蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 61. 片割れのリング

長編 『蒼穹の果てに』

クレフは真実しか口にしない。彼の言葉は正しすぎて、フェリオには重かった。それを受け入れるだけの器が自分にないことを突きつけられるようで、直視することができなかった。

本文は「続きを読む」からどうぞ。





 幼いころのフェリオにとって、クレフは父親も同然だった。ようやく物心がついてきたころに実の両親がふたりとも他界し、親族は姉ただひとりとなった。その姉も、フェリオが生まれたときにはすでに『柱』として30年以上の時間を過ごしており、彼女と会うことは、弟のフェリオでさえめったにできることではなかった。幼心にそれは結構辛いことで、『柱』という意味もよくわからないころは、もしも『柱』だから姉と一緒にいられないというのなら、そんなものにはならなければよかったのにと思うことも、少なからずあった。そんな状況だったから、フェリオの面倒を見てくれるのは専ら、赤の他人であるはずのクレフだった。
 生まれたときから王子だった。俗人は中へ入ることさえ容易にはできないセフィーロ城で育ち、誰もが敬う導師クレフに師事することも、フェリオにとっては必然だった。しかし直截にクレフから学を授かることのありがたさや、彼が持つ本当の力には、見た目が幼かったこともあり、長いこと気づかなかった。むしろ、やれ勉強だ、やれ礼節だと口うるさい彼は疎ましい存在だった。そもそも勉強は嫌いだったし、何のために机に向かわなければならないのかわからなかった。そんなフェリオが、クレフに対して生意気にも反抗的な態度を取るようになるまでには、そう長い時間はかからなかった。

***

 その日の最初の課題は歴史学だった。フェリオのもっとも嫌いな分野だ。いつ抜け出そうかとタイミングを探っていると、いいところで城付きの魔導師がクレフを訪ねてやってきた。
「邪魔立てをして、申し訳ありません。実は例の居住区の件に関して、折り入って導師クレフにご相談したいことが」
「そのことについては、昨日すべて話がついたはずだろう」
「ですが、導師――」
 広間の入り口で、クレフは魔導師とああでもないこうでもないと話し合っている。どうやら長引きそうな様子だ。今こそ好機とばかりに、フェリオはそっと机を離れ、クレフを盗み見ながら窓際へと寄った。そっと木枠を引き上げて窓を開け、片足ずつ外へ出す。クレフがこちらに気づく様子はない。うまくいったと思った、その瞬間のことだった。吹き込んだ風が、机上の本をパラパラとめくり上げた。
 ほんの一瞬の差だった。はっとこちらを振り返ったクレフの、見開かれた目と目が合った。
「フェリオ!」
 雷が落ちた。思わずびくっと肩が震え、その反動でバランスが崩れる。悲鳴を上げる間もなく、フェリオは外へと転がった。まともに腰を打ちつけてしまい、喉の奥で鈍いうめき声を上げた。
「戻らんか、フェリオ!」
 じんじんと全身が痺れている。けれどクレフの声が背中を押した。逃げなければ、そう思うと、自然と立ち上がることができた。体勢を整える間もなく駆け出す。クレフの声はすぐに聞こえなくなった。クレフから逃げ出せた、そのことが嬉しくて、目の前に広がる森へと勢いのまま突っ込んだ。

 森を中ほどまで進んだところで立ち止まる。まさかクレフが、どんなに遠くにいる人でもその気配を簡単に判別できるとは、このときのフェリオは知らなかったので、さすがにここまでは追いかけてこないだろうと高を括っていた。息を切らしていると、精霊や精獣たちが駆け寄ってきて、口々に「だいじょうぶ?」と声を掛けてくれた。フェリオは「だいじょうぶだよ」と答え、にかっと笑った。広がる草原に仰向けに倒れこみ、天を仰いだ。
 風が汗をさらっていく。空は青々と晴れ渡り、点在する雲が、左から右へゆっくりと流れている。
 この空も、姉が創造しているのだろうか。幼いフェリオには、いまいちぴんと来なかった。それよりも、その抜けるような晴天を見ていると、否が応でも同じ色の瞳を持ったクレフのことを思い出した。われ知らず眉間に皺が寄る。瞳はあんなにきれいなのに、クレフの心はびっくりするほど厳しい。
「なんで勉強なんかしなくちゃいけないんだよ。まだ6歳だぞ、ぼく」
 空に向かって毒づいたそのとき、ふとにぎやかな笑い声が耳を掠めた。

