蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 48. 薄氷(うすらい)

長編 『蒼穹の果てに』

海ははっと振り返った。まさか、と呟いたつもりだったのに、また声になっていなかった。

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 昼日中だというのに、セフィーロ城の中は不気味なほど静かだった。回廊にはまるで人気がなく、海ひとりが歩く足音がずいぶんとうるさく響く。それなのに空は晴れているから、なんだか空と地上とのあいだには大きな隔たりがあるように感じてしまう。
 人々の意志の力がすべてを決める世界だから、沈んでいる人が多ければ、世界を漂う空気も自然と沈む。ほんの十日ほど前までは、隣の人が話している声が耳を近づけなければ聞こえないほど賑やかだったのに、今はそんな時期があったとは信じられないほど、国全体が静寂に埋もれていた。海は今日何度目かわからないため息をついた。

『実は、ジェオとも連絡が取れないんです』
 イーグルからそう打ち明けられたのは今朝のことだ。まさかザズ、サンユンに続いてジェオまでも失踪したのかと、その場にいた誰もがはっと息を呑んだが、「そうではないと思う」とイーグルは関連性を否定した。ザズたちのケースとは異なり、ジェオの場合はおそらくオートザム国大統領に捕らえられているとみて間違いないと、イーグルは言った。
『大統領の、セフィーロ進軍計画――それをジェオが僕に話してくれたときから、厭な予感はしていたんです。普通だったら、そんな重大な情報をあの大統領が簡単に漏らすわけがありません。ですがジェオはいとも簡単に大統領の計画に気づき、そしてセフィーロへ知らせに来ました。ひょっとしたら、すべては大統領の企てだったのかもしれません。「侵略を密告した」という理由を建前にすれば、ジェオを捕らえることも容易くなりますから』
 つまり、大統領は最初からジェオを泳がせて捕まえるつもりだった。イーグルの説明はわかりやすく、それでいてすんなり納得できるものでもあった。けれど海は、イーグルの話を聞いているうちにどうしようもなく哀しくなってしまった。彼があまりにも淡々と話すからだ。

 イーグルが言っていることは、即ち彼の実の父親が彼の親友を匿っているということだ。その惨酷な事実に心を痛めていないはずはないのに、イーグルはそんなそぶりはこれっぽっちも見せようとしなかった。それだけ心が強いということなのだろうけれど、海にはどうしても、イーグルは本心を隠しているように思えてならなかった。本当はイーグルだって、普通の父子として大統領と接したいのではないだろうか。冷静に大統領の心情を分析するよりも、「なぜそんなことをするのか」と、感情の赴くままに正面からぶつかりたいのではないだろうか。それが本来の親子のあるべき姿だと、少なくとも海は思う。でもイーグルはそうできない。イーグルが気丈に振る舞えば振る舞うほど、海の目には彼が泣いているように見えてしまって、胸が痛かった。


 それにしても、さっきから本当に一人もすれ違う人がいない。あまりの静けさに、厭でも二年前のことを思い出す。天候こそまるで違うものの、当時の回廊も、こんな風にすっかり静まり返っていた。真っ暗な回廊を当てどなく一人とぼとぼと歩いては、どうしようもない孤独に苛まれたものだった。そんな中でたどり着いた大広間で見た、クレフの笑顔。それにどれほど安堵させられたかということは、筆舌に尽くしがたい。あの笑顔を見れば、どんな不安もたちどころに掻き消えた。でも――でも、今は。
 クレフの心は揺らいでいる。彼は自分の気持ちをごまかすのが上手な方ではないから、隠したいことがあるときはすぐにわかる。今のクレフはとても頑なだけれど、それは裏を返せば、心の中に大きな揺らぎを抱えているということだ。それを隠そうとするから、不自然なまでの頑なさが表に出てしまうのだろう。でも、クレフの抱える揺らぎの起因するところが果たして不安なのか憂いなのか、あるいはもっと別のものなのか、肝心のそこのところがわからない。ただ、もしかしたら理由はひとつではないのかもしれない。
『チゼータの民をすべて、セフィーロへ集めよ』
 そう啖呵を切ったときのクレフの横顔には、それまでにはなかった決意が滲んでいた。迷いが完全に吹っ切れたわけではないにしても、あのときクレフは、それまで抱えていたあらゆる疑念のうちのひとつに対して答えを見つけたのだろうと思う。でも、その答えがどのような答えで、そもそも疑念すらどのようなものだったのかも、海には皆目見当がつかなかった。

