蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 62. たれこめる雲

長編 『蒼穹の果てに』

でも、それは所詮夢物語でしかない。フェリオの中で、理性という名の惨酷な悪鬼があざ笑う声が聞こえる。

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 無意識のうちに左耳のピアスを触っていた。隣で風が、膝に置いたソーサーにティーカップを戻す。姉のそれよりも落ち着いた色の髪を薫らせて、彼女はふうと息をついた。
「セフィーロにあんな歴史があったなんて、存じ上げませんでしたわ」
 伏せられた睫毛が、頬にくっきりと影を作った。

 お茶でもいかがですか?――幼いころ、導師クレフのもとから逃げたときのように、だが今回は森の中ではなく、城の中庭のベンチで仰向けになっていると、ティーセットを持った風が現れてフェリオの顔を覗き込みながらそう言った。
 午前中に降り出した雨はやむ気配がない。いつもなら、今ごろは色が変わり始める美しい山入端を拝める頃合いだろうに、今日はどんよりと広がる雲が見えるばかりだ。少し湿った空気を感じながら風と並んで座れば、話題に上ることはただひとつだった。
「俺もだ」とフェリオもため息交じりに言った。「今日導師クレフが話してくださったことのうち、どれひとつとして知らなかった」
 たとえば幼い時分、フェリオがもっと勉学に身を入れていたら、クレフは今日話してくれたようなことを前もって教えてくれていたのだろうか。――ついそんなことを考えてしまっている自分に、フェリオは再び嘆息した。「もしも」とか「仮に」とか、そんなことはいくつ並べたところで何の解決にもならない。そもそもフェリオはもう300年を越える時を生き、幼い時代はとっくの昔に終焉を迎えたのだ。今あるのは、「何も知らなかった」という事実だけだ。

 俺はあのひとの何を見ていたんだろう。考え始めると自己嫌悪に苛まれないわけはなく、何でもいいから当たりたくなった。導師クレフのことについて、その年齢と最高位の魔導師であるということ以外、はっきり言って何も知らないに等しかった。フェリオにとってクレフはずっと『セフィーロ』そのもので、彼のことを知ろうと思ったことさえなかった気がする。息をするときにわざわざ空気の成分など考えないことと一緒だ。あのひとはいつもここにいてくれるのだと、根拠のない確信を持っていた。だがよくよく考えてみれば、そんなことはあり得ないのだ。クレフには747年というとてつもなく長い過去があり、そこには幼かった時代もあれば、その後の時代もある。心が特別強いということ以外には、クレフも自分たちと何も変わらない、ひとりの人間だ。彼がそこにいてくれることは決して「当たり前」などではなく、むしろあらゆる奇跡の上に成り立っていることなのだと言ってもいいことなのかもしれなかった。

 そんなクレフを前にして「王になる」などと啖呵を切ったことが、今となっては羞恥心以外いかなる感情も齎さなかった。王どころか、そもそも自分は「王子」と呼ばれるにふさわしい立場なのかすら怪しい。フェリオが「王子」と呼ばれるのは国王の血を引いているからで、それ以上でも以下でもない。肩書は生まれたときから備わっている。だが問題は人格だ。人格は、生まれながらにして備わっているものではなく、生きていく中で自分の力で会得しなければならないものだ。今の自分に、果たして「王子」と呼ばれるにふさわしい人格が備わっているだろうか。自らの国のことについてさえこれほどまでに無知でありながら、王になどなれるのだろうか。

 ろくに勉強もしてこなかった。机に向かえばさぼることばかりを考え、15歳になるのも待たずに城を飛び出した。導師クレフがどれほど自分を心配して心を砕いてくれていたのかも知らずに、ただ剣術の修行だけに心血を注いでいた。その剣術だって、ラファーガやランティスにはまだまだ及ばない。「王子」と呼ばれるために「これだけは誰にも負けない」と胸を張れるものが、フェリオには何ひとつなかった。
 クレフがそのことに気づいていないわけがない。それでも彼は、いずれ王になると宣言したフェリオのことを黙って受け入れ、「頼もしい」とまで言ってくれた。クレフの懐の深さを改めて知ると同時に、フェリオは自分の犯した間違いにようやく気づいた。あんな宣言をするよりも前に、自分にはしなければならないことがあったのだ。フェリオはまだ、幼いころの非礼の数々を詫びていない。まずは一言「ごめんなさい」と謝ること、本来すべてはそこから始まるべきだった。しかしフェリオはあらゆる段階をすっ飛ばし、いきなり「王になる」と宣言してしまった。挙句、クレフの『導師』という役割の行く末についてまで言及した。そこにどんな意味が隠されていたのかさえ、満足に知り得なかったというのに。

