蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

夢のあとさき 海の日(3)

連作短編集 『夢のあとさき』

「I’m gonna miss you」
 そしてその真剣な瞳のままで、クレフは言った。

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 関東地方に梅雨明け宣言が出されたのは、期末試験最終日の翌日のことだった。まるで私たちの試験が終わるのを待っていたかのようなタイミングで、ずいぶんと空気の読めるお天道様だな、なんて思ったりした。その日は朝からすっきりとした快晴で、本格的な夏の訪れを感じさせる日射しが肌に痛いほどだった。肝心の試験の方も、クレフのことを考える時間を少しでも減らすために勉強に身を入れたのがよかったのか、上々の結果を残して終えることができた。けれどそんな試験結果や空模様とは裏腹に、私の気持ちは曇るばかりだった。終業式が四日後に迫り、それはすなわちクレフがこの学校に通う日数が残り四日しかないことを示していたからだ。

 夏至は過ぎてしまったけれど、この時期はまだまだ日が長い。じりじりと照りつける日射しは、夕方だというのに暑いくらいで、部活を終えてシャワーを浴びたばかりにもかかわらず、少し歩いただけでもまたすぐに全身が汗ばんできてしまう。校内はエアコンが効いているからまだいい。でも一歩外へ出たら、日射しに加えて気温の高さまでも加わるから、不快指数はマックスだろう。外へ出たくない気持ちが、自然と足取りを遅らせる。人気の少ない廊下をゆったりとした足取りで歩いていると、不意に壁にかかった世界地図が目に留まった。
 こうして見ると、日本は本当に小さい。すぐ隣にあるユーラシア大陸や、広大な太平洋を挟んだ東側にあるアメリカ大陸などと比べれば、まるで鳩と蟻だ。けれどその日本と同じくらい、いや、実際には日本以上に小さな島国が、ユーラシア大陸の反対側にぽつんと浮かんでいる。正式名称は、「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」。クレフの故郷、イギリスだ。
「遠いのね、イギリスって」
「ああ、そうだな」
 まさか独り言に返事があるとは思わず、私はびっくりして振り返った。
「クレフ……」
 なんとなくばつが悪くて、私は忙しなく瞬いた。ばつが悪いと感じる理由はいくつもあったけれど、中でも一番大きいのは、期末試験前に教室で変な別れ方をしたことだった。こうしてクレフと顔を突き合わせるのは、あの日以来のことだった。

 クレフは数冊の本を抱えていた。どれもチェス関連の本だった。どうやら部活帰りらしい。ずり落ちそうになっていた一冊を抱えなおすと、クレフは私の隣に立ち、私がつい今しがたそうしていたように世界地図を見上げた。
「ほとんど地球の反対側だからな、直行便でも12時間以上かかる。少なくとも、思い立ってすぐに行き来できるような距離ではないな」
「12時間……そんなにかかるのね」
「もっとも、いざ乗ってみれば意外とあっという間だが」
「そう? でも、12時間って言ったら半日じゃない。とても『あっという間』っていう感じはしないわ」
「休日の睡眠時間だと思えばいい。長距離のフライトは、寝るに限る」
「そういうもの?」
「そういうものだ」
 まるであの教室での一件などなかったかのように、私たちの会話はごく自然と運ばれていった。それは「不自然」なことのはずなのに、このときの私はなぜか、クレフへの気持ちをいったん脇に置いて彼と向き合うことができていた。
「どんな国なの? イギリスって」
「いい国だぞ。伝統と最新技術がうまく融合している。もっとも、暮らしていたときはさほどいい国だと感じたことはなかったがな。日本へ来て初めて、祖国の良さに気づかされた。それこそ、以前の私は『井の中の蛙』だったのだろう」
 クレフがいたずらな視線を向けてくる。私も思わずくすりと笑った。

