蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 69. 緋色の世界

長編 『蒼穹の果てに』

真っすぐな言葉がクレフにぶつかる。覚悟していたはずなのに胸が痛んだ。一度深く息を吸い込み、吐き出した。

本文は「続きを読む」からどうぞ。





 山の端に迫るほどに傾いた日の光が、あらゆるものの影を長くする。こうして自室のバルコニーで何もせず佇み、ただ時が流れていくのを見守ることが、クレフは昔から好きだった。日々の喧騒から距離を置くことができるというのは、クレフにとっては何よりの贅沢だった。
 少し風がうるさい。さまざまな人のさまざまな想いを乗せ、吹く方向を定められずにいるのだろう。今この国を吹く風には、セフィーロのみならずチゼータの民の心も混ざり込んでいる。勝手のわからない国での生活が心細くないはずはない。先行きに対する不安がチゼータの人々の心に大きな影を落とし、それが風向きを不安定にさせているのだ。意志の力がすべてを決めるということは、そういうことだ。

 乾いた風に、肩に持たれかけさせた杖の装飾が揺れる。まるで呼ばれているように感じてつと顔を上げると、獣の顔を模った杖のちょうど目に当たる部分の宝玉がきらりと光った。
 まるで何の穢れもない、生まれたての赤子の瞳のように澄んだ色をしている。皮肉なものだ、とクレフは苦笑した。かつては流血にまみれ、形を変えて人の命を奪ったことすらあるものだというのに、宝玉の美しさからはとてもそのようなことは想像できない。だがすべては現実に起きた出来事だ。すべてはクレフが、自らの手で選んだことだ。

『この地を導きなさい。新しい「柱」とともに』
 ゼファーが永遠に失われたあの日から今日までの700有余年、クレフを生かしてきたのは『主』の言葉だった。今でも、まるで昨日のことのように鮮明に思い出すことができる。初めて見た、あれほどまでに冷たい『主』の瞳と声、そして遠ざかっていく足音。クレフの額にサークレットを与えて、『主』はあの日、クレフの前から姿を消した。――消した、と思っていた。

 ゼファーは失われたのだという現実を受け入れたとき、クレフは一度意識を失った。そうして長い時間眠ったが、実際どれほどの時間眠っていたのかはクレフにもわからなかった。なぜならすべてが失われた大地においては、眠りに就く前と後で変化したものを何一つ見つけられなかったからだ。
 そのまま眠り続けることもできたし、実際クレフは、内心ではそうすることを望んでいた。しかしそれでも最終的には起き上がることを選んだ。ひとつには我慢できないほど喉が渇いていたという理由があったが、何よりもクレフの背中を押し上げたのは『主』の最後の言葉だった。この地を導かなければならない。それが、自分にできる唯一の贖罪だ。その思いがクレフの体を突き動かした。地を這いつくばり、やっとの思いで細く湧き出る水の流れにたどり着くと、クレフは渇き切った唇を直接水につけて飲み込もうとした。しかし急に入ってきた水分に驚いた体が一度はそれを拒み、クレフは激しく咳き込んだ。仕方なくまずは手で掬おうとしたが、そのときふと、違和感を覚えた。

 何かが違う、と思った。しかし肝心の「何か」の中身がすぐにはわからず、クレフはじっと自らの手を見つめた。そしてある瞬間、はっと気がついた。喉の渇きも忘れ、クレフは細長い水の流れを覗き込んだ。そこに映った自らを見て、絶句した。それは自分でありながら自分ではなかった。二十歳という年齢にはおよそそぐわない、幼年の姿をしていたのだった。
 あまり働かない頭では、状況を理解するのに長い時間が必要だった。水面に映り込んだ自分を眺めたまま、しばらく何をするでもなくただそうしていた。ようやく自らの身に何が起きたのか悟ったのは、自分が額に見慣れない宝玉を戴いていることに気がついたときのことだった。
 瞬時にすべてのことが一本の糸でつながった。意識を失う直前に聞いた『主』の言葉、その行動、そして体が縮んだ理由。クレフは濡れた手でそっとサークレットに触れた。微かだが、『主』の力の気配が残っていた。すでに懐かしいと感じる気配だった。このサークレットを戴いている限り自分の体は成長しないのだと、誰に教えられずとも理解できた。『主』はクレフの体の時間を10歳の時分へと戻し、留め置いたのだ。すべての引き金となった、あの守れない約束を交わした日へと。
 自らが口にした約束を忘れるな、その戒めを胸に生き続けろ――『主』のそんな言葉が聞こえてくる気がした。返事をしようとしたが、喉が渇き切っていて言葉が出てこなかった。クレフは一度深呼吸をし、サークレットから手を離すと、今度こそ両手で水を掬い、そっと口に運んだ。飲み干したその一杯が全身へと巡るのを感じたとき、自分は生きているのだと思った。それは哀しい現実だった。見上げた空は、真っ青に澄み渡っていた。