 体を起こし、声がした方へ目を向ける。すると、目の前に茂る木々を縫った向こう側に、何人かの子どもたちが駆け回っている様子が途切れ途切れ見えた。フェリオはさっと起き上がると、咄嗟に木の陰に身を潜めた。そっと顔を覗かせると、同年代の子どもたちが戯れている様子が、表情まではっきりと見えた。
「待ってよ、もう!」
「悔しかったらここまで来いよ!」
 女の子が三人に、男の子が二人。きゃー、とか、わー、とか騒ぎながら、屈託なく笑っている。
 ちょっと出ていけばすぐ会えるほどの距離にいるのに、その子どもたちが、そのときのフェリオにはひどく遠い存在だった。ぼくだって、あんな風に遊びたいのに。気づかないうちに、フェリオの表情から笑みが消えていた。
 セフィーロ城にも同年代の子どもはちらほらいたが、皆、最高位の剣闘師の息子だとか最高位の招喚士の娘などといった子たちばかりで、フェリオが『柱』の弟であることを知らない者はいなかった。そういう子どもたちはそれこそ親からそれなりの教育を受けているようで、フェリオを見ると、皆まるで腫れ物にでも触るかのような態度で、恭しく頭を下げた。ほかの子とは遊んでも、フェリオと遊んでくれる子はひとりもいなかった。
 姉にも会えず、友達とも遊べず、唯一付き合ってくれるクレフはスパルタ。こんな毎日が、ひょっとしたら死ぬまで続いていくのだろうか。そう考えるとため息をこぼさずにはいられなかった。こんなもの、自分が望んだ生き方じゃない。「王子」の肩書きなどいらない。すべてを捨ててでも、たとえ今の何不自由ない生活を失うことがあっても、同年代の子どもたちと思いっきり遊びたい。このときのフェリオは確かにそう思っていた。そう思っていたはずなのに、それでも木陰から出て子どもたちに合流しなかったのは、やはり心のどこかに捨てきれない後ろめたさがあったからだろう。

「今度はあっちに行こうぜ!」
 男の子が言うと、子どもたちは皆、彼の後についてその場を去っていった。足音がどんどん遠ざかる。やがてその足音さえも木霊しなくなり、フェリオはまた、ひとりになった。
 とぼとぼと木から離れ、また草原に寝転ぶ。空を大鷲が旋回している。あんな風に、ぼくも自由に飛び回りたい。けれどそんなことは口にするだけ無駄だった。かなわぬ願いを、ため息に乗せてそっと吐き出した。
 姉とは似ていないという自覚があった。見た目ではなく『心』の問題だった。『心』の強さについて、姉とフェリオとのあいだには雲泥の差があった。誰かに指摘されたわけではないが、感じ取らないわけがなかった。姉との距離は、今後はもう、遠くなることはあっても近くなることはない。そんな予感が、フェリオの中にはずっとある。
 この日はなぜか、いつにも増してその予感が強まっていた。その予感は、心を過るたびにフェリオの気持ちをどん底まで沈めさせた。たったひとりの姉なのに、どうしてこんなにも遠く感じるのだろう。最後に彼女に会ったのはいつだったのか、もう思い出せなかった。自分は毎日でも会いたいのに、姉はそうではないのだろうか。そのうち姉は、フェリオという弟がいることも忘れてしまうのではないだろうか。そうなったらもう、自分には存在価値がなくなってしまうような気がした。それは背筋を悪寒が這い上がるような怖い想像だったけれど、そんな想像をしてしまうことそれ自体が、フェリオには何より怖かった。

『そんなところにいると、帰れなくなってしまいますよ』
 突然脳裏にそんな声が聞こえてきたのは、もう何度目かわからないため息をついたときのことだった。
「え?」
 目をしぱたいた次の瞬間、突如視界が翳り、眩暈がした。まるで長い長いトンネルの奥へと引っ張られていくような感覚が、全身を支配する。自分ではコントロールすることのできない感覚だった。フェリオは焦った。けれど焦り出した次の瞬間には、フェリオを圧迫していた感覚は消えていた。閉じていたことすら気づかなかった瞼を、そっと開ける。そうしてみて、フェリオは唖然とした。目の前には、先ほどまで見ていたのとはまったく違う景色が広がっていた。
 遠くにセフィーロ城が聳え、その手前に森がある。その森こそ、つい今しがたまでフェリオがいたはずのところだった。けれど今はそこを俯瞰している。森どころか、セフィーロのほとんどすべてが一望できる崖の上に立っていた。

 潮の香りがした。その香りに誘われるようにして身を乗り出そうとしたとき、誰かに手をつながれていることに気づいた。つないでいたのは、エメロードだった。
「……あねうえ?」
 びっくりして目を見開いた。見間違いか、あるいは夢か。目を何度も擦ったが、何度見直してもそこに立っている人がエメロード以外の人物になることはなかった。波打つブロンドが、風の動きをそのまま再現する。エメラルド色のサークレットに太陽の光が当たり、眩しかった。けれどそれよりも眩しかったのは、彼女が浮かべているまるで天使のような笑顔の方だった。
「あまり導師クレフを困らせてはいけませんよ、フェリオ」
 その笑顔を崩すことなく、エメロードは言った。開口一番そんなことを言われるとは思っていなかったので、フェリオは思わず言葉に詰まった。何か言うべきだとは思ったけれど、結局は何も言えないまま顔を逸らした。彼女は知っているのだ、フェリオがクレフのもとを抜け出してきてしまったことを。そう思うと、どうしようもなく恥ずかしかった。
 クレフの言葉には簡単に逆らえた。というより、逆らわないことなどなかった。クレフが正論を述べるたびに口答えをしたくなった。でもエメロードの言葉は別だった。彼女に言われたことにだけは、どうしても逆らえなかった。

