蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 56. 選択

長編 『蒼穹の果てに』

真っすぐで力強いまなざしが、風を射る。その表情にエメロード姫の面影が重なって、くらくらした。

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 走らせていたペンを止め、風はふと、机の上に置かれている鍵に目を向けた。施された真っ青な宝玉は、持ち主であるクレフのあの深い瞳を思い起こさせる。その瞳を細めてほほ笑んだクレフに鍵を渡されたのは、ほんの少し前のことだった。
「この鍵があれば、書庫を自由に出入りできる。おまえが持っていろ、好きなときに使って構わない」
 書庫にある資料が見たいと願い出た風に、クレフはそう言ってこの鍵を差し出した。最初はその申し出を笑い飛ばすつもりだった。そこまでしてもらう理由はないし、必要もない。けれどクレフは「いいから」と言って、半ば強引に風に鍵を握らせた。そして風を一人書庫の扉の前に残し、すたすたと去っていったのだった。

 書庫には山のような書物のほかに、この二年間オートザムとのあいだで進めてきた大気汚染問題に関する研究資料が一式収められている。研究資料は文字よりも画像と数字が多いものばかりだったので、こちらの世界の文字が読めない風でもなんとか解読できた。それに、いずれの資料にも風が少なからず関わっているので、字が読めなくても内容を理解することはさほど難しいことではなかった。でもそれは、研究資料に限って言えばの話だ。ほかの書物は読みたくても読めないから、風がこの書庫を訪れる機会はそう多くない。だからわざわざ鍵を預けてもらう必要はなかった。けれどクレフに鍵を差し出されたとき、なんとなくもらわなければいけないような気がして、断りきれなかった。
 その鍵を見ていると、わけもなく心がざわついた。まるでこの書庫の書物すべての管理を任されたような気がしてしまう。もちろんクレフはそんなことは言わなかったが、去っていくときの彼の背中が、まるで書庫と訣別しているように見えてならなかったのだ。
「……後で返しに行けばいいことですわ」
 自らに言い聞かせるように呟き、風はペンを握り直した。どっさりと並んだ藁半紙の束をめくり始めてから、気がつけばもう三時間が経っていた。

 藁半紙を一枚めくるごとに、やはりオートザムを蝕んでいるのは二酸化炭素だという確信が強まっていった。こんなことなら父に紹介されたT大教授の論文を持ってくればよかったと、風は臍を噛んだ。その論文は、二酸化炭素の排出を抑える最新技術について書かれたものだった。持ってこようかと最後まで悩んだが、結局は断念した。何しろ紙にしたら500ページを越え、持ち上げるだけでも一苦労だったのだ。CD-ROMなら持ってくることもできたが、残念ながらセフィーロでは、地球から持ち込んだソフトは使えなかった。

 あの論文があれば、進み続けるオートザムの大気汚染について抜本的な解決策を提示することができたかもしれない。たらればを語り始めたらきりがないことはわかっているが、悔しさは消えなかった。その悔しさをぶつけるように、風は資料の読み込みに没頭した。そんなとき不意に、机の上に置いた鍵の宝玉が淡い光芒を宿した。
「え?」
 驚いて顔を上げた風は、さらに驚いた。宝玉から発せられた光が放射状に広がり、目の前にフェリオの顔が映し出されたのだった。
「フェリオ」
 思わず言うと、映像の中のフェリオが目をしぱたき、破顔した。
「驚いたな、ほんとに中にいるとは思わなかったよ。俺も入っていいか?」
「え……ええ」
 風はぎこちなくうなずいた。するとフェリオの映像が消え、鍵がひとりでにその場でくるりと一回転した。予期せぬ出来事だったので、風は思わず悲鳴を上げた。直後、重たい音がして扉が開いた。

