蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 73. 静かなる門出

長編 『蒼穹の果てに』

現実世界で初めて紡いだその名前は、ひどく懐かしく、ひどく感傷的だった。

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 初めてエリーゼに逢ったとき、僕はいつの間に死んだのだろうと思った。彼女はまるで天使のような人だったし、そもそもずっと闇の中で生きてきたイーグルにとっては、誰かと目を合わせて話をすることができるというのはそれまで考えられなかったことだった。でも不思議なもので、仮に本当に自分が死んだのだとしても哀しいと感じる気持ちはなかった。それどころか、エリーゼのような人がいるのなら、死後の世界も悪くないとさえ思った。

 あのとき彼女が浮かべた笑顔を、今でもはっきりと憶えている。人の笑顔にあれほど胸を打たれたのは初めてだった。胸を打たれただけではない、あの笑顔に、イーグルは救われた。闇の中で生き続けた二年間、密かにずっと抱えていた孤独が、彼女の笑顔を見たことによって解き放たれたのだ。
 あのときから、イーグルの中でエリーゼの存在は特別なものとなった。自分を救ってくれた彼女を、今度は自分が救いたいと思うようになった。そこには何の打算も思惑もなかったが、そんな気持ちを抱いている自分自身に、イーグルは内心驚愕した。それまでは、自分は間違っても見返りや損得勘定を抜きにした行動が取れるようなタイプの人間ではないと思っていたからだ。

***

「僕は、あなたをここから助け出したい」
 目を閉じたまま言った。彼女は近くにいるだろうという確信があった。
 ゆっくりと瞼を開く。飛び込んできた光景は、もはや現実世界よりも慣れ親しんだものだと言っても過言ではなかった。乳白色一色の世界。それしかないのにそれを乳白色だと認識できるのは、ほかの色彩をまとっているエリーゼがいるからだ。より白い肌に、赤みがかった銀色の髪、そして真紅の瞳。果たして彼女は、思ったとおりそこにいた。
 エリーゼは今日も花を摘んでいた。蒼い花弁の花だった。草花とは縁遠いオートザムで育ったイーグルでさえ、蒼い花が極めて貴重だということは、学問上の知識として知っていた。

「あなたは『魔女』だったそうですね」
 イーグルの言葉に、エリーゼはまったく反応を示さなかった。聞こえていないはずはないので、動じていないということなのだろう。でも、それほどまでに平静さを保っていられるのが、自らが『魔女』であったということを事実として受け止めることができているからなのか、あるいはそう言われることに慣れているからなのかは、イーグルにはわからなかった。
「でも、そんなのはおかしい。どうしてあなたが『魔女』なんかにならなければならなかったのです」
 そのとき初めてエリーゼの手が止まった。彼女は蒼い花弁の花を三輪摘むと、立ち上がり、イーグルと向かい合った。前に会ったときよりも、二人の距離は遠かった。
「どうしてそう思うの?」
 興味深そうにエリーゼは言った。なぜか挑発されているように感じて、落ち着かなかった。拳を握り締めると、手に汗が滲んだ。
「あなたは優しい人だからです」とイーグルは言った。「『魔女』になってしまうような、簡単に世界を滅ぼせてしまえるような人が、そんな風に優しい笑顔を浮かべるわけがありません」
 言ってから、本心からのものであるはずのその言葉がやけに寒々しく響いた気がして、背筋が厭に粟立った。
 再び城の中に現れたエリーゼが海に浴びせたという惨酷な言葉が、イーグルの脳裏にくっきりとこびりついている。その言葉を排除することのできない自分に、イーグルは苛立っていた。エリーゼがそんな仕打ちをするはずはないと思っているはずなのに、彼女を見るときに訝ってしまうことをやめられない。自分の心なのにコントロールが効かないことが、ひどく腹立たしかった。

