蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 72. 終わらない贖罪

長編 『蒼穹の果てに』

こんなことは、もう終わらせなければならない。海の頬から手を離し、固く心に誓った。約束をたがえるのはもう、こりごりだ。

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 胸が上下するのを目視しなければ、海が生きているかどうかもわからない。彼女は寝息も立てず、眼球も動かさずに眠っている。色を失った頬が数日前よりもこけていることに気づき、胸の奥がざわついた。
 海の体に目立った外傷はない。しかし目に見える傷の方が癒しやすかったのにとつい考えてしまう。心に受けた傷というのは目に見えない。目に見えないものはつかみにくく、それ故に癒しにくい。誰よりもよくそのことを知っていたはずだった。それなのに、目の前で簡単に海を傷つけさせた。その事実が今、クレフの肩に重くのしかかっていた。その重みを感じたまま、もう気が遠くなるほど長い時間、ここに突っ立っている。
「少しお休みになれてはいかがです」
 背後からフーガの声がかかる。クレフは答えなかった。フーガの口調は答えを期待しているようなものではなかったし、フーガとて、クレフが首を縦に振ることはないということくらい理解しているだろう。そもそもクレフは休む必要などなかった。クレフが行ったことといえば多少の魔法を使ったくらいで、心を消耗しているわけでも、体に傷を負ったわけでもないのだから。

 数日前、このベッドに横たわっていたのはクレフの方だった。あのときとは真逆の立ち位置に、煮え切らない想いが心の中を逡巡する。あのとき海は、いつ目覚めるとも知れぬクレフに丸一日付き添ってくれていたと聞いた。彼女はどんな想いでここにいたのだろう。まるで椅子に座っている彼女の幻が見えるようで、クレフはひとり顔を顰めた。
 海の体に目立った外傷がないのは、クレフの放った防御魔法がエリーゼのそれをすんでのところで防いだからだ。しかし海は、その攻撃をまともに受けたと錯覚して倒れてしまった。もっとも、倒れた理由はそれだけではない。直截の原因はエリーゼの放った攻撃だったかもしれないが、本当に海の心を抉ったのは、エリーゼが紡いだ惨酷な言葉の方だ。
『人殺し』
 耳の奥にエリーゼの声が蘇る。クレフは思わず目を閉じた。

 何があっても海たちには聞かせてはならない言葉だった。エメロード姫が消滅して以降、こうして世界に平和が訪れてもなお彼女たちが必要以上にこの国の人間と接触を持たないよう図ってきたのも、すべてはあの言葉を彼女たちの耳に入れないためだった。海たちがエメロード姫を消滅させたということ、それはたとえ「事実」であっても「真実」ではない。彼女たちは断じて責められるべき対象ではない。だから彼女たちがあの言葉を浴びせられることがないよう、細心の注意を払ってきた。それなのに、まさかこんな形ですべてが崩れてしまうとは、想像だにしていなかった。

 倒れた海に向かってエリーゼが魔法を放とうとしたとき、クレフが咄嗟に紡いだのは防御の魔法だった。しかし今となってみればよく攻撃魔法を口にしなかったものだとわれながら感心する。あのときクレフの心の中では、怒りの感情が極限にまで高まっていた。それは海を傷つけたエリーゼに対する怒りだった。それでも防御魔法が口をついて出たのは年の功だろう。若い時分であれば、あのとき自分は間違いなく、知り得る限りでもっとも強力な攻撃魔法を口にしていたに違いなかった。
 しかし、そうしてはっきりと自覚できるほど強い怒りをほかでもないエリーゼに対して覚えたということに、クレフは内心大きく戸惑っていた。彼女と出逢った日まで遡ってみても、彼女に対してこれほど強い怒りの感情を抱いたことは一度としてなかったからだ。
 彼女が『魔女』と化してしまったときも、彼女を救いたいと思いこそすれ、憎いとはまったく思わなかった。先日何の前触れもなく再会したときも、つい先ほど、過去の自らの選択について指摘されたときも。どんなことをされても、彼女を愛しむ気持ちがほかのいかなる感情に勝ったことなどなかった。
 彼女が何をしても赦すことができた。故人となったはずの彼女がなぜ今になって現れたのかはわからないが、その目的がセフィーロの崩壊だというのなら、そうさせてもいいとまで思う自分もいた。だがあの一言だけは、海に向かって「人殺し」と囁いたことだけは、どうしても赦すことができなかった。

