蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 52. 領域(エリア)

長編 『蒼穹の果てに』

結局のところ、まさに「迷っている」のだ。生きるか死ぬか、単純な二者択一に思えるのに、その選択がこれほど難しいことだとは思わなかった。

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 どうしても夢が見たいと思って眠るときに限って、くだらない夢の断片すら見ないまま朝がやってくる。そんな夜を、もう幾度越えてきただろう。人生とは天邪鬼との戦いだ。そして往々にして負け戦だ。けれど今夜ばかりは負けるわけにはいかなかった。どうしても夢を見たい。見なければならない。そのためイーグルは作戦を立てることにした。「どうしても見たい」と思いながら眠ると失敗するのなら、「今日は夢など見なくていい」と思いながら眠ればいい。だから一生懸命、まるで呪文のように心の中で「今夜は夢は見なくていい」と唱え続けていた。しかしそれは、とてもかつては最高司令官の名をほしいままにした男が考えたとは思えないほど稚拙な作戦だった。「『夢など見なくていい』と唱え続ける」ということは、「どうしても夢が見たいと欲している」ということと同義だ。結局のところ、イーグルがやっていることは子ども騙しの言葉遊びに過ぎなかった。

 夢の中で出逢った、一人の娘。思えば彼女には、出逢ったときから質問ばかりしていたような気がする。娘を包む「謎」というヴェールは会うたびに頑丈さを増し、娘に霞をかけた。一枚でいいからそのヴェールを剥がしたいと思った。一枚でも剥がすことができたなら、きっと娘の真実に触れることができるだろうと。だが今、イーグルはその自らの考えが甘かったことを認めざるを得ない状況に陥っている。一枚のヴェールを剥がすということは、その奥に包まれている娘の真実を明らかにする手がかりなどではなかった。むしろ、その一枚と引き換えに娘はより謎多き存在となってしまった。たったひとつ、彼女のことを知っただけで、娘に訊かなければならないことは膨大に膨れ上がった。

 今夜ほど娘に会うことを渇望した夜は、かつてない。イーグルはそんな己の心を自覚していた。だからこそ、きっと無理だろうとほとんど諦めの境地に立っていた。今夜も負け戦だ。どうしても彼女に会いたいという気持ちを隠し切れない時点で勝ち目はない。そう思っていた。ところがその晩、予想に反してイーグルは勝ち名乗りを上げることになった。
 そっと目を開けると、あの乳白色の空間が広がっていた。泣きたいほどに嬉しかった。こんな何もない空間にこれほどの感激を覚えることができる人間など、世界中を探してもおそらくイーグルだけだろう。イーグルは急いで娘を探した。視界を遮るものが何もない空間では、それは数秒とかからずにできることだった。娘はやや離れたところで地面にしゃがんでいた。彼女は今日も、前に会ったときと同じように大輪の花を抱えていた。

 最初は一輪だけだった花だが、娘がそっと目の前に腕を伸ばすとどこからともなく同じ花が現れ、二輪になった。まるでそこに活けられている花を摘んでいるかのようだった。そのごく自然な流れを見て、やはりこの空間にはもっとたくさんのものが存在しているのだろうとイーグルは確信した。娘が摘んでいる花は、イーグルの目には突如彼女の手の中に現れたように見えるが、本当はそこに活けられているに違いない。その活けられた場所が花壇なのかそれとも森の中なのかはわからないが、ここにもきっと当たり前のように「世界」があって、それがイーグルには見えていないというだけなのだろう。
 どうしてイーグルの目には娘しか映らないのか、気にならないと言えば嘘になる。けれど今は、それよりももっと重要な、確かめなければならないことがある。イーグルは静かに娘へと歩み寄った。彼女のパーソナルエリアに踏み込む手前で足を止め、花を摘み続けている彼女の横顔をじっと見つめる。間近で見ると、その肌は透き通るように白かった。
「あなたは、『エリーゼ』ですか?」
 娘の手が、一瞬ぴたりと止まった。けれどそれは本当に一瞬のことだった。直後、彼女は満足そうに笑みを深め、もう一輪花を摘んだ。
「ようやくわかったのね」
 娘はゆっくりと体を起こした。その腕には五輪の花が抱かれていた。娘はイーグルを真っすぐに見返すと、確かめるようにひとつうなずいた。その瞬間、イーグルは自分の中で何かが音を立てて崩れるのを感じた。彼女が「エリーゼ」と呼ばれる人物であるということ。わかっていたはずのことだったのに、その事実は想像以上にイーグルを打ちのめした。