「数日前、導師クレフと話をしたんだ」
 ティーカップの中身を一気に飲み干し、フェリオは口を開いた。
「今、政をはじめ、セフィーロで行われているすべてのことは導師クレフを通しているだろ? その負担が重すぎるんじゃないかとふと思って、『もしもお望みなら、導師の職務は別の者に譲り、好きなことをしていただいても構わない』と申し上げたんだ」
「クレフさんに、そんなことを?」
 ああ、とフェリオはうなずいた。
「もちろん、導師クレフの存在はかなり大きい。あのひとがいるからこそセフィーロの民は安心しているし、他国の人々との交渉も、滞りなく進めることができる。だが、このまま一生あの方の手を煩わせるわけにもいかないだろう。導師だって、政にばかりかかずらってもいられないはずだ。そう考えての申し出だったんだ」
「素晴らしいですわ」
「素晴らしいかどうかはわからないが、少なくとも悪い話ではないはずだと、俺も思った。ところが導師は、首を縦には振らなかったんだ」
「え?」
「そう、そんな顔をしてたよ」とフェリオは、目を丸くした風を見て苦笑した。「そしておっしゃったんだ。『「導師」は後にも先にも、私ただひとり。継ぐような職務ではない』と」
 風がはっと息を呑んだ。今の一言で、彼女はすべてを理解したようだった。まったく聡い女だと、つくづく思う。そんな風から視線を外し、フェリオは空になったティーカップを両手で包んだ。
「そのときは、おっしゃっている意味がわからなかったんだ。『この先』誰もいないというのならまだしも、『後にも先にも自分だけだ』と、導師はおっしゃった。それまでは、『導師』もてっきり、『柱』や『神官』と同じように代々受け継がれていくものだとばかり思ってたから、どういうことだろうと。だが、今日の導師の話を伺って、ようやくわかったよ」
「……『導師』と呼ばれるようになったのは、クレフさんが最初のことなんですね」
 神妙に風は言った。フェリオはちらりと彼女を見、すぐに逸らした。
「あの方は、まさにセフィーロを『導かれた』んだ。ほとんどすべてが死に絶え、崩壊寸前だった国を、あれほど美しくさせるなんて。――もちろん、実際にセフィーロを創造したのは次の『柱』だろうが、その『柱』を導いたのは導師クレフだったんだろう」
 フェリオは思わず天を仰いだ。
「知っていたら、あんな申し出はしなかったよ。『導師』はあのひとだけが名乗ることを赦されるべき称号だ。ほかの者に譲るなんて、考えられない」
 『ゼファー』が『セフィーロ』と名を改めた当時、クレフは二十歳だったという。二十歳といえば、決して子どもではないが、かといって、大人になりきったわけでもない年齢だ。そんな年齢で、荒れ果てた地にたったひとり放り出され、『創造主』から地を導くようにと命ぜられる。当時のクレフの心には、想像を絶する孤独と絶望、そしてプレッシャーがあったはずだ。しかし彼はそれらをすべて乗り越え、今日までセフィーロを支え続けてきた。そんな人が冠している称号を受け継ぐなんて、いったい誰ができるだろう。

「今日のお話を聞いて、私はクレフさんのことがわからなくなりました」
 唐突に風が言った。え、とフェリオは思わず振り向いた。風は一口だけ中身の残った自身のティーカップに目を落としていた。頬に差した影が、先ほどよりも濃さを増したように見え、われ知らず肌が粟立った。
「クレフさんは、思っていたよりもたくさんのことを隠していらっしゃるようです」と風は言った。「もちろん、747年も生きてこられたのですから、さまざまな想いを抱えていらっしゃることはわかりますわ。ですが、クレフさんの場合は、私たちにお話してくださることがあまりにも少なすぎます」
「どういう意味だ」
 風が顔を上げる。強い意志が、眼鏡の奥で光った。
「たとえば今日のお話も、腑に落ちない点がいくつかありました。クレフさんはエリーゼさんのことを『死んだ』とおっしゃいましたが、どのようにしてお亡くなりになったのかは教えてくださいませんでしたわ。誰も太刀打ちできないほどの力を持った方が、どうして死んでしまったのでしょう。エリーゼさんが『心の影』を遺されていった理由を知るためにも、お亡くなりになったいきさつを紐解いていくことは必要不可欠のはずですのに、クレフさんは、さりげなく言い流しました」
「それは」と言いかけ、反論できないことに気づいた。「そうだな」
「それだけではありませんわ。『セフィーロ』が始動した際の新しい『柱』は、いったいどのようにして選ばれたのでしょう。クレフさんは、『ゼファー』では『すべてが失われた』とおっしゃいましたわ。それが真実なら、クレフさん以外に『柱』になり得る方はいらっしゃらなかったということになります。外部から『柱』を呼び込むにしても、セフィーロ以外の国が創られたのは、まさにセフィーロが『セフィーロ』と名付けられたときのこと。『柱』はいったい、どこからやってきたのでしょう。……あるいは、『創造主』が『異世界』から適当な方を招喚したという可能性でしたら考えられますが……」
 最後の一言に、フェリオは思わず瞠目した。
「姉上の先代の『柱』が、異世界の人間だったっていうのか? そんな話は聞いたことないぞ」
 言ってから、かといってエメロードの前の『柱』について何か知っていることがあるのかといえばそうではないのだということに気づき、愕然とした。その風貌も性別も、想像することすらできない。フェリオにとっては、あまねくセフィーロの民にとってそうであるように、『柱』はエメロードと同義だった。

