蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 51. 余韻

長編 『蒼穹の果てに』

漂ってくるカレーの匂いは別世界のもののように、およそ現実味がなかった。

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 夜の帳が下り、世界は闇に包まれる。闇を闇だと認識できるのは、相対する光が存在するからだ。その光は唐突に燈った。じっと見つめていたクレフの顔がほんのりとした明かりに照らし出され、首元にくっきりと影ができた。
「導師の頬に穴が空きそうですな」
 振り返ると、フーガが天井からぶら下がる短い紐を持って立っていた。含み笑った彼に言われた言葉の意味を認識した海は、途端赤面した。咄嗟に反論しようとしたけれど、否定できないことに気づいて何も言えなかった。この数時間、空の色の変化にも気づかずこうしてただじっとクレフのことを見つめたまま過ごしたことは、紛れもない事実だった。

 フーガが手に持った紐を軽く引くと、ベッド周りだけではなく部屋全体にほんのりとした間接照明が燈った。照明はどれも宝石のそばに設置されているらしく、宝石を通した明かりが壁や床、天井に反射し、まるで万華鏡の中に迷い込んだかのように、部屋全体が美しく輝いた。
「きれい……」
 その煌びやかな明かりに海が見惚れている傍らで、フーガが紐から手を離した。それを見て、ふと思った。
「魔法は使わないのね」
 東京であれば、紐を引いて明かりをつけるということは珍しくもなんともないことだけれど、セフィーロでは逆にほとんど誰もやらないことだ。たとえばクレフなら、杖をさっと一振りしただけで大広間の明かりをすべてつける。セフィーロは魔法の国だ。明かりをつけたり消したりというのはさほど難しい魔法でもなさそうだし、なんとなく、この国では誰でもそうするのだろうと思っていた。
「私は魔導師ではないゆえ」
 フーガはさもないことであるかのようにそう答えた。直後、彼はふと顔を上げ、目を細めた。その視線の先を追いかけるように海が後ろを振り返ったのと時を同じくして、部屋の扉がノックされた。
「あなたさまのお客のようじゃな」
「え?」
「出ておやりなさい」
 海はためらった。たとえ片時であっても、今はクレフのそばを離れたくなかったからだ。
 倒れたときに比べればだいぶ顔色はよくなったけれど、目を覚ますまでは安心できない。それに何より、クレフが目を覚ます瞬間にはそばにいたかった。そんなわけで重い腰を上げずにいると、フーガがくつくつと喉の奥で笑った。
「案ぜられるな。二、三分で目を覚ましたりはせぬよ」
 心の奥まで見透かされたようで、恥ずかしかった。海はつい今しがたまでの腰の重さが嘘のような動作でぱっと立ち上がり、足早に扉のところへ向かった。扉を開ける前に一度振り返ると、フーガがクレフのベッドの奥にあるキャンドルに腕を伸ばしているのが見えた。

 見た目よりも軽い扉を、そっと顔の幅に開く。目の高さに見えたのは、背後に広がる闇と同じ色合いの鎧だった。顔を上げると、真っ青な瞳と目が合った。
「……ランティス」
 意外なような予期していたような、どちらとも言えない訪問者は、海を見て驚いたように目を見開いた。けれどすぐに落ち着きを取り戻すと、彼は一度ちらりと部屋の中を窺ってから海に目配せをした。外に出るよう促しているのだとわかって、海はもう一度だけフーガの様子を確かめてから外へ出た。閉めた扉にそっと寄りかかると、まるで『精霊の森』に聳える木にもたれ掛かっているような安心感があった。
「導師クレフは」
 ランティスの声は緊張を孕んでいた。海は黙って小さくかぶりを振った。ランティスはふっと短く息をつくと、漆黒のローブの下で腕を組んだ。
「なぜおまえが出た?」
「え?」
「ここは薬師(ディル)の部屋だ。それなのに、なぜおまえが応じたのだ」
 ああ、と海は微笑を刷いた。
「その彼に頼まれたのよ。私を訪ねてきた人だから出てやりなさいって」
「薬師が?」
「ええ。そうじゃなかったら、私だって自分から出たりしないわ」
 ふむ、とランティスは思案顔をした。どこか煮え切らない彼の態度に、海は小首を傾げた。
「どうしてそんなこと、気にするの?」
 ランティスの双眸が海を捉える。彼につられて海も無意識のうちに瞬きを忘れていた。まるで我慢比べのような見つめ合いが続く。実際にはほんの数秒のことだったのだろうけれど、まるで何分も経過したかのような時間が流れた後、ランティスは一度ゆっくりと瞬いた。そして、
「おまえがここにいることを、あまり人に知られたくない」
 と言った。
「え?」
「正確に言えば、導師クレフの所在を知られたくない。ヒカルにも、今日見たことは決して他言しないよう伝えてある。だからおまえも、仮に誰かがここを訪ねてきたとしても、極力応じるな」
「どうして……」
「余計な混乱を生まないためだ」とランティスは言った。「オートザムの一件やザズたちの失踪で、皆、ただでさえ神経を尖らせている。ここで導師クレフの体調が芳しくないなどということが知れ渡ったら、この国自体が揺らぐ」
 海ははっとした。そうだった。クレフのことに気を取られてすっかり頭から抜け落ちていたけれど、今のセフィーロは、オートザムがいつ攻め入ってきてもおかしくないという緊迫した状況下にさらされているのだ。加えてザズとサンユンが行方不明で、ジェオとは連絡が取れない。数日後にはチゼータからの避難民がやってくることになっており、その受け入れ準備もしなければならない。そこにさらにクレフの不調というメガトン級の衝撃が加えられたら、ランティスの言うように、皆の気持ちが不安定になることは必至だ。