 イーグルは一度深呼吸をした。
「あなたを見たという人がいます」
 吸い込んだ息を吐き出すときに言葉が一緒になってこぼれ落ちた、そんな感じの話し方になった。
「その人は、あなたの気配は普通ではなかったと言っていました。つまり……生きていることが、感じられなかったと」
 思えば最初から違和感を抱いていたのだ、エリーゼの足元に影がないことに。だから「その可能性」は、最初からイーグルの中にあってしかるべきだった。けれどイーグルは知らないふりをし続けた。できることなら触れずに終わりたかった。けれどもう、無視できない。
「あなたは」とイーグルは声を押し出した。「死んでいるのですか?」
 否定してほしかった、どうしても。そのイーグルの想いは、交わった視線だけでエリーゼにもじゅうぶん伝わったはずだった。けれどエリーゼは否定も肯定もしなかった。きっぱり否定されなかったことにイーグルは少なからず打ちのめされたが、同時にはっきりと肯定されたわけでもないことに救われてもいた。まだ望みはある。内心で自らにそう言い聞かせると、大きな疲労感を覚えた。イーグルは息を吐きながら視線を落とした。

「決めかねているのね。あなたは」
 その言葉は唐突に響いた。「え?」と顔を上げたイーグルは、思わずはっと息を呑んだ。こちらを射抜く真紅の双眸と目が合った途端、まるで金縛りに遭ったかのように体が動かなくなった。
 二人のあいだに、鳴らないピアノを置かれたような沈黙が横たわる。イーグルにとっては大きな存在だったその沈黙だが、エリーゼにとってはさもないものなのかもしれなかった。彼女は沈黙などものともせず一歩を踏み出した。直後、イーグルの背筋が粟立った。近づいてきたエリーゼが、ためらいもなくイーグルのパーソナルエリアに入ってきたからだ。
 目の前で立ち止まったエリーゼは、その白い手を静かにイーグルの胸元へ向かって伸ばしてきた。彼女の生死を疑ったことがばかばかしくなるほど、その爪は健康的なピンク色をしていた。エリーゼの手は、イーグルの胸に触るその直前で止まった。文字どおり指一本触れていない。それなのにその瞬間、まるで心臓をわしづかみにされたかのように、全身の血液が煮立った。
「あなたの『ここ』は、まだ迷っているのね。生きるべきか、死ぬべきか」
 刹那、全身から血の気が引いた。再び鼓動が脈を打ち始めたとき、血が、それまでとは逆方向に全身を巡回し始めたように思った。
 エリーゼの手が胸元から離れていく。その手の動きを追いかけながら、イーグルは何も言えなくなった。

 目覚めるために足りないものは何なのか、本当はわかっている。使いすぎた精神エネルギーが回復することでも、イーグルの目覚めを願ってくれる人たちの祈りの力でもない。どちらもじゅうぶんすぎるほどにある。だがイーグルはまだ目覚めることができない。なぜなら心の底からそれを望んでいるとは言えないからだ。「生きたい」という強い願い――イーグルに足りないのは、その想いだった。
 新しい世界を見たい、光やランティス、クレフたちとともに生きていきたいという気持ちは確かにある。エメロード姫がいたころを凌ぐほどの美しさを取り戻したというセフィーロをこの目で確かめたいとも思う。今は耳でしか感じることのできない鳥の囀りや波の音、木々の囁きを、五感を使って楽しみたい。けれどその一方で、このまま永遠の眠りに就いても構わないという気持ちがあるのも事実だった。目覚めた自分を待ち構えている苦難の数々を思うと、その気持ちは大きくなるばかりだった。
 この二年間に限って言えば、イーグルは美しいものにばかり囲まれて生きてこられた。そもそもセフィーロが美しい国だからということもあるが、それ以上に、周囲の人々が寝たきりのイーグルを慮って生臭い話を耳に入れようとしてこなかったという事実が大きい。けれどひとたび目を覚ましてしまえば、そうは問屋が卸さない。現実問題としてオートザム国大統領はセフィーロへの侵攻を企てている真っ只中であり、ジェオやザズとも音信不通の状態が続いている。それに、目を覚ましたら当然のようにオートザムへ戻らなければならないだろうが、今イーグルがあの国へ戻ったところで、果たして居場所があるのかどうか。くだらないしがらみの中で生きていかなければならないくらいなら、いっそのこと、このまま美しいものたちに囲まれて最期の時を迎えたい。そんなずるい欲望が、イーグルの中には少なからずある。そして今、そういったこと以上にイーグルをためらわせているものが、目の前にあった。