 海はまだ16年しか生きていなくて、747年を生きているクレフの十分の一にも満たない。人生経験で圧倒的に劣っている自分を頼ってほしいなどと思うことは、おこがましいのかもしれない。実際、普段は専ら海の方ばかりがクレフに頼っているし、彼の存在を心の拠りどころにしていることも否めない。それでも海は、クレフにとって何の力にもなれない自分自身がもどかしくて仕方がなかった。どんな言葉なら彼の心に響くのか、それさえもわからない。考えれば考えるほど深みにはまって、ますます答えから遠ざかる。まるで終わりのない迷路だ。思わずため息をついたそのとき、外から爽やかな風が吹き込んできた。
 その風に誘われるように、海は足を止めた。柱に手を添え、外の景色に目を向ける。広がる絶景に、きれい、とわれ知らず言葉がこぼれ落ちた。
 遠くに見える海はエメラルド色に輝き、その手前の森は常に新緑を絶やさない。精霊や精獣たちがじゃれあい、子どもたちの笑い声がどこからともなく聞こえてくる。この美しいセフィーロが、海は心から好きだった。もう二度と失いたくないと思う。大人になっても、おばあちゃんになってもずっとセフィーロに来たい。でも、たとえば風のようにずっとこちらの世界で暮らすと決意できるほどその気持ちは強いのかと訊かれたら、首を縦に振ることはできなかった。

 もう二年以上もこちらの世界と関わりを持ちながら、心のどこかでずっと「自分たちは異邦人なのだ」という気持ちを拭えずにいる。それはおそらく海たちだけではなくて、クレフやフェリオをはじめ、こちらの世界の人も同じなのではないかと思う。海たちがこちらの世界へやってくるのは、多くても週に一度。そのたまの訪問が少しでも楽しいものになるようにと、たとえばクレフはいつも無理をして時間を作ってくれているのだろう。でも、クレフたちがそうして無理をしてくれるのは、彼らにとっての海たちが「お客様」だからだ。
 お客様に対しては自分たちの世界の美しいところだけを見せたいと思う、それは当たり前のことだろう。もちろん、こちらの世界の人たちが海たちのことを精いっぱいもてなそうとしてくれることは本当に嬉しい。でも、客人である以上、自分たちはこちらの世界のことについてあまり出しゃばってはいけないのではないかというブレーキがいつも効いてしまって、あと一歩踏み込むことを躊躇してしまうのだった。

 美しい国になったと思う。一時期は目も当てられないほど荒れ果てていたというのに、そうとは信じられないほど、この世界は煌びやかに蘇った。でもこの美しさは一朝一夕にして出来上がったものではなく、たくさんの人たちの血の滲むような努力があってこそだ。ここまで回復させるために、楽しいことばかりではなかっただろう。むしろ辛いことの方が多かったかもしれない。もしかしたら中には、今まさにオートザム軍が攻め入ってこようとしているように、セフィーロの現状を快く思っていない人もいるかもしれない。他国との交流が生まれたことによる弊害だって、ないとは言えない。けれど海たちは、そういうマイナス面はほとんど一切と言っていいほど何も知らない。なぜならお客様扱いされているからだ。

 海たちはまだ、この国に住む人にはほんの一握りにしか会ったことがない。おそらく避けられているのだということに、もはや疑いの余地はなかった。誰も口にはしないけれど、事情を知らないセフィーロの人たちにしてみれば、海たちは『柱』を殺した大罪人だ。ある意味かつてのセフィーロを崩壊させてしまったのはほかでもない海たちなのだ、その事実を知れば、こちらに怒りを向けてくる人がいないとも限らない。そういうことが起こらないように、おそらくクレフあたりが、海たちがこちらの世界へやってきているあいだは誰ともすれ違わないように慮ってくれているのだろう。
 そういう配慮をしてくれることも、すべてはクレフにとっての海たちがお客様であり守るべき存在だからだ。もしも隣に立つことを赦されている人であったなら、きっとこんな風に守られたりしない。セフィーロのよい面も悪い面も、すべてさらけ出してくれるはずだ。