 クレフはこのセフィーロ城を建立するときにその半分以上を自分ひとりの心で支えたという。セフィーロの人たちにとってクレフの存在は、物理的な支えとしてはもちろんだけれど、それ以上に心の支えとなっている側面が大きい。彼がいれば安心だと、たぶん誰もが思っている。逆に言えば、クレフの状態が不安定になってしまえば皆が心の拠りどころを失ってしまうということだ。今そんなことになったら、セフィーロは外からの攻撃を待たずして自滅してしまう。
「わかったわ」と海はうなずいた。「フーガにも話して、私もクレフもここにはいないっていうことにしてもらうわね。そうした方が、何かと面倒じゃないでしょう」
 もっとも、フーガにはわざわざ告げる必要もないかもしれない。彼はかなり洞察力が鋭い。今だって、扉の外にいたのがランティスだとわかっていたから海に出るように言ったのであって、仮に相手が別の人間だったとしたら、海を行かせるようなことはしなかっただろう。
「クレフもだいぶ顔色がよくなってきたし、目を覚ますまで、そんなに長くはかからないと思うわ」
 海が言うと、ランティスはようやくほっとしたような表情を見せた。そしてくるりと踵を返し、その場を去りかけた。ところがほんの数歩行ったところでランティスは立ち止まり、戸惑いがちにこちらを振りかぶった。
「あのとき、女がいたか」
 どきりとした。ランティスはたった一言「あのとき」と言っただけなのに、それがどのときを指すのか瞬時にわかってしまった。内心の動揺を悟られないよう、海は努めて平静を装いながらうなずいた。するとランティスの表情に一瞬緊張が走ったように見えた。
「何か話したことは」
「いいえ、何も。クレフは知ってる人みたいだったけど」
「導師は何と?」
「『どうしてここにいるのか』って、訊いていたわ。それと……最後に、『エリーゼ』って」
「『エリーゼ』?」
「うわごとみたいに呟いたの。あの人の名前なのかも」
 ランティスは眉間に皺を寄せ、むつかしい顔をした。
「心当たりがあるの? ランティス」
 すぐには答えは返ってこなかった。けれどやがて吹っ切るようにかぶりを振ったランティスは、
「いや」
 と短く答え、今度こそ足早に去っていった。


 ランティスの後姿を見えなくなるまで見送ってから、海はフーガの部屋の扉を開けた。すると新鮮な薬草の香りが海を出迎えた。ちょうどフーガが、中身を取り替えたキャンドルを窓枠に置いているところだった。
「お嬢さん」
 海がそばまで行くと、フーガは小ぶりのバケツを差し出した。
「勝手口から出てすぐ左に折れたところに、井戸がある。そこの水を汲み、額に絹を乗せておやりなさい」
 もはやフーガの行動にいちいち疑問を持ったり驚いたりすることはなくなっていた。「はい」と素直に応じ、海はバケツを受け取った。
 外へ出ると、言われたとおりの場所に小さな井戸があった。小さいころに観たジブリ映画に出てきたそれによく似ていた。バケツを置いて、レバーを上下させる。流れ出てきた水は驚くほど透明で、かすかに碧がかっていた。よほどきれいな水なのか、流れ出たそれに、どこからともなく蝶が寄ってきた。七色の羽の輝きが闇に彩を添える。もうすっかり、夜だった。