 もしもエリーゼが故人であり、この世界でしか生きられないというのなら、それだけでじゅうぶんイーグルが目を覚まさない理由になり得た。もしも生きることを選んだら、もう二度とこの世界へは来られなくなるだろう。そうなれば、エリーゼはこの世界に一人残されることになってしまう。もっとも、イーグルの目に見えていないというだけで本当はほかにももっとたくさんの人がこの世界にはいるのかもしれないが、たとえそうだとしても、今のままでエリーゼと別れてしまうということは、たとえ彼女がそれでいいと言ったとしても、イーグル自身が厭だった。イーグルにとってエリーゼは、この二年間で初めて出逢った希望の光だった。その光を置いて去ることなど、できるはずもない。そう強く思うほど、エリーゼの存在はいつしかイーグルにとってかけがえのないものになっていた。
 けれどその一方で、腑に落ちないことがあるのも事実だった。突如としてセフィーロ城に現れたというエリーゼ。仮にエリーゼがもう現(うつつ)の人ではないとすれば、つじつまが合わない。ランティスが教えてくれた話も局所的で、実際その場でどのようなことが起きていたのか、詳細なことまではわからなかった。そもそもランティスの関心は、エリーゼよりもクレフの方にあった。ほかの誰にも話していないという出来事を真っ先にイーグルのところへ知らせに来てくれたのは、エリーゼが関わっているからではなく、クレフが関わっているからだ。
 エリーゼの立場から今回の事象を捉えられる人間は、おそらくイーグルしかいないだろう。現実世界で起きていることは現実世界で確かめるしかない。そのためには目を覚ます必要があるのだという気もしてくる。
 結局のところ、まさに「迷っている」のだ。生きるか死ぬか、単純な二者択一に思えるのに、その選択がこれほど難しいことだとは思わなかった。

「導師クレフが、倒れたそうです」
 彼のことが脳裏を過ったせいか、気がつくと言葉が口をついて出ていた。
「あなたと導師クレフは、どのような関係なんですか」
 もはや二人のあいだに何らかのつながりがあることは明白だった。エリーゼの風貌を口にしたときのクレフのうろたえぶり、そして今回、エリーゼの出現を受けて倒れたという事実。どちらも、少なくともクレフにとってのエリーゼがただの村人Aといったレベルの存在ではないことを示している。そしておそらく、エリーゼにとっても。
 以前、こうしてエリーゼとこの世界で会話をしていたときに、現実世界でクレフがイーグルのもとを訪れたことがあった。あのとき、エリーゼは「客だ」と言ってイーグルを強制的にこの世界から排除した。そのときエリーゼが浮かべた表情は、いつ見るときとも違っていた。ほんの一瞬だったが、彼女の浮かべた艶やかな笑みは、クレフがエリーゼにとって特別な存在であることを暗示していたのだろうと、今になってイーグルは思う。

 倒れてから六時間以上が経つ今も、クレフは目を覚ましていないという。クレフのそばにずっとついているという海は、今ごろどんな思いでいることだろう。考えただけで胸が痛んだ。
『クレフが何を考えてるのか、全然わからないの』
 震える声で海がそう訴えたあの晩からはまだ幾日も経っていないはずなのに、気が遠くなるほど昔のことのような気がした。前からうすうす感づいてはいたが、海のクレフに対する気持ちについて確信を得たのはあのときのことだった。
 誰よりも繊細な心を持ちながらその心を表現することが必ずしもうまいとは言えない彼女の恋を、心から応援してやりたかった。そしてそのためには、周囲の人間があれやこれやと手を出さなければならないのだろうとばかり思っていた。何しろ相手はあの導師クレフなのだ。彼は747年という時間を生きていながら、愛だの恋だのということには無縁に違いなく、そしてそんな彼を想う海の気持ちが成就するまでには途方もない時間が必要に違いないと疑っていなかった。けれどひょっとしたら、それは的外れもいいところの推測だったのではないかと、このところイーグルは思うようになっている。クレフという人は、周囲が思っているよりもはるかに深く、そして良くも悪くも泥臭い心を抱えたひとなのではないだろうか。

 海も自分と同じ予感を抱いているのだろうという確信があった。彼女の力になれるのならば、なんでもいいから伝えてやりたいと思う。その手がかりは目の前の娘が握っているに違いないのに、エリーゼはほほ笑むだけで何も言わなかった。
 つい今しがた、触れそうで触れないところで止まった彼女の手が、まだ目の前に翳されているような気がした。手を伸ばせば簡単に捕まえられるほど近くにエリーゼはいるのに、どうしてもその手を伸ばすことができない。二人の領域には決定的な線引きがあり、それを越えることは赦されていないように感じた。けれど自分と彼女を隔てているものがいったい何なのか、イーグルにはわからなかった。




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篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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