 東京で暮らしていれば「早くセフィーロへ行きたい」と思うし、セフィーロに来れば「帰りたくない」と思う。セフィーロでの暮らしの方が、東京のそれと比べれば圧倒的に楽しいのだ。過去には辛い出来事があったことは事実だけれど、今はそんなことは何もない。この世界は東京よりはるかに魅力的だ。でもそう感じるのは、セフィーロに来ていれば「お客様」として扱われるからという理由がなきにしもあらずだと思う。
 セフィーロにいるあいだは、苦手な勉強のことも忘れていられる。仕事をしなくても衣食住に苦労はしないし、そんな生活が楽しくないはずはない。でも、ひとたびこのセフィーロで「生きていく」と決めたなら、もうお客様でいることはできないだろう。辛いことも苦しいことも、東京で暮らすのと同じようにすべて受け止めていかなければならない。いや、そもそも言葉や生活習慣がまったく違うのだから、東京で暮らすより何倍も大変かもしれない。それでもいいのだろうか。どんなに大変だとしても、それでも風はセフィーロで暮らしたいのだろうか。

「一度東京へ戻りたい」と風は言ったけれど、「一度」ということは、結局「セフィーロで暮らしたい」という願いそのものは変わっていないということだ。もちろん、風にとってはフェリオと一緒にいることが最大の幸せなのだろうから、彼女が望むとおりそうすることができたら一番いいとは思う。でも海は違う。海は風のように、東京を完全に離れてセフィーロで暮らすことは、決断できない。
 そもそも東京には両親がいるのだ。海が二人のもとを離れて暮らすと言ったら、両親はきっと淋しがるだろう。それに海だって、まだ両親のもとを離れたいとは思わない。与えてもらってばっかりで、その三分の一も親孝行することができていないのだ。私にはまだ東京でやることがある。今はそう思っている。でもかといって、セフィーロも捨てられない。
「どうしてセフィーロは、東京の隣にないのかしら」
 ため息交じりに呟いた言葉を、風がさらっていく。潮の匂いが鼻を抜ける。まるで慰めてくれているようで、海はそっとほほ笑んだ。
「だめね。つい悪い方にばかり考えちゃって」
 吹っ切るように言い、海は歩き出した。
 同じようなことを、いったいもう何度考えただろう。でもいつも、結局は堂々巡りをするだけで終わってしまう。それはつまり、今はまだ結論を出すようなときではないということなのだろう。それなら考えてもしょうがない。無理やり出した答えが最善のものになるとは、とても思えなかった。
 クレフにも言われたのだ、「急いで答えを出す必要はない」と。だったらゆっくり考えればいい。あんなに賢い風だって迷っているのだ、私が簡単に決断できるわけがない。
 そこで海は、思わず自嘲気味に笑った。結局また、私はクレフの言葉に支えられている。こんなんで「頼ってほしい」なんて、いったいどの口が言えるだろう。
 自分のふがいなさが恨めしい。早く大人になりたいなと思った。大人になって、堂々とクレフを守れるようになりたい。

 ふと、視線の先に人影が落ちた。
 辺りを吹く風の温度が急激に変わった気がして、気づいたら足を止めていた。何気なく顔を上げた海は、そこで言葉を失った。
 一人の女性が立っていた。素足に薄い絹のワンピースをまとっている。絹に負けないほど白い肢体はとても華奢で、手首などは、まるで軽く握ったら折れてしまいそうだった。
 波打つ豊かな銀髪が、絶えず風に揺れている。彼女の脇にできた影だけがくっきりと色濃くて、薄氷のような彼女自身とのギャップに、ぞくりと背筋が粟立った。とても美しく、そしてはかないひとだった。
「誰?」
 自分で自分の声に驚いた。真冬の雪原で口を開いたときのように掠れていた。

 それまで無表情だった女性が、不意にその真紅の瞳をすっと細めた。まるで知っている人に向けるような笑顔だったので、海は訝った。どこかで会ったことがある人だろうかと、記憶を手繰り寄せる。けれどすぐには思い出せなかった。じっくりその人の風貌を観察しようとしたけれど、そのときふと、女性の目が正確には自分を捉えてはいないことに気がついた。
 海よりも後ろに向かっている、その視線の先を追いかけようとするよりも早く、突然背後で大きな音がした。覚えず悲鳴を上げ、海は飛び上がるように振り返った。そしてそこに立っている人の姿を見止めたとき、もしかしたら悲鳴を上げた瞬間よりも驚いたかもしれなかった。
「クレフ……?」
 そこにいたのは間違いなくクレフだったのに、海の知っているクレフとはまったく違っているように見えた。それもそのはずだった。それほどまでに顔を真っ青にしたクレフを、海は一度として見たことがなかった。

 どうしたの、という言葉さえ出てこない。どくん、どくん、と耳の奥に鼓動が響く。そのときだった。とある人の言葉が、急に脳裏を走馬灯のように駆け抜けた。
『見知らぬ女の人が現れたら、気をつけて』
 海ははっと振り返った。まさか、と呟いたつもりだったのに、また声になっていなかった。




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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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