 とつとつと沈黙が流れる。槍のように突き刺さってくるその沈黙は、しかしイーグルの心を否が応でも鎮まらせた。今この瞬間まで、心のどこかでエリーゼが「悪い冗談ね」と笑い飛ばしてくれることを期待していたが、それはあまりにも子供だましな望みだ。すべては真実なのだ。エリーゼの深い落ち着きを宿した瞳が、そう語っていた。
「何て言ってたの?」
 不意にエリーゼが言った。
「え?」
「私のこと、クレフはどんな風に説明したの?」
 思いがけない問いだった。イーグルは一度エリーゼから視線を外した。
「……美しい心を『破壊神』に魅入られ、『魔女』と化してしまった人だと」
 口にしてから、本人を前にこんなことを言ってもよかったのだろうかとふと思った。けれどクレフが語ったことやその後起きた出来事について、すべては人づてに聞いたことで、それ以外にイーグルには説明のしようがなかった。
「ほかには?」
「え?」
「まさかそれだけじゃないでしょう。ほかにはなんと言っていたの」
「ほか、と言っても……あなたは死んでいるということは、確かにおっしゃっていましたが」
「それだけ? それじゃああのひと、基本的には、私のことを『魔女になった人だ』としか言わなかったの?」
「え……ええ」
 エリーゼがこちらに迫ってきているというわけでもないのに、気がつくとイーグルは、思わず一歩後ろに下がっていた。
 ここまで詰め寄られたのは初めてだった。見た目は自分より年下だが、これまでのエリーゼは常に沈着冷静で、年の差を感じさせなかった。それが今は、やはり彼女は自分よりも年下なのだと納得させられるほど幼さの片鱗を覗かせながら詰問してくる。正直言って気圧された。

「だめね」
 戸惑うイーグルをよそに、エリーゼはため息交じりにそう言うと、力なくかぶりを振った。
「このままじゃまずいのに。あのひとが自分の『願い』に気づかなかったら、大変なことになるわ」
「『願い』?」
 おや、とイーグルは思った。さもない言葉のはずなのに、それは違和感を持って響いた。
「導師クレフの『願い』、ですか」
 誰でも自分だけの『願い』を持っている。そう定義づければ、クレフに願いがあるということも当たり前といえば当たり前だ。何もおかしい話ではないはずなのに、「クレフの『願い』」というと、なぜかどうしてもちぐはぐな感じがした。
 セフィーロとは、『願い』の強さがそのまま『心』の強さにつながり、そして『心』の強さはその人の位の高さにつながる世界だ。その世界において長いあいだ最高位の魔導師として君臨しているクレフは、誰よりも強い『心』の持ち主だと言っていい。ということはつまり、彼は誰よりも強い『願い』を持っているということだ。それはロジックとしては完璧に成り立つはずなのに、何かがおかしかった。クレフの『願い』とは、何だろう。
 たとえば「セフィーロに住まうすべての人が幸せになること」という仮説を立ててみる。そうだとしたらクレフらしいと思うし、納得できる。けれどエリーゼが言う「クレフの『願い』」とは、そういうものではないような気がする。もしも「セフィーロに住まうすべての人が幸せになること」というのがクレフの願いだとしたら、「それに気づかなければ大変なことになる」というのはおかしい。クレフはいつも、「私の幸せは皆が幸せになってくれることだ」と、まるで口癖のように言っている。

「あなたは知っているんですか。導師クレフの『願い』が何なのか」
 エリーゼは答えなかった。ということはつまり、それはイーグルの知らないことだということだ。
 しかしそれよりも、だ。そもそも「クレフが自らの『願い』に気づかなければ大変なことになる」ということ自体、イーグルにとっては寝耳に水のことだった。どうしてエリーゼは、そのことについては教えてくれたのだろう。もしかしたら、イーグルがすでに手がかりをつかんでいることなのだろうか。しかし、「すべての者の幸せ」ということ以外にクレフが望んでいることなど、皆目見当もつかなかった。

