蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 63. 朧月夜

長編 『蒼穹の果てに』

クレフの心には、すでに大きな傷がある。決して癒えることのない、深い深い傷が。

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「『導師』は後にも先にも、私ただひとり。継ぐような職務ではない」
 クレフが言ったという言葉が、耳の奥にくっきりと残って離れない。その言葉には、クレフを他から排斥するような力があった。彼はやはり、常人とは圧倒的に違う存在なのだ。けれどそう思ってしまう自分がなんだかとても哀しかった。風は小さく息を吐いた。
 常に誰かに囲まれ、尊敬を集めてやまないクレフだが、いつもさりげなく人とのあいだに距離を置いているように感じていた。その原因がどこにあるのか、これまではわかるようでわからなかったが、今日唐突にその答えを突きつけられた。クレフはある一定以上は決して人を自分に近づけない。なぜなら「ほんとうの孤独」を知っているからだ。
 大切に想っていた人も、慈しんでいた精霊や精獣たちも、そして彼を育んでくれた大地も、クレフは一度にすべてを失った。そのとき彼が感じた孤独は、果たしてどれほど強烈なものだったのだろう。たとえば風なら、今歩いているこの回廊でさえ、人気がなく侘しいと感じてしまうが、クレフが経験した孤独はこんなものの比ではなかったはずだ。雨風から守ってくれるものもなく、それどころか、自らが守るべきものすらない。そんな中に放り出された過去があるから、クレフは常に周囲とのあいだに一定の距離を保っているのだ。万一それらを失ったときに、必要以上に傷つかなくて済むように。クレフの心には、すでに大きな傷がある。決して癒えることのない、深い深い傷が。

 風は徐に立ち止まり、そっと自らの腕を抱いた。少し前にフェリオに抱きしめられたときの感触が、まだそこに残っている。あれは不思議な抱擁だった。最初はフェリオに抱きしめられていたはずだったのに、いつの間にか、風の方がフェリオを抱いていると感じるようになっていたのだ。たぶん、フェリオが抱えている不安と孤独が風の方に流れてきたからだろう。「王になる」とクレフに向かって宣言した、そのことは確かにフェリオを成長させているが、その一方で、押しつぶされるほどの不安を抱かせもしている。フェリオはおそらく無意識のうちに、その不安と孤独を風と分かち合いたいと思ったのだろう。
 フェリオがそうして自分を頼ってくれたことは、純粋に嬉しかった。ただ彼の隣に立っているだけではなく、できることならその背中を支えたいとずっと思っていた。守られるだけではなく、フェリオが自分に自信を持てないことがあるのならそれを一緒に乗り越えていくような関係でいたかった。言葉もなく抱き合いながら、初めてその一歩を踏み出せたような気がして、得も言われぬ感慨が心にじわりと広がったのだった。

 どんなに強い人間でも、必ず辛くなるときがある。弱音を吐きたくなるときもある。フェリオは風を頼ってくれた。けれどクレフは、これまでいったい誰を頼り、また、これからは誰を頼っていくのだろう。
 人にある一定以上の心を打ち明けないということは、羽を休めずに飛び続けるようなものだ。誰よりも強い心の持ち主だから誰かを頼るような必要はない、そう言われてしまえばそれまでだけれど、本当にそうだろうか。クレフだから、『導師』だから、誰のことも頼らなくても生きていけるのだろうか。そんなことはないはずだ。少なくとも風はそうは思わない。むしろクレフだからこそ、いざというときにその心を支える人が必要なのではないだろうか。

 同じようなことを、けれど風よりももっと強い気持ちで感じているであろう人を、風は知っている。彼女なら、クレフの心を支える存在になれるかもしれない。きっと彼女自身もそうなることを望んでいるだろうし、風もまた、そうなればいいと心密かに願っていた。けれどそれは、ひょっとしたら、風がフェリオへの想いを貫くことよりも難しいことなのかもしれない。果たして彼女は、今日のクレフの話をどんな思いで聞いたのだろう。
 直截に確かめたことはないが、彼女――海はクレフに対して間違いなく特別な感情を抱いているし、彼女自身、それを自覚しているだろう。けれどクレフが海のことをどう思っているのかについては、正直言ってわからなかった。ただ、ほかの人――たとえば風や光に接するときの態度と海に接するときの態度とは、明らかに違っている。ただの教え子とだけ思っているわけではないようなのだが、でもそれをイコール特別な人と単純に模式できるのかといったら、そうではない気がした。「特別な人」をどう定義づけするかにもよるだろうけれど、たとえばそれを「心を預けられる人」だとするのならば、クレフはまだ、海に対してでさえもその心のすべてを打ち明けているわけではない。
 セフィーロ城は今、大きな結界によって守られている。時折吹く風が強くなっても、その結界は決して揺らがない。こんなにも強固な結界ならば、いっそのこと風さえも通してしまわないようにすればいいのにと思うが、でもそうしないところがクレフの優しさであり、そして不器用さでもある。風が吹かなければ空気は動かない。けれどその風は時に荒ぶり、時にすさぶ。

