はそこまで冷酷になれるだろうか。

 狭い部屋の中にいれば思考がどんどん悪い方向へと傾いていく気がして、フェリオは着の身着のままで部屋を飛び出した。だが部屋を出たからといって特に行く当ても思いつかず、ただぼんやりと回廊を当てどなく進んでいた。夜更けの回廊はしんと静まり返っていた。歩いていると部屋にいるよりもだいぶ気分は紛れたが、静かすぎるせいか、妙な居心地の悪さが振り払えなかった。
 王になると声高に宣言しておきながら、たかがわずかばかりのおどろおどろしい雰囲気にさえも呑まれかけている自分にそんな芸当ができるのか、はっきり言って自信はまったくなかった。すぐに音を上げてしまいそうな気がする。もちろんそうならないように努力するつもりではいるが、おそらく最初からすべてを担うことなどできないだろう。最終的な目標は導師クレフを安心させることだが、いざそんなことができる日が本当にやってくるのか、まったくもって不透明だった。

『導師は後にも先にも、私ただひとり。誰かに継ぐような職務ではない』
 不意にクレフの言葉が思い出された。フェリオはその場で立ち止まり、つと空を見上げた。
 あの言葉がどうにも心に引っかかっている。考え直せば直すほど、あの言葉の不自然さが際立っていく。『導師』が「この先に」いないというならまだわかるが、「後に」もいないというのはどういうことだろう。『導師』とは、『柱』やほかの役職と同じように代々引き継がれるものではないのだろうか。
 確かに過去の導師についての情報はまるでないが、それは747年という長きに渡って生きているクレフがその職務を貫いてきているからだと思っていた。しかし一方で、では彼はいつから導師の肩書きを背負っているのか、それさえも知らなかった。
 仮に引き継ぐような職務ではないとしても、今後『導師』の名を冠する者がまったく必要なくなるということはあり得ないと思う。セフィーロを長きに渡って繁栄させることを考えたら、むしろ必要不可欠な存在だろう。国を正面から束ねる立場が『王』ならば、その王の行動を見極め、時には諌めながらよき方向へと導くのが導師だ。仮に導師クレフがいなくなったとしたら、俺はとても王になどなれない。彼の顔があまり見えないというだけでこれほどまでに不安なのだ、その存在の大きさは、あえて口にするまでもなかった。

 考えるな、と自らに言い聞かせ、フェリオは吹っ切るように歩き出した。何も深刻に案ずることなどないのだ。導師クレフは姿があまり見えないというだけで、いなくなったわけではないのだから。自分自身を落ち着けるように、フェリオは何度か首を縦に振った。するとそのとき、ふと視線の先に人影があることに気がついて再び足を止めた。
 規則正しく並ぶ柱の一本に、もたれるような影ができている。影自体は大きいが、微かに窺うことのできる帽子を被った頭はさほど大きくない。そっと近づくとやはり、そこに座ってぼんやりと外を見ていたのはサンユンだった。ころんとした丸い横顔に、自然と口角が持ち上がった。
「どうした、サンユン」
 フェリオは一歩離れたところで立ち止まった。こちらに気づいていなかったようで、サンユンはびくっと体を揺らしてやにわに顔を上げた。強張った表情も、しかしフェリオと目が合ったことによってふっと緩んだ。
「フェリオ王子」
 ほっと息をつきながら言い、サンユンが立ち上がろうとする。フェリオはそれを制し、素早く隣に腰を下ろした。
「珍しいな、こんな時間にこんなところで。ひとりか」
 フェリオは片膝を立て、そこに腕を乗せた。片やサンユンはといえば、いつの間にか正座をしてぴんと背筋を伸ばしていた。自分の前ではそんな態度を取る必要はないと何度も言っているのに、礼儀作法に厳しいファーレンでの癖が抜けないのか、サンユンは未だ、フェリオの前で態度を崩したことは一度もなかった。
「眠れないのか」
 つぶらな瞳を覗き込み、問う。サンユンは黙って首肯した。真意を測ろうとじっと表情を覗き込んでみたが、サンユンが何にそれほど憂えているのか的確に感じ取ることはできなかった。しかし話したいことがあるのならばサンユンが自ら口を割ってくれるだろうと思ったし、そうでないならば無理やり話させる必要もないと、あえて深く突っ込むことはしなかった。

