蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 49. 招かれざる客

長編 『蒼穹の果てに』

強くなりたいのに、弱さを捨てきれない。その矛盾が、海の心をギリギリと締め上げる。海は唇を噛み、目の前のローブを強くつかんだ。

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 もしも雪女が実在していたとしたらこんな気配をまとっているのではないかと思うほど、その女性が醸し出す気配は冷たかった。彼女は確かにほほ笑んでいるように見えるのに、表情と気配があまりにも釣り合わない。かといって無理に笑顔を取り繕っているようでもなければ、その笑顔の裏に冷徹な本心を隠しているというようでもない。しいて言うなら「『心』が見えない」、そんな感じがした。けれど海がほんとうに恐ろしいと思ったのは、読みきれない彼女の心ではなく、彼女の瞳が捉えているクレフの凍りついた表情の方だった。

 そんな風にクレフが感情をあらわにしたところを、少なくとも海は一度も見たことがなかった。それも、恐れと不安と哀しみに満ちた、プラスの感情が一切読み取れない表情。クレフと女性が見つめ合った瞬間、海はその空間から自分ひとりが切り取られてしまったように感じた。ここにはクレフとその女性の二人しかいなくて、私はその映像を離れたところから見ているただの傍観者。そんはなずはないのにそう感じてしまうほど、海はクレフを遠く感じた。その瞬間のクレフは、まるで『導師』であることをやめたように見えた。

「ウミ」
 そのクレフが、余裕を失った声で海を呼んだ。海は思わずはっと肩を震わせた。すっかり萎縮してしまい、返事をすることができなかった。喉が真夏の干上がった川岸のように渇き切っていた。
 クレフは瞬きもせず、離れたところに立っている女性のことを見据えている。まるで直前に見せた一瞬のうろたえが海自身の目の錯覚だったのかと思うほどに、クレフの瞳は輝きを取り戻していた。けれどそれでもまだ、いつもクレフには程遠かった。
「ウミ、私の後ろへ」
「え?」
「いいから早く。私の後ろへ来なさい」
 クレフは苛立ちを隠さずに早口でまくし立てた。そのクレフの口調は、海からも余裕を失わせた。冷静になって考えれば彼の言うとおりにするのが正しいことのはずなのに、このときの海は、自分がどうすればいいのかまったくわからなくなってしまっていた。行き場を失った視線が、自分を挟んだ男女のあいだを彷徨う。女性は相変わらず氷のような微笑を湛えていて、その表情には、まるで蝋人形のそれのように一抹の変化も起きていなかった。
「でも」
「彼女に近づいてはならない」
 いよいよクレフの声が荒ぶった。それは海が思わず舌を噛んでしまうほど強烈な言い方だった。
 自分が望む、望まざるとにかかわらず言われたとおりにしなければならないのだと、その瞬間いよいよ悟った。海は考えることをやめ、クレフのところへ向かって歩き出した。一歩踏み出すたびに足が震えた。頬を撫でる空気はまるでドライアイスのように、刺すような冷たさがありながらそれでいて焼けるように熱い。とにかくクレフの後ろにと、その一点にのみ意識を集中させた。ほかのことを考え出したら足が動かなくなりそうだった。

 クレフがローブを翻す。その後ろに立つと、あの刺すような冷たさを感じなくなった。今、目の前にはクレフがいてくれる。そのことはいつもありがたいと思っているけれど、今日ほど強く感じたことはなかったかもしれなかった。とても小さな背中なのに、後ろに庇われていると、計り知れないほど大きく感じた。
 ようやく普通に考えられるほどにまで頭の中の回路がほぐれてくる。そうすると、海の心にもやもやとしたわだかまりが広がった。私はまた護られている。「もっと頼ってほしい」と思っていたはずの人に、逆に私の方が頼り切っている。
 これでいいの? クレフの隣に立ちたいのではなかったの?――海は心の中で自分自身を叱咤した。でもどんなに奮い立たせようとも、体は思うように動かなかった。立ち上がればまたあの冷たい空気にさらされるのだと思うと、どうしてもクレフの背中から手を離すことができなかった。

 強くなりたいのに、弱さを捨てきれない。その矛盾が、海の心をギリギリと締め上げる。海は唇を噛み、目の前のローブを強くつかんだ。その直後、クレフの杖が鈴の音のような音を奏でた。
「なぜここにいる」
 クレフが言った。彼の手にした杖のリボンが風にはためく。海はクレフの後ろからそっと顔を出した。あの女性の姿が見える。彼女との距離は変わっていなかった。女性のドレスの裾とクレフのローブの裾が、同じ風に同じように揺れている。そのシンクロが、なぜか海の心を粟立たせた。
 あれ、と思ったのはそのときだった。「なぜここにいる」――クレフは今、女性に向かって確かにそう訊いた。それはつまり、彼女はここにいることを想定されていなかった人物で、言い換えればここではないところには彼女が存在することをクレフは知っていたということで、即ちクレフとあの女性とは面識があるということではないか。

