蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 53. 重すぎた約束

長編 『蒼穹の果てに』

希望の灯火が、たとえ軽く息を吹けば消えてしまうほどに儚いものだったとしても、その小さな明かりを、クレフはどうしても守りたかった。

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 クレフが初めて杖を手にしたのは10歳のときだった。今でこそ、特に強い力を持つ魔導師は杖か、もしくはそれに準ずるものを持つのが当たり前になっているが、当時のクレフにとっては苦肉の策だった。まだ幼かったクレフは、手を翳すだけで魔法を使うことができた大人たちとは違い、魔法を使うときに一箇所に力を溜めるということがうまくできなかった。その「力を溜める」目印として考えたのが、「杖を使う」ということだった。杖を使い始めるとクレフの魔法は格段に威力を増したが、杖がなければ強い魔法を使えないということは、クレフにとっては屈辱だった。何しろほかの魔導師は皆、そのようなものがなくてもクレフとは比べ物にならないほど強力な魔法を放つことができるのだ。
 悔しくて涙を流した日もあったが、やがてクレフは、その悔しさを力に変えることを覚えていった。すべては強くなるためだった。そのためには、なりふり構ってなどいられない。見てくれが悪くても、それで強くなれるなら耐えられる。師匠のいない修行は試行錯誤の連続で、決して楽な道のりではなかったが、弱音を吐いたことは一度もなかった。そうまでしてもどうしてもかなえたい強い『願い』が、当時のクレフにはあったのだ。

 一口に「杖」と言っても、最初に手にしたのはただの木の枝も同然のようなものだった。力を溜める目印になればいいだけの話だったので、最初はそれで事足りていた。ところがすぐに問題が生じた。クレフ自身の魔法力が増していくうちに、軟弱な枝ではその力を溜める役割をじゅうぶんに果たすことができず、魔法を放つ前に壊れてしまうようになったのだ。
 何かもっと頑丈なものがなければならない。しかしなかなかどうしてそんなものを見つけるのは容易くなかった。石は頑丈だが重たい。まさか大木を一本丸ごと持ち歩くわけにもいかず、そうしているうちに、魔法の修行そのものが暗礁に乗り上げた。まるでクレフが強くなることを邪魔するかのように、次から次へと問題が立ちはだかる。クレフは憤慨していた。そんなある日、クレフのもとに、ふと気まぐれに『主』がやってきた。
「形あるものはいつか壊れる」と『主』は言った。「魔法は『意志の力』で編み出すもの。それならば、その魔法を駆使するものもまた、『意志の力』で生み出されるべきではないか」
 魔法を教えてくれようとしない『主』を恨むのは金輪際やめようと、このときクレフは心に誓った。まるで目の前でシャボン玉が弾けたような衝撃があった。そうだ。ふさわしいものがないのなら、創ればいいのだ。

 『意志の力』で形あるものを生み出すということは、決して容易いことではない。だが幸か不幸か、クレフはそういったことを簡単にやってのける『主』を幼いころより間近に見てきたため、何かを創り出すことに対するハードルがさほど高くはなかった。何よりそれ以外の選択肢が思いつかなかった。クレフの心に迷いはなかった。想いを集中させ、ただひたすらに強くなることだけを祈った。そうしてついに、一本の杖がこの世に生を受けた。
 その後何百年という時をクレフとともに送ることになるその杖だが、当時はしかし、長さは短く、獣の顔を模ったような頭部もさほど厳ついものではなかった。クレフは自らの魔法力が増幅するとともに成長する杖を創ったのだが、それは意図した上でのことではなかった。だからその数日後、杖に一抹の変化が起きていることに気がついたクレフは、ひどく困惑することになる。

 杖を創り上げた直後は強い疲労感を覚えたが、それ以上の充実感があった。これがあれば無限に強くなっていけるという希望が、クレフを笑顔にした。そしてそれからというもの、クレフの力は加速度的に強くなっていった。果たしてどれほどの力があるのか、自分ではわからなかったが、前の日にできなかった魔法ができるようになることが嬉しくて、エリーゼの小屋に通う傍ら、ほぼ毎日のように魔法の修行を続けていた。

