蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 57. 揺れる想い

長編 『蒼穹の果てに』

言いたいことはもっとたくさんあったはずなのに、それ以上は言葉が続かなかった。風はイーグルの手を握りしめたまま、彼の開かれない瞼の奥にある瞳を見つめようとした。

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 フェリオが書庫を離れてから、風の手はめっきり動かなくなってしまった。これ以上書庫にいても、いたずらに時間をつぶすだけになる。小一時間ほど経ってようやくそう見切りをつけると、風は藁半紙を畳んで書庫を後にした。ふらりと降り立った中庭のベンチに腰を下ろし、そこでしばらく油を売っていたが、気づいたら辺りが暗くなり始めていた。夕焼けに染まったセフィーロは、涙が出そうなほどに美しかった。

 オートザムを助けたい気持ちも、フェリオを支えたい気持ちも、どちらも風の本心だった。けれどそのふたつの想いは、今はともかく、セフィーロとオートザムが戦になったら決して相容れないものだ。フェリオのそばにいるのかいないのか、もっと言えば、戦うのか戦わないのかを、戦になる前に選ばなければならない。
 本心に従うなら簡単だ。本当は、戦いなんてしたくない。誰かを傷つけるのはもうたくさんだ。まして、相手がジェオやザズのように気心の知れた人間なら、余計戦いたくない。けれどいくら風がそう願ったところで、オートザムが攻め入ってくることを止められはしないだろう。オートザム側は戦艦を20隻用意しているという。「20隻の戦艦」というのがいったいどれほどの迫力を持っているのか、風には想像もつかない。ただ言えることは、もしもそれらが本気で攻め入ってきたら、後先考えずとにかく戦わなければならなくなるだろうということだ。でも、もしもその20隻のうちのひとつにジェオが乗っていたとしたら――
「できませんわ」
 思わず言っていた。かぶりを振るしぐさに力がないことが、惨めでならなかった。

 とつとつと日が暮れていく。昼間は心地よい風も、この時間になると冷たく感じる。日暮れの景色も相まって、ちょうど東京の秋を思い起こさせた。そういえば、最後に東京タワーに立ったとき、あの世界の季節は初秋だった。皆元気でやっているだろうか。両親は、そして姉は。――今回セフィーロへやってきてから初めて、東京のことを恋しいと思った。
 子どもだなと思う。14歳のときに想像していた16歳はもっと大人だったのに、実際に経験している16歳は、大人からは程遠い。自分ひとりの力では何もできず、守られてばかりだ。戦がまさに目前に迫っているというこんなときでも、これほどまでに迷っている。

 そのまま動かずにいると世界を包む闇の中に永遠に囚われてしまいそうな気がして、風は重い腰を上げた。当てどなく歩き出したつもりだったが、気がつくと、風の足はとある部屋へと向いていた。
「イーグルさん」
 中庭から部屋へと直接続く階段を上り、風はそっと声をかけた。
『……フウですか?』
 驚きを滲ませた声色に続き、イーグルの首が、ぎこちないながらもはっきりとこちらへ傾く。もうそれほどまでに体を動かせるようになったのかと、風は内心驚いた。
 ここ数日、イーグルの体は驚異的なスピードで回復へと向かっているように感じる。鈍行列車が新幹線へと早変わりしたかのようだ。まるで何かに急かされるように、イーグルは目覚めのときを必死で手繰り寄せているように見える。もちろん、ザズの失踪に始まりオートザム軍の不穏な動き、そして今はジェオとも連絡が取れないという状況にある以上、急くなと言う方が無理な話かもしれない。けれど風には、イーグルが急いている理由はほかにもあるように思えてならなかった。それが何なのか、あえて問い詰めようというつもりはなかったけれど。

 大きなベッド以外には家具らしい家具もない、殺風景な部屋に足を踏み入れ、風はベッドサイドへと向かった。一人掛けの小さなソファに腰掛けてから、シェードランプに明かりを入れた。
 淡い白熱灯に照らされ、純白のシーツがクリーム色に染まる。イーグルの表情は穏やかだった。彼の寝顔――という表現は正しくないのかもしれないが――を眺めていると、不思議と心が和んだ。フェリオと別れてから初めて、ほほ笑むことができた。
「すみません、突然押しかけてきてしまって。ご迷惑ではありませんでしたか?」
『迷惑なんてとんでもない。フウならいつでも歓迎しますよ』
 そう言ったイーグルの手が、つ、と軽く動いた。
『どうしたんですか、フウ。なんだが元気がないように聞こえます』
 驚いて目を見開くのが精いっぱいで、咄嗟に返事をすることができなかった。