 クレフはそっと息を吐いた。わかっている。すべては自分の見通しの甘さへの憤りなのだ。
 先日エリーゼが現れたとき、クレフはどうしようもなく嬉しかった。すべての事象が『破壊神』の目覚めが近いことを暗示し、エリーゼの出現も間違いなくその一端を担っていると理解していたにもかかわらず、それでもクレフはエリーゼに再び逢えたことを喜ばしく思い、そしてまた逢えることを期待していた。それがどれほど危険なことかわかっていながら、彼女との再会を、指折り数えるように密かに待ち望んでいた。すべてはそんな己のわがままが招いたことだ。クレフがもっと気を確かに持っていれば、海をこんな目に遭わせることはなかっただろう。
「――愚かな」
 呟いた声は掠れていた。クレフは力なくかぶりを振った。今の自分の置かれた状況が信じられず、また信じたくもなかった。この727年で、私はいったい何を学んできたのだろう。

 コトンと小さな音がした。ふと首を傾けると、ベッドサイドのテーブルに薬湯が置かれていた。立ち上る湯気から薫る香りは、海が眠っている枕に染み込んだものと同じ、精神を回復する作用のある薬草のものだった。
「疲れというのは、自身ではなかなか気づけぬものですぞ」
 フーガが如才なく言う。クレフは顔を上げた。この部屋へやってきてから初めてまともにフーガと目を合わせた気がした。フーガはもともとほとんど見えていないはずの目を細め、ゆったりとうなずいた。

 フーガの右腕が不自由なことを知っている者は多くいても、彼の目もまた不自由であることを知っている者は少ない。それだけ彼の振る舞いが自然だからだ。
 視覚が劣る分、フーガのそのほかの五感は常人の何倍も鋭い。彼の耳は子細な声の調子の違いを正確に聞き分け、彼の鼻は薬草の鮮度の違いを時間単位まで嗅ぎ分ける。そのフーガが今、クレフにこの薬湯が必要だと判断し、勧めている。それだけで、受け入れる理由としてはじゅうぶんだった。クレフは黙って薬湯に手を伸ばした。
 一口含んだ瞬間、体の奥底で新しい血液が生成されるような感覚を覚えた。それは感動的でさえあった。本来薬草が持っている力が極限にまで引き出されている。さすがは薬草を扱うことを生業としている者が淹れた薬湯だ。同じようにやっているつもりでも、自分が淹れるものではこうはならない。
 半分ほどを一気に飲み干し、椀をテーブルへ戻した。
「ありがとう。だいぶ楽になった」
 フーガが満足気にほほ笑む。クレフもうっすらと笑みを刷き、再び海を見た。決して顔色がいいとは言えないが、倒れた直後に比べれば、だいぶ回復してきたと感じなくもない。
 紅く染まっていた空はとうの昔に闇色に変わり、ここ数日では何度目かわからない、星のない夜がセフィーロを見下ろしている。そろそろ深夜と言ってもいい時間帯だ。淡い白熱灯に照らされた海の髪が、まるでそのまま光に溶けるかのように輝いている。

「大切なお方のようですな」
 不意に紡がれたフーガの言葉に、考えるより先にうなずいていた。
「昔、心を傷つけてしまったのだ。宝石のように輝いていた心だったのに、そこに一滴の不純物を交えてしまった」
「宝石は皆、もともと不純物を抱えているものですぞ」
 間髪容れず返ってきた答えに、思わず笑みがこぼれた。そういえば、フーガの趣味は宝石集めだった。この部屋にもいたるところに無数の宝石がある。しかしそのどれもが美しい輝きを放っていて、不純物が混じっているようにはとても見えない。
「この空間でそのようなことを言われてもな」
 クレフは苦笑した。するとフーガが喉を鳴らして愉快そうに笑った。
「この部屋にあるものを、美しいと言ってくださるか」
 フーガはいたずらな口調でそう言うと、目を細めて自らの部屋を見回した。
「そう見えるのは、そう見えるように光が当たる角度を調整しているからですぞ。光が当たらなければただの石ころにすぎんものもある。宝石は太陽とは違い、自発的に輝くものではないですからな」
 心もそうかもしれない、とふと思った。『心』にはそもそも宝石のように形がない。たとえそれが胸の奥にあるものだとしても、それが自発的な輝きを放つことはない。
「われわれも、自分自身の中にそれぞれ宝石を持っております。『心』という名の宝石を。それもまた、宝石のように磨けば美しくなりましょう。ですが『心』を磨くことができるのは、その持ち主である自分自身のみ。それが、宝石と『心』の大きな違いでしょうな」
 まるで胸の内を読んだかのようなフーガの言葉に、クレフは思わず顔を上げた。フーガはそばの棚に並んでいる宝石のひとつを取り、皺がれた手で慈しむように撫でていた。