***

 12歳になったある朝のことだった。目を覚ますと、それまでと同じように喋ることができなくなっていた。
「おはよう、エリーゼ」
 いつものように彼女の小屋へ行くと、普段であれば笑顔で出迎えてくれるはずのエリーゼも、その日ばかりは大きく目を見開いて言葉を失った様子だった。クレフはごまかすように肩を竦めて苦笑した。扉を閉めると、斜向かいの窓のカーテンがふわりと風に揺れた。
「どうしたの、その声」
 ぽかんとして言うエリーゼの声は、出逢ったときからほとんど変わらない。女性の声変わりは早いらしいのだ。うらやましくて、同時に悔しかった。たったひとつしか違わないのに、エリーゼはいつもクレフの前を歩いていた。
「今朝起きたらこうなった」
 クレフは早口で捲くし立てた。自分でもわかるほど掠れた声にうんざりした。それ以上はできれば口を開きたくなかった。クレフはベッドサイドのいつもの指定席に腰を下ろし、深々とため息をついた。
「そっか。声変わりね」
 クレフの鬱とした気持ちを跳ね除けるように、エリーゼは楽しげに言った。
 はっきり言って、エリーゼは人を――というか、クレフを――いじめることを最大の生きがいにしている。今だって、わざとそうしてからかうような口調で言っているに違いない。からかわれる側としては楽しいはずもなく、思いっきりにらんでみるのだが、残念ながらエリーゼの笑い声を止めることはできなかった。クレフは心の中で地団駄を踏んだ。
 エリーゼと一緒にいると、いくつになっても自分は子どもなのだと思い知らされる。あと一年早く、せめてエリーゼと同じ長さを生きていたかった。くだらない願望は、また出しかけたため息とともに呑み込んだ。

「どんな声になるのかしら」
 エリーゼが目を細める。「さあ」とクレフは吐き捨てるように言った。自分の声になど興味はなかった。するとエリーゼがまた笑った。
「でも、あなたの前の声はもう聞けなくなってしまうのね。残念だわ。記念に録音しておけばよかった」
「くだらないことを」
「そんなことないわよ。あなたの声、とてもすてきだったもの」
 エリーゼは、思ったことについてそのほとんどをそのまま言葉にする人だった。彼女の紡ぐ言葉は美しく、いちいちクレフの心に響いては小さな真珠の粒となって落ちた。いつかその粒で心がいっぱいになったら、自分の心も彼女のそれと同じように美しくなるだろうか。

「ねえ、あれはどう? 大きくなった?」
 ふと思いついたように、エリーゼがこちらを覗き込んだ。そのことを訊かれるのはもはや日課も同然だった。一度、自分に会うよりも「あれ」の成長を確かめる方により興味があるのだろうと冗談めかして言ったら、「どうしてわかったの」と真面目に驚かれてしまったことがある。柄にもなくショックを受けてしまったので、そのとき以来、この件に関しては余計なことを言わないようにしている。今日も黙って胸元の飾りに手を翳した。蒼い宝玉が光を溜め、そこから筋状の光が突き出てくる。伸びた棒を手にとり、そのまま鞘から剣を抜く要領で抜き去った。現れたそれは、今ではもう、座っているクレフが見上げなければならないほどの長さに成長していた。
「すごいわ」とエリーゼが目を輝かせた。「信じられない。あんなに短い杖だったのに、もうこんなに大きくなったなんて」
 クレフの体と心の成長に合わせてその長さや形を刻々と変える杖は、今では長さは1.5メートルほどになり、頭部も獣の口を模したように、鋭い犬歯を持ったものに変わっていた。自分で創ったものではあるが、その最終地点がどこになるのかはクレフもわからない。ただ、今もまだ成長途中なのだということだけははっきりしていた。この杖は、まだ変わる。それは即ち、クレフの心がこれからもまだ強くなり続けるということを示していた。
「まだまだだ。これからもっと変わるさ」

