蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 45. 掛け違えたボタン

長編 『蒼穹の果てに』

真に強い『心』を持った者同士が見つめ合うと、二人がたとえ敵対関係にあるわけではなくても火花が散るのだと、海はこのとき初めて知った。

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 外の騒がしさに気づいたとき、海たち三人は朝の身支度をしている最中だった。どんどんこちらへ迫ってくるように聞こえる足音が急に止んだかと思うと、次の瞬間、海たちの部屋の扉が何度も激しくノックされた。
「なっ、なに?!」
 洗面所で髪を梳かしていたところだった海は、驚いたはずみに櫛を落としてしまい、悪いことにそれが思いっきり足の小指を直撃した。悶絶するほど痛かったけれど、痛いと叫ぶ暇も与えないほど切羽詰まったノック音に、足を引きずりながらも急いで洗面所を飛び出した。

 光は部屋の奥の鏡の前でブラウスのボタンをきっちり第一ボタンまで留めようとしていて、風はメイドさんがいつもやってくれるというのに決して欠かすことのないベッドメイキングをしているところだった。どう見ても海が一番扉に近いところにいた。ノックの合間を見計らって扉を開けたのだけれど、どうやらタイミングが悪かったようで、外にいた人はバランスを崩し、あわや部屋の中へ倒れ込んできそうになった。
 海は悲鳴を上げかけたが、地面に激突する寸前で体を起こしたその人物が誰なのかがわかると、喉元まで出かかっていたそれは自然と引っ込んだ。
「アスコットじゃない。どうしたの、こんな早くか――」
「すぐ来て」
 アスコットは海に最後まで言わせなかった。彼の瞳は余裕を失っていた。海がきょとんと瞬くと、アスコットは早口で続けた。
「サンユンがいなくなったんだ」

***

「ゆうべまでは、確かに一緒だったのじゃ! それなのに、いつまでも帰ってこぬと思って外を見たら、いなくなっておって……!」
 大広間の扉を開けた途端、アスカの叫び声が耳を劈いた。思わず身を引いてしまうほど必死な声色だった。慌てて中へ入ったが、その瞬間目に飛び込んできた光景に、われ知らず足が竦んだ。玉座の前で、アスカが人目も憚らず泣き崩れていたのだった。
「アスカ様」
 チャンアンが困り果てた様子でアスカの背をさする。けれどアスカが顔を上げることはなかった。小さな背中が、より一層小さく見えた。
 海たちよりも先に知らせを受けていたのか、広間にはタトラ、タータの姿もあった。玉座にはクレフとフェリオが、そして二人の一歩後ろにはプレセアが立っていた。皆、沈痛な面持ちでアスカのことを見ていた。

 アスカの泣き声が、胸をギリギリと締めつける。自分まで泣きそうになって、海はその想いを振り切るように歩き出した。そのとき、視界の隅でクレフが手に持ったものをすっと胸元に収めたのを見たような気がした。けれどそれが実際に行われた行動だったのか、それとも目の錯覚だったのかどうかを確かめることはできなかった。
 海たちは玉座のそばまで行き、立ち止まった。玉座にいるフェリオに、視線だけでサンユンの行方を問う。フェリオは唇を噛みしめ、視線を遮るように俯いた。その悔しそうな表情だけで、答えとしてはじゅうぶんすぎた。
「クレフ……」
 その名を呼んだとき、海はまさに藁にも縋る思いだった。そこに最後の希望を託すような心持ちだった。けれどそんな海の気持ちとは裏腹に、クレフはちらりとも顔を上げず、ただ力なくかぶりを振った。それが「どこにもサンユンの気配は感じない」という意味であると、わかりたくもないのにわかってしまった。
「どうしてこんなことに」
 光が苦々しく言った。それは皆の気持ちを的確に代弁していた。
 沈黙が場を支配する。そのとき再び扉が開き、カルディナとラファーガ、そしてランティスが入ってきた。皆、海たちがそうだったように、くずおれているアスカを見て言葉を失った。

「わらわのせいじゃ」
 不意にアスカが呟いた。蚊が鳴くような声だったにもかかわらず、床に反響するためなのか、不気味なほどよく通った。
「わらわがもっとサンユンを支えてやっていればよかったのじゃ。そうすれば、サンユンがいなくなることなど」
「やめろ、アスカ」
 割って入ったのはフェリオだった。彼は玉座を降りると、アスカの目の前でしゃがんだ。それでもアスカはこうべを垂れたままでいる。構わずフェリオは言った。
「そんな風に自分を責めるな。アスカはじゅうぶんサンユンを支えてるよ。サンユンだって、アスカがいなかったら今の自分はないって、いつも言ってるじゃないか。あいつの気持ちは、アスカが一番よくわかって――」
「ならばなぜじゃ!」
 アスカがとうとう弾かれたように顔を上げた。
「ならばなぜ、サンユンは突然いなくなったのじゃ。こんな形で、わらわに何も告げずに。わらわに非がないのならば、黙っていなくなる必要などないじゃろうが。わらわが頼りがいのある君主であったなら、何でも相談してくれるはずじゃろうが」
「……アスカ」
 さすがのフェリオも絶句した。返す言葉がないというより、アスカの勢いに気圧されているようだった。
 瞬きをしたアスカの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。それはレッドカーペットを濡らし、そこだけ色が濃くなった。その部分を見ていると、まるでアスカの気持ちが流れ込んでくるようで、海は堪らず自らの胸元をぎゅっとつかんだ。