 クレフは目を閉じ、あのときと同じように額のサークレットに触れた。しかし今そこにあるサークレットは、あのとき触れたものとは違う。今あるのはクレフが自ら創ったものだ。『主』に与えられたかつてのサークレットは消滅した。『主』その人の手によって。
 『創造主』が創り出したものを壊せるのは『創造主』だけだ。サークレットが溶けた時点で、モコナが『主』であるということに疑いの余地はなかった。しかし当然のように戸惑いがあった。半永久的に自分の前から姿を消したと思っていた『主』が、実はずっとそばにいたのだから。
 訊きたいことも話したいことも山のようにあったはずだが、どれひとつとして言えなかった。一言も交わすことなく、『主』はあっさりと再びクレフのもとを去っていってしまった。その気配が完全に世界から消えたとき、クレフは自らの心にぽっかりと穴が空いたのを感じた。クレフと『主』とをつないでいた唯一のものであったサークレットが消滅したことで、今度こそもう二度と、『主』と会うことはないのかもしれないと思った。ひとつの終わりがそこにあった。そしてそれは、同時に新たな『セフィーロ』の歴史の始まりでもあった。

 『主』がサークレットを消滅させた意味について考えることがある。真っ先に浮かぶのは、「もう贖罪は済んだ」という『主』からの暗黙の意志表示だったということだ。だがそうすると腑に落ちないことがあった。クレフはてっきり、クレフの体が10歳のときのそれへと縮んだのは『主』の力によるものであり、あのサークレットが体の成長を止めているのだとばかり思っていたが、サークレットが消滅してからも、クレフの体には何の変化もなかった。それならばあのサークレットにはどのような意味があり、そしてそれを、『主』はどのような想いで消滅させたのだろう。そしてそもそもなぜ、クレフの体はあの日突然退化してしまったのだろう。
 もっとも、体が成長しないということは、今のクレフにとってはさほど大きな問題ではなかった。成長させる必要も理由もない。700年以上慣れ親しんだ体だ、一見不釣合いなほど大きな杖を携えて歩くことにも、もう不自由など感じなかった。


 クレフは徐に額から手を離し、思わず苦笑した。これほどまでに過去に想いを馳せることなど、ついぞなかった。おそらく最近起きている不穏な出来事の数々が原因だろうが、感傷的になる理由などどこにもない。過去は変えることができない。必要以上の郷愁は、心を脆くするだけだ。
 いよいよ夕陽が紅く燃える。贅沢なひとりの時間に別れ、部屋の中へ戻ろうとしたそのとき、ふと扉の向こうに人の気配を感じた。
 その気配の主は、意外なようでもあり、同時に予期していた人物のようでもあった。しかしいずれにしても、今のクレフに彼女を避ける理由は何もなかった。それに、どうして彼女がここへやってきたのか、その理由もわかっているつもりだった。すっと杖を傾け、扉を開けた。

 扉が完全に開かれても、彼女はなかなか入ってこようとしなかった。この状況はデジャヴだった。そのときの記憶とも重なって、クレフの表情(かお)には自然と笑みが浮かんだ。
「どうした、ウミ。入らないのか」
 声をかけると、扉の外に立っていた娘――海がはっと顔を上げた。全身から張り詰めた気配が放たれている。彼女の心を席巻している緊張や不安といった気持ちが如実に伝わってきて、クレフは目を細めた。
「そこでは話せまい。中に入りなさい」
 それでも海はなかなか足を進めない。
 多すぎる言葉は、かえって相手の心を閉ざしてしまう。クレフは「薬湯を淹れよう」と告げて、一旦その場を離れた。

 しばらくしてから二杯の椀とともに部屋へ戻ると、海が一人掛けのソファにちょこんと座っていた。クレフは魔法で小さなテーブルと椅子をもう一脚出した。そしてテーブルの上に椀を置き、海と向かい合うようにして椅子に腰を下ろした。
「ありがとう」
 囁くように言った海が、そっと薬湯に手を伸ばした。一口飲むと、海はまるで溜まっていたものをすべて吐き出すかのようなため息をついた。
「やっぱり落ち着くわ。クレフの薬湯」
 そう言われたからというわけではないが、せっかく二杯淹れてきたので、自分の分にも口をつけてみる。だが正直に言えば、「やっぱり」というほどの効能は感じ取れなかった。自分で淹れたものだからかもしれない。一口だけ飲み、椀をテーブルに戻した。時を同じくして、海が静かに口を開いた。
「一人で考えようと思ったんだけど、なんだかおかしくなっちゃいそうで。気がついたら、ここへ来ていたの」
 クレフは顔を上げ、海を見た。彼女の視線は両手で包んだ湯気の立ち上っている椀に注がれていた。流れる水のような髪がひとふさ、さらりと肩から落ちる。するとそれを合図とするかのように、海がぱっと顔を上げた。その双眸には、飛び散りそうなほどの涙があふれていた。
「ねえ、クレフ。『アミュレット』は三つあるって、あなた言ったわよね。風と光が、ひとつずつ封印を解いたわ。それなら、残りのひとつはやっぱり私なの? もしも私が最後の『アミュレット』の封印を解いてしまったら、『破壊神』が目覚めてしまうの?」
 真っすぐな言葉がクレフにぶつかる。覚悟していたはずなのに胸が痛んだ。一度深く息を吸い込み、吐き出した。