「どうした、フウ。今、何か叫んでなかったか」
 フェリオが慌てた様子で駆け寄ってくる。風は鍵を手に立ち上がり、それをフェリオに差し出して見せた。
「この鍵が突然、一回転したんです。そうすると扉が開いて、あなたが入ってきました。突然のことで、驚いてしまって」
 するとフェリオは狐に抓まれたような顔をした。
「これ、導師クレフに渡された鍵なんだろ? 使い方とか、聞かなかったのか」
「いいえ、何も」
「なんだそれ」
 フェリオは毒気を抜かれたような声を出した。それから風が手にしている鍵を覗き込んだ。
「これはな、導師クレフ特製の鍵なんだ。持ち主しか書庫の扉は開けられないし、持ち主が認めた者以外は書庫に入ることができない。今だって、おまえが認めてくれたから俺は中に入ることができたんだぞ。そうじゃなかったら、あのまま外で待ちぼうけさ」
 風は鍵に視線を落とし、唖然とした。まさかそんな魔法が施されていたなんて、思いもしなかった。
 フェリオが通路を挟んだ反対側の長椅子に腰掛けた。
「それにしても、おまえが許可して俺が入れたってことは、その鍵は本当におまえのものになったんだな」
 そのフェリオの言葉は、なぜだか風の気持ちを落ち着かなくさせた。年季の入り方や美しい模様など、これはクレフの手にあるのがもっともふさわしいもののように見える。自分のものになったとは、こうして持っていてもまだ思えない。手にしているだけで重かった。まるで、クレフの生きてきた年月がそのまま掌に乗っているかのようだった。
 今度会ったときには必ず返そう。そう心に決めて鍵をポケットにしまい、風はもともと座っていたところに腰を下ろした。

「何してたんだ?」とフェリオが訊いた。
「オートザムの大気汚染の研究ですわ」と風は言った。「ジェオさんまで行方不明になってしまって、まったく進んでいないんです。せっかくこちらの世界にいるんですもの、せめて私一人でもできることはしようと思いましたの」
 フェリオが横から身を乗り出して風の机を覗き込んだ。表情が緊張を孕んでいる。その横顔を見ながら、風は続けた。
「皆さんが大変なときだということは、わかっていますわ。ただ、もしも抜本的に大気汚染を解決できる方法が見つかれば、イーグルさんのお父様も、セフィーロへの侵攻をやめてくださるかもしれません」
 資源も何もかも枯渇しているオートザムが、自らの寿命を削るようなことをしてでもセフィーロへ攻め入ろうとしている。その意図はジェオでさえも「わからない」と言っていたが、風はセフィーロの環境を求めてのことではないかと踏んでいた。そしてもしもそうなら、逆に言えば、オートザム国内の環境さえ整えば彼らは攻め入ってこないということになる。もっとも、風のやっていることが「大気汚染の抜本的な解決」に結びつくという保証は、どこにもないのだけれど。
「……ほかにできることも、思いつかなくて」
 言って、風は視線を落とした。
 仮にこの仮説が正しかったとしても、オートザムが攻め入ってくる前に解決策を見出せる保証はどこにもない。それに、仮に見出したとしても、ジェオもザズも音信不通の今、どうやってそれをオートザムへ伝えるのかという問題も残る。不透明なことだらけだ。けれど何もせずにはいられなかった。光と海を自分のわがままのせいでこの世界に留めさせてしまっているという後ろめたさもあって、ひとところにじっとしていることなどできなかった。

「そうだな」とフェリオはやおら言った。「おまえの言うことは一理あると思う。でも、戦になったらどうするんだ?」
「え?」
「もしもさ。もしも仮に、オートザムと戦になったとしたら、おまえはセフィーロの味方になるのか? それとも、オートザムの味方になるのか?」
 風は少なからず傷ついた。どうしてそんな当たり前のことを訊くのだろうと、このときは思った。
「そんなの、決まっていますわ。私はセフィーロのために戦います。セフィーロが侵攻されるようないわれはありませんもの。この国が滅びるなどということがあってはいけませんわ」
「敵の中にジェオやザズがいたとしてもか」
「え?」
「もしも戦になって、攻め入ってきた軍の中にあいつらがいたとしても、おまえは剣を抜けるか?」
 脳裏にジェオとザズの笑顔が浮かび、背筋が粟立った。蘇ったのは、エメロード姫をこの手にかけたときの感触だった。よく知りもしなかったエメロード姫のことを殺めただけであれほど傷ついたのに、何度も会話を交わしているジェオやザズと向き合ったとき、平気で剣を抜けるのか。愚問だった。愚問だったのに答えられなかったのは、それが大きな矛盾であることに気づいてしまったからだ。「オートザムと戦うか」という問いには「YES」と答えられるのに、「ジェオたちと戦うか」という問いは肯うことができない。でもその二つの問いは、本質的には同じはずだ。同じ問いかけなのに、答えは同じにならない。その矛盾に、頬を平手打ちされたような衝撃を覚えた。