 応じるにふさわしい言葉を、クレフはなかなか見つけられなかった。沈黙が流れる。フーガが思い出したようにつと顔を上げた。
「あなたさまは、ご自身の『心』をもう少し磨かれた方がよろしいな」
 それはさすがに思いがけない言葉だった。クレフは思わず目を見開き、そして苦笑した。
「何を言うか」
「冗談ではありませんぞ」
 多分に冗談らしい口調だった。
「命様も、あなたさまがそのことにお気づきになるのを待っておられたのでしょう」
 われ知らずはっと肩が強張った。『命』――その呼び名を他人の口から聞くのは、覚えがないほど久しぶりのことだった。
 無理もない。『命』のことを記憶しているのは、今となってはクレフを除けばこのフーガしかいない。彼かクレフか、どちらかが口にしなければほかの人間が口にできるはずもなかった。ほかの人間にとって、『柱』はエメロードただひとりだった。
「命様は、あなたさまのことをずっと気にかけておいでであった」
 手にした宝石を棚に戻しながら、フーガは言った。
「今も、命様のご加護が見えまするぞ」
 クレフは黙した。
 私は、死した後も『命』に加護されるような徳高い人間ではない。そんな言葉が喉元まで出かかっていたが、結局踏みとどまった。フーガにそんなことを訴えたところで、何の意味もなかった。
「もう一杯、ご用意いたそう」
 飲みさしの椀を手に、フーガは厨へと引っ込んでいった。
 クレフが口にしなかった言葉を、フーガはわかっているのかもしれない。しゃんとした後姿を見送りながら、そんな風に思った。

『変えたい未来があったのだ』
 何年――いや、何百年ぶりに『命』の言葉を思い出した。彼女の声を最後に聞いた日からもう400年以上の月日が流れているというのに、その声は、今すぐにでも思い出せるほど鮮やかに脳裏に残っている。
 彼女が「変えたい」と願った未来とは何だったのか、クレフは未だわからずにいる。思いつくことはもちろんある。『命』がこの世を去ってから今日までのあいだに起きたもっとも惨酷なことといえば、エメロードとザガートの悲恋だ。彼女があの出来事を変えたいと願っていた、それは多分にあり得る話だ。しかし問題なのは、その後に彼女が続けた「その向こうにまた違う未来を視た」という言葉だ。
 一度は「変えたい」と願うほど哀しい未来があったのに、それを経験しても構わないと思えるほど喜ばしい未来を、『命』は視た。それは果たして、この二年間続いたはかないほどの平和のことだったのだろうか。
 たった二年ばかりの平和では、海たちの心に負わせてしまった傷の代償としてはあまりにも釣り合わない。しかも問題はまだ山積している。この二年間が、「変えたいと思っていた『未来』を変えなくてもいい」と思えるほどに尊いものだったとは、クレフにはどうしても思えなかった。
 すべての人が幸せになれる、そんな世界は理想論、机上の空論でしかないとわかっているが、それならば、すべての不幸を一手に引き受けるから私以外の者を一人残らず幸せにしてやってほしい。そう願わずにはいられなかった。
 『導師』と呼ばれ、長い年月を生き、どんな修羅場を潜り抜けても、これで贖罪がかなったと思うことはなかった。何をしても満たされない想いが、心の中でくすぶっている。おそらく何をしてもこの想いは消えないのだろうと、最近では諦めるようになっていた。
 自身が犯した罪の重さを判別することほど難しいことはない。誰かに「もういい」と言われたとしても、自分がそうと納得できる日は来ないのだろう。人生の終わりが静かに降りかかってくる、その日までは。

『どうしてそんなに、クレフのことを哀しませるのよ』
 目の前に立ち、エリーゼに向かって海が毅然とそんな言葉を放ってくれたとき、強く心を揺さぶられた。出逢ったときの印象が強すぎて、いつまでもか弱い娘だと思っていたが、いつの間にか彼女は成長していた。こちらが護る側だと思っていたのに、あっという間に、可か不可かは別として、護ろうとしてくれるまでになった。
「ひとりじゃない」と言われたときもそうだった。懸命にこちらに寄り添おうとしてくれる海の気持ちは、クレフの心の琴線に確かに触れた。
 急激な海の心の成長は眩しかったが、同時に切なくもあった。急いで大人になろうとしなくていい。彼女は彼女のスピードで成長し、幸せを手にしてほしい。
 そっと手を伸ばし、白磁の頬に触れる。海には誰よりも幸せになってほしいと願ってきたのに、まるで真逆を行っている。彼女から幸せを奪うことばかりしている現状が、赦されていいはずはない。

 こんなことは、もう終わらせなければならない。海の頬から手を離し、固く心に誓った。約束をたがえるのはもう、こりごりだ。
 そっとベッドを離れると、暇も告げずフーガの部屋を後にした。二杯目の薬湯は、フーガ自身が飲んでくれればいい。歩き出したクレフにはもう、必要なかった。




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2014.09.15    編集

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