 どうしてイーグルのところへ来たかったのか、今になってようやくわかった気がした。「フウならいつでも歓迎しますよ」。同じような言葉を、同じような声のトーンで言ってくれた人がいる。二人は似ているのだ、置かれた立場も、優しさも。
 ふっと落ちたため息とともに、言葉が口からこぼれ出た。
「フェリオと、話をしました。もしもオートザムがセフィーロへ侵攻してきたらどうするかと」
 今目の前で横たわっているのはそのオートザム国の大統領令息だというのに、不思議なことに、こんな話をすることについての罪悪感はひとつもなかった。もはや風にとってイーグルは、「オートザムの人間」である以前に「フェリオの友人」であり、また風自身にとって「守りたい人」のひとりであるのかもしれない。そんなことを思いながら、風は続けた。
「『セフィーロかオートザム、どちらかを選べと言われたら、俺はセフィーロを選ぶ』。フェリオはそう言いました。最初は、それは当たり前のことだと思いました。だから、彼に『どちらの味方になるのか』と訊かれたときは、少しショックを受けたんです。私は当然のようにセフィーロのために戦い、フェリオもまた、そのことを信じてくれているものと思っていましたから。でも、話はそれほど単純ではありませんでした。私は浅はかでした。戦というものがどういうものなのか、まるでわかっていなかったんです。フェリオに『もしもジェオが戦艦に乗り込んでいたとして、それでも剣を抜けるか』と訊かれて、ようやくそのことに気づきました。ジェオさんやザズさんを相手に戦うなんて、できるはずもありません。でも、首を振ってしまったら、今度はフェリオと戦うことになってしまいます。結局私は、答えられませんでした」

 シーツの皺になった部分が、くっきりとした影を作り出している。その影がぐわっと広がって心へ迫ってくるような錯覚を覚えて、背筋が粟立った。
「フェリオは精いっぱい『王子』になろうとしています。そんな彼を、私はどこまでも支えていくつもりでした。それなのに、今の私は、彼を支えるどころか自分の心を定めることさえできません。わからないんです、どうしたらいいのか。フェリオの選択はどこも間違っていないはずなのに、それを支持することができないなんて」
 最後にかけてはほとんど泣き言も同然だった。私は何を言っているのだろうと思った。こんな状態になって一番辛いのはイーグルのはずだ。祖国の、それも実の父親が、自分が療養を続けている国に攻め入ってこようとしているのだ。しかもそのような状況下に置かれながらイーグル自身は起き上がることもできず、ただ現状を見守り続けることしかできない。もしも自分が彼の立場だったらと思うと、やりきれなかった。そしてそんなイーグルに対して今こうして弱音を吐いている自分の心の脆さに、ほんとうに辟易した。

『フウ、あなたの迷いは当然のことです。どうか自分を責めないでください』
 静かにそう切り出したイーグルの声は、想像していたよりもずっと穏やかだった。
『オートザムのことをそれほどまでに考えてくださって、ありがとうございます。ですが、あまり気に病まないでください。今のオートザムには、あなたにそこまで心を砕いてもらうほどの価値はありません』
「そんなことは」
『本当ですよ。大統領の息子である僕が言うんですから、間違いありません』
 イーグルはきっぱり言い放った。
『オートザムの民――というより、あの国を支えている上層部の人間は、損得勘定のみでしか動くことができません。このセフィーロの人々が持つような情愛など、ありはしない。自分にとってそれが得なことか否か、すべての判断基準はそこにあります。だからオートザムでは、すべてのものに値段がついています。価値を明らかにするために。人の命にさえ、値段がつけられるんです。哀れなことだとは思いますが、もうどうしようもないでしょう。国を率いる大統領が、そのような思考回路の持ち主なのですから。そんな人たちのためにあなたが心を砕く必要は、まったくありません。ジェオたちのことは、心配しないでください。もしもオートザムが攻め入ってくることになったとしても、あの二人なら、その戦艦には乗ってこないでしょう。だからあなたは、愛する人のことだけを考えてください』
 淡々と紡がれるイーグルの言葉に、風は気圧された。すぐには言葉が出てこなかった。