 フェリオはサンユンから視線を外し、やおら外を見た。夜露に濡れているであろう草木も、明かりのない夜は光らない。
「俺も、おまえくらい頭がよかったらな」
 フェリオは問わず語りに言った。
「え?」
「立場上、『王子』と呼ばれてはいるが、ほんとは剣術くらいしか取り得がない男なんだ。勉強はまるでだめだし、顔だって大したことない。むしろこんなところに傷まである」
 フェリオは自らの鼻筋を指差した。そこには真一文字の傷がある。城を飛び出し、修行を始めて間もないころ、勇んで挑んでいった剣士にこてんぱんにやられたときにできた傷だ。ほかのところにできた傷はすべて消えたのに、その鼻筋の傷だけは、いつまで経っても一向に消える気配がないのだった。
「誰よりも努力しなきゃならないはずなのに、誰よりもサボり癖が強い。困った王子だ。おまえの聡明さがうらやましいよ、サンユン。俺ももっと、小さいころから勉強に力を入れてくればよかった」
「そんな、めっそうもありません。私は王子にお褒めいただくような人間では」
「謙遜するなよ、サンユン」
 あまりに慌てふためくサンユンがおかしくて、フェリオは苦笑した。
「おまえはすごいよ。アスカのために、勉強も武術も頑張ってるんだろ? 自分のために頑張ることができる奴は大勢いるが、他人のために頑張れる人間なんてそうそういないさ」
 あえて改善点を挙げるとしたら、その謙遜が過ぎるところくらいだ。けれどそれは、言わずにおいた。

 前々から思っていたことだが、サンユンは自分の能力について過小評価しているところがある。彼の能力、そしてその存在自体がどれほどアスカの支えになっているか、周囲の人間にとっては火を見るよりも明らかなのに、当のサンユンにとってはそうではないらしい。彼は「自分などまだまだだ」と思っている。もちろん、そういう謙虚さが彼を成長させている部分はあるのだろうが、それにしてももう少し自分に自信を持ってもいいと思う。
 導師クレフに似てるかもしれないと、ふと思った。あのひとにもそういうところがある。クレフが持っている影響力は、彼自身が思っているよりもずっとずっと大きい。だが彼自身はそのことにまるで気づいていない。あのひとはおそらく、自分は一介の民にすぎないと思っている。そんなことはないと周りがどれだけ言っても、きっと聞く耳を持たないに違いなかった。