「わらわは最低じゃ。ずっとそばにおったのに、サンユンの心がまるでわからぬ。行き先の見当もつかなければ、姿を消す理由すら、思い浮かべることができないのじゃ。……側役一人の心情も理解できぬとは、君主としての威厳も何も、あったものではないわ」
「それは違いますわ、アスカ皇女」
 凛と響いたその声に、誰もがはっと顔を上げた。声の主はタトラだった。
「人の心というものは、そう簡単に理解できるものではありません。誰しもが、その人自身にしか理解できない心というのを持ち合わせているものです。たとえサンユンの心がわからないからといって、ご自分を責めるべきではありませんわ。逆に、君主だからといって側役の心が完全に理解できていると思うことがあるとすれば、それこそ傲慢というものです」
「おい姉様、そんな――」
「ただ」とタトラはタータを遮った。視線はアスカを捉えたままだった。「ただ、あなたとサンユンの絆は、ほんの短いお付き合いしかない私たちでも感じ取れるほど揺るぎないものです。それはおそらく、ここにいるすべての方が理解していることでしょう。あなたがサンユンのことを想っているように、サンユンもまた、あなたのことを想っているはず。そのことに、疑いの余地はありませんわ」
 タトラはそこでふっと表情を緩めた。彼女の視線は、まるで母親が娘を見守るときのそれのようだった。
「どのような理由があったにせよ、あのサンユンが、あなたを哀しませることをわざとやるとは思えません。サンユンのことが大切なら、信じましょう。彼はきっと、あなたのところへ戻ってきます」
 それでもアスカの表情は冴えない。タトラは身を屈め、泣き腫らして紅くなったアスカの鼻のてっぺんをちょんと突いた。
「あなたが信じなければ、誰がサンユンを信じるというの?」
 アスカははっと目を見開いた。微かではありながらその瞳に希望が宿ったのを、海は見逃さなかった。実際アスカは、涙に濡れた頬を袖で拭い、その場でしっかりと立ち上がった。そしてタトラを真っすぐに見上げて、
「そうじゃな」
 とはっきりうなずいた。
 色を取り戻したアスカの様子を見て、チャンアンがほっと胸を撫で下ろした。チャンアンのみならず、皆がタトラに救われていた。「彼はきっと戻ってくる」――タトラがきっぱりと言い切ったその言葉は、大広間の空気をがらりと変えた。

 そうだ、サンユンはきっと戻ってくる。あの従順なサンユンが、アスカを裏切るはずはない。海の中にも希望が芽生え始めていた。ところが、ふと玉座のクレフに目を向けた途端、その希望は蝋燭の炎が風に吹かれるようにあっけなく消し飛んだ。
 ほかは誰もがほっとした顔をしている中で、クレフだけは険しい表情を崩していなかった。それどころか、彼が眉間に刻んだ皺はどんどん深くなる一方で、安堵の色は少しも見えなかった。
 厭な焦燥感が海を駆り立てた。どうしてそんな顔をするの? 問いかけたいのに、その言葉は喉を突き破ってまでは出てこなかった。
 いや――と海は心の中でかぶりを振った。言葉が出ないのは焦燥感のせいではない。本当はわかっているのだ。クレフの顔色がなぜ晴れないのか、彼が何を考えているのか。なぜなら海だって、心の奥底では同じ疑念を抱いているからだ。二つの事件――ザズとサンユンの失踪には、つながりがあるのではないかと。

 そもそも失踪なんてそう簡単に起きることではないはずなのに、立て続けに二度も起きるなんて、偶然とは思えない。もしも二人の失踪が偶然ではなく意図的に仕組まれたもの、あるいは何者かが企てたものだったとしたら、これはオートザムやチゼータに限った問題ではなく、セフィーロやチゼータをも巻き込んだ、この世界全体の問題である可能性がある。海だって気づけたのだ、クレフほど聡い人が、そのことに気づかないわけがない。
 そのとき突然、ぞくりと背筋が粟立った。もしもここのところのクレフの不自然な態度がそのことに起因しているとしたらどうなるだろう。そもそもクレフが不自然な態度を取り始めたのは、ザズの失踪よりももっと前、そう、海たちが東京へ帰ることができなくなったあのときからだ。もしもあのときからすべてが始まっていたのだとしたら、もしもすべてのことにつながりがあるのだとしたら、この問題は、この世界だけに留まらないのではないだろうか。