 海はクレフの横顔を見上げた。けれど海が何かを言うよりも、女性がすっと一歩こちらへ歩み寄ってくる方が早かった。
 海ははっと息を呑んだ。たった一歩近寄ってきただけなのに、空気がまた温度を変えたのだ。ぬるい風の中に一筋だけ、冷たいそれが交ざり込む。女性が歩み出た、その動きはわかるのに、足音はまるで立たない。空気だけが揺らぎ、流れを変える。まるで、彼女の存在それ自体が魔法であるかのように。
 そのときにはもう、さすがの海もわかっていた。クレフの知り合いだろうがなんだろうが、このひとは危険だ。これ以上近づいてはいけない。
 そのことがはっきりすると同時に、強い不安も浮かんできた。クレフだって当然そのことをわかっているはずなのに、彼は杖を構えただけで、そこから何の対処もしようとしないのだ。魔法を紡ぐこともなければ、女性に話しかけることもない。ただ黙ったままそこに立ち、じっと女性の動きを見定めている。
 どうしたの、と海は無言でクレフの横顔に訴えた。そもそも海に対して自分の後ろへ来いと言ったことだって、女性が危害を加える存在だとわかっていたからではなかったのか。それなら何かしなければならないのではないか。このままでは、二人ともやられてしまう。

 不意に身の毛がよだつほどの寒気を感じた。顔を上げると、もう女性との距離が最初の半分ほどにまで縮まっていた。足元に伸びた影は、手が届くほど近くにあった。
 このままではいけない。何か起死回生の一手となるものはないかと、海はクレフの背中から手を離してショルダーバッグの中をあさろうとした。
『クレフ』
 鳥が囁くような声が、けれどその海の手を止めた。
 海は一度深呼吸をしてバッグの蓋を閉じた。そして落ち着け、と自分に言い聞かせた。何を混乱しているの、海。ショルダーバッグの中にいったい何が入っているというの。せいぜいソーイングセットが入っているくらいでしょう。そんなものでどうやって起死回生の一手が打てるというの。
 自分の不甲斐なさに涙が出そうになった。けれど泣いている暇などなかった。顔を上げると同時に、目の前にあったクレフの背中が大きく揺らいだのだ。
「クレフ!」
 海は慌ててその体を支えた。バランスを崩した杖がけたたましい不協和音を奏でる。その杖を持たない方の手で、クレフは自らの額を押さえた。顔を覗き込むと、こめかみに脂汗がじっとりと滲んでいた。歯を食いしばったその様子は、明らかに尋常ではなかった。
「クレフ、どうしたの? しっかりして!」
 クレフの口が「だいじょうぶだ」と言葉を紡ごうとする。けれどそれが音となって発せられることはなく、開かれた口からはか細い息が漏れるだけだった。クレフがぎゅっと目を閉じる。汗の量が増え、額に触れた手が小さく震え始めた。彼を支える海の腕に掛かる負荷が大きくなっていく。

 その瞬間、海は心を決めた。せめて今この瞬間は、弱い私にさよならを告げる。このひとのことは私が護る。彼を傷つける者は、たとえ何であっても赦さない。
 海は抱きしめるようにクレフの肩を強く引き寄せ、そしてキッと顔を上げた。変わらない距離に立っている女性に対して、海ははっきりとした憎悪を感じた。誰かを憎むということをあまりしない海にとって、それはとても珍しいことだった。
「あなた、クレフに何をしたの」
 声と入れ替わるように冷気が体内へと入り込んできても、気にしてなどいられなかった。海は強い瞳で女性をにらんだ。彼女は答えない。それどころか海と目を合わせようとさえしなかった。まるでここには自分とクレフしかいないとでも思っているかのように、彼女の瞳はクレフのことだけを捉えている。そのことにも無性に腹が立った。海は立ち上がろうと膝に力を入れた。すると不意に袖をつかまれた。振り向くと、クレフの口が「ウミ」と動いた。きっと「だめだ」と言いたいのだろう。けれどそう言われたからといってやめられるわけはなかった。海はクレフの手をそっとはがし、彼を自分の体で隠すようにして立ち上がった。
「あなたはいったい誰? 何が望みでここにいるの?」
 動いたのは女性の口ではなく足の方だった。彼女が一歩近づいてきたその瞬間、海は反射的に手を構えていた。
『水の龍!』
 二年ぶりに唱える『魔法』は、それでも当時の迫力を維持していた。水の流れが大きな龍となり、うねりながら真っすぐ女性へと向かっていく。ところがそこで思いがけないことが起きた。龍はそのまま女性を通り過ぎ、遠く城の外へと飛び出して消えたのだった。
「そんな……」
 女性は海の放った魔法など見なかったかのように、涼しい顔のまま一歩、また一歩と近づいてくる。魔法が効かないなら剣でと思ったが、その剣を取りだそうと翳した手の甲はまっさらだった。