 誰よりも幸せになってほしいと思っている三人に、誰よりも辛い仕打ちを与えている。その事実は、クレフを哀しませると同時に怒らせもした。しかしそのいずれの感情も、今目の前にいる娘には関係のないことだった。クレフはあらゆる邪念をかなぐり捨て、海を真っすぐに見返した。そして毅然とした口調で言った。
「『アミュレット』の封印を解くことができるのは、『魔法騎士』のみ。ヒカル、フウの二人がすでにその封印を解いた今、残るひとつは――ウミ、おまえが封印を解くことになると考えるのが自然だ」
 海は打ちひしがれたように呆然とした。わかっていても、彼女にそんな表情をさせているのは自分なのだと思うと、胸の奥深いところがざわついた。
「……そう」
 掠れ声で呟き、海はまた俯いた。そして膝の上で拳を作ると、まるでその中に自分を閉じ込めようとするかのように、固く握った。
「どうしてこんなことになっちゃったのかしら。まさか私たちが、この世界を滅ぼす神様を目覚めさせてしまう存在だなんて」
「そんな風に考えるな。おまえたちに罪はない」
「でも」と海は顔を上げた。「私たち『魔法騎士』にしか、『アミュレット』の封印は解けないのよね。そしたら、間接的とはいえ、私たちがこの世界を滅ぼしてしまう元凶だということじゃない。せっかくみんなで手を取り合って歩き出したところだったのに、ずっとずっといい世界になっていけそうだったのに、それなのに」
「ウミ」
 鋭く遮り、クレフは海の手にそっと自らのそれを重ねた。海の手がはっと震える。海はまるで、巣からひとりだけ離れてしまって怯えている小鳥のような目をしていた。クレフはその瞳を優しく見返し、ほほ笑んだ。
「だいじょうぶだ。この世界は滅びたりしない」
 ああ、また。心の中で、そんな声がした。
 そんなことを言って、そのとおりにならなかったらどうするつもりだ。もう一人の自分が警鐘を鳴らしている。しかし胸の内を揺さぶるその声を振り切り、クレフは海に向かって笑みを浮かべ続けた。滅びさせない――言葉にすると、その気持ちは自分でも意外なほどに強くなった。本当はその手立てすらわからないのに、きっと救うことができるという力が、何の根拠もないところから確かに湧き上がってくるのを感じた。

「うん」
 やがて海は、潤ませた瞳を細めてうなずいた。そしてさっと涙を拭うと、クレフの手を握ったままやおら立ち上がった。
「ねえ、散歩に行きましょうよ」
「散歩?」
 思いがけない提案に、覚えず声が裏返った。ええ、と海は笑顔でうなずいた。
「ずっとこんなところに引きこもってたら、体に毒よ」
 いや、べつに引きこもってはいないのだが。そう答えると、海は何か反論しようとして口を開いた。しかし何か思うところがあったのか、結局は何も言わずに、やがてどこか自嘲気味な笑みへと表情を変えた。
「うそ。本当はね、心細いの」
「心細い?」
「光と風は、二人とも『アミュレット』を持っているでしょう。なんとなく、私ひとりが仲間はずれになってしまったみたいで、心細くて。だから部屋を出てきたの。でも、ひとりになるのは怖くて」
 海は微かに頬を染め、目を伏せた。
 数日前にクレフの体を懸命に掻き抱いて「ひとりではない」と言った少女が、今は自分がひとりであることを感じ、心細いと言う。しかしそこに呆れる気持ちはなかった。むしろ、彼女にとってクレフは心を引き裂くような辛いことをいくつも言った相手であるにもかかわらず、その自分に対してこうして胸襟を開いてくれ、正直に「辛い」と打ち明けて頼ってくれることが、堪らず嬉しかった。

 クレフはやにわに椅子から立ち上がり、海の手を引いて歩き出した。突然のことに面食らったか、海が小さく悲鳴を上げた。
「え、ちょっ……ちょっと、クレフ?」
「構わない。『散歩』に行こう」
 つないだ手がはっと震えたことには気づかないふりをした。遠慮がちに握り返してくるのを感じたとき、クレフは思わずほほ笑んでいた。この小さくも確かな温もりが、今はただ愛おしかった。開かれた扉から外へ出ると、世界は緋色に染まっていた。




web拍手 by FC2

コメント

コメントを投稿


管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック

TB*URL

PrevEntry |  to Blog Top  | NextEntry
What's new?
ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

▶ 連作短編集を始めました。クレ海学生パラレルです。今後年中行事に合わせて不定期更新の予定です。詳しくはこちらからどうぞ。

▶ こちらは作品展示専用です。コメントへのお返事は別ブログにて行っております。
カテゴリー
最新記事
月別アーカイブ
全記事表示
Counter
プロフィール

篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

このブログは作品展示専用です。
いただいたコメントへのお返事は別ブログにて行っております。
どうぞお気軽にコメントお寄せくださいませ^^

 

Copyright ©蒼穹楼. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha. Photo by sozai-free 2000px.