 バケツを手にフーガの部屋まで戻る道すがら、クレフのことを考えた。倒れたクレフを抱き上げたとき、ランティスは「ひどく心を消耗している」と言った。そのとおりの様子ではあったし、フーガもその後似たようなことを言っていたので、特に疑問を持つことはなかった。でも改めて考えてみれば、不自然と言えば不自然なことだ。どうしてクレフは、そこまで心を消耗したのだろう。
 あのときのクレフは、たとえば大きな魔法を使ったわけではなかった。杖を手にはしていたけれど、それを振りかざすことはしなかった。あのとき起きたことといえば、あの女性がクレフの名前を呼んだことくらいだ。仮にあのことが引き金になったとして、誰かに名前を呼ばれただけで倒れるなんてことがあるだろうか。しかも普通の人ならいざ知らず、クレフはこの世界で最高位の魔導師なのだ。ちょっとやそっとのことで倒れるなんて考えられない。でも実際クレフは倒れ、今も目覚めずにいる。クレフにとっては、それだけあの女性との邂逅が大きな衝撃だったということだろうか。

 気になることはほかにもある。海たちが追い詰められたときに突如姿を現したあの女の子のことだ。女の子が現れた直後、事態は急展開した。ほんの一瞬の出来事だったので、何が起きたのか海自身よく覚えていないが、突然目映いばかりの光が爆ぜたことは確かだ。あの光は女の子が放ったものだったのだろうか。その光のせいで女性が姿を消したのだとしたら、あの女の子はいったい何者なのだろう。海の魔法はあの女性には何の影響も及ぼさなかったのに。
 謎ばかりが増えていく。それまでの謎がひとつも解けないまま新たに謎がどんどん積み重なっていく今の状況は、想像以上にストレスフルだ。こぼれたため息の重たさに、また別のため息が出そうだった。

 勝手口の扉を開けると、厨にフーガの姿があった。いつもは鉄瓶がかかっている火に、今は大きな鍋がかかっている。薬草とは違ういい香りが漂ってきて、海の鼻をくすぐった。すると途端に自分の中から風船が萎むような音が立ったので、海は思わずぱっとお腹を押さえた。フーガがちらりとこちらを見て、肩を揺らしながら笑った。
「特製薬膳カレーは、いかがかな」
 そういえば、昼食を取ったきりかれこれもう九時間は何も口にしていない。こんなときでもお腹は空くんだと思うと、なんだか泣きたくなった。「いただきます」とはにかみながら答えて、海は足早に部屋へ戻った。バケツを満たした水を、早くクレフのところに届けたかった。不思議な力のある水だということは、手に持っているだけでも伝わってきた。

 テーブルにバケツを載せ、あらかじめフーガが用意してくれていたタオルを浸す。見た目は普通の水なのに、まるで手に吸い付いてくるような感触があった。軽く絞ってベッドへ足を向ける。ところがふと顔を上げて、海は思わず喉の奥で悲鳴を上げた。ベッドサイドに人影があったのだ。
「あなた……」
 その影の主を見て、海は息を呑んだ。それは、あのとき海たちを庇うようにして突然目の前に現れたあの女の子だった。
 女の子はベッドサイドに立ち、じっとクレフのことを見つめている。その表情はペールグリーンの髪に隠れてよく見えないけれど、遠くから見たときよりもずっと大人びているように見えた。
 どうして、いったいどこから。湧き上がった疑問は喉元でこんがらかり、どれも言葉にならなかった。

「――」
 不意に女の子の口が動き、何か言葉を紡いだ。一度では聞き取れず、「え?」と海は瞬いた。すると女の子の色素の薄い唇がふわりと息を吐き出し、
「『願い』に」
 と言った。
 見た目の年齢にはふさわしくない、とても低い声だった。その声は妙に海の心の奥深くまで沁み込んだ。
「『願い』って――」
「お嬢さん」
 女の子に問い返そうとしたとき、まるでそれを遮るかのようにフーガに呼ばれた。
 振り返ったのは条件反射のようなものだった。必要以上の勢いがついていた。振り返ってからわれに返り、海ははっとしてもう一度振り返った。するとそこにはもう、女の子の姿はなかった。
 たった一言「『願い』に」と言っただけだったのに、女の子の声はいつまでも海の前を揺蕩っていた。女の子が立っていたところが、まるでぽっかりと浮き上がっているように見える。漂ってくるカレーの匂いは別世界のもののように、およそ現実味がなかった。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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