 防具だ。防具が要る。幸いにしてそれを授けてくれる人がすぐ近くにいる。海は急いで振り返った。
「クレフ――」
 ところがその瞬間、海の全身から血の気が引いた。当のクレフが、その場にうつぶせで倒れていたのだった。
「クレフ!」
 海は慌ててクレフの体を抱き起した。彼は眉間に皺を寄せ、頬に汗を流していた。まるで熱に浮かされているかのように息が荒い。閉じられた目は何度名前を呼んでも開かず、薄い唇は、言葉の紡ぎ方を忘れてしまったかのように青ざめている。
 はっと前を向けば、女性がもうすぐそこにまで迫っていた。海はもう一度魔法を唱えた。けれどそれは先ほどと同じように女性の体を素通りし、空へと吸い込まれていった。

 女性との距離が縮まるにつれて空気が一度ずつ温度を下げ、海の体の表面から体温を奪っていく。もはやどうしようもない。魔法が効かず、剣もなければ戦えない。戦えないなら逃げるしかないが、クレフを置いて逃げることなどできるわけもない。海はせめてもの抵抗に、今の自分にできる精いっぱいの強がりで女性をにらみ上げた。もう、クレフを抱いた指先に力が入らないほどにまで冷気が辺りを覆っている。口を開けば体の芯まで凍りつきそうだった。
 女性の手が静かに伸びてくる。その手に触れられたら凍りついてしまうかもしれない。恐怖で歯が鳴る。海はより一層クレフを強く抱きしめた。いよいよ女性の手が肩に触れようとする。ところがその直前、海の目の前に天から何かが落ちてきた。

 さっと手を引っ込めた女性の視線が初めてクレフから離れ、同時に彼女の表情から笑みが消えた。そうさせたのは今まさに落ちてきた「それ」――いや、「その人」だった。女性にとっては招かれざる客であったらしいその人の後姿に、海は怒りも忘れて瞬いた。
「え?」
 そこに立っていたのは年端も行かぬ小さな女の子だった。しゃがんだ海にさえ追いつけないほどの背丈しかない。顔は見えないが、その長くふんわりとしたペールグリーンの髪には間違いなく見覚えがあった。何度か見かけた、あの不思議な女の子に違いなかった。
「あなた――」
 紡ぎかけた言葉を遮るように、女の子が徐に手を伸ばした。小さな掌は真っすぐに女性を向いていた。女性がはっと身じろぎする。直後、視界を焼くようなまばゆい光が爆ぜた。冷気を吹き飛ばすような風が吹く。海は咄嗟にクレフを庇うようにして抱きついた。強い風に、床に投げ出されたクレフの杖の装飾が揺れる。風鈴のような音が鳴り響く。閃光も爆風も、その威力たるやすさまじかったが、どちらも一瞬で止んだ。そしてそれらが止むと同時に、遠くからバタバタと駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。
「海ちゃん!」
 聞きなれた声に、海ははっと顔を上げた。すると回廊の向こうから血相を変えた光がこちらへ向かって走ってくるのが見えた。後ろにはランティスもいる。二人の姿が見えたことが、泣きそうなほど嬉しかった。
「光――」
 けれど次の瞬間、海ははっとわれに返り唾を呑んだ。下手に近づいてこない方がいいのではないか。もしも二人もあの冷気に当てられてしまったら――
 はた、と海は瞬いた。そういえば、冷気を感じない。
 恐る恐る振り返った海は、けれど唖然とした。そこには誰もいなかった。あの女性も、そして突如現れたあの女の子も。まるで今見たことすべてが白昼夢だったかのように、目の前にはただ、はるか先まで続く長閑な回廊があるだけだった。

 不意に腕の中でクレフが動いた。はっと見下ろすと、海のブラウスの袖をつかむクレフの手が震えていた。
「クレフ」
 彼のもう一方の手をつかみ、海は身を屈めた。クレフの口が微かに動く。膝の上に抱いたその体があまりにも軽いことに、いまさら気づいた。
「――」
「え?」
 うわごとのように一言だけ呟いて、クレフは意識を手放した。一瞬まさかと肝を冷やしたが、どうやら気を失っただけらしい。けれどほっとしたのもつかの間、耳の奥に、掠れたクレフの声がはっきりと蘇った。
「『エリーゼ』……?」
 クレフは確かにそう言った。けれど海には覚えのない言葉だった。そのときちょうど光とランティスが目の前にやってきたので、海は顔を上げた。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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