「俺はこの国の王子だ。何があってもセフィーロを守らなければならない」
 フェリオの言葉に、風ははっと息を呑んだ。真っすぐで力強いまなざしが、風を射る。その表情にエメロード姫の面影が重なって、くらくらした。
「あなたは」と風は恐る恐る口を開いた。「あなたは、剣を抜くとおっしゃいますの? たとえ、ジェオさんやザズさんを相手にしたとしても」
 フェリオはすぐには答えず、俯いた。そのがっしりとした腕が急にフェリオを大人にさせたようで、見ていて落ち着かなくなる。
「俺だって、戦なんかしたくないさ。ジェオやザズのことも大好きだ。もちろん、セフィーロで療養を続けてるイーグルも。できることならみんなを守りたい。けど、セフィーロを捨ててまでジェオたちのことを庇うのは、俺には無理だ」
「フェリオ――」
「全部は選べないんだ」
 身を乗り出した風を遮るように、フェリオは声を張り上げた。風はわれ知らず肩を震わせた。フェリオが握った拳には、白い線が浮き上がっていた。
「全部は選べないんだよ。どれかひとつを選んだら、ほかは捨てなきゃならない。セフィーロか、オートザムか。どっちかを選べと言われたら、俺はセフィーロを選ぶ」
 フェリオが顔を上げた。黄金の瞳が、迷いをたたえて揺れている。
「フウ」とフェリオは掠れた声で言った。「俺は間違ってるか? オートザムではなくセフィーロを選ぼうとしていることは、間違いなのか? ほかにもっと選ぶべき道があるんだろうか。どう思う?」
 風は答えられなかった。

 王になることに決めたと宣言したときのフェリオは眩しかった。彼の統治するセフィーロは素晴らしい国になるだろうと思ったし、明るい未来への道筋が開けたような気がした。でも今、まるで捨て猫のような目をした彼を前に、その明るいはずの未来に雲が立ち込めているのを感じずにはいられなかった。もしもオートザムとのあいだで戦が勃発したら、たとえセフィーロが勝利したとしても、フェリオの心には永遠に傷が残るだろう。友に切っ先を向けてしまったことについて、フェリオは永遠に自らを責め続けるだろう。彼が今戦っているのは、その辛さを受け入れるだけの覚悟が自分にあるのかどうかということなのだ。

 風は未だに、エメロード姫の胸をこの手で貫いたときの夢を見ることがある。あの日からはもう二年という歳月が経過したが、その月日の流れも、風の心を完全には癒してくれない。あんな身を裂かれるような想いは二度と誰にも味わわせたくない、そう思うのに、ほかでもない最愛の人がその想いを味わうことになるかもしれない今、どうやったらそれを防ぐことができるのか、風にはまるでわからない。
『全部は選べないんだ』
 フェリオの言葉が、胸の奥深いところにまで沁みこんでくる。私はどうしたらいいのだろう。全部どころかひとつも選べないような気がした。机の上をゆっくりと転がったペンが床に落ちるのを、なんだか遠い世界での出来事のように、ぼんやりと眺めていた。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

▶ 連作短編集を始めました。クレ海学生パラレルです。今後年中行事に合わせて不定期更新の予定です。詳しくはこちらからどうぞ。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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