 不意にエリーゼがその目をすっと細めた。
「それは、あなたが自分で確かめて」と彼女は言った。「現実の世界へ戻って、その目で確かめて」
 どくん、と鼓動が大きく脈打った。するとまるでそんなイーグルの反応を見越したかのように、エリーゼがうなずいた。
「ここであなたに会うのは、これが最後よ」
「でも、僕は」
「わかっているでしょう」
 思わず身を乗り出したイーグルを、エリーゼがぴしゃりと遮った。伸ばしかけた手が途中ではっと止まる。そうだ――僕はもう、「わかっている」。
「それでいいのよ。あなたは生きるべき人だわ」

 かつて抱いていた「このまま死んでしまいたい」という望みはいつしか薄れ、ほぼその形を留めなくなっていた。目を覚ませばとても直視できないような現実が待っているとわかっても、今のイーグルの心は生きることを望んでいた。けれどそこには、一見相容れないような理由があった。イーグルが生きることを望むようになったのは、エリーゼを――生と死のはざまであるここに閉じ込められている彼女のことを、どうしても助けたかったからだ。その願いがかなえられるのならば、たとえ死んでもかまわなかった。
 でもそのためにはまず、この闇の世界から出なければ、一度目を覚まさなければだめだと思った。今のままではわからないことが多すぎる。どうしてエリーゼはここに何百年も閉じ込められなければならなくなってしまったのか、なぜ彼女は『魔女』になってしまったのか、すべてをそれこそ自分の目で確かめたかった。そのためには、悠長に寝ていられる場合ではなかった。

「さよならは言いません」とイーグルは言った。「僕は、あなたを助けるために目覚めます。この狭間から、きっとあなたを救い出してみせます。だから――」
 最後まで言うことはかなわなかった。見えていた景色が急にぼやけ、まるでエレベーターで一気に地上何百メートルも上まで持っていかれるように頭が締めつけられたからだ。いよいよ現実へ帰るのだと思った。次に自分が迎える目覚めは、きっとこの二年間のどの瞬間とも違う目覚めになるだろう。
 夢から離れる直前、最後にエリーゼが笑ってくれたように見えた。最初に見た笑顔を彷彿とさせる、柔らかい笑顔だった。

***

 耳に届くのはいつものセフィーロの夜の音だ。川が近いのか、遠くで水が流れる音がしている。小さな羽ばたきの主は蝶だろうか。
 いつもはそれらの「音」だけが、イーグルに時間を教えてくれるものだった。けれど今日は違った。違うとわかっていた。
 瞼にぐっと力を込める。けれど瞼は簡単には動いてくれなかった。夢の中で開くのとは雲泥の差があった。あの世界には重力がなかったのではないかと思うほどに。
 イーグルの意志に逆らい、瞼が下りてこようとする。それをぐっと押し上げてようやく、目を開けることができるようになった。

 飛び込んできたのは、淡い白熱灯が浮かび上がらせている円錐状の天井だった。想像していたよりも、天井までは距離があった。
 何度か瞬きをすると、その天井がじんわりと滲んだ。どうしたのだ、と訝った。視力が落ちたのだろうか。けれどもう一度瞬きをしたことでその理由を知った。一瞬の間の後、頬を冷たいものが流れたのだった。
 ぎこちなく腕を持ち上げる。頬に触れようと思うのに、指先が震えてかなわない。ほとんど打ちつけるように頬に手を当てた。冷たかった。その水の出所は、頬より上、イーグル自身の瞳だった。
 この二年間、どうしようもなく目覚めたいと思ったこともあった。それなのに今、こうして二年ぶりに現実のものとなった自らの目覚めを、手放しでは喜べない自分がいる。

「――」
 声を発しようとすると、喉が干からびていて覚えずむせ込んだ。なけなしの唾を何度も飲み下し、喉を潤わせる。ようやく言葉が喉の奥から湧き上がってくると、同時に瞳から流れる涙も量を増した。
「エリーゼ」
 現実世界で初めて紡いだその名前は、ひどく懐かしく、ひどく感傷的だった。




第七章 完




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2015.03.20    編集

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2015.05.06    編集

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都内某所にひっそりと生息。
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