 クレフは改めて杖を握りなおすと、心の中で呪文を唱えた。すると杖の宝玉が光芒を宿し、そこから伸びた透明な蒼い光が真っすぐエリーゼのところへ向かった。驚いている彼女の額の周りを、ぐるりと光が取り囲む。一瞬爆ぜた後で、光はすぐに消えた。その光と入れ替わるように、エリーゼの額には花冠が添えられていた。
「……きれい」
 花冠を手に取り、エリーゼはそれを愛おしそうに眺めた。クレフも笑顔になる。だがそれからいくらもしないうちに、エリーゼの白磁の頬にふっと影が差した。
「エリーゼ?」
 クレフは杖をしまおうとした手をはたと止め、首を傾げた。エリーゼは、表情こそ笑っているが、伏せられた睫毛が宿す哀しみは隠しきれていなかった。やがて彼女は、独り言のように言った。
「見られるのかしら。あなたの杖が、完全に成長したところ」
 その瞬間にざわめいたのは、揺れたカーテンではなく、ましてや風に靡いたエリーゼの髪でもなく、クレフ自身の心だった。

 刹那のざわめきが消えると、沈黙が時を刻み始めた。隙あらば座を支配しようと目論むその沈黙を、クレフは無理やり振り払い、花冠を持ったエリーゼの手をつかんだ。
 エリーゼがはっと顔を上げた。見開かれた真紅の双眸が潤んでいる。クレフは一度瞬きをしてから、今の自分にできる精いっぱいの笑みを刷いた。
「当たり前だろ。見られるよ、絶対に」
 本当か? おまえは本当にそう思っているのか?――耳元で悪魔がささやく。それを無視してほほ笑み続けることは至難の業だったが、エリーゼのためだと思えば、そのような苦悩は苦悩でもなんでもなかった。
「ありがとう」
 エリーゼの笑顔は明らかに無理をしていた。彼女の泣ける場所になってやれない自分自身の不甲斐なさが情けなかったが、たとえそれが自分のわがままであったとしても、エリーゼにはどうしても笑っていてほしかった。そっと重ねられた手の温もりを、絶対になくしたくないと思った。

***

 翌朝になると、もう声の掠れは収まっていた。変わりに、発した声は以前の声とは違っていた。なんとなく違和感を抱きながらも、これが自分の声なのだと思えば納得できなくもなかった。
 外へ出ると曇っていた。珍しいなと思うと同時に、ナディアの顔が浮かんだ。いまだにあの少女がこの世界のすべてを創造していると思うと信じがたいが、魔法の修行を続けていくうちに、彼女の『心』の力が唯一無二のものであるということはわかるようになった。仮に魔法で勝負をすることになったとしたら、今のクレフの力をもってしてもナディアにはかなわないだろう。クレフだけではない。この世界のいかなる魔導師も、『柱』であるナディアには勝てないのだ。
 ナディアの心はこの世界そのものだ。空模様も、彼女の心ひとつで決まる。いつもはすっきりと晴れ渡っていることがほとんどなのだが、今日はどんよりと雲が立ち込めている。ナディアに何かあったのだろうか。低く垂れこめる雲を見上げ、クレフは眉根を顰めた。
 姉であるエリーゼならば、何か知っているかもしれない。そう思っていつものように彼女の小屋へと足を向けたのだが、そこへたどり着く前に、図らずもナディア本人の姿を見止めることになった。

 ナディアはエリーゼの小屋へと続く径(こみち)の脇にいた。小さくうずくまり、抱えた膝に顔を埋めていた。肩に精霊が止まっている。声をかけようとすると、突然ナディアの夕陽色の髪がもっこりと盛り上がり、そこからぬっとリスが出てきた。キキッと鳴いたリスは、クレフのことを咎めるようににらんだ。そんなリスの様子に思わずぎょっとしたが、気を取り直し、クレフはナディアのもとへ一歩歩み寄った。
「どうした、ナディア」
 ナディアは弾かれたように顔を上げた。反動で、憩っていた精霊たちがナディアの肩から離れていく。リスも彼女の腕を一往復してから地面に飛び降りた。
 髪と同じく太陽の断末魔を思わせる色をしたナディアの瞳は、揺れていた。涙を堪えているのだと、瞬時にわかった。ほっそりとした頤は、まるで今にも溶けてしまいそうにはかない。言葉を失っていると、突然立ち上がったナディアが間髪容れずクレフの胸倉をつかんだ。
「死ぬの? あねさま」
「――なに?」
「あねさまは、死ぬの?」
 一音一音が、まるで頬を殴る拳のようだった。激しく揺さぶられて酔いそうになる。濡れたナディアの瞳からは、しかし涙は絶対にこぼれなかった。こぼさないようにしているのだと、ようやく気づいた。彼女が泣けば雨が降る。それを堪えているのだ。こんなときなのに、ナディアの優しさが胸に迫った。