「おまえのような人間になりたいと、俺はいつも思ってるよ」
 フェリオは笑って言った。それは本心からの言葉だった。サンユンのようになりたいと思う。常に努力し、謙虚で、人を支えることに喜びを見出す。それは『王』としてはふさわしいと言えた態度ではないかもしれないが、しかしフェリオは、一人で先頭を突っ走るような王よりも、突っ走る人々を後ろから支えるような王になりたかった。
「……私は本当に、そんな風に言っていただくような人間ではないのです」
 急にサンユンの声のトーンが落ちた。顔を上げると、サンユンは思いつめたように視線を落とし、膝の上で揃えた拳を強く握っていた。
「私は無力です。無力どころか、アスカ様に守っていただいているんです」
 そう言って、サンユンはますます俯いた。
「私の父は宮廷の給仕で、家族ともども住み込みで働いていました。アスカ様に初めてお会いしたのは、父の職場であった調理場でのことでした。アスカ様は幼い時分よりいたずらがお好きで、調理場へしょっちゅう忍び込んでいらっしゃったのです。以来、比較的年が近いこともあって、アスカ様は私とよく遊んでくださるようになりました。アスカ様と過ごす時間は私にとっての唯一の楽しみでしたが、幼心にも、それがいけないことだという後ろめたさはありました。ですが私は、アスカ様のご厚意に甘える形で、結局――」
「ちょっと待て。どうしてそれが『後ろめたいこと』なんだよ。サンユンはただ、アスカと遊んでただけなんだろ?」
 するとサンユンがびっくりしたように目を見開いてフェリオを見返した。何かいけないことを言っただろうか、とそれこそフェリオの方がたじろいでしまうような驚きようだった。フェリオが戸惑っていると、サンユンが見開いていた目をすっと細めた。そして、哀愁を漂わせた声色で言った。
「失礼いたしました。セフィーロは『そう』ではないのでしたね。おわかりにならないのも無理はないことです。ですが、フェリオ王子。ファーレンにおいては、『それ』は赦されないことなのです。身分に雲泥の差がある――それも、次期皇后と一介の給仕の息子が馴れ合うなど、本来は、あってはならないことなのです」
 はっとし、そして思い出した。そういえば、ファーレンは諸国の中でも身分階級制度がもっとも厳しい国だった。
「少しでもアスカ様のご厚意に報いるためにと、私は唯一の取柄であった勉学に心血を注ぐようになりました。ほどなくして、アスカ様の側近という立場を手に入れることができましたが、そのすべてはアスカ様のお力添えがあってこそのことでした」
 サンユンは遠くを見、哀しそうにほほ笑んだ。その目は厭世観に満ちていた。
「私はいつも、アスカ様に守られてばかりです。力になるどころか、足手まといになっているほどなのですよ」

 そんなことはない、と言葉が出かかったが、言えなかった。言ってもサンユンが首を縦に振るとは思えなかったし、ファーレンの事情を表面上しか知らない自分が何を言ったところで、陳腐に響くだけだろう。
 しかしサンユンの言葉が真実であるはずはなかった。アスカは間違いなく、サンユンのことを何よりも大切に思っている。足手まといだなどと考えているはずはない。そしてサンユンもまた、アスカのことを、主人として尊敬する以上の気持ちでもって見ているだろう。
 これがセフィーロならば、二人の関係はもろ手を挙げて祝福されるべきものだ。ファーレンではすんなりとそういうわけにはいかないのかもしれない。だが、たとえ身分差に厳しい国だからといって、愛する者同士が引き裂かれることが正しいことであるはずはない。それは、先の戦いでセフィーロが得た大きな「答え」でもあった。「愛」は何物にも引き裂かれてはならない。それが理不尽な理由であればあるほど、われわれは、その理由を乗り越えようと努力しなければならない。

「そう思ってるうちは、確かに足手まといだろうな」
 言って、フェリオは立ち上がった。
「え?」とサンユンが顔を上げた。
 二人の視線が交わる。フェリオは真っすぐにサンユンを見返した。今、自分とサンユンは立場を超えた一人の男同士としてこの場にいるのだと思った。
「おまえが足手まといだと思い込んでいるうちは、その気持ちこそがアスカにとっては足手まといだろう。もしもサンユン、おまえが逆の立場だったとしたらどうする? もしもアスカが、『自分の気持ちはサンユンにとって重荷なのではないか』と思っているのだと打ち明けたら、おまえはどう思う?」
「あり得ません。アスカ様が重荷などということは、決して」
 サンユンは即答した。そのことが嬉しくて、フェリオは相好を崩した。
「それがわかっていればだいじょうぶさ。サンユン、おまえはもっと自分に自信を持った方がいい」
 サンユンは言葉を失った様子で、何も答えなかった。だが彼ならばきっとだいじょうぶだろうと思った。それ以上フェリオがかけてやれる言葉は何もなかった。「な」とサンユンの肩を軽く叩いてから、フェリオはその場を後にした。


「自分に自信を持て、か」
 自分で言った言葉を反芻する。それはサンユンに対するメッセージであると同時に、自分自身に言い聞かせる意味も持った言葉だった。国王になると宣言したのだ、それこそ俺はもっと自信を持たなければならない。きっと、サンユンがしなければならない以上に。
「信じる心が力になる」、それがセフィーロという国だ。それが、これから俺が束ねていこうとしている国なのだ。歩きながら、フェリオはその思いを新たにした。この先たとえどんな困難が待ち受けていようとも乗り越えてみせると、己の心に、星の見えない空に固く誓った。

