蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

夢のあとさき 海の日(4)

連作短編集 『夢のあとさき』

細い猫毛が頬をくすぐる。クレフからは、雨上がりの太陽の匂いがした。

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 吹っ切れた、というのとも違うけれど、クレフと話したことで、私の気持ちに大きな変化があったのは事実だった。終業式までの四日間、私はクレフへの想いを自覚する前に戻ったかのような振る舞いを貫き通すことができた。そんな私の突然の変化に一番驚いていたのは光と風だった。風は特に訝しがって、「また何かあったのですか」と訊いてきた。無理をしているのではないかと心配になったらしい。でも私はあくまでも自然体でいられたので、「何もないわよ」と風の心配そうな視線を一蹴した。厳密に言えば「何もない」わけではなかったけれど、風が心配しているようなことに関しては何もなかったので、嘘はついていない。

 そうしてやってきた終業式の日、クレフは学年や性別を問わずたくさんの生徒に朝から囲まれっぱなしだった。本当にみんなから愛されていたんだなと、改めて思う。特に女子生徒は、プレゼントをあげている子が結構いた。放課後、部活を終えた私が教室へ戻るころには、クレフの机の上にはプレゼントの山ができていた。それはバレンタインの日を髣髴とさせた。
「憎いわね、モテ男」
 私が肘で突くと、クレフは横目に私をにらみ、それから短くため息をついた。
「日本人はよほど贈り物をするのが好きらしいな」
 大きな紙袋に、クレフが一つひとつプレゼントを詰めていく。教室にはほかに誰もいなかったので、黙って見ているのも味気ないと思い、私も手伝うことにした。ほとんどがチョコレートだったバレンタインのときとは違い、今回は、食べ物以外のプレゼントが多かった。

「よかったの? 今日」
「え?」
「断ってたでしょう、送別会の誘い。ずいぶん残念そうにしてたわよ、フェリオ。せっかくなんだから、行けばよかったのに」
 三年生に進級したイーグル先輩の後を引き継いで生徒会長になったフェリオは、その立場を存分に生かしてクレフのために大規模な送別会をやるつもりだったらしい。クレフの集めた人望を鑑みれば、実際に企画されたら全校生徒の半分ほどは出席してもおかしくなかった。でも、まさか当の本人がその申し出をあっさりと断ることになろうとは、さすがのフェリオも想像していなかっただろう。
「そういう辛気臭いものは苦手なのだ。それでなくても、別れの挨拶をする機会はさんざんあったからな」
 送別会をやらないことになった代わりに、ラファーガ先生の計らいで、一学期最後となった今日のホームルームはクレフとの別れを惜しむ時間に充てられた。そのときばかりはクレフも挨拶をしないわけにはいかなかった。私はといえば、そのときの挨拶を聞いて初めて、クレフがこのクラスへ来てからもう一年が経ったのだなあと実感した。一年前もクレフは同じように皆の前で挨拶をしたけれど、当時の彼と今日挨拶をした彼とは、とても同じ人物とは思えなかった。
「何がおかしい」
 思わずくすりと笑みをこぼすと、クレフが敏感に反応してそう言った。私はプレゼントを詰める手を止めることなく、ううん、とかぶりを振った。
「思い出してたのよ、去年のこと。あなた、来たばっかりのころは全然日本語話せなかったわよね」
「……仕方ないだろう。まったく異なる言語圏へ放り出されたら、誰だってそうなる」
「そうね」
 クレフの仏頂面がおかしくて、私はますます笑った。

 次のプレゼントに手を伸ばすと、それが最後の一個だった。触れる直前で、けれど私の手は止まった。同時にクレフの手も伸びてきたからだ。
 不自然な間が空く。その沈黙が耐えられないものになる前にと、私は手を引いた。残されたクレフの手が、最後の一個を持ち上げて袋の中へ入れる。そうなるともう、私たちがその場に留まっている理由はなくなった。
「じゃあ、気をつけてね」
 極めて明るく、かといって不自然ではない程度にすがすがしく言えていたと思う。「ああ」と笑顔で答えたクレフが、鞄と、プレゼントの詰まった袋を持つ。歩き出そうとして、けれど彼はきょとんと私を見た。
「まだ帰らないのか」
「……ちょっとね。部活の友達と待ち合わせしてるの」
 咄嗟に思いついたにしては悪くない言い訳だった。案の定クレフは「そうか」と簡単に納得し、今度こそ歩き出した。

 あっけないな、と私は思った。もう二度と会えないかもしれない人との別れとはとても思えない。でも、この一年を当たり前に一緒に過ごしてきたクレフとの、これが今生の別れになるとは、いまいち実感できていなかった。なんだか二学期になったらまた普通にクレフがこの教室に登校してくるような気がしていた。
 所在なくその後姿を見送っていると、やおらクレフが教室の入り口の前で立ち止まり、こちらを振りかぶった。そしてにっこりと笑みを刷き、言った。
「いろいろありがとう」
 見慣れた意地悪い笑顔ではなく、まるでカラッとした今日の天気をそのまま表情に乗せたかのような笑顔だった。
 絶句した私の前を、夏の風が通り過ぎていく。クレフが背を向け、歩き出した。