 何か、自分たちが大きな渦に巻き込まれていくような寒気がした。まるで、得体の知れない巨大な敵が、背後から自分たちを見てあざ笑っているような――
「導師」
 突然背後から野太い声がして、海は大仰に肩を震わせた。タイミングがタイミングだけに、背筋を凍らせるには十二分だった。幸い声の主は得体の知れない敵などではなくランティスだったが、そうとわかった後もしばらくのあいだ、海の背中を伝う冷や汗は引かなかった。
 ランティスはたった一言呼びかけたきり、後は何も言わなかった。けれどランティスの言いたいことは、クレフにはその視線だけで伝わっているはずだった。ランティスはクレフに、彼の知っていることすべてを打ち明けてくれることを求めていた。それは周囲にいる海たちでもはっきりとわかることだった。いつの間にか、皆の表情から笑みが消えていた。
 ランティスの視線を受けたクレフは、けれどそれをそのまま跳ね返した。緊張が大広間を支配する。どくん、どくんと、鼓動の音が聞こえた。
 クレフはランティスから視線を外し、徐にぐっと首をもたげた。天窓から差し込む太陽の光が、クレフの持つ杖の宝玉に反射する。薄い水色の空を濃い群青の瞳に映したクレフの存在が、なぜか遠く感じた。

「タトラ、タータ」
 空を見上げたまま、クレフは唐突に口を開いた。
「はい」と二人の姫は同時に応じた。
「チゼータの民をすべて、セフィーロへ集めよ」
「え?」
 タトラとタータは瞠目し、互いの顔を見合わせた。海も思わず光、風を見た。一瞬にして全員の頭にクエスチョンマークが浮かんだ。「チゼータの民をすべて、セフィーロへ集めよ」。クレフは聞き間違いようがないほどきっぱりとそう告げた。けれどそれは、言葉としては理解できても、肝心の意味は理解できなかった。
「どういう意味ですか、導師クレフ」
 タータが訝しげに問う。クレフは首を元に戻すと、
「説明している暇はない」
 とぴしゃり言い放った。
「急げ。今すぐチゼータへ発ち、一日も早く民とともにセフィーロへ戻れ。住処のことは案ずるな。今はただ、すべての民を安全にこの国へ連れてくることだけを考えろ」
「グ……導師クレフ」
 カルディナが思わずといったようにクレフを呼んだ。そういえば彼女の母国はチゼータだったと、いまさらのように思った。
 クレフはカルディナを見、そしてうなずいた。そのうなずきが何を意味しているのか、海にはわからなかった。

「導師クレフ」
 タトラが一歩前へ出た。
「どういうことなのか、お話しいただくわけにはいかないのですか。何も告げずに、ただ民に『セフィーロへ行く』と命ずるのは、さすがに私にも無理があります」
 もっともな話だった。皆の視線がクレフに集まる。クレフはしばらく思案するように視線を落としていたが、やがて顔を上げ、苦虫を噛み潰したような表情でタトラを見返した。
「必要のないことかもしれない。これは、万一のことを考えた上での措置だ。だが」
 一度言葉を区切り、クレフは手に持った杖を握り直した。
「もしも最悪の事態が起きたとしたら、チゼータはもっとも甚大な被害を受ける可能性がある。危険な芽は少しでも摘んでおきたいのだ」
 刹那、広間の空気がピンと張り詰めた。クレフの口から「最悪の事態」という言葉が飛び出したことが、皆の心に大きな衝撃を与えた。クレフはただでさえ、普通の人では考えもしないような深いところまで物事を考える人なのに、そのクレフが考えつく最悪の事態――どんな恐ろしいことなのだろう。想像しただけで、全身の血の気が引いた。
「おまえたちがセフィーロへ戻ってきたときには、必ずわけを話す。約束しよう。だが、話せば長くなる。今はまず、セフィーロへチゼータの民がやってくることが先決だ」
 タトラはじっとクレフを見つめていた。ただ一度の瞬きさえもしなかった。二人のあいだには確かな火花が散っていた。真に強い『心』を持った者同士が見つめ合うと、二人がたとえ敵対関係にあるわけではなくても火花が散るのだと、海はこのとき初めて知った。

「わかりました」
 やがてタトラは言った。
「今すぐ国へ戻り、『プラヴァーダ』にて、全チゼータ国民をセフィーロへ連れてまいります」
「姉様!」
 思わず、といったようにタータが身を乗り出した。振り返ったタトラは、目を細めて笑った。
「わけを話すと、約束してくださったわ。今は導師クレフを信じましょう。どのような理由であれ、きっとチゼータのためを思って言ってくださっているはずよ。この方は、ご自身の損得のために動くような人ではないわ」
 タータがはっと息を呑んだ。それから彼女は一度クレフに目を向け、静かに身を引いた。タータが「わかった」と言うのを、その場にいた全員が聞いていた。
「ありがとう、二人とも」
 そう言ったクレフの声色だけが、唯一明るかった。それはこの場の深刻な雰囲気にはあまりにも不釣合いで、まるで、「クレフ」というボタンだけが掛け違えてしまったかのように、居心地が悪かった。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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