「そんな……そんな風におっしゃって、よろしいのですか。オートザム国の大統領は、あなたの実のお父様でしょう」
『父と思ったことはありません』
 やっとの思いで口にした風の言葉を、けれどイーグルは非情にもばっさりと切り捨てた。
『あのひとは、人としての心をどこかへ置き忘れてきてしまったんです。あるいは最初から備わっていなかったのかもしれませんが……とにかく、息子を息子とも思わない、鋼でできたような心を持つ人ですよ。あんな人でも一人前に妻を娶り、家族を持ったということが、未だ信じられないくらいです』
 そのとき初めて、風はイーグルの母親という存在を考えた。イーグルにも当然のように母親がいるはずなのに、そういえば、これまで一度もその人のことについて聞いたことがなかった。
「イーグルさんのお母様――大統領の奥様は、今回のことについて何もおっしゃってはいらっしゃらないのですか」
『母はいません』
「え?」
『僕を産んですぐに他界しました』
 風は思わずはっと口元に手をやった。自分の無遠慮さが、顔から火が吹くほど恥ずかしかった。話を聞いたことがないという時点で、その可能性を考慮に入れておくべきだったのだ。
「……すみません」と風は項垂れた。
『気にしないでください。僕には母親の記憶というものがまるでないので、母親がいないということを哀しいとは思わないんです。これが僕にとって、当たり前の人生ですから』
 イーグルは不気味なほど飄々としていた。くすりと笑い声まで聞こえてくる始末だった。
『その母の死も、病によるものだと聞かされてはいますが、実際にはどうだったのか。母もまた、父の独善の犠牲者だったのでしょう』

 「当たり前の人生」という言葉が、風の心に大きな楔となって射ち込まれていた。風にとっては「母親がいる」、もっと言えば「両親がそろっている」ということこそが当たり前で、どちらかが欠けることなど考えられなかった。けれどイーグルは、母親がいないことを「当たり前だ」と平気で言う。
 イーグルに兄弟がいるという話は聞いたことがないから、彼にとっては父親がたった一人の肉親ということになる。けれどその父のことも、イーグルは「父とは思っていない」と一刀両断した。誰にとっても温かいものであるべき「家族」というものが、イーグルにとっては冷たく、「未だに信じられない」ものなのか。それが彼にとって「当たり前」のことだというのか。

 心が空っ風にさらされているかのようだった。矢も楯もたまらず、風は両手でイーグルの手を包み込んだ。
「それでも、家族ですわ」と風は言った。
『え?』
「たとえ考え方に違いがあっても、わかり合うことができなくても、あなたとお父様は、たった二人きりの家族です」
 イーグルの手が微かに震えた。言いたいことはもっとたくさんあったはずなのに、それ以上は言葉が続かなかった。風はイーグルの手を握りしめたまま、彼の開かれない瞼の奥にある瞳を見つめようとした。
 イーグルだって迷っているのだということに、風はこのとき初めて気がついた。迷わないはずがないのだ。彼が直面しているのは、実の父親と戦うことになるかもしれないという現実だ。イーグルの態度は一貫して、もしも戦になったらセフィーロのために戦おうとしてくれているように見えるが、それが彼の本心だと、どうして断言できるだろう。どれほど憎く思っていたとしても、イーグルの祖国はオートザムだ。しかもたった一人の肉親である父親がいる。イーグルが父親を平気で手にかけることができるほど冷酷な人間だとは、風にはとても思えなかった。むしろ、父を突き放すような言葉のすべては、父への愛情の裏返しのように聞こえた。

 フェリオとイーグル、二人の若き指導者が抱える迷いは、まるで月と太陽のようだった。そして風は、その狭間で今も揺れ動いている。胸が引き裂かれるように痛い。どうして人は、争わずに生きていうことはできないのだろう。
『ありがとうございます、フウ』とイーグルが言った。『お気持ちは、ありがたく受け取っておきます。ですがいざというときは、僕のことは忘れて、あなたはフェリオを助けてあげてください。これは僕からのお願いです』
 イーグルが風の手を握り返す。生きているひとの温もりが、そこにあった。
「わかりました」
 そう答える以外に、いったいどうすればよかっただろう。「いざというとき」など永遠に来なければいいと、心から思った。




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篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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