 遠ざかる足音が聞こえなくなっても、私はその場で立ち尽くしたまま、金縛りに遭ったかのように動けなかった。「ありがとう」――その一言は、私を夢から醒めさせた。そのときやっと自覚した、これがクレフとの別れなのだと。彼にはきっと、もう二度と会うことはないのだと。
「な、によ……わかってたことじゃない」
 呟いた声色は、あまりにも頼りなかった。まるで世界に自分ひとりだけが残されたかのような気分だった。外では部活をしている生徒たちの声が木霊しているのに、まるで別世界での出来事であるかのように感じる。「別れ」という、目の前に立ちはだかる大きな壁が、世界から私を隔離しているかのようだった。その壁を越えなければならないことを、私はわかっているはずなのに、どのようにすれば越えられるのか、まったくわからなかった。

「この世でもっとも罪深いことって何だと思いますか?」
 その唐突に響いた声は、壁を外側から突き破って私のいた世界へと流れ込んできた。はっと顔を上げると、教室の入り口にイーグル先輩が立っていた。
「自分に対して嘘をつくことですよ」
 私ははっと息を呑んだ。そんな私の反応を見て、先輩が呆れ果てたように苦笑した。
「意外と惨酷なんですね、龍咲さん」と先輩は言った。「そうして自分の気持ちを隠したまま彼と別れるつもりなら、僕は何のためにあなたを諦めたんです?」
 紙一重のところでなんとかバランスを保っている心が、先輩の言葉によって大きく揺さぶられている。でもここでバランスを崩してしまうわけにはいかない。私は必死で自分に言い聞かせた。ここで崩れてしまうなら、今日までいったい何のために頑張ってきたのかわからなくなる。せっかくすべてがきれいなままで終わりそうなのに、ここでぶち壊すなんてできないし、してはいけない。
「龍咲さん」
 それまでよりもずっと近いところから先輩の声がして、私ははっと顔を上げた。すると先輩がまさに目の前にいた。穏やかな笑みを携えた先輩は、私の肩にそっと手を置いた。そして言った。
「あなたはもう、じゅうぶん頑張りました。そろそろ自分の心に素直になってはいかがですか?」
 なんとか張り詰めていた私の心の糸を、先輩は容赦なく切ってしまった。でもひょっとしたら、先輩がいてもいなくても、糸が切れるのは時間の問題だったのかもしれない。もともと蜘蛛の巣のように細い糸だったし、それはもう、軽く引っ張れば千切れてしまいそうなほどにまで伸びてしまっていたから。

 みるみるうちに視界が滲んでいく。瞬きをすると頬を冷たいものが流れた。私はその場でくず折れ、先輩がいるにもかかわらず慟哭した。押し込めていた気持ちが、涙と一緒に次から次へとあふれてくる。「私たちのことを忘れないでいてくれるならそれでいい」なんて、きれいごとだ。「気をつけて」と言って笑顔で見送った私は、本当の私じゃない。この心はずっと、「行かないで」と叫んでいた。ずっとそばにいてほしいと。クレフのことが、もう忘れられないほどに好きなのだと。
「ウミ」
 突然強く肩をつかまれ、無理やり顔を上げさせられた。ぶつかった視線の先にあった瞳の色に、私は驚いて目を剥いた。つい今しがたまで、そこには先輩がいたはずだったのに、いつの間にかクレフと入れ替わっていたのだった。
 クレフは泣き濡れた私の顔を見て明らかに動揺していた。肩をつかむ手が一瞬震えたことが、それを如実に告げていた。
「おまえが大変なことになっていると言われて、戻ってきたのだ。どうした、いったい何が――」
 もう限界だった。心の中に明確に「こうしたい」という想いがあることをわかっていながらそれを無視し続けることは、そのときの私にはもうできなかった。私は本能が告げるままに腕を伸ばし、クレフに抱きついた。

 細い猫毛が頬をくすぐる。クレフからは、雨上がりの太陽の匂いがした。
「好き」
 はっとクレフが息を呑んだ。そんな些細なしぐさも、この距離だとわかってしまう。ということは、きっと私の速い鼓動もクレフに聞こえているのだろう。でもそんなことはもうどうでもよかった。今はただ、この気持ちを伝えたかった。
「勘違いをするな、私はクレフだ。おまえが想いを寄せるあの男は、つい今しがた――」
「違うの」
 クレフが引き剥がそうとしたので、させじと私はますます強く抱きついた。
「違うの、『あなた』なの。私はあなたが好き。あなたが……クレフのことが、好きなの」
 懸命にしがみついたクレフの体が、一瞬震えた。それから彼はまるで人形のように固まってしまい、微動だにしなくなった。
 私はゆっくりと腕を解いた。でもクレフの顔を真正面から見ることはできなくて、俯いたままでいた。
「何度も諦めようとしたわ。あなたはイギリスへ帰ってしまうから、好きになっても意味ないって。あなたとのことはきれいな思い出のまま終わらせようって。……ついさっきまでは、友達のままで別れるつもりだったの。そうできると思ってたし、そうするつもりだったわ。でも――」
 こぼれる涙を受け止めるために持ち上げた手は、けれどその目的を果たすことはできなかった。一回り以上も大きな手が、私を引き寄せる。次の瞬間、私はすっぽりとクレフに抱かれていた。

 まるで海の中にいるようだった。ふわふわとした感覚が全身を包んでいるのに、胸は苦しくて息ができない。このまま溺れていくのかもしれない、でもそれも悪くないな、なんてことを頭の片隅で考えていると、不意にクレフの腕が緩んだ。大きな手が、頬を濡らした涙を拭ってくれる。見つめ合った私たちは、もしかしたら本当に海の中にいたのかもしれない。だって次の瞬間に私の唇を塞いだクレフのそれが、まるで足りない酸素を求めるかのように必死だったから。
 奪われていく、何もかも。息苦しさにくらくらして、私は思わずクレフの制服をぎゅっと握りしめた。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ

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篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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