「導師クレフは、いつもあなたのことを考えてくださっているのよ」
 握った手に力を込めて、エメロードは言った。フェリオを宥めすかすためではなく、本心からそう思っているようだった。
「でも」とフェリオは思わず言った。「導師クレフは、怖いです」
 それはほとんど無意識のうちに出た言葉だった。そしてそのとき、フェリオはようやく自分の心を認識した。ぼくはずっと、クレフのことが、怖かった。
 クレフは真実しか口にしない。彼の言葉は正しすぎて、フェリオには重かった。それを受け入れるだけの器が自分にないことを突きつけられるようで、直視することができなかった。自分の弱さも、王子としてのカリスマ性のかけらもないことも クレフにはすべて見透かされてしまっているような気がした。いつの日かそれを直接彼から指摘される日が来るのではないかと、ずっと恐れていた。
 われ知らず視線が下がった。ところが次の瞬間、エメロードがくすくすと笑い出したので、フェリオは驚いて顔を上げた。
「何がおかしいのですか、あねうえ。ぼくはごまかしているわけではありませんよ」
「わかってるわ。でも」
 フェリオの手を握った方とは逆の手を口元に当て、エメロードは笑い続けている。何がそんなにおかしいのだ。彼女が『柱』であることも忘れて、フェリオはそのとき自分にできる精いっぱいのにらみを利かせた。けれど6歳の子どものにらみなど所詮暖簾に腕押しで、緩み切ったエメロードの口角が引き締まることはなかった。

「導師クレフは、あなたのことをとても大切に思ってくださっているわ」
 たとえエメロードの言葉でも、それはどうしても受け入れることができなかった。フェリオはそのとき、彼の記憶にある限り初めて、彼女の言葉を否定した。
「そんなこと、ないです」
「そんなことあるのよ」
 けれどエメロードは、フェリオ以上にきっぱりと言い切った。
「今はわからなくても、いつかわかる日がくるわ。あの方は、あなたの幸せを心から願ってくださっているの。今だって、私があなたと話がしたいと思っていることをわかっていて、あなたの帰りを待っていてくださっているのよ」
 そんなばかな、とフェリオは思った。クレフが自分を追いかけてこないのは、自分の帰りを待っているからではなく、自分のことを見失ってしまったからだろう。あのスパルタで冷たいクレフが、ぼくの幸せを考えてくれているなんてあり得ない。このときは確かにそう思った。

 不意にエメロードが身を屈めた。
「覚えておきなさい、フェリオ。セフィーロでは、何よりも『心』が勝るの。ずっと想い続けていれば、『願い』はいつかかなうのよ」
 それはあまりにも出し抜けな言葉で、フェリオはきょとんとするしかなかった。さらなる説明を期待してフェリオはエメロードを見つめたが、彼女はそれ以上言葉を重ねることなく、そっとフェリオの手を離した。けれどエメロードの手が離れていっても、フェリオの手は何かを握ったままだった。はたと掌を広げると、そこには二つのリングがあった。エメロードの髪の色と同じ、黄金色のリングだった。
「いつか大切な人ができたら、差し上げなさい」
 顔を上げると、エメロードはにっこりとほほ笑んだ。フェリオは何も言えなかった。そのときのエメロードが、確かに笑っているはずなのに、なぜか泣いているように見えたからだ。

 やがてエメロードは、その表情のまま首をもたげ、真っ青な空を見上げた。
「ねえ、フェリオ」とエメロードは言った。「この空の果てには、何があるのかしら」
 フェリオもエメロードと同じように天を仰いでみた。空の果てなど、そんなものがあるのかどうかさえ考えたこともなかった。答えられず、首を傾げた。空の果てにはやはり空があるのではないかと思った。
 広げた掌をそっと握ると、ひやりとした金属が肌の温度を下げた。けれどすぐに温度はひとつになり、まるでリングが自分の手と同化したかのようだった。とても軽いリングなのに、とても重く感じた。
 柔らかい風が、エメロードの髪を靡かせる。フェリオは姉の横顔を見上げた。ほんとうは、リングの片方は彼女に渡したかった。




web拍手 by FC2

コメント

コメントを投稿


管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック

TB*URL

PrevEntry |  to Blog Top  | NextEntry
What's new?
ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

▶ 連作短編集を始めました。クレ海学生パラレルです。今後年中行事に合わせて不定期更新の予定です。詳しくはこちらからどうぞ。

▶ こちらは作品展示専用です。コメントへのお返事は別ブログにて行っております。
カテゴリー
最新記事
月別アーカイブ
全記事表示
Counter
プロフィール

篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

このブログは作品展示専用です。
いただいたコメントへのお返事は別ブログにて行っております。
どうぞお気軽にコメントお寄せくださいませ^^

 

Copyright ©蒼穹楼. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha. Photo by sozai-free 2000px.