 ぎゅっと一度自らの体を強く抱きしめてから、風は静かに歩き出した。フェリオと抱き合ったときの温もりがあれば、当分のあいだは前を向いて歩いていけると思った。たとえばこういう温もりを、クレフにも知ってほしい。そう思って顔を上げたとき、ふと、視線の先に誰かが佇んでいるのを見止めた。
 その人は、固い表情で瞬きもせずにじっと窓の外を見上げていた。その視線の先を追いかけて、たちまち彼女の硬い表情の理由を知った。風は一度深呼吸をしてから、彼女のもとへゆっくりと歩み寄った。
「アスカさん」
 距離を空けて立ち止まると、アスカがはっと息を呑んでこちらを振りかぶった。よほど集中していたのか、風が近づいていたことにまったく気づいていなかったようだった。
 何に対してかはわからない。けれどアスカと目が合った瞬間、風は咄嗟にほほ笑みを刷き、うなずいていた。ひとりではない、皆がついているのだから心配ないと伝えたかったのかもしれない。そしてその意図を的確に汲み取ってくれたのか、アスカが目を細めてひっそりと笑った。
「どうしたのじゃ、このような時間に」
「アスカさんこそ」
 風はもう一歩アスカとの距離を縮めた。体の向きを斜めにして、自らもまた、窓の向こうへと視線を投げる。「アスカさんこそ」と言いながら、彼女がここで何をしていたのかはとっくにわかっていた。
「月をご覧になっていらっしゃったのですね」
 ようやく雨が上がった空に、かすみがかったそれがぼんやりと浮かんでいる。地球の月とセフィーロの月、両者の違いはその色合いくらいだとこれまでは思っていたが、そうではなかった。セフィーロから見えるあの銀色の月は、地球のものとは決定的に違った。もう、昨日までと同じような目で見ることはできなかった。

「あそこに、サンユンがおるのじゃろうか」
 アスカが呟く。凛とした横顔に、風は思わず目を細めた。出逢ったときはほんの幼い子どもだったのに、この二年でアスカは大きく成長した。とりわけここ数日で、アスカはまるで別人へと変貌を遂げたように思う。その佇まいには、もはや貫禄すら漂っていた。
 じっと月を見上げていたアスカだったが、あるときふっと俯き、体の脇で強く拳を握りしめた。
「わらわは、悔しい」
 そして震える声でそう打ち明けた。
「こんなにも自分が無力だとは、思わなんだ。サンユン一人、助けに行くこともできぬ。どこにいるかわかっておるのに、ただ黙って見ていることしかできぬのじゃ」
「……アスカさん」
 風は咄嗟に腕を伸ばし、アスカの小さな手を両手でそっと包み込んだ。アスカが顔を上げ、こちらを見る。けれど予想に反してその瞳に涙がなかったことで、風は何と言ったらいいのかわからなくなってしまった。逆にアスカの方が穏やかにほほ笑み、風の手を握り返した。
「ありがとうなのじゃ、フウ」とアスカは言った。「わらわはもう、泣かないと決めたのじゃ。サンユンに、もう一度会いたい。いや、絶対に会う。そのためには、泣いている暇などないのじゃ」
 自分自身に言い聞かせるように言って、アスカはそっと風から手を離した。
 今となっては、自分よりもアスカの方が強いのかもしれない。そう思わせるに足る説得力が、アスカの横顔にはあった。誰かを愛する気持ちは、何よりも人を強くする。『心』の強さがすべてを決めるセフィーロにいるということもまた、アスカの成長をより一層加速させているのかもしれなかった。喜ぶべきことだろうに、まるで自らの手を離れて巣立っていく子どもを見送る親になったかのような、一抹の淋しさがあった。

「すべてが終わったら、わらわはもう少し、勉強をしようと思う」
 問わず語りにアスカは言った。
「導師クレフが話されたことを、わらわは何も知らなかったのじゃ。歴史は特に苦手でな。避けておった」
 自嘲気味に笑ったアスカに、風の頬も緩んだ。
「じゃが、わらわはいずれファーレンを治めねばならん。少なくとも自らの国について、歴史を『知らぬ』ということは赦されまい。ファーレンがどのようにして成り立ったのか、いかようにして今の豊穣の地が誕生したのか、知らねばならん」
 そうか、と風は思った。アスカはただ単に強くなったのではない。大人になったのだ。
 やりたくないことを「やりたくない」と言えるのは、そしてそう言っても支障なく生きていけるのは、子どものうちだけだ。子どもであれば、どんなに「やりたくない」と言ってもそれが必要なことだと大人が判断すれば、強制的にやらされることもある。けれど大人になればそんなことはない。大人が「やりたくない」と言えばそれまでで、誰にも文句を言われることはない。やりたくないことはやらなくて済む。けれどそれは、本当はやらなければならないことであったとしても、誰も忠告してくれないということだ。
 大人になれば自由度は増す。けれど自由になるということは責任を伴うということでもある。大人は自分で自分の進むべき道を正しく定めなければならない。そしてアスカは今、こんなにも幼いのに、そのことがしっかりとできている。

 風はそっと、アスカの肩に手を置いた。華奢な肩は、力を込めたら簡単に折れてしまいそうだった。
「そのときは、私も一緒に学ばせてください」と風は言った。「先生は、サンユンさんですわね」
 こちらを向いたアスカの瞳が、初めて揺らいだ。
「……そうじゃな」
 アスカが風の手に自らの手をそっと重ねる。お互いの温もりに一縷の望みを託し、二人はしばらくのあいだ、朧月夜を見上げていた。




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篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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