「でも、どうして留学先に日本を選んだの? イギリスからなら、ヨーロッパのほかの国とか、アメリカとか、ほかにも選択肢はたくさんあったんじゃない?」
 うん、とクレフは少し言葉を濁した。そして世界地図へ再び視線を戻すと、懐かしいアルバムをめくるような表情を浮かべた。
「近所に日本人の家族が住んでいてな。彼らと接するうちに、自然と日本という国に興味を持つようになったのだ」
 その気持ちはすんなりと理解できた。身近な人の存在は、時に価値観の形成に大きな影響を及ぼすことがある。私だって、クレフと知り合わなければ、イギリスのことを気に留めたりすることはなかっただろう。
「なぜ日本なのだと、発つ前には奇異な目で見られたこともあった。しかし今では、日本を選んでよかったと思っている。ヨーロッパとはまるで異なる文化だからな、あらゆることが新鮮だ」
「やっぱり全然違うの? 日本とイギリスじゃ」
「ああ。衣食住も学校生活も、まるで違う。まあ……もっとも違うのはやはり、言葉だな」
「それはそうよ。英語と日本語じゃ、語順も全然違うじゃない」
「確かに文法的な違いもあるが、もっと大きな違いがある」
「もっと大きな違い?」
「うまくは言えないが……英語と違って日本語は、『あいまいさ』こそを美とする言語のような気がするのだ」
「……どういうこと?」
「日本語は、あまりストレートに物を言うことを嫌うだろう。たとえば、夏目漱石が『I love you』を『月がきれいですね』と意訳した話は有名だが、私はあれが、とても日本らしいことだと思った。日本語の問題なのか、日本人の問題なのか、『あいまいさ』を愛する文化は、日本独特のものだと思う」
 確かに日本には、白黒はっきりさせるよりもあえて灰色に濁すことを好む文化があるかもしれない。よく、日本人は感情を言葉にすることが苦手だなんて言われたりするけれど、それも、苦手というよりは元よりそういう文化ではないのだろう。「以心伝心」という考え方がそれをよく表している。思ったことはあえて口にしなくても伝わる、というのは、歯に衣着せぬ物言いを美徳とする英語圏の文化とは真逆だ。
「不思議なことだ。意味は同じでも、言語が変わっただけで、口にしやすいかそうでないかが決まることがあるのだからな」
「たとえば?」
「え?」
「たとえば、どんなこと? 日本語だと言えないけど、英語だと言えること」
 クレフが思案顔になる。少しの沈黙を経て、彼は顔を上げた。その瞬間、私の心臓は一度どくんと大きく脈打った。何気ないつもりの問いかけだったのに、クレフの瞳が思いのほか真剣だったからだ。
「I’m gonna miss you」
 そしてその真剣な瞳のままで、クレフは言った。

 急に速くなった鼓動が、動揺を助長する。私は思わずクレフから視線を外した。
「あ……あれでしょ、教科書に載ってたヤツじゃない、それ」
 必死でフル回転させた頭を振り絞り、私はそう切り替えした。
「たしか、あそこの和訳に当たったのがフェリオで、なんとなく言いづらそうにしてたわよね」
「……ああ」
 一瞬空いた間にクレフが込めた意味は、知るべきではないと思った。
 持て余した視線を目の前の世界地図へと向ければ、錯覚を起こした目には日本とイギリスが立体的に浮き上がって見える。「世界は狭い」とよく言うし、こうして幅一メートルにも満たない紙にすべて描ききってしまうことができることを考えれば、確かに世界はちっぽけなものでしかないのだろう。でも現実には、日本とイギリスとのあいだには6千キロという距離がある。人類の英知を結集した飛行機でも、ふたつの国を渡るためには12時間もかかるという。狭いはずの世界なのに、ふたつの国は、まるで隔てられた別世界であるかのように遠い。

「部活は終わったのか」
 不意にクレフが、声のトーンを変えて言った。
「……ええ、そうよ。ちょうど帰るところだったの。あなたは?」
「途中で抜けてきた。職員室に呼ばれてな。いろいろと手続きをしなければならないそうだ」
 何かと面倒なことが多くてな。珍しくそんな風に愚痴をこぼしたクレフは、いつものように別れの挨拶もないまま職員室の方へ向かって歩き出した。
『I’m gonna miss you』
 耳に残ったクレフの声が、遠ざかっていく背中に重なる。確かに英語ならではの表現かもしれない。あえて日本語で言うとしたら、意訳して「さみしくなる」というのがもっともらしいのだろうけれど――実際、授業でもそう教えられた――、完全にニュアンスを伝え切れているとは言いがたい。

「ねえ」
 気がついたら呼び止めていた。立ち止まったクレフが、きょとんとしてこちらを振り向く。遠くで鳴く蝉の声が、一瞬ふたりのあいだを流れていった。
「忘れないで」
「え?」
「私たちのこと、私たちと過ごしたこと、イギリスに帰っても忘れないで。私たちも、忘れないから。ずっとずっと、忘れないから」
 窓も開いていないのに風を感じた。その風は私の心を抜け、橙色に染まりつつある空へと舞い上がっていった。
「もちろんだ」
 大きく見開いていた目を細め、クレフは言った。
「絶対に忘れない」
 その言葉だけでじゅうぶんだと、強がりでもなんでもなく思うことができた。クレフがこの一年の思い出を大切にしてくれて、イギリスへ帰ってからもたまに私たちのことを思い出してくれるなら、それ以上に望むことはない。ここからふたりの道は分かれてしまうけれど、クレフが日本で過ごした時間を思い出すとき、そこにほんの少しでも私がいるのなら、それでいい。
 気がつくと、私は自然とほほ笑んでいた。無理せずに笑えたのはずいぶんと久しぶりのことのような気がした。もう、だいじょうぶ。確かめるようにうなずいて、私はクレフとは別の方向へと歩き出した。心の中は、梅雨晴れの空のようにすっきりと晴れ渡っていた。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

▶ 連作短編集を始めました。クレ海学生パラレルです。今後年中行事に合わせて不定期更新の予定です。詳しくはこちらからどうぞ。

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篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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