「どうして全然よくならないのよ、あねさま。よくなるどころか、どんどん悪くなってるじゃない。顔には出さないけどね、クレフが帰った後はいつも、あねさま、ご飯の時間までずーっと寝てるの。前はそんなことなくて、あたしとも遊んでくれてたのに、今じゃもう、本を読むことしかできないのよ」
 俯くしかなかった。自分がいる前でだけエリーゼが元気なところを見せてくれていることに、もうずっと前から気づいていた。出逢ったときからすでに絶対安静でいなければならないような体だったのだ、二十歳までしか生きられないと『主』に告げられているエリーゼが、13歳の今、出逢った当初よりも元気になっているはずはなかった。
「クレフ言ったじゃない、『ぼくが治してあげる』って。あれは嘘だったの? そんなに魔法ばっかり強くなって、どうするのよ」
 ナディアの小さな拳がクレフの胸元を叩く。しかし本当に痛かったのは拳ではなく、彼女の言葉の方だった。槍でぐさぐさと刺されているように心が痛い。言われなくてもわかっている。その約束に縛られているのはほかでもない、クレフ自身だった。強くなりたいと願ったのはエリーゼの病を治すためだったのに、その手がかりは、あれから二年が経った今でも見つけられずにいる。

 何も言えなかった。ほかにどうしたらいいかわからず、クレフは黙ってナディアを抱きしめた。
「離して」
 どんなにナディアが暴れても、クレフは腕を緩めようとはしなかった。8歳のナディアは、クレフの胸元までしか背丈がない。ぎゅうっと腕を強くすると、やがて諦めたのか、ナディアも抵抗しなくなった。
 喉元まで出かかっていた謝罪の言葉を押しとどめるためには、こうするしかなかった。謝ってしまえば、できないということを認めることになる。そんなことはしたくなかったし、できなかった。希望の灯火が、たとえ軽く息を吹けば消えてしまうほどに儚いものだったとしても、その小さな明かりを、クレフはどうしても守りたかった。

***

 そんなことがあったから、その日はエリーゼのところへ行くのがいつもよりだいぶ遅くなってしまった。たどり着くころには、もうあたりは黄昏に染まっていた。
「クレフ」
 扉を開けると、エリーゼはほっとしたように息をついた。
「もう、来ないかと思ってた」
 そうしてほほ笑むとき、彼女は13歳のあどけない少女にしか見えなかった。本を読んでいるときはいくつも年上に見えるのに、笑った顔だけが、エリーゼと自分とを近づけるもののような気がした。
 そんないつもと変わらぬ笑顔で迎え入れてくれたエリーゼを見た途端、クレフの全身を疲労感が襲った。椅子に座る代わりに、その場で倒れるようにしゃがみ、ベッドの上に上半身を投げ出した。
「どうしたの」
 困惑したエリーゼの声が、上からかかる。胸が締めつけられるように痛んだ。だがその痛みは見なかったことにして、クレフは目の前にあったエリーゼの手を握った。握ったというより、その手にすがるような気持ちだった。エリーゼの手は温かかった。生きている――誰かが、あるいは何かが生きていることをこれほど嬉しいと思ったことは、未だかつてなかった。

「クレフ?」
 心から想いがあふれ出る。だがこのときのクレフは幼くて、その気持ちをどんな言葉で、あるいは態度で表現すればいいのかわからず、ただ手を握っていることしかできなかった。たとえば何か気の利いたことを言えればよかったのかもしれないが、クレフには、あの約束が重すぎた。
「眠い」
 唐突に口からこぼれた言葉に、おそらくクレフ自身が一番驚いていた。だがそう口にした途端、本当に眠気が襲ってきた。頭上でくすりとエリーゼが吹き出したのが聞こえた。
「声変わりしたのね」とエリーゼは言った。「その声もすてきよ」
 本当にすてきなのは、エリーゼの声だ。彼女の声は、まるで子守唄だった。
 エリーゼの手が、クレフの頭を優しく撫でる。その甘酸っぱい感触に引き込まれるように、クレフは眠った。その夜は、とても心地いい夢を見た気がした。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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