 風がじっと考え込む。凛とした頤が美しいと、こんなときなのに思った。
「私が一番不思議なのは」と風は顔を上げて言った。「エリーゼさんが『魔女』になってしまったときに、どうしてクレフさんは生き残ることができたのかということです」
「え?」
「おかしいと思いませんか。『破壊神』の力は『創造主』のそれと等しいのだと、クレフさんはおっしゃいました。だからこそ、その『破壊神』の力を後ろ盾にしたエリーゼさんによって、『ゼファー』はほとんどすべてを破壊しつくされてしまったんですわよね。それなら、クレフさんが生き残ったということについては、どう説明したらいいのでしょう」
「……それは、当時からそれだけ導師のお力が強かったということじゃないのか」
 風は否定も肯定もしなかったが、否定する気持ちが強いことは、その表情を見れば明らかだった。

 それなりの答えを返してはいたが、正直フェリオは、風の言うことについていくので精いっぱいだった。彼女が今口にした三つの疑問について、この時点まではまったく考えてさえいなかった。言われて初めて、それもそうだなと思ったくらいだ。そもそもクレフの話だって、理解するので手いっぱいで、その意味を咀嚼するまでには至らなかった。
 風は本当に聡いのだと、いまさら思い知った。第一印象からして頭の回転が速い女だと思ったが、当時感じた以上に、風は賢い。オートザムがその頭脳を頼るほどなのだ、もはや風の聡明さについて疑う余地はなかった。若干16歳にしてすでにこの状態なのだから、今後彼女が一層知識を増やしたら、オートザムはこれまで以上に風を必要とするだろう。

 ふと、昨日書庫で風と話をしたときのことを思い出した。「もしもセフィーロとオートザムが戦になったら、どちらにつくか」。誰よりもフェリオ自身が答えを見つけられていない問題を突きつけて、困らせた。今はあのときの会話などなかったようにこうして自然に話しているが、風は答えを見つけたのだろうか。そして、自分は。
 風の前では、「自分は王子だから、当然セフィーロを選ぶ」などと啖呵を切ったが、本心ではとても決めかねていた。王になると宣言した手前、セフィーロを捨てるという選択肢は考えられない。だが、そのためにイーグルやジェオ、ザズを裏切れるのかといえば、そうではなかった。皆、大切な仲間だ。できることなら全部を護りたい。でも、それは所詮夢物語でしかない。フェリオの中で、理性という名の惨酷な悪鬼があざ笑う声が聞こえる。

 風の指で、金色のリングが光っている。本当はエメロードに渡したかったそのリングを、エメロード以外で初めて渡そうと思えた相手が風だった。彼女にそのリングを渡したとき、フェリオは心に誓ったはずだった。護れなかったエメロードの分まで、風のことは護ろうと。だからこそ、王になろうと決めたのだ。もう二度と大切な人を失わないために。それなのに、自分は今、いくつもある大切なものを天秤に掛けなければならない事態に直面してしまっている。
 気がつくと手を伸ばしていた。風が驚いて肩を強張らせる。その肩をそっと包み込むようにして、フェリオは風を抱きしめた。
「フェリオ……?」
 遠慮がちに、風の腕が背中に廻る。この温もりを二度と離したくない。後ろに伸びる重なった影が闇と同化するまで、フェリオはずっとそうしていた。自分から風を抱きしめたはずだったのに、いつの間にか、自分の方が風に抱きしめられているような気持ちになっていた。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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