***

 フェリオが去っていく後姿を、サンユンは見えなくなるまで見送った。遠ざかっていく後姿が、そのまままるで自分を置いていってしまうような錯覚を覚えた。
『おまえはもっと、自分に自信を持った方がいい』
 言われたばかりの言葉が、矢のように真っすぐ心に突き刺さっている。「自分に対する自信」、そんなものは持てるはずもなかった。
 フェリオは自分のことを「王子の器ではない」と思っているようだが、そんなことはない。王子の器でない人間が、あれほど力強い瞳をしているはずがない。彼は自分のほんとうの能力に気づいていないだけで、本当は誰よりも国王となるにふさわしい人だ。真に器ではない人間は――
「私は、一介の民にすぎないのです。フェリオ王子」
 そのとおりだった。危うく自分で自分の言葉に傷つきそうになり、慌てて拳を強く握った。爪が食い込む。その痛みが、心に感じた痛みをやわらげてくれる。

 アスカが「わらわのそばを離れるな」と言ったとき、そこに彼女が込めた意味がわからないほど鈍感ではなかった。それでも「どこへでもついていく」とごまかすような答えを返したのは、その事実を認めることが怖かったからで、ひとたび認めてしまえばもうこれまでのような日常を送ることはできなくなると思ったからだった。
 かなうのならばそうしたい。アスカのそばに、誰よりも近いところにずっといて、彼女を支えていきたい。けれどそんなことは願ってはいけないということくらい、誰に教えられずともわかっている。
 皇族の健康を考えて朝から晩まで宮廷料理の研究をしている父の背中を見ているのが好きだった。日の目を見る職業ではなかったが、息子として、父の仕事に誇りを持っていた。それなのに、今、生まれて初めて父の息子として生まれたことを悔しいと思った。もっと位の高い家に生まれていたら、こんなことで悩む必要もなかったのではないか。
 そこまで考えてサンユンは突然はっとわれに返り、思わず身震いをした。なんということを考えているのだろう。激しい自己嫌悪に囚われた。息子としても、アスカの側近としても、自分は今最低のことを考えている。

『孤独に苛まれている者よ』
 声が聞こえたのは突然のことだった。はっと顔を上げたサンユンは、言葉を失った。
 目の前に一人の男がいた。男は地に足をつけず、その場で宙に浮いていた。風など吹いていないのに、黒い長髪が絶えず緩やかに靡いている。悲鳴を飲み込むようにすうっと息を吸うと、まるで体が凍りつくように冷たい空気が肺に流れ込んできた。常春なはずのセフィーロが、突然常冬の国に変わってしまったかのようだった。
『夢を見たくはないか』
 辺りを漂う空気を凝固させたような冷たい瞳が笑っている。男はサンユンに向かって手を差し出してきた。サンユンは反射的に身を引いた。近づいてはならないと、本能が警鐘を鳴らしていた。
『畏れることはない。夢を見るのは自由だ』
 しかし男は淡々と言い募った。

 手を取ってはいけない、耳を傾けてもいけない。わかっているのに体が動かない。すべてを見透かすようなその瞳から目が逸らせない。やがてその目はさらに細められた。氷の棘のような形をした目だった。
『拒む理由は、おまえにはない』と男は言った。『わかっているはずだ。おまえの居場所はもう、どこにもない』
 われ知らずはっと息を呑んだ。男の言葉を理解することを、脳が一旦は拒絶する。しかし直後、その言葉は不思議なほど簡単に腑に落ちた。居場所はない――そう言い切った男が唯一の正義だと、このときは確かに思った。
 差し出された男の手を取るときのサンユンに迷いはなかった。手をつないだその一瞬、父とそうして歩いた日々が脳裏を走馬灯のように駆け巡った。その幻覚を見たのを最後に、サンユンの視界は、男の髪と同じ色に染まった。




第四章 完




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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